22.迷える道筋・下
『とうとうこの日がやって参りました! カリバーン杯ルーキークラス、決勝戦の始まりです!』
朝の日差しが差し込む闘技場を、ワーッという観衆の声がBGMとなって包み込む。
ルーキークラスといえど、決勝戦のこの日だけは人だかりが出来ている。
観戦のためにイルヴァとクレハが連れ立って観客席へ来ると、人込みが左右に分かれて道を作ってくれた。
「よお! ラッキーソードの!」
「前の方で見たいだろ? 行け行け!」
「今日は愛しのご主人様が活躍する日だからな!」
そんな風に気さくに話しかけては通してくれるがまま、二人は前の席まで来ていた。
「……便利だね」
ぼそ。と呟いたクレハに対して、イルヴァは赤面しながらぶ然とした表情を浮かべていた。
「こういう利便性は、物凄く嫌な気分……」
「良いじゃない。お陰で舞台が良く見えるよー」
「人事と思ってクレハは気楽よね……。ああ……今後が億劫だわ。名声がだいぶ地に落ちた気分だわ……」
頭を抱えるイルヴァの肩を、「まあまあ」と言いながら笑顔でクレハはぽんぽんと叩いていた。
「そこは決闘を挑んだ方が悪いし、その上負けた方が悪いんじゃないの?」
「はいはい……全部私が悪いって言いたいんでしょ。わかってるわよ……」
イルヴァは深い溜息をついていた。
『さあ――いよいよ、決勝戦まで駒を進めた期待のルーキー達の登場です!』
審査人の声の後、ガラッと格子扉が跳ね上がる。
東門から緊張した面持ちのロランが姿を現した。
『東の剣闘士は――ラッキーソードのロラン・ノールド! 彼が勝ち進んできた事は誰もが予知した事であります! 何せ彼はあの、アイアン・ティターニアを決闘で打ち負かした勝者! これしきでつまづくような剣闘士ではないのです! さて、本日予定調和通りにミドルクラスへと昇格する事は出来るのでしょうか?!』
『そして――』という審査人の声と共に、西門からぬっと歩み出てきたのは、灰色の肌をした巨人だった。
『西の剣闘士は――ヴァリアントクラッシャー《勇猛を打ち砕く者》のオルグ! こちらの彼も、その実力は既に確かなものとなっています! 何しろ、元ミドルクラスの剣闘士です! どちらが勝ってもおかしくないこの一戦! どちらが栄光をその手に収めることができるのか?! さて、いよいよ始まります! ミドルクラスへの切符を手にするのは、どちらの剣闘士になるのでしょうか?!』
ロランは規定の位置に立つと、どっという喧騒に息を飲んでいた。
(これが……決勝戦)
この場に立つことが生まれて初めてであるロランにとって、この場はまるで飲み込まれそうなほどのプレッシャーに感じられた。
けれど、そんなものに負けていられないと思った。
(この日のために手を尽くしてくれたんだ。イルヴァも、クレハも。二人もの俺よりも格上の剣闘士が、俺なんかのために色々と教えてくれた。俺はそれに答えなければならない)
ロランはぎゅっと腰の剣の柄を握り締めていた。
目の前には、一際大きなオーガ族が立ち塞がっている。体格は三メートルはあるだろうか。上半身は裸で下半身はズボンとブーツのみ。膝を鉄製のショルダーガードが守っているという、一般的なオーガの姿だが、腰に巻きつけられている大きな鉄球付きの鎖が彼の特徴だろう。
元ミドルクラスというのも納得の貫禄を携えて、その琥珀色の瞳を細めてロランのことを見下ろしている。
「ロラン……頑張って」
ぽつりとイルヴァは呟いていた。
彼が彼自身の信念を礎にしてこの道を行こうと考えるなら、これが最初の登竜門なのだ。ここで折れてしまうようでは、彼の決意とはその程度の事だということ。
(そんな事は……許さない。私にここまで言わせて、ここまでやらせた剣闘士は、世界中でただ一人……ロラン・ノールドだけなのよ。だから、強くなって。こんな所で終わる剣闘士ではないと、示して!)
イルヴァはぎゅっと拳を握り締めていた。
『両者――構え!』
審査人の声と共に、ロランは腰の剣をすらりと引き抜いた後、正中線上に構えていた。
一方、オルグは腰から鎖をじゃらじゃらと取り外すと、両手に持って鉄球をぶら下げるようになった。
『――始め!!』
鐘の音が響き渡る。
オルグは片手を高く掲げると、ブンブンと鉄球を振り回していた。
長いリーチで鉄球はオルグの周りを守るようにしてぐるぐると回転している。どうやら彼はこうやって、死角を作らない戦法を取っているようだ。
(単純だけど手堅い戦法だな……)
ロランはしばらくの間、じっと身動きを取らずに射程の外からオルグのことを観察していた。
しばらくそのまま動きが無かったが、最初にオルグが動いた。
足を前に踏み出すと、ぶうん! と横薙ぎに鉄球をぶつけようとしたのだ。
「……!」
ロランはしゃがむことで鉄球をかわした後、バックステップで後方に飛んでいた。
するとオルグはロランを追い掛けてきた。
オルグが足を踏み出して鉄球を振るうたびに、ロランは後ろへと下がることで避ける。
じりじりと壁際に追い詰められていく様に、「なにやってんだーラッキーソード!」「切り掛かれー!」とあちこちから野次が飛ぶ。
しかしロランは後退を止めなかった。相変わらずオルグの鉄球が襲い来る度に、後方へとジリジリ下がって行くのだ。
それを客席から見て、ぷっとクレハが吹き出していた。
「……なるほどね、随分と小賢しくなってきたよね。でもまあ、ミドルクラスへ上がるなら、これぐらいはやってもわらないとね」
ブーイングがあちこちから上がるのを聞きながら、イルヴァもまた頷いていた。
「お客も、わかってないわね。ロランの剣は激しいモノではないのよ。冷静沈着でなければ、彼らしくないじゃない」
「同感」と言って、クレハは笑っていた。
ロランの背中がいよいよ、トンと壁にぶつかった。
オルグはその隙を逃がすつもりなく、足を再び踏み出すと鉄球を振るった!
ぶうん! と襲い掛かるそれを、ロランは再びしゃがんで避けたから、オルグはまた足を踏み出して更に鉄球を振り回していた。
すると横薙ぎに振り払われた鉄球が、ガゴンッ! と音がして、途中で動きを止めたのだ。
振るわれた鉄球はロランに到達するより先に、壁にしたたか打ち付けられていた。
(今だッ!)
ロランは一気に跳躍すると距離を詰めていた。
「はああぁッ!」
気合の声と共に、剣を振り払う。
オルグは急ぎ鉄球を再び振り回すべく鎖を引き寄せていたが、そのタイムラグは冗長すぎるのだ。
ロランの剣が真っ直ぐに、オルグの腰目掛けて振り上げられた。しかし。
カンッと音がして、剣はオルグの腰に受け止められていた。
オルグはニヤリと笑っていた。
「そんな軟弱な剣じゃあ、オーガ族の肉体を穿てないぜ」
そう言ってから、オルグはロランの剣を掴み取ろうとして片手を持ち上げていた。
しかし、この隙をロランは待っていたのだ。
「……知ってるよ」と、ロランは呟いた後、腰を落とし――そして跳躍した。
ヒュッ!
音も無く振るわれた一閃が、オルグの脇の下を通り抜ける。
そして次の瞬間、ブシュッと大量の血が噴出した。
「て……テメエッ……初戦の戦略か!」
オルグは顔を真っ赤にしながら、片腕がだらりとぶら下がるのを確認していた。
しかし反対の手にはしっかりと手繰り寄せた鎖が握り締められていたため、力任せにロラン目掛けて振り下ろしていた!
ぶうん! と猛烈な音と共に、鉄球は頭上から襲い掛かってくる。
ロランがスレスレでそれをかわすと、ガゴン! と音がして床に打ち付けられる。
オルグはそのまま、それを横薙ぎに振るっていた。
ロランは跳んで避けた後、再び距離を詰めるべく跳躍していた。
(殺さずに無力化する……それが俺の“やり方”だ!)
ロランはオルグの脇目掛けて剣を振り上げていた。
オルグはニヤッと笑っていた。
オーガ族の屈強な肉体を使ってその剣をへし折ってやろうと考えて、ロランの剣が脇の下へ来るタイミングを見計らって脇を締めていた。
が、その手前でロランの剣はピタリと止められていた。
「なッ……?!」
(振り切られていない!!)
オルグは、ロランの剣は自在に止まるということを知らなかったのだ。
ギョッとするオルグの目の前で、ロランはそのまま地面に着地していた。
そしてオルグの横をするりとすり抜ける。
次の瞬間、ガクッとオルグは片膝をついていた。
「な、なんだッ……?!」
オルグは目を白黒とさせていた。
ロランはただすり抜けたわけではなかったのだ。
すり抜け様に、切っ先がオルグの足を掠めていった。ただそれだけでオルグは、がくりと膝をついていたのだ。
「なっ、ななっ、なんだ……なんだこれは。何の小細工だ?!」
オルグは立ち上がろうとするが、足に力が入らなかった。
動揺してその足を見ると、どこからか血がとぷとぷと流れ出ている事に気づいた。
「き……斬られている……?!」
その困惑が隙になった。
ロランは背後に回ると、まだ立っている足の方の腱も、ブーツ越しに踵からスッパリと斬っていたのだ。
とうとうその場にバッタリと倒れ込んだオルグの背中の上に乗ると、ロランはスッと剣を降ろして首の後ろに宛がっていた。
そして囁くような声で告げた。
「チェック・メイトだ」
オルグは、両足と片手が動かないことを確認した後、ガックリとうな垂れて、そして言っていた。
「……降参だ」
『……降参です! ヴァリアントクラッシャー降参しました! 今、優勝者が決まりました! ロランです! 優勝者は、ラッキーソードのロラン・ノールドです!』
次の瞬間、ワアアァァッ! と歓声が辺りを包み込む。
ロランは初めて顔を上げると、観衆の声を全身で受け止めていた。
「やった……やったぞ! 俺はやったぞ!」
ロランは剣を高々と掲げていた。
すると更に大きな歓声が沸き起こったのだ。
「おめでとうっ、ロラン!」
控え室から出てきたロランを出迎えたのは、クレハの抱き付きだった。
ぎゅーっと締め付けられると、巨大な胸がたぷたぷと形を変えるため、ロランは耳まで赤くなっていた。
「あ、その、あ、ありがとう、クレハ」
「うんうんっ、先輩は嬉しいよ!」
クレハはニコニコと満面の笑顔で爪先立ちになると、ちゅ。と頬にキスをしてきたため、ロランはまた真っ赤になっていた。
「なっ?! く、クレハ?!」
あたふたとするロランに、クレハは笑った。
「頑張ったロランへのご褒美だよ。……まあでも、程ほどにしておかないと私の命が無さそうだから。そろそろ離れるね」
クレハはそう前置きをしてから、パッとロランから体を離していた。
その後すぐに、「ク~レ~ハ~?」という、地の底から吐き出されたかのようなイルヴァのうなり声が聞こえてきた。
「あ、あはは?」
ぎこちない笑顔と共に視線を背けるクレハに、イルヴァは詰め寄っていた。
「またそんなことして! これは一度殺されてみないとわからないようね?」
そう言って左腕の紋様を本当に光らせるイルヴァを見て、クレハは焦っていた。
「ま、まあまあ、落ち着いてよ。良いじゃない、ちょっとぐらい」
「ちょっとぐらいって、なによ。ロランのことなんだと思ってるの?!」
「可愛い弟子だってば。何度も言ってるでしょ?」
「信じられない。簡単にそんな、き、きききき、キスするなんて! ありえない!」
わなわな震えるイルヴァの姿に、クレハは苦笑いを浮かべていた。
「そんな、イルヴァは大袈裟だよ。もう少し気楽にならないと、ハゲるよ?」
「あのねえ……! 私は真面目な話をしているのよ、クレハ!」
「真面目って……イルヴァこそ気軽にロランとキスしてるじゃない」
苦笑交じりにクレハに指摘され、イルヴァは黙り込んでいた。
代わりに、みるみる赤面して行くようになる。
そんなイルヴァの反応を見て、「あー」とクレハはほくそ笑んでいた。
「そっかそっか、そうだよね。イルヴァは“本気”でロランと、ああいうことやってるんだもんね?」
ニヤニヤ笑いを向けてくるクレハに、イルヴァは両手をばたばた振っていた。
「違うから! こ、こここれは慣例だからであって……!」
大慌てするイルヴァを「まあまあ」と窘めたのはロランだった。
「それぐらいで良いじゃないか。クレハだって、悪気があったわけじゃないし」
「わ、悪気って、そういう問題じゃなくて……」
何か物言いたげにしながらも、イルヴァは渋々と黙っていた。
そんなイルヴァをよそに、改めてロランはクレハと真っ直ぐ向き合っていた。
「クレハ、本当にありがとう。キミが俺の剣が何なのか教えてくれたお陰で、俺はここまで来ることができた」
そう言って微笑んだロランを見て、クレハは一瞬面食らった表情を浮かべたものの、はにかんだように笑っていた。
「私はただ、あなたが本当の実力を出せるように手伝ってあげただけだよ。あなたの剣は、見ていてじれったかったからね」
「感謝しているよ」とロランは言った後、クレハにずっと疑問だったことを聞いていた。
「……でも、どうして俺なんかに、こんなに良くしてくれたんだ?」
「え?」とクレハはキョトンとした後、すぐにまたニコニコと笑っていた。
「それは、決まってるじゃない。私はね、ロランのことが気に入ったんだ」
そう言ってクレハは両手を合わせた。
「ロランと初めて話した時、こんなに優しくて穏やかな剣闘士が居るんだって思ってビックリしたんだ。剣闘士は荒くれ者ばかりじゃない? そんな中であなたという存在は、オアシスみたいなものなんだよ。だからね、私、ようするに」
クレハは唇に指を当てると、微笑んでいた。
「正直に打ち明けると、あなたのファンになっちゃったんだ、ロラン」
「……え」
ドキッとするロランに対して、クレハは屈託の無い笑顔を向けていた。
「あなたの戦い方、私は好きだよ。だから、次はあなたと戦えることを楽しみにしてる。その時はイルヴァみたいにサックリ殺さないから、安心してね。降参するかしないかぐらいは聞いてあげるから」
それからクレハは、「あ」と言った。
「次は私の決勝戦があるんだった。ちゃんと見てね、ロランとイルヴァ!」
それからクレハはぱたぱたと手を振ると、控え室に入っていった。
「戦えることを楽しみにしてる……か」
クレハが居なくなった後になって、ロランは笑っていた。
「剣闘士らしいな、クレハは」
「そうね」とイルヴァも笑っていた。
「次はクレハの観戦に行きましょうか、ロラン。褒賞はその後受け取っても遅くないし……それから、私からのご褒美も。ね?」
「……ん?」とロランはビックリしてイルヴァの方を見ていた。
イルヴァは顔を赤らめながらロランから目を逸らしていた。
「とにかく、今はお疲れさま」
目を背けたままぽそぽそと言ったイルヴァに、ロランは破顔していた。
「ありがとう、イルヴァ」
ロランの言葉に、イルヴァは小さく頷いていた。




