15.開幕~カリバーン杯・下
「じゃあ、私は今後は自分のことに集中するから。ロランも頑張って優勝してね!」
クレハはそう言い残すと、翼を広げて飛び去ってしまった。
ロランとイルヴァの二人は、ひとまず今日のところは自室へ引き上げることにした。
次のロランの試合は二日後に行われる予定だが、それまでの間体をしっかりと休ませておく必要があるからだ。
部屋に戻ってもイルヴァは特に何かロランに言うでもなく、ソファに座って本を広げ始めたから、ロランは溜息をついていた。
「……キミの目から見て、やっぱり俺はまだまだだよな」
ぼそ、と呟きながらブリガンダイン《胴当て》を鎧掛けに掛けているロランの方に目を向けて、「え?」とイルヴァは訊いていた。
「いや。わかってはいるんだけどさ。少しは強くなれた気がしたから……喜んでもらえたら良いなとか、そういう都合の良いことを考えてしまったんだよ」
ロランは気まずそうに笑うと頭をぽりぽりと掻いていた。
そんなロランの姿を見て、イルヴァはキョトンとした表情を浮かべていた。
「……評価なら、クレハの言った通りじゃない? でも、私はあなたに何も教えていないし」
「要するに、アイアン・ティターニアの目から見て俺は、まだまだ評価するにも値しない、取るに足りない剣闘士ってことか」
寂しげに微笑んだロランに、イルヴァは戸惑っていた。
「な、なぜそうなるの?」
「だって、何も言ってくれないじゃないか」
「……ん」
あっ気に取られた様子で、イルヴァは口を噤んでいた。
しばらく視線を漂わせながら考え込んでいる様子だったが、やがて探り探りといった調子で口を開いていた。
「……頑張ったと思うわ。今のあなたなら、優勝を狙えると思う。でも私、あなたの剣は“専門外”なのよ。変わっていると思うし、正確だと思う。でも、そう思うだけで……後のことはよくわからない。それはクレハのほうがずっと詳しいんじゃないの? だからクレハに聞いた方が、ずっと正確な答えが返ってくるわよ」
「いや、そういうんじゃなくってさ」
ロランは苦笑していた。
正確かどうかじゃなくて、キミの感想が聞きたいんだけどな。と思ったからだ。
でもイルヴァはロランの意図を掴みかねている様子で、困った様子で視線を漂わせている。
だからロランはイルヴァに歩み寄ると、伝えていた。
「俺の憧れの剣闘士はキミなんだ。だから出来れば、キミから直接褒めてもらえた方がやる気が出るんだ」
ロランの真っ直ぐな瞳と態度を見て、イルヴァはかあっと頬を染めていた。
「わ、私?」
「うん」とロランは笑顔で頷いていた。
「えっと……」
イルヴァはしばらくの間、たじたじとしていたが、やがて納得した様子で頷いていた。
「……つまりそれって、私からもご褒美が欲しいってこと?」
「え?」
ロランは赤面していた。
そんなロランの目の前で、イルヴァは本を脇に置くと立ち上がっていた。
「私からご褒美って何かおかしい気がするけど……。こ、これで良いの?」
イルヴァは赤くなりながらも、ぎゅっとロランに抱きついていた。
するとブリガンダイン《胴当て》をつけていないロランの胸に、直接イルヴァの胸が当たる感触がした。
(や……柔らかい)
硬直しながらもロランは感激していた。
なにか違うが、なにか違うを通り越してもう良いや。という気分になった。
なんていうか、待ちかねた感触をとうとう確かめることができた感動があったからだ。
なにしろ以前にもこういう機会があって、しかもその時は憎き鎧のせいで感触を味わい損ねてしまった。つまり感動も一塩だった。
そんなロランにイルヴァはぎゅーっと抱きついた後、背中をぽんぽん、と軽く叩いて囁くような声で話しかけてきた。
「頑張ったね、ロラン。お疲れさま」
「あ……う、うん」
もどかしいような、嬉しいような、恥ずかしいような。
そんな複雑な思いを抱えたまま、ロランはイルヴァを抱き締め返そうかどうしようか悩んだ後、結局、その細い背中に両腕を回してぎゅっと抱き締めていた。
そして女の子の感触というものを遠慮せずに堪能してから、ロランは話しかけていた。
「ありがとう、イルヴァ」
ロランの言葉に、イルヴァは頬を染めて耳をぴくっと動かした。
「な……なにが?」
「キミが協力してくれたお陰だよ。俺一人じゃ、クレハの言っていた断ち切るべき部位がわからないままだっただろうから」
「わ、私はただ、ロランが自分一人でも読みやすいような本を一緒に探してあげただけでしょ?」
「でも、結局専門用語から抜け出せずにイルヴァにさんざ世話になったけどな」
ロランは苦笑していた。
イルヴァには何もかも敵わないな。と思ったからだ。
強さも、知性も兼ね揃えているなんて、彼女は完ぺきな人だと思った。まあ……チェスの実力と家事能力は皆無だが。
とは言え、そんな彼女が自分なんかのモノであることは、本当に……勿体無い事なのだ。
「……もう少しだけ我慢してほしい」
ロランはイルヴァを腕の中に抱き締めたまま、そう切り出していた。
「きっとキミにとって俺は腑抜けで、弱くて、取るに足りない男かもしれない。この大会が終わったら、キミの再決闘を俺は拒まない。……だから。俺の近くに居ることを、もう少しだけ我慢してほしいんだ」
「……何を考えているの」
イルヴァは少しだけ動揺した様子で瞳を揺らしていた。
「今は大会に優勝することだけを考えなさい。その先のことなんて考えないで」
ハッキリとした声で、イルヴァはそう言った。
「…………」
ロランは黙り込んだ。
そうやって黙り込みながらも、イルヴァを離そうとしなかった。
自分なんかには勿体無いと思いながら、同時に手放したくないとも思ってしまったのだ。
(これほど美しい剣闘士が、こんなに近くに居るのにな)
自分には到底追い付けないからこそ、自分では体現できないからこそ、彼女の姿を見ていたいのだ。きっと彼女がいつか剣王になる、その時まで。
でも彼女は自分なんかが捕まえていて良い存在じゃないのだ。弱い自分なんかが隣に立てる存在じゃない……。
だから、弱い彼女を知って、守りたいと思うことなんて、自分にはおこがましすぎるのだ。
「……イルヴァ。ごめんな」
ロランの謝罪の声は、なんだか寂しそうで苦しそうで。
イルヴァは、前に彼がお酒に酔った日の事を思い出していた。
あの時も、彼はイルヴァを逃すまいとして抱き締めてきた。
それを思い出すと、居ても立っても居られなくなって、イルヴァはぎゅっと抱き締める手の力を強めていた。
「……謝らないでよ。大体、もう少しと思うなら、少しぐらい、私をあなたの思い通りにしなさいよ……。そうじゃないから、腑抜けと言われるのよ」
「うん……そうだよな」
イルヴァらしいな。と思って、ロランは小さく微笑んでいた。
彼女は常に自分自身の都合よりも、剣闘士らしい理屈を優先させようとする。そして、それが彼女の信念なのだと言わんばかりに、胸を張る。
「でも……だからこそ、泣かせたくないと思うんだ」
ロランは吐露していた。
「俺の理想だからこそ……でも、それは余りにも脆いから、少し触れたら壊れてしまいそうな気がするんだ。そんな事にはなってほしくない」
「だから何もしないと言いたいの?」
イルヴァは顔を上げると、意外そうにロランのことをじっと見つめた。
真っ直ぐ向けられるようになった綺麗な紺碧の目を見て、ロランは赤面したものの、「そうだよ」と頷いていた。
「……そっか」
イルヴァはなにか可笑しかった様子で、小さく笑っていた。
そしてその後、ロランにキッパリと言ったのだ。
「あなたのやることでは、私は泣かないわよ」
「そんなことないだろ」
そう言い返したロランに、イルヴァは首を横に振ると微笑みかけていた。
「嘘だと思うなら、試してみたらどう?」
「えっ?」
思わず聞き返したロランに、わずかに頬を染めながら、「だから」とイルヴァは繰り返した。
「試してみたら良いじゃない。泣くか、泣かないか」
「…………」
ロランは沈黙してイルヴァのことを見るようになった。
(良いのか?)と、何度も自問自答する。
(……でも)と、ロランは思った。
彼女が怯えた姿が、いまだにロランの中には残っていて、それが大きな存在となって重く圧し掛かっている。
確かに彼女は自分に触れることをためらわなくなっている。けれど、またひょんな事が切欠で、怖い思いをさせてしまうのではないかと思うと、どうしても一歩前へ踏み出すことができずにいた。
そうやって深刻な面持ちになって思い悩むロランの姿は、まさに真剣そのもので、イルヴァは思わず笑っていた。
「……優しいね、ロランは」
そう囁いた後、イルヴァの手がロランの頬へ伸ばされ、イルヴァはゆっくりとロランを引き寄せる。そして。
ポカンとするロランの唇を、イルヴァ自ら奪っていた。
(え、え、ええええぇぇぇぇ――?!!)
ロランは一気に耳まで真っ赤になっていた。
(なんだこりゃ! めちゃくちゃ柔らかい! とろけそうに柔らかいじゃないか!)
ロランは、もはや理性なんてぶっ飛んで行ってしまいそうになった。
なにしろイルヴァの体はぴったりと密着しているし、唇は暖かくて柔らかいし、端正な顔がすぐ目の前にあるのだ。
頭がクラクラする上に、押し付けられている胸からは体温とドキドキという鼓動が伝わってきて、ロランは堪らなくなっていた。
思わず、ぎゅっとイルヴァを抱き締める手の力を強めると、「んっ……」とイルヴァの唇から甘えるような声が小さく毀れた。
(や、やばい。暴走するかもしれん……俺)
頭が真っ白になる前に、ロランは慌ててイルヴァを押し離そうとしていた。
すると、それを切欠にイルヴァはやっとロランから唇を離すようになった。
代わりに、潤んだ瞳をじっと向けてくるようになった。
「……ね。大丈夫でしょ?」
恥じらいながらもイルヴァがそんな風に囁き掛けてきたので、ロランの理性はぷっつんと切れていた。
「大丈夫じゃない。俺のリビドーが大丈夫じゃない」
「は?」
ポカンとするイルヴァを、ロランは再び強く抱き寄せていた。
「ちょっ……ロラっ――んんっ……?!」
言葉の途中で無理矢理唇を塞ぐと、イルヴァはびっくりした様子で目を見開いたが、すぐに力を抜いて目を閉じるようになった。
彼女は全く抵抗しなかったから、しばらくの間、ロランはそんな彼女の唇や体の柔らかさをじっと堪能していた。
しかしやがて落ち着きを取り戻すと、ゆっくりと身を離していた。
「……ごめん。イルヴァ」
自分が衝動的にやってしまったことを申し訳なく思いながら謝ると、イルヴァは困惑した表情を浮かべたのも束の間、はにかみながら微笑みかけてきた。
「ご褒美。……でしょ?」
「う、うん……」
ロランは赤面しながら、コクコクと頷いていた。
『お待たせ致しました! カリバーン杯・二日目、ミドルクラスのA試合が始まります!』
審査人の声に、ワーッと歓声が上がった。
今日も空は透き通った晴天で、ちょうど良い観戦日和だ。
ミドルクラスは比較的人口の少ないルーキークラスと異なり、午前の遅い時間にA試合、午後一番にB試合と、一日に二回の試合がセッティングされている。
そのうちのA試合にクレハが出るため、ロランとイルヴァは観戦するためにコロッセオへと訪れていた。
しかし今日は人が多かったので席は確保できず、後ろの方で二人は立って見ることにした。後ろとはいえ、観客席は階段状になっているので、視界がさえぎられる心配は無いからだ。
「クレハってロランと同じ東式なのよね?」
イルヴァの質問に、ロランは頷いていた。
「ああ、そうだよ」
「同じような戦い方なの?」
「いや。クレハのは俺と流派が違うらしくて。俺のがザンテツに対して、クレハのはコグソク、とか言ってたっけ」
「……ふうん」
イルヴァは会話を止めて、舞台へと目を向けた。
『さて、本戦の主役たちの入場です!』
審査人の声の後、ガラリと東西の格子扉が跳ね上がる。
そこから同時に姿を現したのは、東式の装具に身を包むクレハと、もう片方は長髪を一つに束ねているヒューマン族の男である。
ヒューマン族の腰には一振りのロングソードが吊り下げられており、左手にバックラー《小盾》を装備し、鉄製の鎧兜を身に付けている。どうやらオーソドックス・スタイルの剣闘士である様子だ。
『東の剣闘士は――スカーレットデーヴァ《東方の紅き女神》のクレハ・タチバナ! 彼女は、国籍の異なる二つの剣の使い手です! その縦横無尽に繰り出される剣捌きは、まさに異国の女神にある戦鬼の如き強さを誇っています! ソードマンズ杯では準決勝まで勝ち進んだ経歴を持つ剣闘士! 優勝候補者の一人です!』
そんな審査人の声の後、「クレハちゃーん!」と客席から歓声が飛んだ。
それに答えるようにクレハがにこにこ笑って手を上げているのを見て、ロランは驚いていた。
「クレハってもしかして、けっこう人気あるのか?」
「女剣闘士は珍しいから、ルーキー時代から注目されるのは普通じゃないかしら。しかもソードマンズ杯みたいな大規模な大会で準決勝進出経験があるみたいだから、ミドルクラスと言えど、そこそこ注目されている筈よ」
イルヴァはそう答えていた。
その一方で、舞台では次の剣闘士の解説に移ったようだ。
『西の剣闘士は――ブレードブレイカー《刃砕き》のアーシュ・ガイラント! 彼は先日、ランクアップしたばかりの元ルーキーですが、なんとあのブレイディア王国最高峰の大会である、カイザー杯にて華々しく優勝を飾った期待の新星です! 本大会でも恐らく、お客様方を満足させてくれる戦いを魅せてくれることでしょう!』
アーシュの方は知名度はあまり高くないようで、名前を呼ぶ声が上がる代わりに、パチパチという拍手や歓声が上がるようになった。
『両者――構え!』
審査人の声により、クレハは一礼の後、腰の二振りの剣を抜き取った。右手には小太刀を真っ直ぐ持ち、左手にはショートソードを逆手に持った状態で構えを取る。
その一方で、アーシュもまた腰のロングソードを引き抜くと、左腕のバックラーを前に出す形で、剣は後方で構えるようになった。
『――始め!!』
鐘の音が鳴ると同時に、アーシュは地を蹴り飛び出してきた。
シールドバッシュの要領で、小盾をクレハに叩き付けようとするが、クレハはバックステップでそれを避けた後、折りたたんでいた翼をバサッと広げると飛翔していた。
クレハは空中をふわりと飛ぶと方向転換しながらアーシュの背後へと飛び降りる。
アーシュはすぐに振り返ると、クレハが着地したタイミングを見計らって剣を振るってきた。
キンッ! と小気味良い音がし、クレハはロングソードをショートソードで受け止めたかと思うと体をわずかに捻り、剣の勢いが死なないうちに左下へと流してしまう。
それと同時にまるで浮き上がるかのように体をアーシュへと近付けていた。
「ガルダめ……!」
アーシュは歯噛みしながら首筋へ向かって切り払われた小太刀を、なんとか身を捻ることでかわした後、バックラーをぐいと前へ出してクレハの体を押し下げた後、更に距離を取って剣を構えなおしていた。
「ああいうのはガルダ族特有の動きよね」と、イルヴァが言った。
「ガルダ族特有の動き?」
ロランが聞くと、イルヴァはこくんと頷いた。
「予備動作が無い動きがたまに入るのがわかる? あれは重力精霊や風精霊の力を使っている証拠なのよ。魔力が膨らむ粒子が見えるでしょ?」
「いや。見えない」
きっぱりとロランは答えた。
ああ……それもそうだったわね。と思って、イルヴァは口を閉ざした。
アーシュはじりじりと距離を取ったままクレハの様子を伺うようになった。
下手に攻撃を仕掛けてもふわふわと往なされてしまうため、近付くに近付けないのだろう。
そんなアーシュの心情を見透かしたように、クレハは微笑んだ。
「来ないの?」
にこにこ笑顔で言われて、アーシュは歯噛みしていた。
「見てわかる罠に飛び込む馬鹿がどこに居る?」
「それもそうだね!」とクレハは言った後、今度は自ら切りかかっていた。
アーシュがそれを防ごうとバックラーを出したその時、クレハの動きがぴたりと止まってふわりと浮き上がった。
バサッと一度羽ばたいた後、クレハはくるりとアッシュの頭上を飛び越える。
「またかッ!」
アーシュはガバッと空を仰ぎ警戒する。
ガルダ族相手はやり辛いと感じる剣闘士は少なくない。
現に今の剣王だって、ガルダ族とヒューマン族のハーフだ。ハーフといえど、ガルダ族譲りの小さな翼は重力精霊や風精霊を操るには十分で、現役時代にはそれが相手を手こずらせる要因になったと聞くぐらいだ。
闘技場には、ガルダ族のために制定されたルールが幾つもある。
一つは、三秒を超えた飛翔をしてはならないこと。
もう一つは、そのガルダ族につきものの精霊の力で直接的な攻撃を仕掛けないこと。
(二……三!)
ストン。と、三秒ちょうどでクレハは足を地に着けた。
「一気にけりをつけるッ!」
アーシュは剣を振りかぶると、切りかかっていた。
クレハは翼を閉ざすと、二つの剣を構えて腰を低くする。
キンッ! とショートソードで剣を受け止めてすぐ、アッシュが小盾を叩き付けてきた。
「フッ…!」
クレハは細く息を吐き出すと、ガキッ! と小太刀の柄頭の方を使って盾を止める。東式剣は刃で直に衝撃を受け止められるようには出来ていないからだ。
「うらぁっ!」
アーシュは両手に力を篭めてクレハを押しながら、力任せに頭突きをかましていた。
「ッ……!」
アーシュの頭がクレハの額にぶつかり、ゴッ! と音がすると共に、おおっ! と観衆からどよめきの声が上がる。
クレハの体が衝撃で吹き飛んだが、まるで時間でも止めたかのように、途中でぴたりと止まっていた。
「はっ、はぁ……」
クレハは痛みを食い閉めた歯の奥で逃がしながら、地上にふわりと着地していた。
クレハは女性で力が無いから、力押しではやはりどうしても負けてしまうのだ。
(力で勝負すべきじゃないよね)
改めて構えなおすうちに、アーシュが切りかかってきた。
「はあっ!」
振り下ろす剣をスレスレでかわしながら、クレハは懐に飛び込んだ。
「させるかッ!」
アーシュはクレハの接近を阻止しようとバックラーを前に構える。
するとクレハはにこっと笑って、ショートソードをアーシュの目の前に突き出してきたかと思うと、カラン。と、床に転がした。
「はっ?」
あっ気に取られるアーシュのバックラーを、クレハは素手でガッと掴んだ。
「なっ……?! このっ……!」
アーシュは慌ててクレハの手を離させようとして剣を振り下ろした。
その隙を見逃す筈が無く、クレハのバックラーを抑えていた手が素早く彼の腕を掴んだかと思うと、そのまま勢いを利用して斜め前方へと押し出す。
それと同時にクレハは脇へ回りこんだだめ、アーシュは誰も居なくなった前方へつんのめって行った。
「くっ……!」
アーシュは慌てて足を踏ん張ろうとしたが、クレハの握られていた小太刀の柄がアーシュの脇にガッと差し込まれたかと思うと、それを支点にしてぎゅっと彼の腕を捻り上げていた。
「うわあぁっ?!」
なす術も無く、アーシュはどさ! とうつ伏せに倒れこんでいた。
「武器を手放したからって、簡単に動揺しちゃあダメじゃない。ルーキーくん」
そう言いながら、クレハは掴んだままだったアーシュのロングソードを握っている右手を離すと、どすっ! と足で踏み抜くなり、乱暴に彼の背中に座っていた。
「だっ、誰がルーキーだっ……――!」
アーシュは息を飲んでいた。
小太刀が脇からすっと外され、首にそのぎらついた刃が宛がわれたからだ。
浅く切り目が付き、つう、と首から鮮血が流れ落ちる。
それに気付いて硬直するアーシュに、優しい声でクレハは囁きかけていた。
「あなたのオーソドックス・スタイルはキレイにまとまってて感心しちゃった。お陰で怪我しちゃうところだったじゃない。でも、おイタは感心しないなあ。これは、お仕置きが必要だね」
「……ごくん」と、アーシュは唾を飲み込んだから、クレハはふふっと笑った。
「カイザー杯で優勝したからって、所詮はルーキー上がりなんだから、ミドルクラスでもやって行けると思い上がっちゃダメだよ? わかったかな?」
クレハの言葉に、アーシュはこくこくと頷いたのがわかったから、クレハはスッと空いていた左手を持ち上げていた。そして。
ギュッと後ろ髪を掴んだかと思うと、ギリギリと首を持ち上げてその隙間に小太刀を宛がっていたのだ。
「ガッ……あ……!」
痛みに表情をゆがめるアーシュに、クレハは今度は冷ややかな口調に変わって言った。
「ところで、気が利かないんだねあなたって。降参って言ってくれないの?」
「う……こ、降参……します……」
「宜しい」とにっこり笑って、クレハはアーシュを開放するとスッと立ち上がっていた。
もちろん、今のアーシュの呟きを、風精霊を使っている審査人は聞き漏らさなかった。
『降参です! ――ブレードブレイカーのアーシュ・ガイラント、今、降参しました! 勝者は――スカーレットデーヴァのクレハ・タチバナですッ!!』
次の瞬間、ワアアァッ! と客席が沸き立った。
「クレハちゃーん! 俺も踏んでくれぇー!」
そんな声が客席から上がり、クレハはというと小太刀を鞘に収めた後、にこやかに手を振っていた。
「な……なんだアレ。俺の知ってるクレハと違う……」
あっ気に取られながら呟いたロランに、イルヴァは苦笑を浮かべていた。
「……ロラン、あなたって馬鹿なの? クレハだって剣闘士なのよ?」
「それはそうなんだろうけど……」
ロランは釈然としない表情のまま頷いていた。