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椅子をめぐる4つの話

椅子をめぐる4つの話 第3話 

椅子をめぐる4つの話の第3話です。話が全くわからないということはありませんが、できれば第1話から読んでいただければ幸いです。


第3話 おかまシェア


 古めかしい玄関チャイムが鳴る。朝の7時、相手が誰かはわかっているけど、出る前に返事をする。

「はい、」

「おはようございますー、浅野です。ごはん、持ってきました」

 僕は、自分の格好と、ワンルームの玄関から見える部分を再確認した。やばいものは落ちてない。下着、パジャマ、エロ本等etc.。

 髪もあらかじめ梳かして整えているし、歯磨きもマウスウォッシュも済ませて口臭もOK。

 そして、急いでドアをあけた。こざっぱりした部屋着に、パーカーを羽織った女性が立っている。ひんやりとした秋の朝の空気に、ふんわりと、炊きたてのご飯が薫る。

「おはようございます、いつもすみません」

 僕は、最大限自然で押しつけがましくない笑顔を意識しつつ、挨拶した。浅野さんはごはん1合分が入ったタッパーを差し出す。

「いいえ。昨日のうつわはありますか?」

 僕はあわてて、冷蔵庫に入れておいたタッパーを取った。狭い一間に台所がついただけのアパート、2,3歩の距離だ。

「あのー、教授が韓国に行ってきて、美味いキムチお土産にくれたんで、良かったらお裾分け、」

 タッパーの中に、ジップロックの袋に二重に包んだキムチが入っている。

「わあ、ありがとうございます」

 浅野さんは喜んで受け取ってくれた。あとは時候とお天気の話などをして、浅野さんは隣の部屋に帰る。

 僕は炊きたてのご飯のぬくもりを手に感じながら、今日もいい一日になるという予感ににんまりとする。今日は朝からほかほかの卵かけご飯、この贅沢な朝食も、ひょんなことから始まった、“おかまシェア”のおかげだ。

 僕と浅野さんは、年季の入ったアパート、小諸(おもろ)荘のお隣さんである。もじって、おんぼろアパート、なんて呼ぶ奴もいる。大学に近く、家賃の安いのが取り柄で有名なアパートだ。

 浅野さんとは最初からこういう関係だったわけじゃない。出会いは、3月前にさかのぼる。

 僕はもともと寮生活の大学院生だった。けれどもこの春めでたく、大学付属研究所の研究員になり、規定上、長らく住み続けた寮を追い出されることになった。曰く、学生寮はあくまで学生のための施設で、大学から給料をもらっている身分は対象としていない、という。

 とはいえ、安月給では優雅なマンションなど望むべくもなく、運良く小諸荘に空きがあったので、即決した。食事は最初、コンビニや外食で済ませていたが、あるとき、研究員仲間が、「自炊したほうが安くつくぞ」と試算結果を見せてくれたのだ。 

 数値的根拠を提示されると、理系の人間としては受けて立たざるを得ない。レンジや冷蔵庫はあるから、あとは炊飯釜だ。僕はなけなしの初ボーナスから1万円引き出して、大学近くの家電量販店に出かけた。

 どうでもいいけれど、僕は家電量販店というのが苦手である。どこに何が置いてあるかわからない。ひたすらだだっぴろくて、店員も探さないと見つからない。偏見かもしれないが、店員によっては、商品知識が薄弱だったり偏っていたり、それともメーカー差し回しなのか、とにかく有益な情報はあまり提供してくれなかったりする。

 吊り看板を頼りに台所用品の棚を探しだした。セミロングの髪が清楚な、20代後半くらいの女性が、商品棚の前でおとがいに曲げた人差し指をあてて、固まっている。

 当分そうしたまま、動きそうにないので、僕はそんなに悩む品物なのかなと怪訝に思いつつ通路のなかにはいった。視線の先、

『特価、5980円!現品限り!!』

 おお!予算マイナス4000円!即買いじゃないか!

 先客の彼女は、まだ悩んでいる。何を悩む必要があるというんだろう。でも現品限りだし。

「あのぉ・・・・・」

 僕は思いきって声をかけた。女性は「あ、すみません」と半身をひらいた。

「えぇと、こちらの炊飯器、悩んでるんですよね」

「ええ。炊飯ジャー、壊れちゃったんです。買い直そうと思ってるんですけど、友達に安いからって型落ちのを買うより、新しいのを買った方がいいよって。電気代がすごく違うから、すぐモトが取れるよってアドバイスされて。」

 ああ、それは盲点だ。確かに目の前の炊飯釜は安い。安いが、もし必要な電気量が2倍なら、ランニングコストでおつりがくる。

「でも、実際目の前にしちゃうと、ちょっと迷いますね」

 彼女は微笑んだ。商品の周りには、何ワットで炊けるとか、保温効率がどうだとか、様々な謳い文句が踊っているが、正直比較検討できるだけのデータはない。いかにも文系そうに見える目の前の彼女にも、多分ない。

 それにしても。

 僕はさっきから横に置いていた疑問に立ち戻った。どうもこの顔、覚えがある気がする。

 ん?もしや・・・・・。

「・・・、あのー、もしかして小諸荘・・・・」

「え?」

 かなり不審そうに眉をひそめられ、まずった!と思ったが、ビンゴだった。

「あ、ああ、もしかしてお隣の・・・!?」

「うわー、あんときはすんませんでした!」

 僕は再び頭を下げていた。実は入居の当日、研究所仲間がおしかけて、どんちゃん騒ぎをしたのだ。しかも一人は帰り際に玄関の外に嘔吐物を土産に残し、僕は入居早々2階と隣の住人に謝って回った。そのうえ、掃除用品なんか揃えてなかったので、お隣の住人がバケツや何かを貸してくれたのだ。

 それが彼女だったのである。ただ、昨今は隣人とのつきあいなんてまるでないから、すっかり忘れてしまっていた。

「いえ、いいんですよ、私も時々うるさい時、あるでしょう、あのアパート、壁が薄いから・・・・」

「ま、通称おんぼろアパート・・・・・」

 つい口を滑らしてしまったが、彼女は笑っていた。おんぼろアパートというのは、あの大学界隈の、いわば名物みたいなものなのだ。

 そして、僕に一つひらめくものがあった。あとから考えれば、よくそんなことを言い出したものだと呆れる。けれども、そのときの僕は言ったのだ。

「あの、提案なんですけど。最近シェアリング、流行ってるじゃないですか。5千円ずつ出し合って、お釜シェア、しませんか?」

 

 かなりヘンな響きである。お釜シェア。けれどその場のノリというものだろう、僕の提案は受け入れられ、その場で負担割合を計算して、1万円弱の三合炊き炊飯釜を購入した。炊飯釜は彼女の家にセットし、毎日1合分をとどけてもらうかわり、米代と電気代相当分を彼女に渡すことにした。

 結構面倒なはずだが、この奇妙な関係は今まで続いている。

 困ったことは、僕がこの朝の訪問を、かなり楽しみに待ってしまっている、ということだ。かならずお届けの30分前には起き、服は見られる格好に着替え、髪を整える。歯も磨き、顔も洗い、髭も剃っておく。絶対に寝起き姿は見せない。部屋も見苦しくないように片付ける。

 おかげで、学生の頃よりずいぶん身綺麗になった。寝坊して遅刻することもない。きわめて健康、心身共に健全な生活を送っている。


「そりゃ既に通い婚の域だろ」

 食いかけの焼きうどんが口から吹きだしかねないことを、同僚のS田は軽々しく指摘した。

 研究所近くの定食屋はなかなか賑わっている。学生、タクシーの運ちゃん、運送会社の兄ちゃんら、皆さん黙々と箸を動かしているので、聞かれやしないかと、こっちは冷や冷やする。

「普通、続かねって!毎朝だろ?もう脈なんてもんじゃねえよ」

 言葉の端々に、羨望が滲む。悪くない、悪くない、微生物がうまく活動を始めたような、ちょっとこそばゆい感じだ。

「発酵食品研究者と、駆け出しの・・・・テキストデザイナー、だっけ?その浅野さん?まあ儲からない組み合わせだけどよ、」

「テキスタイルパターンのデザイナー」

 僕自身、わかったようなわからないようなカタカナを訂正しつつ、浅野さんの説明を思い浮かべる。

『簡単に言っちゃうと、布なんかの模様づくりなんですよ。こう、大きな布をずうっと埋め尽くしていっても大丈夫な』

『模様を無限に描くのは無理ですよね。だから、同じ模様を継いでいく、その模様がテキスタイルです。壁紙とかも使われてますよね。どこまでで1模様かわからないように、飽きの来ない、リズミカルな模様が理想なんです』

 申し訳ないが僕には、フラクタルの様相を示しながら成長する菌糸のことが連想された。無限にズームインしてもズームアウトしても、同じ形状があらわれる。

「んー、儲かる儲からないは、置いといてだよ・・・・」

 研究職は、実入りのいい仕事じゃない。そのうえ、仕事関連の支出はかさむ。高価な専門誌を個人的に購入することもあるし、学会も、出張が認められなければ自費参加だ。僕が小諸荘暮らしをしているのは、そういう経費をなるべく捻出したかったからで、生計を維持できないほどじゃない。

「問題は浅野さんに、そういう相手がいないかってことで・・・・」

「そんなの、隣に住んでりゃわかるだろ、」

「そんなのチェックできるかよ。」

 意外と、隣人の生活などわからないものだ。いくら、壁の薄いおんぼろアパートでも。事実、家電量販店の一件まで、僕は浅野さんの顔も名前も、認識していなかった。

 僕は、黙々と焼きうどんを口に運ぶ。S田は定食の味噌汁を流し込んでいるが、目はこちらを見たままだ。

 乗りかかった船だ。僕は観念して言った。

「・・・・・男はさ、何人か、出入りしてるみたいなんだ」

「何人!?」

「研究会みたいなのをしてて、そのメンバーに男がいる・・・てのかなあ」

 S田が勝手に想像を膨らませるのを、早々につぶしておく。

 浅野さんのところに来る客はみんな個性的で、女友達だけでなく、男友達(とりあえず友達にしておく)もお洒落だ。たとえば非対称(アシンメトリー)に服を着崩してたりとか、一部だけ髪を長髪にしていたりとか。また、それが似合っている奴らだ。

 黴くさい──実際、発酵食すなわち黴の研究をしているわけだけれど──研究員なんか、同じ土俵にたてるものか、正直引け目を感じるばかりだ。

 S田は興味津々だったが、それ以上、僕の悩みに答える言葉を持っていなかった。まあ、似た者同士が頭を付き合わせても、同じ袋小路で行き詰まるということだ。

 S田は学部の研究室に寄るとかで、僕とは別れた。僕は黴の待つ研究所に戻る。研究所は出張が重なっているらしく、人気ひとけはない。

 浅野さんとの間に、新たな一歩を踏み出すべきか否か、迷い込んだ袋小路を、頭の中で延々と行きつ戻りつしつつ、僕は研究室の並ぶ白い廊下にさしかかった。

 と、そのときである。

 あれは何だ??

 廊下の中央あたりに、焦げ茶色の物体が通せんぼをしている。突き当たりの非常口から差し込む後光をうけて、何か正体不明なものが、廊下の中央を占拠している。

 眉をしかめながら近づいた僕は、その正体に気付いた瞬間、おおっ!?とのけぞった。

 これはもしやいま流行の、社長椅子じゃないか?

 

 それは、こちらに背を向けて置かれているけれども、そのシルエットや質感は、間違いなく社長椅子と推定された。ネットで、まことしやかに囁かれている社長椅子。本来在るべきでない場所に、突如忽然として現れ、座ってみると、願いが叶ったり、不思議な出来事に巻き込まれたりするという。

 遭遇譚はある。しかし、なぜか写真はない。写真を撮り損ねるのだという。たまたま携帯を忘れていたり、すっかり失念してしまったり。

 まさか僕が、こんなところで出会うなんて。

 感慨深く、僕はその社長椅子の背を眺めた。見れば見るほど、ネットの書き込みそのままだ。ポケットをまさぐる。携帯電話は研究室に放置している。とするとこれはますます・・・・・。

 そう確信を深めた刹那、その社長椅子がくるりと回った。

 人が、座ってる!?

 普通空席で、それに自分が座るんじゃないのか?

 

 ソイツは、俺なら絶対買わないショッキングピンクのダイヤ柄ニットにベージュのパンツという出で立ちで、髪は片方だけそり上げたスタイル。ピアスが右に1つと左に2つ。以前、浅野さんのところに来ていた奴だ。

 その男は両手の親指と人差し指で枠をつくり、僕の頭からつま先まで順にとらえていった。

「ふーん、大丈夫大丈夫、ちょっとサイドカットして・・・・・」

 勝手に一人合点して納得している。

 彼は椅子から降り、僕の周りを一周した。

「いまはまだいいけど、もう少し年とったら、肉つきますからねー、少し運動したほうがいいっすよー」

 彼は僕の腕を取り、半ばひきずるようにして、僕を社長椅子に座らせた。向きを変えると、そこになぜか鏡がある。鏡に映し出された自分の顔は、髭もきちんと剃っているし、髪も櫛を入れているが、野暮ったいのは否めなかった。

 劣等感がじわりとにじみ、心を腐食する。しかし、彼はそんなことはおかまいなしに、理髪店で使われるナイロン製のケープをひらりと僕にかぶせた。

「へっ!?ほっ?」

 焦っている間に、銀色の鋏がちゃちゃっとひるがえる。仕上げに整髪料。鮮やかな手つきが形を整えた。

 変わるものだ。

 感心しているうちに、ナイロン製のケープは外され、折りたたんで片付けられた。と、彼は、研究室の扉を勝手に開けて──そこは本来、空調管理のされた培養室だというのに──、中から色とりどりの服の下がったハンガーを引っ張り出してきた。ジャケット、シャツ、マフラー、雑多な色の洪水だ。。

「さあ、どれにしますかね。好きなの選んでください。」

 彼は腕組みをして、様になる立ち姿で、僕に選択を委ねた。と言われても、どれも、足を踏み入れることすらおぼつかない、セレクトショップに置いてそうなものばかりだ。

 とりあえず無難そうな黒のジャケットを手にとって見た。う、裏地が総花柄プリント。早々にご退場いただく。パーカーは・・・・・身ごろがエキセントリックな色使いのゼブラで、もはや見なかったものとして、ハンガーに戻す。

 いくつか、ちらちらと物色を続けたが、どれもこれも正気の沙汰とは思えない色柄で、ユニクロの無地一辺倒の僕は気力が萎えた。

「無理だよ、こんなの…(そりゃあんたみたいに、かっこよけりゃ、ピンクでも何でも着られるだろうけど)・・・・・」

 後半は心の声。だが、なぜか筒抜けだったようだ。彼は自分の来ているニットを指でつまんだ。

「や、コレ、モニターのお試しっすから。こういうの着てると、女の子はセンス悪いとか、ナル入ってるとか好き放題っすよ」

 え?そうなのか?

 僕は、まじまじと彼を見つめた。気取らない立ち姿がさまになる、モデルみたいなコイツが?でも、コイツにしてその言われようなら、僕はどうすればいいんだ?

 僕は無気力に、ハンガーを順送りにしていった。

「これ・・・・」

 見つけたのは、微細な三角形がより大きな三角形を形作る、そういう模様で埋め尽くされたハンカチだった。青地に白の細かな模様。

「それ、ヨシエちゃんの新作ですよ、何とか難しいこと言って・・・・」

「・・・・・シェルピンスキーのギャスケット」

 有名なフラクタル幾何学の図形だ。自己相似的な無数の三角形からなる、無限を内包した図形。

「ヨシエちゃん、発酵学者の彼氏から教えてもらったらしいですよ、その模様。こういう柄ものは、ポイント使いがいいですよね、ポケットチーフにして」

 彼はそのハンカチをたたみ、僕のジャケットの胸ポケットに差し込んだ。

発酵学者の彼氏?

 それ以上尋ねる前に、僕の視界の中でポケットチーフの柄が急に無限の拡大を始めた。拡大しても拡大しても、どれだけ拡大しても同じ三角形が無限にあらわれつづけるフラクタル。シェルピンスキーのギャスケット。

 僕は目眩がして、目眩がして・・・・・・。


 ピッ、ピピピッ、ピピピッ・・・・・・。

 タイマーの音に起こされた。僕は研究室の机に突っ伏して爆睡していた。観測の時間だ。PCの画面ではスクリーンセーバーが動き、シェルピンスキーのギャスケットを延々と増殖させている。

 ピッ、ピピピッ、ピピピッ・・・・・・。

 タイマーはひたすら、培養室に行って最近の繁殖状況を確認しろと催促する。僕はとりあえず白衣をはおって、培養室に急ぐことにした。たくさんの思いが、躰の中で増殖しているけれども。


シェルピンスキーのギャスケットは、ウェブで検索すると画像を見ることができます。

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