平凡なご令嬢が憧れた彼女の話。
これはまだ、私が若かった頃のお話になります。
当時、所謂名家のご令嬢だった私は、教養を付ける為に学園に通っておりました。
お嬢さん・お坊ちゃん学校で、特に私の場合花嫁修業の為に通学していたと言う側面が強かったのです。
周囲の方たちが大方、将来を共にする方が決まっていたように、私も親に決められた許嫁がおりました。
薔薇の君もそれは同じだったようです。
彼女は、私の学園生活の中で一番鮮烈に記憶に残っている方でした。
薔薇の君と言うのは、当時彼女に憧れた下級生が付けた呼び名でした。
それがあまりに彼女にぴったりだったので、同級生である私たちもいつからともなく呼び始めたのです。
薔薇の君は、白い滑らかな肌に黒檀の絹のような髪をお持ちになる大層な美人でした。
彼女はそれだけではなく、国の上層部の覚えもめでたい旧家の出身であり、
学業では常に主席を維持している才媛で、思いやりにあふれた品行方正で淑やかな淑女でした。
そんな彼女には勿論取り巻きが大勢いて、私もその一人だったと言うわけです。
そうですね、私も薔薇の君に惹かれていました。
学園のマドンナである彼女に憧憬を抱いていましたし、
有力者の子供と親しくなり、コネを作るようにと父に命令されていたことも頭の片隅にございました。
それでも私は、普段澄ましている彼女の滅多に見れない華やかな中にも芯のある笑顔が大好きだったのです。
しかし、結局の所、薔薇の君にとって私は取り巻きに過ぎなかったのです。
これは当然と言えば、当然のことでしょう。
誰だって自分に従い、媚を売る人間と対等な対人関係を築こうなどとは思いにくいものです。
彼女と本当に親しくなりたいのであれば、きちんと正面からぶつかって行くべきだったのです。
そう後悔したのは、卒業もすぐ近くになった麗らかな春の日でした。
薔薇の君は学園から姿をけしてしまったのです。
皆は彼女がどうしてと、大層驚きました。
どうして薔薇の君がいなくなってしまったのか、事情を知る方は誰ひとりとしていませんでした。
誰にも相談もせずに決断してしまったあたり、彼女が気を許せる人間は学園にはいなかったのでしょう。
その孤独を年をとるごとに察することが出来るようになり、自分の浅はかな振る舞いが居た堪れなくなるようになりました。
それから暫く後に、徐々に彼女の噂が流れ始めました。
薔薇の君が使用人と駆け落ちしたらしいと。
学園の皆さんは特権階級意識が強い方達ばかりだったので、彼女に裏切られた気持ちだったのでしょう。
家名を汚す恥ずかしい振る舞いだと口々に酷く罵りました。
そうして、私たちの薔薇の君への幻想はあっけなく壊れてしまったのです。
学園を卒業した後、想う方もおりましたが今の夫へ嫁ぎました。
夫はエリート意識が強い方で、傲慢な面もありましたが悪い人ではありませんでした。
妻が着飾ることは夫のステータスを示すものである。
それが彼の考えだったので、私はいつも窮屈な服装を強いられていました。
そんなある日のことです。
遠目に彼女に再会したのは。
薔薇の君はもうすでに旧家のご令嬢には見えませんでした。
庶民の服装に身を包み、丁寧に編み込まれていた髪は一つに乱雑にくくられていました。
そんな薔薇の君を目にした時、私は正直に申し上げて複雑な気持ちになりました。
彼女は女王様のように周囲の人たちを従えて、スポットライトの中心にいるような華やかな生活が似あう人だと思っていたからです。落ちぶれた、そんな言葉がよぎらなかったと言えば嘘になります。
しかし、その時薔薇の君はふと、ほほ笑みました。
昔と何一つ変わらない、私が大好きだった笑顔です。
それを見た瞬間、理解したのです。
どこにいて、何をしていたとしても、彼女は彼女だと言うことが。
余りにも今更過ぎるかもしれませんが、ようやっとわかったのです。
話しかけようと薔薇の君に走り寄りましたが、お互い人ごみに流されて会うことは叶いませんでした。
それから私は子供に恵まれ、やがて戦争が始まったこともあって気が付くとこんな年になっておりました。
いささかなりとも苦難が付き纏う人生でしたが、今では幾人かの可愛らしい孫が懐いてくれております。
耐えがたい困難の時には、不思議と彼女のまっすぐなまなざしが思い返されました。
いずれにせよ、全ては懐かしい思い出の中の話となっています。




