はじまり
あれから一年、地球に残る全ての政府が倒れた、理由はいろいろある…技術の紛失、国民データの紛失、嵩んだ戦費による経済崩壊…何より資源の枯渇が問題であった、全ての国家に戦争をして資源を獲得する余力すら残されておらず国家は倒れた。
慢性的な食糧不足で二十億人の餓死者も出る始末だった…それでも人々は生き残り廃墟を利用した街並みを作り上げこっそりと生き残っていた。
ウィルスによる原生生物の凶暴化、自動兵器たちの暴走…水資源の大半が汚染されているなど問題は山積みではあるが人類はヒィヒィ言いながらもしぶとく生き続けている。
元日本国千葉県銚子市、原生生物が入ってこないように固められた壁の検問に幼さの面影を残す女性が居た。
「え~、如月后さん。どうぞお通り下さい」
雇われ兵士が如月を通す、戦後新たに立ち上げられたスカベンジャーギルドと呼ばれる団体に所属しているから武器を所持していても特にお咎めはないのだ。
「ああ、ご苦労さん」
男勝りな口調で開かれた門の先に進む、野戦服に巨大な背嚢を担いでいる…崩壊した地球には似つかわしくない美女がこれまた似つかわしくない格好で廃墟のような街を突き進んでいる、この元銚子市、今はポートイーストなんて呼ばれて居るらしい、何故津波の被害をたくさん受けたこの地に人が集まったかと言うとスカベンジャーギルドに所属していない強化人間の男が原生生物達の集う浄水場を奪還したと言うのだ。
大きな強化ボディに似つかわしくない優しそうな顔をした少年、容姿を聞いて如月はすぐにピンと来た、吉永だ、吉永貞治だ。
如月の初恋の相手…とは言っても戦争で大体の男は死んでいるのだ、現に如月は年の近い男など吉永が入隊してくるまで間近にはいなかった、惰性で惚れたか…さてまた戦場での生命の危機で燃え上がったかは如月にはわからないが…彼女は奴の人間性に惚れたと言い張ってみる。
一年で髪も大分延びたと薄汚れたショーウィンドウのガラスに映った自分を見つめる、男に会うのだからとくすんだ色の櫛で髪の毛を梳かす、とは言っても頭の後ろで一本に結んだ所謂お馬さんの尻尾なのだが。
本当は化粧などもしたいがここに来るまでの旅路で路銀を使い果たしてしまった、貴重な化粧品も売ってしまったしと諦めて道を歩く、外に居た雇われ衛兵の話だと吉永はもともと灯台があった場所に小屋を建ててのんびり暮らしているらしい…嫁でも欲しかろうと如月は拳を握り締めた。
海岸沿いの道をゆっくりと進む、ギルドの支部なんかへのあいさつはいつでもいいだろうなどと考えつつ吉永との一年ぶりの再開に心を躍らせる。
崩れて一階のみになっているホテルの先に進み、営業されてないお土産屋を越えると廃材で建てられたであろう小屋を見つけた。
ボロいがしっかりとした作りを見せている、塗炭と板きれで出来た扉がスムーズに開いて初恋の男が出てきた、純朴な田舎に居そうな好青年と言った顔立ちをした愛しい男…昔は少年のような目をしていたが今は一端の男の様な目つきに変貌している。
「吉永!」
喜色満面の笑みで手を振ってみると吉永は微妙な表情を見せて近寄ってきた。
「すみませんがどなたでしょう、ここには立ち入らないでくださいと申したはずです」
一年前とは違う抑揚のない声、覚えられていないのかと如月は混乱する、目の前の吉永は値踏みするような目で見て合点がいったように相槌を打った。
「ああ、中隊長。如月大尉ですか、なんの用でしょう」
それでも冷たい声、何に対しても興味がないような目で如月を見つめてくる。
「…大尉はよせ、今のあたしはただの如月后だ。ため口でいい」
そう言い放つと顎に手を当てて僅かに考えこんだ後頷いて口を開いた。
「わかったよ、何か用?」
それでも聞いてくる言葉は変わらない、変わらずの冷たさだ。
「お前…何があったんだ、昔はそんな人間じゃなかっただろう?」
そう聞くと吉永は眉を潜めた、初めて向けられた吉永の怒りとも悲しみともどちらでもない感情を向けられ如月は内心困惑する。
「…如月さん、貴女に話す事は何もない。お帰り願います」
明確な拒絶、吉永はそう言い残すとさっさと家の中に引っ込んで行ってしまう、如月はその後ろ姿を見てため息を吐く…一体全体何が悪かったのだろうかと悩むが答えは出ない、脳裏に浮かんだ物と言えば目的を話せなかった事だけだ。
如月は肩を落としてその場から立ち去る、その様子を吉永は家の窓から覗き見て安堵の息を吐いた。
(すみません如月さん)
心の中で謝罪し畳の上にある座布団に座る、テーブルにはたくさんの空き瓶…種別はウィスキーやら日本酒やら焼酎やらだ、その中の未開封である酒を手に取って瓶ごと呷る。
こんな姿は見せられない、酒に溺れた姿を嘗ての戦友になど…吉永がすっかり酔い潰れた時は深夜を回っていた。
布団も引かず死んでいるみたいに眠りに着く吉永…拾って修理した時計はもう昼過ぎを指していた、吉永の嗅覚センサーが食事の匂いを捉え、聴覚センサーが何かを煮る音を聞いた、目を開けると昼でも薄暗い小屋の屋根を映し出した。
電脳が痛む、質の低いアルコールを摂取した為人工筋肉の機能が低下している、頭を摩りながら上半身を起こすとボロボロの毛布が自分に掛けられて居ることに気がついた。
テーブルの上に置いてある拳銃を探すが見当たらない、諦めて視線を厨房に移すと一年前までは日常に居た女性が似つかわしくないエプロンを纏って料理をしていた、一瞬電脳がとうとう故障したかと疑うが異常は出ていない。
「お、起きたかネボスケ。もう少しで飯が出来るから待っていろ」
あの日常の如く、幾度も電脳が見せた夢の如く彼女は微笑む、吉永は乾いた喉の奥から声を絞り出す。
「僕は帰れって言ったぞ…!」
そんな精一杯の拒絶を如月は鼻で笑った、盆に味噌汁と白米…海で取れた奇形魚の塩焼きを乗せてこちらに向かってきた。
「食え」
ぶっきら棒な言葉とは裏腹に盆は優しく置かれた、据え膳を見て如月を見て据え膳を見て如月を見て…それを数回繰り返して如月の胸倉を掴んだ。
「何故来た!僕は帰れって言ったぞ!!」
キスをしない程度に顔を近づけて怒鳴る。
「食え」
話にならない、彼女を突き飛ばすと彼女は容易く畳の上に倒れた、その上にのしかかり再び胸倉を掴み、締め上げる。
「もう僕に関わるなよ!僕はあんたが知っている吉永じゃないんだ!これ以上関わるようなら…」
彼女が血色のいい唇を動かす。
「関わるようなら…なんだ?言ってみろ」
そうはっきりと尋ねられ口籠る。
「言ってみろ、言え!」
彼女の凛とした声が響き窓ガラスが揺れる。
「…ぶ、ぶん殴るぞ。ウソじゃない、本気だ!強化人間のフルパワーで思い切りぶん殴るぞ!それだけじゃない…もっと酷い事するぞ!」
子供の方がまだマシな脅し文句をつけるだろう、予想通り如月はにっこり笑い自分の服に手をかけた、ゆっくりとボタンを外す如月。
「な、何を」
ボタンにかけた手を止めた如月は綺麗なブラウンの瞳で吉永を見つめた。
「するのだろう?すればお前の気が晴れるのだろう、なら好きにするといい」
そう言って彼女は花畑にも劣らぬ微笑みを見せた、熱くなっていた吉永の頭が冷える…なんでも無いような表情をしている彼女だが手が僅かに震えている、吉永は次に自分の振り上げた拳を見る。
人工筋肉が膨れ上がり人間に当てたら粉々になるであろう威力でぶん殴ろうとしているのが理解できた、彼女から手を離して後ずさる。
「ち、違うんです。本気で殴りたかったわけじゃないんです…」
忘れていた自分のパワーを思い出す、一年前の浄水場で巨大な自立機械の首をネジ切った自分の腕力を思い出す…こんな力で如月を殴ったらとゾッとする。
「……何、別に構わんさ」
どうやらどちらも本気だったらしい如月后は男をダメにしそうな言葉を口走りながら乱れた着衣を整える。
「さて、話してくれるのだろう?」
如月はそう言って聖母のように…または娼婦のように笑って見せる、どちらとも付かない微妙な笑顔に逆らえないと覚悟を決めて吉永は口を開いた。
「…無くなってしまったんだ、全部」
諦めたような口調で吉永は語る、座布団を如月に勧めて自分は壁際に背を当てて座り込む、どことなく浮浪者みたいな佇まいだ。
「守りたかった物も思い出も…全部焼けちゃってたんだ。家族を守るんだー、故郷を守るんだー…そんな青臭い事を言って僕は兵士になったんだ…だけど」
吉永は似ているようで似ていないポートイーストを眺める、ここからなら昔自分が愛した故郷に見える…ここに住んでいるのはただそれだけ。
「戦う理由なんてどこにも存在していなかった、僕が徴兵されて三ヶ月…火星の海兵隊がここを襲撃したらしく、その時に全部」
もう吉永には何も残っていない、親から貰ったもの何一つ残ってはいない…肉体ですら戦争中に無くしてしまったのだ。
「全てを世界に捧げたけど、世界は何一つ守ってはくれない…それどころか返してもくれないんですよ、もう親しい人も愛しい人も失いたくない」
故郷も家族も守れなかった負け犬、それが今の吉永貞治だ、何も誇る物もなく…ロボットのように無為に過ごす毎日、そんな吉永を見て如月はある事を確信する。
こいつは誰かが近くにいないとだめになってしまう人間だと…吉永が話した過去は今のご時世さして珍しくもない、如月だって月の落下による衝撃と津波で家族全てを失っている…吉永と如月の違いはそれが全てだったか否かだ、吉永は他に何も持っていない…そして吉永は何かがないと生きていけないめんどくさい男なのだ。
ならばと如月は覚悟を決める、このめんどくさい男の傍に一生居てやろうと。
「吉永」
最後の戦場で吉永がやってくれたみたいに抱きしめてやる、お互いの傷を舐めあう関係か…それともお互いに寄生しあう関係か、今はよくわからないがこれでいいと如月は吉永の耳元に唇を近付ける。
「あたしがお前の存在理由になる、もう決めた」
吉永はその囁きに頷く事しかできない、二十年も生きていない二人の子供の同居生活が今この時より始まった、如月の囁きは悪魔の囁きであったが悪魔よろしく堕落させるなんて事はさせなかった。
如月が用意した食事を摂っている間に彼女は吉永の収支を確認する、時たま気が向いたときだけ働いていると簡単に予測できた、ある程度まとまった金が手に入ると大体酒を購入して溺れる生活を繰り返している、如月の呆れたような呻き声に吉永は頬を僅かに赤く染めた。