走馬灯
走馬灯の話です。
2014年から見ても最近の話
ボロボロの荒れた空き地。家の残骸があるそこにごうっと音を立てて風が吹き抜けていって、《そいつ》の元々整っていないボサボサな髪を容赦無く散らかした。「なんでこうなるんだよ」奴は心底嫌そうにそう言って、髪に指を通してせわしなく梳いている。でも、そんなには綺麗にならなくて、何度梳いても整わなくて、「……」…しばしの無言ののち、諦めたように手を下ろした。《そいつ》は自身の間抜けな行動に自分で失笑しているが、風は鳴り止まず、その音をかき消すように吹いて行く。「おいおい」俺はふっと笑って、相手の頭に手を伸ばした。それで、髪を梳く。「やめろっての。無理だからもう」「やってみねえとわからんだろ。じっとしてろ」
ススキが生えた家の跡地に二人ぼっちでつっ立って、やんややんやと髪を梳く。
「もういいっつのww」「逃げんなよ!」くすぐったそうに身をよじった奴は、軽やかな動きで走り出した。一歩踏みしめるたびに、足元がガランガランと音を立てる。コンクリート、木片、屋根の残骸、風呂釜みたいなの、割れた食器。幸せの残骸だ。ここがどこなのかは知らないけど、確かに幸せの残骸があって、俺たちはそこで馬鹿みたいに転げ回った。
「ああ疲れたよ!」奴は叫んだ。「んじゃやめ!やめにしよーや!」「あーい」ススキに埋れた姿がどんどん鮮明になってきて、こがね色のカーテンの中から《そいつ》が現れた。俺たちは絶妙なタイミングで鬼ごっこをやめた。お互いにとって絶妙なやめどき。それを理解し合ってるからそういうことができた。心地よい疲労と爽快感を感じながら、余興は幕を閉じる。
息を整えながら、「はーっ、なあこれ」手を差し出してきた。少し荒れたその手の中には二枚の紙切れ。「映画の券?」「うん」「期限は?」そう問いかけたら、《そいつ》は紙切れ…いや、貴重な娯楽の引換券をつまんで、裏を見たり表を見たりした。「どこに書いてあんの」「わからんな」映画の券なんて記憶から消えるくらいに縁がなかったから、純粋にわからなくて答えかねた。俺は紙切れになるかもしれない券の片方をつまむ。そしてお目当ての期限表示を見つけた。「ああこれか…」「おお!」小さい、煤けた字だ。「よっみにく」「頑張れ」奴は俺の手元をずいずい、期待の眼差しで覗き込んでくる、読む気ないのに。でも俺が識字するのを、心待ちにしてる。だから俺は声を張り上げた。「1990年の」「おう!」「11月まで!」「いけるやん!!!」
奴はそう大声あげて、俺の手首をぐいっと掴んで走り出した。俺は浮かれてたから照れもしないし嫌がりもできなかった。でも怖かったから叫んだ。「転びそ!」「ついてきて!」木がバキッと折れて皿がパリンと割れて。足元があやういったらない。でもスピードは落ちない。走る、走る。そうやって容赦無くペットボトルをごろごろ蹴って、幸せの残骸に未練がないみたいにしながら空き地から脱出した。
古臭い映画館に着く。券は切られなかった。「人いないね」俺は返事はせずに、寂しそうに呟いた奴の手をちゃんと握りなおした。独特の匂いのする上映室に入ると、後ろの投影室からスクリーンに向かって光が出ていた。その部分の塵だけが鮮明に見える。俺は小さい頃は《その部分だけやたら塵が多いゾーン》だって認識してた。本当はそこだけじゃなく全ての場所に塵はあって、皆それを吸ってる。だからその認識はかなり馬鹿らしいけど、そう勘違いしてたことを奴に話したら凄く笑ってくれた。懐かしいな。
赤い、安っぽいシートに座った。意外と柔らかくて、体がズボッと沈む。今までの疲れが、癒されるみたいだった。少し眠くなる。
「なあ、始まるよ」そう教えてきた奴も眠そうな声だ。まどろむような声でああ、と答えて、二人して画面に見入った。古いフィルムは、黒ずんで黄ばんでてやっぱり古臭い映像を映し出している。
俺と、《そいつ》が出てきた。《そいつ》は今よりずっと女の子らしくて、お嬢様みたいだ。昔はこうだったもんな。苦労しすぎてこうなったけど。俺は苦笑した。奴も隣で吹き出した。
木造の暖かい家、パンの匂い。流石に映画じゃ匂いはわからんやろ、と思ったけど確かに感じた。
喧嘩して、仲直りして、眠って、辛いことがあって、悲しいことがあって、嬉しいことがあってそしてそういう特別なことは奴に話して《そいつ》も俺にそういうことを話してる。
社会生活も映し出されてるけど、志半ばでフィルムが途切れた。いつのまにか目に溜まっていた涙が、つうっとほおを伝った。俺は、握った奴の手をより強く握りしめた。でも《そいつ》はもう、俺の手を握ることはできなかった。ただ重ねているだけ。頭が狂いそうなほどの寂しさを感じた。でも、それは一瞬で終わった。俺は終わった。でも、幸せだった。