2.不敗と弱小・下
観衆のざわめきの中で、風魔法の力を借りて拡声された声を張り上げ、審査人が言う。
『お待たせ致しました! 昨日の白熱した大会が終わり一夜明け、フリー・マッチのシーズンが戻ってまいりました! しかし、その前に――本日お集まりになられた皆様の大半は、既にご存知でしょう! そう――ハプニング・マッチ!』
途端、ワアァーと客席が賑わった。
そんな彼らを煽るように、審査人は声を張り上げる。
『なんと三年振りに、決闘を執り行おうという“大馬鹿者”が現れたのです! 現代の保守的な剣闘士ばかりの時代において、自らの尊厳を賭ける決闘試合を見られる機会は実に貴重! さあ――両者の入場です! まずは皆さんご存知の剣闘士! 昨日の大会でも優勝を飾ったばかりの、不敗の女王! アイアン・ティターニアのイルヴァ!』
ワーーッ! と、一層大きくなる歓声を浴びながら、西側の鉄格子が口を開き、イルヴァが舞台へと姿を現す。
鋼鉄の全身鎧を身に付け、大盾とハルバードを持って前を見据える女エルフの姿は、実に威風堂々としている。
『そしてその女王のお相手は、なんと――無名の剣闘士! その実力はいか程のものなのか?! ルーキークラスのロラン!』
それを聞いた瞬間、「え?」とイルヴァは呟いていた。
その一方で、ロランは自身の死期が目の前に迫り来るのを肌で感じ取りながらも、足を踏み出して舞台へと上がっていた。
退いてはいけない。逃げてはならない。それこそが剣闘士にとって、最大たる屈辱だからだ。
イルヴァを目の前に捉える形で立つロランに、怪訝な表情になってイルヴァが話し掛けてきた。
「ジュード、偽名を使っているの……?」
「偽名じゃない」とロランはイルヴァを見据えたままで答えていた。
「ロラン・ノールド。これが俺の本名だ」
言いながら、ロランはゆっくりと腰の剣を引き抜いていた。
右手で柄を握り、左手は柄の尻に添える。
小盾すら持たず、ロングソードを両手で構える剣闘士はロランぐらいだろう。それほどに彼は個性的な構え方をする剣闘士だった。
鈍い鋼色の光を宿した剣身が、朝の日差しを反射してきらりと光る。
「……待って」
嫌な予感が脳裏を過る。まさか。……まさか。
「黒い剣はどうしたの? まさか置いてきたわけじゃないでしょうね?」
「黒い剣? なんのことだ?」
ロランは怪訝そうな表情を浮かべる。
「ジュード、お前……いいえ、“あなた”、十年前はなにをしていた?」
イルヴァが言い直しながら尋ねてきた。
その表情には困惑と疑心が入り混じっている。
やっと気が付いたのかと思って、ロランは溜息をついていた。
「十年前なんて、まだ小さいガキでしかないよ。なにができるってことも無い。故郷の片田舎で母さんと一緒に暮らしていただけだ」
その時だった。
『両者――構え!』
審査人が進行する声がした。
両手でロングソードを構えたままのロランに対して、イルヴァは構えを取らなかった。
『――始め!!』
審査人の声と共に鐘を叩く音が響く。試合開始の合図だった。
そんな中で、イルヴァは唖然としていた。
「――……嘘」
そんな彼女に対して、ロランは訝しげな表情を浮かべながらも腰を落とした。
「とりあえず……行くぞ、アイアン・ティターニア!」
ロランは地を蹴ると一気に跳躍して距離を詰めた。
「ハッ!」
気合と共に剣を振り下ろすと、イルヴァが大盾を構えてそれを弾いてきた。
まるで地から生えた大岩を叩くようなその手ごたえに、ロランは愕然としていた。
(やっぱり効かないか……!)
ロランはいったんバックステップで遠めに距離を取ると、構えなおす。
あのハルバードの射程に入ってしまえば、素早いラッシュを浴びせられてひとたまりもないだろう。とすれば、距離を置くか、或いは密着するまで詰め寄るか。
(俺の剣じゃ、距離を置くには向いていない)
……とすれば、懐に飛び込んでしまって超至近距離で戦うしか勝機は見出せないだろう。
(そこまで距離を詰められるのか?)
イルヴァはこの重装備で恐ろしいほど速く動く。
不安になったものの、後退の先には死しか無いんだと言い聞かせると、ロランは動いていた。
地を蹴り、一気に距離を詰めに掛かる。
「ッ……!」
イルヴァが反応した。
しかし、わずかに身を引いただけだった。
(この程度なら!)
ロランは体当たりする勢いで切っ先を再び大盾に打ち付けた。
ガンッ! という音がして、イルヴァの手から大盾が弾け飛ぶ。
ガランッ!ガラガラ……。
大盾が落ちて地面を滑って行くのを見て、観客席にどよめきが走った。
その動揺はロランも同じだった。
(何故だ? あれほどの剣闘士が、この程度の攻撃で?)
戸惑いながらも勢いが止められるわけでもなく、イルヴァの鎧に肩をぶつけていた。
至近距離で碧い瞳と目が合う。
「クッ……」
イルヴァは悔しげに唇を噛んだ後、ハルバードの柄を使ってロランを押し返そうとした。
「させるか!」
ロランは剣身を滑らせて柄の上を走らせると、そのままイルヴァの喉を守っているゴルゲット《喉当て》の部位に剣を打ち付けていた。
ガキンッ! と音がして、イルヴァがよろめいて膝をついた隙に、額へ切っ先を宛がう。
「チェック・メイトだ」
ロランがささやくと、イルヴァは小さく頷いた。
「……私の負けよ」
しんと静まり返った闘技場に、その声は張り上げていないにも関わらず、すっと通り抜けて行った。
しばらくの、間の後。
『しょ、勝者、ロラン! ルーキークラスのロランです!』
戸惑いが入り混じる声で、審査人が結果を言い渡す。
だというのに、闘技場は静まり返ったままだった。今の戦況に誰もが付いて行けていないのだ。
なにしろ、あのイルヴァが。負け知らずのイルヴァが、無名の、しかもルーキークラスの若い剣闘士に、あっという間に負けてしまったのだから。
これに一番納得ができなかったのは、ロラン自身だった。
「ま……待ってくれ!」と思わず声を上げる。
「アイアン・ティターニア! キミは今、手加減をしたな?! なぜだよ! 決闘は、決闘っていうのは公式試合なんかと違って……!」
『勝者が決まりましたので、慣例通り、勝者には褒賞に代わって敗者の全権利が譲渡されます!』
ロランの声を遮るように、審査人が言った。
彼らにはロランの喋る声が聞こえていないのだ。
そして審査人が言う通り、剣闘士の決闘というのはただの喧嘩を見世物にしただけの物とは違う。
それは剣闘士が、まだ奴隷身分であった頃の名残りを残した制度。
勝者が敗者を我が物にするための、野蛮なルールが存在するのだ。
それを知りながら、イルヴァは投げやりな態度で言っていた。
「……あなたの言う通りよ。私の勘違いだったわ」
その後、はあぁ……と大きな溜息を吐き出す。
「人違い。勘違いで決闘をするなんて……。はあ……馬鹿」
肩を落としながら、イルヴァは落ちていた大盾を拾うと背中に背負っていた。
そしてロランに背を向けたまま、小声で言ったのだ。
「後でまた話しましょう。待っているわね、ロラン・ノールド」
それからイルヴァは舞台を去って行った。
しばらくロランは、ぽかんとして立ち尽くしていたが。
「なんだよ、なんて試合だ!」
「おいお前! 今のはまぐれに違いない、そうだろ?!」
「“ラッキーソード”め! 出直してこい!」
口々に客席からブーイングともなんともつかない怒声を浴びせられ、ロランは逃げるように舞台を後にしていた。
(散々な試合だったなあ……)
ロランは闘技場を出てすぐの場所にある花壇のふちに腰掛けて、空を仰いでいた。
すると空から、ちょうどぽつりぽつりと雨が降り始め、顔を濡らす。
そんなロランの傍らを、今しがた闘技を見ていた観衆が通り過ぎる。
「おっ、ラッキーソードじゃないか。こんな“一世一代”の試合でまぐれ勝ち出来るなんて、なんてツイてるヤツなんだ!」
「ラッキーソード! なんだよ女王様のエスコートはまだなのか?!」
口々に野次を飛ばしながら通り過ぎる人々を見送りながら、(ほっといてくれ)とロランは思っていた。
こんな風に見ず知らずの通行人から野次を飛ばされるのは生まれて初めてだった。
(と言うか……ラッキーソードで俺の二つ名が定着してしまいそうだ……)
もっと勇ましい名前が良かったなあ。なんて思いながら、ロランは溜息をついていた。
入れ替わりの客足が途絶える頃になって、ようやくイルヴァが闘技場から姿を現した。
小雨の中でぼんやり花壇のふちに座るロランの姿を見つけ、イルヴァは目を丸くしていた。
「ずっとそこに居たの?」
「……ああ」と頷きながら、ロランは視線の置き所に困った。
かなり格上の剣闘士と、こうしてマトモに会話する機会なんて生まれて初めてだったせいだ。
(いや……かなり格上では無くなったのか)
今の決闘で、イルヴァは格下の剣闘士に負けたため、ランクを一段階落としたはずだ。
ということは、これでイルヴァはミドルクラスの剣闘士になってしまった。
(俺だって、あと一回でも大会に出てルーキークラスで優勝すれば、ミドルクラスになれるもんな。と言っても……優勝した事は無いけど)
やっぱり格上だ。と、ロランは思い直していた。
「それで、どうする?」
イルヴァの方から話を振られて、「え?」とロランは聞き返していた。
「どうするって?」
やっとロランは顔を上げると、イルヴァの方を見た。
「それは、その、えっと。決闘で私はあなたに負けたわけだから」
イルヴァはほんのりと頬を赤らめていた。
こんな表情もできるのか。と思って、ぽかんとしてロランはイルヴァのことを見つめる。
(それにしても、見れば見るほどキレイな女の子だな)
そんな事をロランは考えていた。エルフ族だからだろうか。剣闘士をやっているなんて嘘に思えるぐらい、可憐な顔立ちをしている。いや、そもそも軟弱なエルフ族が剣闘士をやっている事自体が嘘のような話なのだが。
小さな顔をしているのに重厚な全身鎧を身に付けているその姿なんか、幻惑魔法でも掛けられているんじゃないかと疑わしくなるほどだ。
(どんな訓練をしたら、エルフ族がこんな重武装を軽々扱えるようになるんだ?)
疑問に思いながら、いつまでもまじまじと見つめて来るロランを見て、イルヴァは怪訝そうな表情を浮かべていた。
「……ロラン・ノールド? どうしたの?」
「い、いや」
ロランは我に返ると、慌てて首を横に振ってから立ち上がっていた。
「とりあえず……人目が気になるから、人目の無い場所に行こう」
ロランはそう提案していた。
「そうね。ついでに、雨風をしのげる場所が良いんだけど」
イルヴァはそう言いながらガントレット《金属篭手》で覆われた手のひらを上に向けた。その上を雨粒がぽつりぽつりと濡らし、こぼれ落ちて行く。
「そうだな。本降りになる前に行くか」
ロランは気を取り直すことにした。
とにかく、これからの事は後で話し合って決めたら良いか。と気楽に考えた。
野次を飛ばしてくるような通りすがりの居ない、人気の無い屋内。
そうなると行き先はほとんど限られていた。
結局ロランは、自身が取っていた宿の個室へイルヴァを案内した。
狭苦しく古臭い四畳半の板の間が、ロランの借りている部屋だった。
(って、まるで俺が女の子を連れ込んだみたいじゃないか!)
その事に思い至って固まっていると、ついて来たイルヴァが後ろから話し掛けてきた。
「それで、ええと。ロラン・ノールド?」
イルヴァもまた緊張した面持ちになって、ロランの部屋に足を踏み入れた。
「今後私はどうすれば良い? あなたは私に、どうしてほしい?」
イルヴァが真面目な顔をしてそんな事を聞いてきたもので、思わずロランは振り返っていた。
「まさかキミは本当に敗者に甘んじるつもりなのか? あんな試合で?」
「おかしな人ね。勝ったくせにそんなことを聞くなんて」
思わずイルヴァは小さく笑った後、「それに」と言い足していた。
「奴隷制度の名残りの契約だからって、本当に奴隷制度のあった時代と今の時代とは違うのよ。今のものは簡易的な契約で、一月さえ経てば強制期間は終わり。後は再決闘で勝てばいつでも契約は解消されるそうじゃない? 大袈裟に捉える必要なんて無いわよ」
「それは……そうかもしれないが。でも、一時でも俺の支配下に置かれるってことなんだぞ?」
確認するように尋ねたロランに対して、イルヴァはというと。
「それは……そうだけれど。でも、私は“そのつもり”であなたに負けたのよ?」
そう言って頬を染めたから、ロランはドキッとしていた。
「……え?」
(ど、どういうことだよ?! こんなキレイな女の子が、お、おお、俺なんかに?)
期待と戸惑いが入り混じって焦りだすロランをよそに、イルヴァはというと、おもむろにロランに対して深々と頭を下げてきた。
そして、「……ごめんなさい」と言ったのだ。
「私の勘違いであなたを危ない目に逢わせてしまった。私はもう少しで、暴虐で不条理な殺人鬼になってしまうところだった。だから、これは償いよ。私なりの。えっと……償いになるのかは、わからないけれど」
イルヴァは恥じらった様子で頬を染めると、居心地悪そうに尖った耳を伏せていたから、ロランは驚いていた。
エルフ族の感情はその耳に現れる。だから彼女はきっと本気で反省しているのだろう。
けれどもそれがロランにとって、意外だった。
(荒っぽいタイプの剣闘士だと思っていたら、案外真面目なんだな)
そう思うと共に、さっき変な期待をしてしまった自分が恥ずかしくなっていた。
だからロランは表情を緩めると、やがて言っていた。
「……顔を上げてくれ」
その言葉でイルヴァが顔を上げたところで、ロランは自分の思いを話していた。
「償いなんていらないよ。俺はキミをどうこうする気は無いんだ。そもそも、元からそんなつもりがあって決闘を挑んだわけでもない。あの時は、気が動転していたのと。キミのその、アイアン・ティターニアの名声が一瞬で吹き飛ぶのが惜しいと思っただけだよ。俺なりに」
しかしイルヴァは怪訝そうに首を傾げた。
「それ、本気で言っているの? あなたは私に殺されかけたのよ? 私を憎いと思わないの?」
「思わないよ」
変な事を言うんだな。なんて思いながら、ロランは答えていた。
イルヴァは呆気に取られたような表情をしてから、やがて、はぁーっ。と大きな溜息を吐き出していた。
その後、ずいとロランにその端正な顔を近づけてきた。
サファイアを彷彿とさせる紺碧の目が、ロランの目をじっと覗き込んできた。
「あのね、ロラン・ノールド? わかった。あなたって、腑抜け者なんでしょう」
ロランは思わず赤面して仰け反ったものの、否定するために首を横に振っていた。
「な、なに言ってるんだよ。なんでそうなるんだ?」
「だって。殺されかけたのに憎くないなんて言うんだもの。そんなヤツ、臆病者か腑抜けているかの二択に決まっているわ」
呆気に取られるロランを指さして、イルヴァは更に続けた。
「良いかしら? あなたは私に何を求めるのか、考えておきなさい。あなたの気が済むようにするのよ。わかった?」
「はぁ……」
ロランはぼんやりとした返事を返すしかなかった。
そんなロランをよそに、イルヴァは部屋を見回すと、備え付けの一人用のテーブルにメモ用紙とペンが設置してあるのを見つけた。
イルヴァはそちらの方へ真っ直ぐ歩いて行くと、何やらサラサラと書き認めた後、それをロランに手渡してきた。
「はい、これ」
ぼんやり受け取るロランに、イルヴァは淡々と言った。
「そこに私が借りている宿の場所を書いておいたから。私は急いでいるから先に行くけど、荷物をまとめたらすぐに来るのよ。わかった?」
「え?」
「え、じゃないわよ」
余りにもぼやぼやとしているようにしか見えないロランに苛立ちを隠せないまま、イルヴァは腕組みをしていた。
「これからしばらくは一緒に暮らすんだから。こんな馬小屋みたいな部屋じゃなく、もっと広い部屋が必要でしょう?」
「い、一緒にって……待てよ。まさか本気で、あんな慣例に従うとか言わないだろうな? 俺はさっき必要無いって言ったばかりだろ?」
動揺したロランに、イルヴァは険しい眼差しを向けてきた。
「反故にするわけがないでしょう。そんなことをすれば、剣闘士の名折れよ」
「い、いやいやいや……!」
ロランは大きく首を横に振っていた。
「本気で言ってるのか?! つ、つまりそれって、キミは本当の本当に、俺の言いなりってことだぞ?!」
言いながら、ロランの顔は熱くなっていった。
こんなキレイな女の子を俺の好きにして良いのか?! え、マジで? と、心の中で何度も確認した後、彼女の鎧の下を妄想した。
(……あ、だめだ)とロランは咄嗟に思った。こんな全身鎧を身に付けているようなパワー系女子が、逞しい肩幅を身に付けていないはずがない。
それはもう、実にスゴイ“ダイナマイトボディー”をしているのだろう。別の意味で。
「…………」
黙り込んだロランのなんとも言えない表情を見て、イルヴァは察した様子で真っ赤になっていた。
「まさかと思うけど……私のことを見て、『鎧の下はゴリラに違いない』とか思ってないでしょうね?」
「なんでわかったんだ?!」
鋭い! と思ってついギョッとしたのがまずかった。
イルヴァは呆れた様子で溜息をつきながら、「よく言われるから」と答えていた。
「言っておくけど、そんなじゃないわよ。本当よ? もっとちゃんと、見られるような……見られるような……もの……かしら……?」
「…………!!」
イルヴァが下手に疑問符を付けてしまったせいで、ロランは愕然としていた。
このままじゃヤバい。俺のこの細腕じゃあバッキリとへし折られてしまうかもしれない。
そもそも彼女なら、こちらをお姫様抱っこすることすら余裕だろう。ということに気付いてしまったからだ。
「あ、あのですね……アイアン・ティターニアさん? 俺の趣味はもっとこう、女の子らしいというか……守ってあげたくなるような、そんな華奢な子が好みであって。いやその、だからといって、決して、決して、マッスル系の女の子が嫌いって言ってるわけじゃないよ? それはそれで良いんじゃないかな……」
あからさまに怖気づきながらも、さり気なく無駄な気遣いを差し込むロランに呆れ果てながら、イルヴァは溜息をついていた。
「はいはい。心遣いをどうもありがとう。でもねロラン・ノールド? よく見てちょうだい。さすがにゴリラクラスの体系は押し込めないから。この鎧じゃ」
「知ってるよ……エルフって幻惑魔法も使えるんだろ?」
「貴重な魔力をそんな無駄な事に使うわけないでしょうが! ああもう……! あなたの誤解をとくには時間が掛かりそうだから、私は先に行かせてもらうけど。ちゃんと、きちんと、来るのよ! 頼むから私に裏切り行為をさせないで。私の顔に泥を塗るような気は起こさないこと。わかった?!」
語気を強めてロランに迫った後、イルヴァはきびすを返すと、なにやら急いだ様子で足早に部屋を出て行ってしまった。
「なんてことだ……四面楚歌だ……」
唖然としながらロランは呻いた後、手元に残されたメモ書きに視線を落としていた。
(……すごく下手だ……)
まるで子供が書きなぐったような字を目の当たりにして、ロランは更なる不安を覚えていた。
とは言え、このままとんずらするわけにもいかない。
それこそ今度こそアイアン・ティターニアに殺されてしまいそうだと思って、ロランはゾッとしていた。
そのためロランは、重い腰を上げると、部屋に置いていた荷物を一まとめにする作業を始めるのだった。
外はすっかり薄暗くなっており、ザーザーと窓を叩く雨の音が聞こえているのだった。