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10.本意と本音・上

 チュンチュン、チュンチュン。


 わずかに開けていた窓の隙間から、朝の小鳥のさえずる声が屋内まで届いていた。

 ロランは目をしぶしぶとさせた後、寝返りを打っていた。


「うう……ん……」


 ちょうど手の中に納まったぬくもりを抱き枕のように抱き締めると。


「あっ」という、蚊の鳴くような声が聞こえた気がした。


「んん……?」


(抱き枕なんてあったっけ?)


 ロランは訝しく思いながら、目を閉じたまま腕の中にすっぽり納まったそれをサワサワとまさぐっていた。


(なんか……柔らかい)


 よくわからんがさわり心地が良いな。なんて思っていると。


「あっ、あのっ、ロラン……」


 動揺と遠慮が入り混じるような、潜めたソプラノの声が随分と近くから聞こえる。

 ……というかむしろ、鼻先に息が掛かっている。


「……んえ?」


 ロランはようやく目を開いていた。

 すると目が合った。

 十センチも離れていない場所に、イルヴァの碧い目があった。

 イルヴァは伏せた耳の先まで赤くさせながら、ロランのことを見ていた。


「あ、あれ……?」


 なんでイルヴァがこんな近いんだ?!


 戸惑いを覚えるロランに、イルヴァが恥ずかしそうに視線を漂わせながらボソボソ言った。


「あの……さ、触ってる……」


「……え?」


 それでやっとロランは現状に気付いていた。

 自分の片手が掴んでいた、柔らかいと思っていたものはイルヴァのお尻で、もう片方の手は彼女の細い背中を抱き締めていた。


「うわあぁっ?!」


 ロランは一気にのぼせ上がると、大急ぎで体を離していた。

 その衝撃で、ごろりとベッドから転がり落ち、ゴン!と後頭部を強か床に打ちつける。


「いってぇー!」


 足だけベッドの上に残った姿勢になって、ロランは思わず叫んでいた。


「だ、大丈夫?」


 イルヴァが心配そうにベッドの上からロランを覗き込んできた。


「っていうか……俺のベッドだよな? 間違えてキミのに潜り込んだわけじゃないよな?」


 ロランはひっくり返った姿勢のまま、先に混乱を収めようとして質問していた。

 するとイルヴァはこくこくと頷いた。


「え、えっと。潜り込んだのは私……です」


 よっぽど恥ずかしいのか、後半、声が消え入っていた。


「へ?」と、思わずロランはポカンとしていた。



「えーとつまり、怖い夢を見たから俺の所に来たと」


 起き上がってからのロランの確認に、イルヴァは真っ赤になったまま頷いて肯定していた。


「……なんだそれは」


 ロランは困惑していた。

 こんな状況は初めてだ。どうも、イルヴァの過去話を聞いたことで信頼を得てしまったらしい。


「っていうか……こういうのもあって、あまり話したくなかったの。十年前の事を思い出すと、絶対に夢に出るんだもの」


 イルヴァは申し訳無さそうに耳を伏せたままでいる。


「起こすのも悪かったし……一人で寝たくなかったから……そりゃ、添い寝は嫌がられるってわかってはいたけれど……つい」


 イルヴァの弁に、ロランは苦笑しながら頭を掻いていた。


「ついって、あのなあ。気持ちはわからなくもないけど、無防備な事はしない方が良いぞ。なにも嫌って言ってるわけじゃなくてな? 俺だって、いつ魔が差すともわからないし」


「……うーん」


 イルヴァはなんとも言えない怪訝そうな目を向けてきたので、「なんだよ」とロランは聞いていた。


 するとイルヴァが口を開いた。


「本気で言ってる? それ。あなたが魔が差すような人間なら、とっくに私は奴隷らしい事をやらされてない?」


 イルヴァの疑問に、ロランは答えに困っていた。


 ……確かに。と思う反面、いやいや俺だって男だし! という気持ちも多分に存在する。


「それは、その、女の子を泣かせるわけにはいかないだろ?」


 結局ロランはそんな風に答えていたが、イルヴァは笑っていた。


「いつもそれよね、ロランって。興味無いからって正直に言えば私が傷付くと思っているの? 生憎、暴言なら聞き慣れているから大丈夫よ。剣闘士なら知らない人からですら野次を飛ばされるなんて、よくある事だし」


「いや……そうではなく」


 ロランは困惑していた。

 すっかり彼女は、自分自身がロランの守備範囲外であると信じているらしい。


(どちらかと言えばストライクゾーンに限りなく近い方なんだが。……って、言っても信じてくれないな)


 わざわざ説明するのもこっ恥ずかしいため、ロランは何も言わないことに決めた。

 それにそう思われていた方が、彼女だって無理はしないだろう。

 そうと決まれば、今日の予定を進めることに決めた。


「さて……大会が始まるまでには、しばらく日数もあるな」


 そう言ってロランは立ち上がっていた。

 その言葉だけで、同じ剣闘士であるイルヴァはおよそ理解していた。


「大会が始まるまで、鍛錬をするのね?」


「そういうことだ!」と、ロランは大きく頷いていた。





 ロランの行き先は、アンバーウッドの外れにある森だった。

 イルヴァは鎧こそ身に付けなかったが、珍しく普段着なのに髪をアップに結って、ハルバードだけ持ってロランについて来た。


「この辺で良いかな」


 程よい広さのスポットを見つけてロランが立ち止まると、「はーっ」とイルヴァが大きく溜息を付きながらその場に座り込んだ。


「やっと着いた……疲れた」


 そうぼやくイルヴァは、息が上がっているし汗ばんでいる様子だ。


「キミはどこまで軟弱なんだ」と、思わずロランは苦笑していた。


 確かにハルバードはそれ自体重いが、それ一本を運ぶ程度ならヒューマン族の一般的な女性にだって簡単に出来ることだ。

 しかしイルヴァはそれさえも重たかった様子で、既に疲れ切った様子でいる。


「仕方ないでしょ。エルフ族なんだもの」


 イルヴァはそう言ったが、「精霊刻印スティグマを使えば良かったのに」とロランは思ったことを返していた。


「運べるものに対して、無駄な魔力マナを使いたくない」


 イルヴァはそう答えた。

 そんなものなのかな。と、いまいち魔法には疎いロランは思うしかなかった。


「さてと」と、ロランは腰のロングソードを引き抜いていた。

 それを右手と左手で正中線上に構え、腰を低く落とす。


「“そのつもり”なんだろ?イルヴァ」


 ロランに笑い掛けられ、イルヴァは頷くと立ち上がっていた。

 そして刻印の刻まれた左手を左へすっと伸ばし、藍色の精霊の輝きが放たれるようになる。


「相手が居た方が訓練になるでしょう? 鍛えてあげるわよ、ロラン」


 イルヴァはそう言ってハルバードを両手を使って構えると、微笑んでいた。


「有り難い」とロランは答えた。


 だが実際のところは、あのアイアン・ティターニアと手合わせすることがまた出来る事そのものを嬉しく感じていた。


 イルヴァは鎧を身につけていないのに、あの威風堂々とした佇まいでロランに真っ直ぐハルバードの先端を向けてくる。

 ロランはニッと笑うと、地を蹴って飛び出していた。


「つぁっ!」


 上段から真っ直ぐに振り下ろしたロランの剣を、イルヴァは後ろへ飛びのくことで避けていた。


「はっ!」


 細く息を吐き、鋭くハルバードを突き出す。


(……やっぱり早い!)


 ロランは半身ずらすことによって、スレスレでかわすが、続けざまに二撃、三撃、と突きが繰り出される。


「くっ……!」


 いよいよロランが剣を出し、剣身で刃を受け止めていた。

 ガキッ! と音がして、押し出されるかのようにロランの体は後ろへと下がって行く。


「チッ……この怪力! 怪力だと思っていたけど、違うのか。俺の重さを、俺の剣の重さを、キミの武器の重さを、全て無にする……そういうことだな?」


 ロランの問いかけに、イルヴァは「ご名答」と言って微笑んだ。


「まあ、知られたところであなたには私を打破する手段なんて無いでしょう?」


「……まあな。後はキミと力のやり取りにならないように避けながら、素早く懐に潜り込んで剣を叩きつけるぐらいか……でも、普段のキミには鎧と大盾があるからな。正直……全力のキミと舞台の上でやり合う日があれば、万策尽きた絶望感を覚えるだろうな」


 ロランは笑うしかなかった。

 ここまで完ぺきな剣闘士がこの世に居るのかと思うほどだった。

 それぐらいイルヴァは圧倒的だ。実際、負け知らずというのもよくわかる。


「……さてと」と、イルヴァはハルバードを構えなおしていた。


「次はそちらから切り込んできなさい。私は捌くだけにするから。あなたの剣技、面白いから見せてちょうだい」


 イルヴァに誘われ、「光栄だな」とロランは冗談交じりに言いながら構えなおしていた。

 そしてすぐに鋭い視線に変わり、「はっ!」と切り込む。


 イルヴァは言った通り、体を右へ左へと逸らし、またハルバードの切っ先や柄を打ち込むことでロランの剣撃を逸らし、それによって攻撃をかわし続けた。


(……やっぱり強い)とロランは思った。


 でも、速い速いと思っていた速度は、こうして冷静に観察してみると、ガルダ族以上リュカオン族以下といったところか。

 つまり、上の下といった辺り。彼女のパワーと違って、人間離れしたものであるようには感じない。

 それに幾ら加重を感じないと言っても、本人の体重は感じているだろうし、スタミナにだって限界がある筈だ。


(つまり、防具の無い現状なら勝機は……ある!)


 それに気付いた途端、ロランの目は輝いていた。

 体をぐいぐいと前へ出して行き、剣を振るい続ける。


「っ……」


 イルヴァは険しい表情になっていた。

 彼のその剣技は、独特でそして“普通ではない”ことに気付いたからだ。


 振り下ろされた切っ先が、振り切られるより先にぴたり、ぴたりと止まる。

 そしてスッと後ろへ引かれたかと思うと、再び別の軌道から剣が振るわれ、またぴたりと静止するように振り払われる。


 彼の体の動かし方も独特だ。すり足で移動し、最低限の動きしかしない。ともすれば、ほとんど動いていないようにすら見える。


 さっきハルバードで攻撃した時から、おかしいと思ったのだ。

 ギリギリで避けていると思っていたが、……そうではない。彼はわざと紙一重まで武器を引き付けてから、わずかに体を逸らして避ける。

 そうやって最低限の動きしかしないから、ロランはさっきからずっと攻撃を繰り返しているのに、一向に疲れを見せる様子が無い。


(……なによこいつ。どれだけ体力があるの?!)


 内心でイルヴァは驚愕していた。

 その間にも、ロランは剣を脇から上へと切り上げる。


「チッ……!」


 イルヴァは思わず、ハルバードで力強く剣の腹をたたきつけた後、一気に前へ出るとロランの体に自分の体をぶつけていた。


「わっ!」


 予想外の反撃を食らって、後ろへ倒れ込んだロランの腰の上に馬乗りになり、イルヴァはハルバードを振り上げていた。


「調子に乗っているんじゃ……!」


「ま、待て待てっ、イルヴァ!」


 慌ててロランに静止され、イルヴァは自分が反撃している事に気付いていた。

 しかしその時には既に振り下ろしていたため、慌ててハルバードから手を離すイルヴァと、一方でロランは剣を持った手だけを振り上げてハルバードの切っ先を弾く。

 ガンッ! ガラガラ。と、転がっていくハルバードを見て、二人はホッと肩を撫で下ろしていた。


「あ……危なかった。このまま串刺しかと思った……」


 はーっと大きく溜息をつきながら、両手を左右に投げ出すロラン。

 一方でイルヴァは申し訳なさそうにロランを見下ろしてきた。


「ご、ごめんなさい。大丈夫だった?」


「ああ……うん、それは……」


 ロランは頷きながら、顔をみるみる赤面させて行き視線を漂わせる。

 そんな彼の仕草によって、イルヴァは現状に気付いていた。


 ――そう。今の自分は、ロランの腰の上に馬乗りになっているのだ。


「あ……」


 イルヴァはパッとロランの上から飛びのいていた。


「ご、ごめんなさい。鎧を着ている時と同じ感覚でやってしまったわ……」


 真っ赤になりながらしどろもどろ言うイルヴァを見て、ロランは衝撃を受けていた。


(……鎧を着た状態で圧し掛かるという行為もするのかよ?!)


 むしろ着ていなくて良かったと全力で思った。

 相当苦しい思いをしただろうし、下手をすれば肋骨などバキッと行きかねない。

 要するに彼女の戦い方は容赦が無い。


(……まあ、そこが良いんだけどな)


 ロランはヒョイと立ち上がると、転がっていたハルバードを手に取ってイルヴァに差し出していた。


「もう一本、頼む」


「良いわよ」と言って、イルヴァはハルバードを受け取っていた。





 訓練を終える頃には日が沈みかける頃となっていた。


「はあー、動いた動いたー!」


 町までの道を満足げに歩くロランと、一方でイルヴァはぐったりした様子だ。


「あなた、スピードもパワーもパッとしないくせに。スタミナだけはあるのね……」


 そう言うイルヴァは訓練の途中からバテた様子で離脱するようになり、帰り道はロランにハルバードを持たせていた。


「いや。むしろキミが剣闘士としてスタミナが無さすぎるように思うんだが」


 ロランは苦笑いしながら、彼女の問題点に気付いていた。

 どうやらイルヴァの使う魔法は、スタミナまでは底上げできないらしい。

 つまり彼女は、持久戦がたまらなく苦手だということだ。


「エルフ族だから。こればかりは種族の体質をフォローし切れない」


 イルヴァはそう答えたが、問題点はそこだけではないとロランは感じた。


「キミの動き方にも問題があるよ。鎧や大盾があるからと思っていたが、そうじゃないんだな。動きがとにかく大振りだった。エルフというのは、もっと機敏で精密な動きをすると聞いていたんだが、違うのか?」


「……う」


 イルヴァはムッとした表情を浮かべていた。

 しかし自覚はあったようで、渋々といった調子で自白する。


「確かに私はエルフ族の中でも弱い方だと思うわ。私は、鍛錬が足りていないから。……エルフ族というのは、ヒューマン族みたいに器用じゃないのよ。だから物事の習得に、何十年、下手をしたら何百年も掛かってしまうの。一応、ごく小さな頃から様々な物事を学ばされるから、頭でっかちにはなるんでしょうけど……知識に偏りがあると言うか……」


 イルヴァはスッキリしないような表情になっている。

 どうやら彼女なりに、エルフ族の風習に言いたいことがある様子だ。


「エルフは異種族のことを“刹那的な存在”と言って軽く見ているけど、私は反対のことを思ったわ。里を出てヒューマン族の暮らしぶりを間近に見て、エルフ族がいかに悠長で無駄な時間の浪費をしているかを痛感した。ヒューマン族というのは確かに目まぐるしく移り変わっていって……でもそれは刹那的というよりも、時間を有効に使っているだけなのよ。そこはエルフ族も、少しは見習った方が良いと思う。人間のように知識の取捨選択をしたら、もう少し視野が広がるんじゃないかしら。膨大な魔法の知識の詰め込みだけで何百年も過ごすんじゃ、そりゃ頭でっかちにもなるわよ」


 イルヴァは饒舌にエルフのことを話した。

 こうやってエルフ族のことを彼女自身の口から聞くのは初めてだったから、ロランはにこにこして聞いていた。

 だって、(やっと自分のことを話してくれるようになったんだな)と思ったからだ。

 しかしイルヴァはそう受け取らなかったようで、ムッとした表情をロランに向けてきた。


「……何をニヤニヤしているの。子供っぽい考え方だと思った?」


「いや、そうは誰も言っていない」


 慌ててロランは否定していた。


「……それなら良いんだけど」と、イルヴァは前を向くようになった。


「それより、お腹すいた!」


 イルヴァの言葉に、同感だと思ってロランは頷いていた。


「そうだな。よく体を動かしたからな。町へ帰ったら、何か食べに行くか」


「うん」とイルヴァは頷いていた。


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