12.東方の翼・上
外を歩くと、町の様子は一転していた。
昨日まで誰に絡まれることも無く歩けていた町が、「あっ、あれってアイアン・ティターニアじゃん!」「アイアン・ティターニアだ!」と、ヒソヒソされるようになっていた。
「な、なんだこの状況は?」
ロランは驚き戸惑った表情をしていたから、イルヴァは腹が立っていた。
「誰のせいだと思っているの……」
「……俺のせい?!」
「当たり前よ! 酔っ払って大騒ぎして! 目立つような事をするから!」
イルヴァの機嫌は一気に垂直落下している様子だった。
何しろ鎧を脱いでさえいればそっとしておいてくれていた周囲が、鎧を脱いでいる時ですらざわつくようになったからだ。
確かに、手に持っているハルバードだけで見抜く人も居るかもしれないが、本当ならそんな人は稀の稀。大盾と鎧が無いということの方がずっと大事なのだ。その筈なのに。
「おお、あれが噂の剣闘士か!」
「不敗の女王ってワリには可愛い女の子じゃねーか!」
「本当にあんなんで剣闘士が勤まるのか?」
気付けば、アイアン・ティターニアの舞台上での戦いを見た事が無い人までもが、ニヤニヤとしながら指を差すようになっている。
確かにイルヴァは鎧を着ていないとただのエルフにしか見えないので、何も知らない人間が見ると舐めてしまうのだろう。
二人の行く手をさえぎるようにして歩み出てきたのは、灰色の巨体を持つオーガ族の男だった。
オーガ族とはいえ剣闘士ではなく一般人なのか、布の衣服を身につけており、ニヤついた笑みを浮かべている。
「アンタがアイアン・ティターニアってのは本当なのか? いや、俺のダチがそう言っていたんだがな、偽称すると火傷するぜ。この世界はよ」
あからさまに見下すような視線を向けてくるオーガ族に、イルヴァは不快そうな目を向けていた。
「さあ。誰のことかしら? 私は吹聴した覚えなんてまるで無いわよ。あんたらが勝手に噂してるだけでしょ?」
鼻で笑うエルフに、オーガは不快感を覚えたらしい。
「調子付いてんなよ? そのハルバードで自信を得たつもりか知らねぇが、その細腕じゃ武器が泣くだろうよ」
「……やる気?」
イルヴァは睨み返していた。オーガが睨み付けてきたからだ。
「お……おいおい、イルヴァ」
ロランは慌ててイルヴァの腕を引っ張ると、耳打ちしていた。
「剣闘士なら、一般人相手に喧嘩を売るなよ。まずいって」
「なによ。喧嘩を売ってきたのはあっちでしょ?」
イルヴァはムッとした表情をロランにまで向けてきた。
「大体、普通なら剣闘士に直接声なんて掛けないのよ一般人は。血気盛んだと思われているから。それが何なの? ロラン、あなたは剣闘士としての武装をしているのに、あっさりと無視されてしまって、それでも剣闘士の端くれなの?」
「そうは言われてもだな……」
困り果てながらロランがオーガの方を見ると、「ほう?」とオーガが笑った。
「アンタも剣闘士なのか? 弱そうな兄ちゃんだな!」
オーガがガハハハと笑うと、つられたようで野次馬たちからも笑い声が上がる。
「……弱ったな」
ぼそ。と呟いたロランをイルヴァは睨んでいた。
「あなたが腑抜け者だと誰にでも見抜けるみたいね。腑抜け者!」
「そう腑抜けを連呼しないでくれ。今考えてるだろ? どうすれば良いか」
「まったく……」とイルヴァは溜息をついていた。
「決闘が知られていなくてもこの体たらく。嫌になるわね」
とは言え、ロランの言う通り。
一般人相手に剣闘士が喧嘩を売るなんてことはできないのだ。
イルヴァは仕方なく、ぶん殴りたい衝動を押さえ込むと、ここは無視するに限ると思ってオーガの横を通り抜けようとした。
するとオーガが気軽にイルヴァの腕を掴んできた。
「おい、待てよ」
「気安く触るな。私は許可した覚えは無いわよ」
次の瞬間、イルヴァの左腕が瞬いた。
ぐっ、とオーガの体が持ち上がり、ずたんっ! と、大きな音が響いたかと思えば。
オーガは、地面に仰向けに転がっていた。
「あ……あぁ?」
ポカンとするオーガの手を振り払うと、何事も無かったかのようにイルヴァは紋様の輝きを消すと、立ち去っていた。
ロランはその後を慌てて追いかける。
「お、おい。やばいだろ今のは……」
「大丈夫よ。怪我させてないもの」
そう言ってイルヴァはスタスタと歩いて行くため、ロランは後を追いかけるしかない。
「お……おい、今の見たか?」
「やっぱりアイアン・ティターニアなんじゃん……」
なんて言って周りは一層ヒソヒソするようになったが、もう誰も絡んでこようとはしなくなっていた。イルヴァが怖いからだろう。
むしろイルヴァが歩いていく先の道を塞がないように左右へと開けながら、遠巻きにこちらを見てくるだけになっている。
「しかし、あっちの弱そうな剣闘士は誰なんだろう?」
「そんなの決まってるだろ。アイアン・ティターニアの下僕か何かだろ」
「ああ……!」
「下僕か! あの女王様なら十分ありえる!」
納得したような声が野次馬から上がるのを聞いて、ロランは眉をひそめていた。
「……あのーイルヴァ? なんか大きな誤解が広がっているんだが……」
足を速めてイルヴァの横まで行ってから、ロランは潜めた声でイルヴァに話しかけた。
するとイルヴァは「あら」と得意そうに笑ったのだ。
「確かにお似合いだと思うわよ? 下僕のロラン・ノールド?」
「……キミってやつは……」
ロランは本気で溜息をついたので、イルヴァは苦笑していた。
「じょ、冗談じゃないの。誰も本気でなんて言っていないわよ。私の二つ名と掛けているだけでしょ?」
「だったら良いんだがな……」
誰も冗談にしていない気がする。という言葉を、ロランは飲み込んでいた。
あっちの町では主人扱いされ、こっちの町では下僕扱いされるんだろうかと思って、ロランはまた溜息をついていた。
結局、外で気が休まる場所といったら、人気の無い場所に限られてしまうのだ。
昨日と同じ森へ来ると、ロランはホッとしていた。
「はあ……やっと視線から開放された」
「いい加減に慣れなさいな。剣闘士として階級を上げていくつもりなら、一般人の目に晒される事は切っても切り離せない事なのよ?」
イルヴァはハルバードを地面に突き立てるとその脇に座っていた。
「そうは言うが、この晒され方は不名誉だと思うんだ」
答えながら、ロランは腰のロングソードを引き抜くと正中線上に構えていた。
そして息を止めると、素振りを始める。
ヒュンッ! ヒュッ! という剣が風を切る音を聞きながら、イルヴァは休憩がてらロランの動きをぼんやり眺めていた。
(見れば見るほど無駄らしい無駄の見当たらない動き。相手に威圧や挑発を与えようとして粉飾を織り交ぜる西式の剣技と明らかに違う。東式……と、ロランは言っていたかしら)
東式。……あの、ガルダ族の少女と同じ。
「クレハ・タチバナ……同じような剣術の使い手である彼女と手合わせをした方が、ロランは伸びるのだろうけど」
イルヴァは立ち上がると、ハルバードを引き抜いてくるりと一回転させていた。
「付き合うわよ、ロラン」
そう言うと、パッと左腕の紋様が光り輝く。
「ああ、イル――」
手を止めて振り返ってきたロランの言葉が途中で止められた。
代わりに、ぽかんとした顔をしてイルヴァの後ろを見ている。
「……?」
イルヴァがキョトンとして振り返ると、すぐ目の前に逆さ吊りになったクレハの顔があった。
「っひゃぁ?!」
イルヴァが思わず飛びのくと、逆さ向けに宙に浮いているクレハがクツクツ笑った。
「思いの外、カワイー驚き方するんだねーイルヴァは♪ 戦い方はガサツなくせに」
「うっうるさい! 変な登場の仕方するからでしょ?!」
腹を立てるイルヴァをよそに、クレハは羽ばたきをしてくるっと一回転すると、すとん。と地面に着地していた。
「あんたたち、朝っぱらから面白い騒動起こしてたねー。聞いたよ? ロランがイルヴァの下僕? そんな馬鹿げた話があって良いわけないじゃない」
にこにこ笑うクレハに、イルヴァはゾッとしていた。
「ま、まさか、あんた……――」
「ええ」とクレハは頷いていた。
「ちゃーんと訂正しておいてあげたよ? イルヴァはロランの奴隷で愛人なんだって」
「なっ、なな、ななな……!」
わなわなと震えるイルヴァと、一方でロランは思わず苦笑いを浮かべていた。
「なんてことしてくれるのッ!! せっかくの安泰が……せっかくの平安が……!」
がく然とするイルヴァに、クレハは「だって」と笑顔を消す。
「慣例を何だと思っているの? ご主人様を下僕呼ばわり? そんなことが許されると思うなら、剣闘士として正気を疑うんだけど。私は」
「む……正論だから何も言えないわね……」
思わず口ごもるイルヴァの横までロランは来ていた。
「何を言い負かされているんだ、キミは」
苦笑いを浮かべたままのロランを、イルヴァは不満げに振り返った。
「仕方ないでしょ? こればっかりは」
「そうかなあ」とロランは頭を掻いている。
「ふーん?」
クレハはロランを見て、再びにこにこと笑っていた。
「ロランって優しいんだね。だって、奴隷の無駄口を許してるんだもん」
「…………」
ムッとするイルヴァをよそに、クレハがロランに歩み寄ってきた。
相変わらずの迫力ある胸が迫ってくるのを見て、ロランは赤面していた。
「あ……ええと。く、クレハ?」
たじろぐロランの目の前まで来ると、クレハはにこっと笑った。
「せっかくここまで来たことだし、私にも見せてよ。ロランの太刀筋」
「ああ……」
ロランは一歩足を引いて距離を取ると、改めて剣を構えながら、どうする? と言いたげな目線をイルヴァの方へ向けてきた。
イルヴァはつんとそっぽを向いていた。
「私のことなんて気にせずに、見せてやったら良いじゃない」
イルヴァは改めてハルバードを地面に突き刺すと、紋様の光を消していた。
どうやら彼女は手合わせをする気など消失してしまった様子で、ロランは苦笑いを浮かべていた。
(ど、どうしよう)
そうは思ったものの、すぐ傍ではキラキラとした目を向けてくるクレハという存在が居る。
結局ロランは正中線上に構えを取ると、息をすっと吐き出していた。
雑念を消し、剣を振るう。
ヒュッ! ヒュッ!
上から下へ、右から左へ、ぴたりぴたりと正確な軌道を描く剣を見て、「ふうん」とクレハは微笑んだ。
「筋は良いね。けれど……ロラン、あなたって準優勝へも行った事が無いんじゃない?」
クレハの指摘に、ぴたりとロランは剣を止めていた。
「……何故わかる?」
ぼそ、と呟いたロランに、クレハは言う。
「わかるよ。あなたのは確かに東式のを上手く模範している。でも、模範なんだよ。模範の域を超えない。ちゃんと一から十まで学んだの?」
「そ……それは」
ロランは自らの剣を握る手を見つめ、黙り込んでいた。
(確かに……全て学びつくしたとは言い難い。父は俺に課題を与えたら、すぐにまた家を開けていた。後は一人で素振りを繰り返して、そうやって少しずつ学び取った剣だ……)
「……それにあなたの師は適当だね」
ふと微笑を消したクレハの方を、ロランは睨んでいた。
「……適当だって?」
「そうだよ」とクレハは頷いた。
「こんな太刀筋をあなたに与えておきながら、カタナの一本も与えなかったんだもん」
「……?」
怪訝そうな表情を浮かべるロランを見て、何も知らないんだ。とクレハは思った。
「あなたのそれは……――斬鉄と呼ばれる太刀筋。これを教えてくれた師はかなりのやり手だったんじゃない? まあ、それほどの使い手が、なんの意図があってこんな半端な教え方をしたのか、私にはさっぱりわからないけど。そんなんじゃ何も斬れないし、そもそもそんな剣じゃ何の価値も無い。……あなたの使っている剣というのは、そういう剣だよ」
「…………」
肩を落とすロランを庇うかのように、イルヴァが傍まで来た。
「クレハ。そこまで言わなくても良いじゃない。ロランの身のこなしは大したものよ。無駄の無い、計算されつくした動きをしているから、疲れを知らない。これほどスタミナのある剣闘士を私は知らないわ」
「そんなものが舞台の上で何の役に立つの?」
クレハはすぐに言い返していた。
「イルヴァ自身がよく知っているでしょ。剣闘士の戦いの大半は、すぐに決着が付く。試合は戦争じゃないんだよ。一対一の戦いで、後に続く必要の無い戦いで、スタミナを残しておく意味がどこにあるの?」
「そ、それは、クレハの言うことじゃないわよ。自分の力をどうやって生かすのか、これからロラン自身が模索して行くことじゃないの?」
イルヴァがそう言い返してきたことが意外だった様子で、クレハは目をぱちくりと見開いた。
「驚いた……イルヴァがそんな風に庇い立てするなんて。一応そんな態度で、ご主人様に対する敬愛ぐらいは持ってるんだね」
「はっ?! な、なに言って……」
赤面するイルヴァをよそに、クレハは厳しい表情に変わった。
「でも、甘言ばかりじゃ成長しないよ。イルヴァだってロランに成長してほしいでしょ? 私だってそうだよ。弱いままだと、下手したら簡単に殺されちゃうよ。良いの? それで」
「う……」
イルヴァは口を噤んでいた。
良い。なんて思えない。それよりも。
(やっぱりガルダ族って苦手……)
イルヴァはしみじみとそう思って、苦々しい表情になっていた。
そんなイルヴァの思いを、まるで全て知り尽くしたように。
「まあ、そういうことだから」とクレハはにっこり笑っていた。
「お姉さんに任せておきなさい! ね、イルヴァ」
気軽に肩をぽんと叩かれて、イルヴァはムッとしていた。
「な、なにがお姉さんよ。私より百年以上も生きていないくせして……!」
そんなイルヴァをさらっとスルーして、クレハはロランの腕に自分の腕を絡めていた。
「それじゃあ、ロラン」と言って顔を覗き込む。
むに。と豊満な胸が押し付けられ、ロランは赤面して固まり、イルヴァはあっ気に取られた様子になる。
そんなイルヴァに見せ付けるようにクレハは言った。
「どうせイルヴァって子供だから、ろくなアピールの仕方もできないんでしょ? 今夜私の所に来てくれたらー、イ・イ・コ・ト・教えてあげるよ♪」
「い、いいいイイコト……?!」
真っ赤になるロランを見て、イルヴァは腹を立てていた。
「ロランっ! そんな怪鳥相手しない!」
「誰が怪鳥よ! れっきとした人類だから! ハーピー扱いしないでくれる?」
言い返したクレハの腕を、イルヴァは引っ張っていた。
「いいから、離れなさいよ!」
「離れないよー。奴隷がご主人様のやる事に、口出ししちゃイケナイなー」
にこにこ笑うクレハは、完全に色々とわかった上でやっているようにしか見えなくて、それが余計にイルヴァを苛立たせる。
あとついでに、ロランがクレハにされるがままと言うのもイルヴァを益々怒らせていた。
「あ、あ、あんたねぇ……!」
思わず紋様に魔力を通すイルヴァを見て、クレハは微笑んだ。
「あれ? 攻撃するの?」
「……っ……」
イルヴァは振り上げようとした拳を震わせながら、ふっと左腕の輝きを消した。
後で覚えてなさいよ! みたいな鋭い眼差しを向けてくるイルヴァに震えながら、ロランは口を開いていた。
「あ、あの、クレハ? あんまりイルヴァを怒らせない方が……」
「ふふ。そうだね」とクレハは笑った後、ロランに耳打ちをした。
たじたじとしていたロランの表情が、何かクレハに言われる度、真面目なものへ変わっていく。
「…………!」
驚いてクレハへ顔を向けるロランに微笑みかけ、クレハはこくんと頷いていた。
「……待ってるよ、ロラン」
そう囁いた後、クレハはすっとロランから腕を解くと、後ろへ下がっていた。
その後、バサッと翼を広げたのを見て、イルヴァは慌てていた。
「く、クレハ! ロランに何を言ったの?!」
「イルヴァには内緒の話だよ」
そう言って唇に指を当てるクレハを見て、イルヴァはムッとしていた。
「な、なにそれ……」
「まあ、判断するのはロランだからさ。奴隷に話して良いと思うなら言うだろうし、奴隷如きと思うなら言わないんじゃない? じゃあ、またね」
クレハはひらひらと手を振った後、飛び立って行ってしまった。
ふわふわと落ちてくる鳥の羽根を見て、イルヴァは溜息を付いていた。
「ああ……腹立つ。絶対クレハって、私のこと馬鹿にしてる……」
思わずロランは苦笑いを浮かべていた。
「ガルダ族とエルフ族は大して相性が悪くなさそうな気がしていたんだがな……。片や正義と言われる種族と、片や高潔と言われる種族とだし。しかし、キミとクレハは例外みたいだな」
「例外じゃないわよ」とイルヴァは吐き捨てていた。
「ガルダ族だったら誰でも私のことなんか嫌いなんじゃない? こんな精霊刻印の使い方をするようなエルフなんて、いけ好かないと思っていそう」
イルヴァは左腕をすっと持ち上げていた。
「つまり、例外はキミだけだってことか?」
ロランの質問に、イルヴァはこくんと頷いていた。
「同族だって私のことが嫌いに決まっているわ」
「……ふむ」
異種族のことはよくわからない。とロランは思っていた。
「ところで、手合わせの相手をしてほしいんだが」
ロランの言葉に、イルヴァは拗ねたような表情を向けていた。
「クレハは?」
「え?」
「クレハと何か約束したんでしょ。そっちは良いの?」
「いや、それは夜だし」
「…………」
イルヴァは沈黙して、何か不満たっぷりな目を向けているからロランは弱っていた。
「い、イルヴァ。べつに俺は浮気する気があるわけじゃなくてだな……」
「う、浮気なんて誰も言ってないでしょ?! そもそも私とロランは付き合ってすら居ないわけだし!」
「いやまあ……そうなんだけど。一応」
「好きにすれば良いじゃない。奴隷だから? ええそうよ、奴隷だから私にはロランに口出しする権利なんて無い。増してや、拘束する権利なんてもっと無い!」
イルヴァはグッとハルバードを掴むと、腕の紋様を輝かせていた。
「私があなたにしてあげられる事なんて、これぐらいなんだし。ええそうよ、クレハの言う通り! 私ときたらロランをその気にさせてあげられるような、ろくなアピールすら出来やしない! その上、料理もできないし掃除もできない! 武器を振るう以外に能無しだって自覚ぐらいあるわよ!」
そう言って、ぶん! とイルヴァはハルバードをロランへ向けていた。
「い、いや、そこまでは誰も言ってないんだが……」
あっ気に取られるロランを、イルヴァは睨んでいた。
「ロランにとって私は何なの? 私の存在意義なんて無いも同然じゃない!」
「……イルヴァ。だから怒ってたのか?」
驚いて目を見開いたロランに、イルヴァは赤面していた。
「だ、だったら何なの?」
「……そうか」
ぼそ、とロランは言ってから頷いていた。
「…………」
むっとしながら、イルヴァはロランに武器を向け続けた。
(ロランが何を考えているのかわからない)
イルヴァがそう思っているうち、ロランはスッと武器を構えていた。
そして真っ直ぐにイルヴァを見ると、言った。
「じゃあ、これからはもう少しご主人様らしくするよ。ごめんな、イルヴァ」
静かな声を聞いて、「えっ?」とイルヴァがきょとんとした隙にロランが飛び出した。
「ちょちょっ……不意打ちなんて卑怯でしょ?!」
慌ててイルヴァはハルバードで切っ先を背けようとするが、反応が遅れたせいでロランを懐まで近付けることを許してしまった。
しかしロランの切っ先はイルヴァの首元でぴたりと止まり、肩を当てると、ロランは笑っていた。
「防具無しとは言え、初めてマトモにキミに勝てたな」
「むっ……」
不貞腐れた表情を浮かべるイルヴァから、ロランはパッと身を離していた。
「怒るなよ。俺だって今のは卑怯だと思う。でも、この程度で気が削がれるイルヴァだって悪いだろ」
「だ、だって、普通はビックリするでしょ?! あんなに慣例に従うのを嫌がっていたロランが……どういう風の吹き回し?!」
動揺したままだったが、バックステップした後、イルヴァは構えなおしていた。
ロランもまた構えなおしながら頷いていた。
「いや、少し……反省したんだ。そんな風に思わせてたのかって思って」
ロランはあっさりとそんな風に言うから、イルヴァはあっ気に取られていた。
「……なによそれ。今更?」
「うん。イルヴァにそうやってハッキリ言われて、今更気付いた。ごめん」
ロランはさらっと頷いてから頭を下げたから、イルヴァにとって困惑するしかなかった。
「なんで急に……」
「……俺だってそうなんだ。存在意義が欲しくて足掻いてる。クレハは父を適当な師だと言っていたな。仕方ないんだ。父は……父さんは、きっと俺のことが嫌いだからさ」
「…………」
「俺のせいで、イルヴァを同じ思いにはさせれらないよ」
ロランは微笑んでいたから、イルヴァは彼を睨み付けていた。
「ほんっとーに馬鹿な男ね。ロランは……そんな事ですら、また私に合わせる気? あなたの都合はどこ? あなたの意思はどこ?」
イルヴァはハルバードを後ろへ引くと、ぶん! と横薙ぎに振るっていた。
避けるロランに今度は突きを繰り出しながら、足を踏み出していた。
「大事なのは、あなた自身がどうしたいかでしょ?! 私の都合にイチイチ合わせないでよっ、腑抜け者! ああ腹が立つ! もっと自分勝手な動機をたまには聞かせてよ!」
「そ、そうは言われても……」
困惑しながらも、ロランはイルヴァの攻撃を避けながらじりじりと後退して行き、そしてとうとう木に背中をぶつけてしまった。
「……あ」
まずい。と思ったのもつかの間、ぶん! とイルヴァのハルバードが突っ込んでくる。
思わず目を閉じたロランの顔のすぐ横に、ドスッ! とハルバードは突き刺さっていた。
「目を閉じたらその時点で負けになるわよ、馬鹿男」とイルヴァは言った。
ロランは目を開けると、剣を降ろしていた。
「は、はは。正面からやり合うとやっぱりダメだ。イルヴァは強いな……」
すると、びし! とイルヴァに鼻先を指差された。
「あのね、ロラン? そこ、笑うところ?」
「え?」
キョトンとするロランの鼻先までずいと顔を近付けて、イルヴァは睨み付けてきた。
「私はあなたのこと、馬鹿男って言ったのよ。わかる?」
「う……うん」
「侮辱されたら普通は怒る! 違うかしら?」
「ま、まあ……でも怒るほどのことでもないだろ?」
困惑交じりに答えたロランに、イルヴァははぁーと大きな溜息をついていた。
「そんなので本当に、ご主人様らしく振舞えるのかしら?」
「あ、あのなあイルヴァ。キミが奴隷らしく振舞ってくれれば少しは解決する気が……」
苦笑いを浮かべるロランに、イルヴァは首を横に振っていた。
「それは違うでしょ? 他人任せにしないの。あなた自身が私の牙を抜かなければ、何の意味も無い。そう思わない?」
「……よくわからない」
肩を落とすロランから離れると、イルヴァはハルバードを掴んで引き抜いていた。
「それに私、これでも奴隷らしく振舞っているつもりなんだけど」
「……え?!」
本気でギョッとしたロランに、イルヴァはガッカリしていた。
「あのねえ……ロラン。私、あなたのやる事を積極的に拒んだ事はある?」
「む?」
ロランは首を捻っていた。
言われてみれば……確かに、無い。
(イルヴァって奴隷らしく振舞っていてくれてたのか……!)
ロランは驚愕の余りに口を開いたまましばらく硬直していた。
「だめねこれは……」
イルヴァはあきれ返って、やれやれと首を横に振るしかなかった。