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13.東方の翼・下

 夜の帳が下りる頃、チェスボードの脇に、ロランはチェスの駒を置いていた。

 椅子から立ち上がると、鎧掛けの所へ行ってそこからブリガンダイン《胴当て》を取るロランを見て、イルヴァは察していた。


「……行くの?」


「うん」とロランは頷くと、イルヴァに背を向けたままブリガンダイン《胴当て》を身に着けていた。


「行かなくちゃならないんだ。俺は……その」


 振り返ったロランは、どこか申し訳なさそうな顔をしていたからイルヴァは苦笑していた。


「私の事は気にしないで。あなたが必要と思うから行くんでしょ?」


「……うん。でも、イルヴァが嫌だとか、そういうわけじゃなくて……」


「そういうの、言わなくて良いから。それにあのガルダはいけ好かないけど、何を考えているのかは大体わかる」


 イルヴァは目を閉じた後、再び開くとロランの目をじっと見つめた。


「きっとあなたには、クレハが必要だと思うから。だから行ってらっしゃい」


 イルヴァに微笑みかけられ、ロランは頷いていた。

 そして部屋を後にしていた。





 クレハに呼び出された場所は、昼に鍛錬していた場所と同じ、町外れの森の中だった。

 いつもの黄葉は月明かりに照らし出されて、ほのかに黄金色の輝きを放っている。

 そんな中でクレハは待っていた。翼を閉ざして、地に立って。

 どこか幻想的な黄金の景色が似合う美しい和装姿の黒髪のその少女は、ロランの姿を見つけるとにこにこ笑って手を振ってきた。


「ちゃんと言いつけ通り、一人で来たんだね。イルヴァには言わなかった?」


「言ってないよ」とロランは頷いた。


「良かった。もし言ってたら、イルヴァならついて来かねないし」


「それはありえないよ」


 ロランは苦笑したが、クレハは腕組みをして首を横に振った。


「いいえ、十分にありえる! なにしろあのアイアン・ティターニアは、ロランのことが大好きみたいだし。あの直情的なエルフが、他の女に取られるなんて可能性を目の前にして、ぼんやり見送れるとも思えない」


「はあ……そうかな?」


 自分に追いすがるイルヴァなんてとてもじゃないが想像つかなくて、ロランは首を傾げていた。


「そうだよ」とクレハは頷いた。


「クレハの考えすぎだよ。そもそもイルヴァは俺のことは好きでもなんでもないんだぞ? 慣例だから仲が良いフリをしているだけ。イルヴァはああ見えて義理堅いやつなんだよ」


 ロランはそう言いながらクレハに歩み寄っていた。


「はあ……」


 クレハはそんなロランを見て、気の抜けたような表情を浮かべるようになった。

 しばらく無言でいたのでロランはキョトンとしていた。


「……? どうした?」


「んー……まあいいや」


 言葉を濁した後、クレハは気を取り直すと「さーてと!」と言って、腰にあった二振りの剣を引き抜いていた。

 一振りはしなやかに湾曲する東式剣の小太刀で、もう一振りは真っ直ぐに伸びる西式剣のショートソードだ。

 クレハは小太刀を右手に握り、ショートソードを逆手にして左手に握り締めると、半身になる形で腰を落としていた。


「来て、ロラン。あなたの剣の使い方、私が教えてあげる」


 微笑んだクレハに頷くと、ロランもまたロングソードを引き抜いて、両手で握り締めると正中線上に構えていた。

 そしてスッと腰を落とす。


「行くぞ!」


 宣言の後、ロランは一気に飛び出していた。


 手始めに、上段から下へ振り下ろす。

 それをクレハは紙一重で身をかわすと、次なる左から右へ、右から左へと来る太刀筋も同じように避けていった。

 そして次の瞬間、ひゅっと細く息を吐くと共に地を蹴って一気に距離を詰める!


「っ……!」


 左右からそれぞれ来た剣撃を避けようとして、ロランはしゃがんでいた。

 するとクレハはそのまま勢いを殺さずにふわりと浮き上がると、ロランの背後へ着地した。


「しまっ……!」


 慌てて振り返ろうとするロランの首に、がっちりとクレハの腕が回される。

 ぎゅっと豊満な胸が背中に押し付けられる一方で、ぎらりと首元に小太刀が光り、こめかみの辺りにはショートソードが控えていることに気付き、ロランは息を飲んで動きを止めていた。


「ダメだねー、ロラン。そうやって大きく身をかわすと、ガルダ族は簡単に背後を取っちゃうよ?」


 耳元で楽しげにクレハが囁き掛けてきた。

 思わずごくりと唾を飲み込むロランに、クレハはふいに真面目な口調になって訊いた。


「あなたのその剣はなんのために振るうの?」


「…………?」


 彼女の言っている言葉の意味がわからず、ロランは困惑していた。

 そんなロランに、クレハは尚も続けた。


「東式剣は……特にあなたの扱う斬鉄流というのは、狙った部位から一寸もぶれる事のない太刀筋を放つ。それが何のために存在するのか、あなたは考えた事もないんだろうね。そんな使い方をするんだもん」


 どこか冷ややかな口調に怖気付くロランに、キッパリとクレハは言った。


「あなたの剣技は、殺されている。他でもない、あなた自身の手によって」


「…………!」


 ロランはあっ気に取られて息を飲んでいた。

 まさかそこまで言われるとは思ってもみなかったからだ。


「俺の……剣は。……なんのために?」


 喘ぐように呟いたロランを見て、クレハは呆れた様子で溜息をついていた。


「……本当に何も教えてくれなかったんだね。あなたの師は。まるであなたに強くなってほしくなかったみたい」


 クレハはパッとロランから手を離すと離れていた。

 ロランはそのまま地面に座り込むと、自分の拳に握られた剣をにらみつけていた。


「……わかってるよ。俺が父に期待されてなかったってことぐらい」


「……なに? あなたの師匠って、お父さんなの?」


 戸惑った声を上げるクレハをよそに、ロランは立ち上がっていた。


「クレハ、教えてくれ! 俺の剣が一体何なのか。キミはその答えを持っているんだろ?」


 ロランは真っ直ぐにその鋼色の目をクレハに向けていた。

 クレハは一瞬、ドキッとしていた。


「う……ひ、卑怯だね、あなたは。普段は可愛い羊みたいに装っておいて、不意打ちでそういう顔するんだ?」


「……え?」


 キョトンとするロランをよそに、「ごほん」とクレハは咳払いをした後、改めて両手に持った剣を構えていた。


「じゃあ、教えてあげるから――来ると良いよ。ロランの剣が一体なんなのか、明かしてあげる!」


 そう言ったクレハに力強く頷くと、ロランもまた再び構えなおしていた。


「行くぞ、クレハ!」


「ええ!」とクレハは頷いていた。





 深夜に及ぶ特訓の末――


「今日はこの辺にしておきましょう」とクレハが言ったので、ロランは体中をぎしぎしと言わせながら帰宅していた。


 宿の部屋のドアを開けると、とっくに寝ているだろうと思っていたイルヴァがソファに腰掛けて、部屋のランプの灯りを頼りに本を読んでいた。


「あ、イルヴァ……?」


 ロランが思わず声を零すと、イルヴァが本から顔を上げた。


「ロラン、お帰りなさい」


「うん、ただいま……」


 ロランはドアをバタンと閉じると、そのまま鎧も脱がずに真っ直ぐダイニングの椅子の方へ行って腰掛けていた。

 出したままになっているチェスボードを視界の端に捕らえながら、「はあ……」と溜息をつくロランの姿を見て、イルヴァは色々と悟ったようだ。


「随分と疲れているみたいね。みっちり扱かれた?」


「あはは……まあ、そんなところだな」


 ロランは笑った後、すぐに表情を消していた。


「でも……それだけじゃ足りないんだ。俺の剣には、知識がいるみたいだ」


 するとイルヴァは歩み寄ってくると、手に持っていた本をすっと差し出してきた。


「読む?」


「ん? これは……?」


 本を受け取ったロランの横に、椅子を引いてくるとイルヴァは腰掛けていた。


「『精霊魔法と人体関節の因果関係』っていうんだけど。興味無い?」


 首を傾げるイルヴァに、ロランは驚愕交じりに視線を向けていた。


「なんだキミ。たまにどこからともなく本を持ってきて読んでるなと思ったら、こんなインテリなやつ読んでたのか?! 一体どこにこんな本があるんだよ……」


「書店からレンタルするのよ。けっこう遅くまでやってるのよ。……まあそれは置いといて、なんでそこで驚くのかな? 私が読書するのってそんなにおかしいの?」


 むっとした表情を浮かべるイルヴァに、いやいや。と首を横に振りながらもロランの驚いた表情は解かれなかったため、イルヴァは溜息をついていた。


「……あのねロラン。あなたが何を思うか知らないけど、私も一応エルフ族のはしくれだから。読み書き魔法の知識は一般常識より先に学ぶのがエルフだから。……まあそれもどうかと思うのだけど、そういう風潮なのだから仕方ない」


 イルヴァはそれから、ロランの手に持たれた本を横から覗き込むと、手を伸ばしてぱらぱらと捲りだした。

 そんな風にされると肩がくっ付いてるし、なんだか良い匂いがするしでロランは悶々としていた。


(うう……このエルフ、なんて無防備なんだ……)


 そんな風に思っていると、ぴたりとイルヴァの手が止まった。


「精霊魔法の項は置いといて……こっちなんかどうかしら。人体関節の項。どの部位にどういった効果魔法エクステンションを掛けるとどういった作用があるか。こっちはロランにも関係あると思うんだけど?」


「……む」


 ロランは煩悩を振り払うと、内容にざっと目を通し、そして表情を変えていた。


「……読めない」


 ぼそ、とロランが呟いた言葉に、イルヴァは溜息をついていた。


「なによそれ。字も読めないの?」


「いや。……というより、専門用語が多すぎて……。そもそもなんだよこの、所々ある蛇が走ったみたいな字は。何語だ。蛇語か」


「古エルフ語よ。魔法書を読む時は当たり前のように出てくる文字なんだけど」


「そりゃ読めないよ。読めなくて当たり前だよ。もうちょっと易しい本は無いのか?」


「んー……易しい本ね」


 イルヴァは首を傾げた後、「じゃあ」と提案していた。


「書店に行く? 今日はもう閉まってしまっているから、明日になるけど」


「ああ、それだ!」とロランは頷いていた。


「じゃあ、明日は鍛錬は休みにして書店に行こう。良いか?」


「私の方は良いわよ。本読んでる方が楽しいし」


「それは頼もしいな」


「……は? 頼もしい?」


 怪訝な目を向けてきたイルヴァの肩を、ロランはぽんと叩くとぎこちなく笑っていた。


「明日は任せた。イルヴァ」


「……は?」


「いや俺、こういうの苦手でさ」


 あはははは。と気まずそうに笑って頭を掻くロランと、一方であきれ返った表情を浮かべるイルヴァ。


「はあぁぁぁー……? 自分のことでしょ? 自分で学ぶという姿勢を見せなさいよ」


「いやまあ、努力はするが……。手伝ってもらえると有り難い」


「サックリ言うわね……。あなたにはプライドというものが無いの?」


「いやまあ、無いと言われれば無いような、あるような」


「なにそれ」


 呆れたままのイルヴァをよそに、「あ、そうか」と思いついてロランはポンと手を叩いていた。

 その後改めてイルヴァの方を見ると、笑顔で言っていた。


「本探し、手伝ってくれ。命令だ」


「…………っ」


 イルヴァは絶句していた。

 しばらく沈黙した後、やがて呻るようにつぶやいていた。


「……まさかこんな所で使われるなんて……っ。慣例を使われるなんて……!」


 イルヴァはなんだか悔しそうに拳を握り締めていた。

 そんなイルヴァをよそに、ロランは立ち上がると本をイルヴァに返すなり、真っ直ぐベッドの方へ歩いていった。


「そーいうわけで、明日は頼んだからなー。イル……ヴァ」


 ばたん。と、そのままベッドに倒れこむなり、ロランはグーグーと寝息を立てるようになってしまった。


「って……ロラン? もう寝たの?! せめてシャワーくらい……おーい……」


 イルヴァはロランの元へ駆け寄ると、肩を小さく揺さぶった後、諦めたように溜息をついていた。


「まあ……仕方ないか。疲れてるみたいだし……。でもせめて武装くらい外せば良いのに……」


 イルヴァはしばらく考えた後、(……仕方ないわね)と思うと、左腕の紋様をぱあっと光らせるようになった。

 そしてロランを軽々と転がすと、ロングソードを取り外したり、ブリガンダイン《胴当て》を外したりなどした後、掛け布団を掛けていた。


「うん……これで良し」


 イルヴァは満足そうに頷いた後、ふっと表情を寂しげなものに変えていた。


(……本当ならもっと私がロランの役に立つべきなのに。クレハなんかに頼らなくても大丈夫なくらい、もっと力になってあげられたら良いのに……)


 イルヴァは幾年かぶりに己の無力さを痛感していた。

 そして、生きるってなんて難しいんだろう。と、思うのだった。


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