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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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親愛と友愛



 居住まいを正したフレインが、壁際にたたずむアルフラへ声をかける。


「これから話す内容は、アルフラさんの今後にも大きく関わることです。心してお聞き下さい」


 浮かない顔をしたアルフラの肩をシグナムが抱き寄せ、寝台へと座らせた。

 シグナムとルゥがその左右に腰掛け、目顔で話をうながす。


「まず、ギルドの動向です。これは道すがらシグナムさんにもお話しましたが、現在我々はギルドに属するあらゆる人員を(もち)い、子爵位の魔族とホスロー様の行方を捜索しています」


 こくこくとルゥがうなずく。珍しく真剣な面持ちだったが、実際のところあまり興味もなく右から左へと聞き流していた。


「捜索は難航しており、現時点では一切の手がかりが見つかっていない状況です。また、私やサダムの方でもギルドに対し、ある程度の誘導を行っておりますので、真相はこのまま闇の中といった具合になるでしょう」


 朗報といえるフレインの報告にも、アルフラの表情は依然かんばしくない。その内心は“甘くて美味しいクッキー”の思い出に、いまだ捕われたままだった。


「アルフラさんにつけられていた監視も、今では一人だけとなっています。ただ、これは形式的なものであって、サダムの命によりその見張りの者もホスロー様の捜索に駆り出されているのが実状です」


「じゃあ今は、誰もアルフラちゃんを監視してないのか?」


「はい、そうなりますね」


「だったら王都を離れるには好都合だな」


 その言葉に、はっとアルフラが顔を上げる。


「シグナムさん、あたし王都を離れたく――」


「待ってくれ、アルフラちゃんは白蓮って人のこと気にしてるんだろ?」


「うん……」


「なあ、フレイン。あんたの方から白蓮さんに連絡をつけることは出来るか? アルフラちゃんが王都から居場所を移すから、そっちへ会いに来てくれって」


「それは……」


 しばし黙考したフレインが一つうなずく。


「おそらく可能です。ギルドと接触している魔族の間者は使えませんが、サダムが個人的に情報を流している魔族になら頼めるでしょう」


「えっ、ほんとに!?」


 血の気の失せていたアルフラの顔に朱が差し、弾んだ声でフレインに尋ねた。


「ええ、ですが今、逃げるように王都を後にすれば、アルフラさん達へ疑いの目が向くことは確実です。少し状況を見守った方がよいでしょう」


 だが、アルフラは勢いよくかぶりを振る。


「あたし、白蓮のことが大丈夫なら国境の方へ行ってみたい。だって、もうカンタレラには貴族の血、入ってないんでしょ?」


「それは――」


「だったら魔族の領域へ行って、爵位の魔族と戦いたい」


「ア、アルフラちゃん!? いくらなんでもそりゃ無茶だ! 魔族の領域なんて敵だらけなんだよ。強い魔族だってごろごろ居るだろうしさ。死にに行くようなもんだ」


「ボ、ボクも魔族の領域なんてゆきたくないよ。ねぇ、アルフラ、やめようよぉ」


 シグナムとルゥが両側から説得にかかり、フレインもまた焦った顔でなんとかアルフラの無謀な考えを諦めさせようとする。


「アルフラさん、確かにあなたはとても強い。ですが、魔族の領域には途方もない力を持つ魔族が無数に存在しているのですよ。右も左も分からないような土地で敵に囲まれれば、命を無駄にするだけです」


 さすがにアルフラも、全員からの猛反対を受け、すこし自信のなさ気な顔をする。


「で、でも、ギルドはあたしに戦わせてくれないじゃないっ! このまま王都に居たんじゃいつまでたっても白蓮を取り戻せないよ!」


「アルフラちゃん。白蓮って人はもうすぐ会いに来てくれるんだろ?」


「白蓮と会えても……きっとまた西の方へ行けって言われるだけだよ」


 いじけた子供のようにアルフラはうつむき肩を落とす。


「高城が来たときもそう言ってたし、白蓮は会ってもくれないで帰っちゃったし…………やっぱりあいつを――戦禍を殺さなきゃ白蓮は取り戻せない……」


 やや涙声になってきたアルフラのつぶやきに、なんともいえない重苦しい雰囲気が室内に満ちる。

 誰もが言葉を発しあぐねる中、フレインが大きく息をついてアルフラに語りかけた。


「アルフラさんは力が欲しいのですよね? 力ある魔族の血が」


 うつむいたままアルフラはうなずく。


「もう少しだけ、我慢して貰えませんか? 私がなんとかします――私が必ずアルフラさんの望みを叶えますから」


「ほんとに?」


「ええ、今では私も宮廷付きの魔導士です。持ち得る権限のすべてを使ってでも、アルフラさんのために尽力します。そう、約束したではありませんか」


 鳶色の瞳がじっとフレインを凝視し、かなりの無理難題を押し付ける。


「二、三日だったら待ってもいい」


「に、二、三日……ですか……?」


「うん」


「あ……いえ、さすがそんなすぐにどうこう出来る話では……」


 期待に満ちた眼差しが、フレインの口をつぐませた。


 期せずして、魔性の女作戦が発動する。


 見た目だけは虫も殺さぬ可憐な面立(おもだ)ちが、恋する青年には決して否とは言えない強制力を発揮していた。


「……わ、わかりました。ですがもう少し猶予を下さい。せめて、二週間ほどは……その間になんとか目処(めど)を立てます」


「なるべく、早くがいい」


 ゆらぐことなく見つめてくる大きな瞳から、視線を外せなくなっていたフレインは、乞われるままにうなずいてしまう。


「ぜ、善処します。ギルドに備蓄されているカンタレラも、優先的にアルフラさん達へ届くよう手を回してみましょう。ですからアルフラさんも、その間は無茶な行動を起こさないで下さい」


「ん、わかった」


 興味深げにそのやり取りを見ていたルゥの頭を、シグナムがこつりと小突く。



「ルゥ、変なこと覚えなくていいからな」





 あらかたの話を終えたアルフラたちは、午後の時間を中庭の修練場で過ごすことにした。

 すでに十人ほどの戦士が木剣を手に訓練を行っており、アルフラたちへ挨拶の言葉が投げられる。

 通常であれば、夕刻までは多くの戦士たちが練武に励んでいるのだが、ほとんどの者が捜索任務のため出払っているようだった。


 練習用の木剣の中では最も大振りなものを選んで手にしたシグナムが、にっと口許に笑みを作る。


「どうだいアルフラちゃん。久しぶりに軽く手合わせしてみないか?」


「え、でも……」


「なあに、遊びだよ。お互い怪我はしない程度にさ」


「……楯は、持たないんですか?」


「ん、ああ。ここには小型のやつしか置いてないから使い勝手がいまいちね、悪いんだよ」


 気が乗らない様子のアルフラを、シグナムが軽く煽る。


「どうした? 別に怖じけづいたわけでもないんだろ」


「そんなことないけど……」


 むしろアルフラが危惧したのは、シグナムに勝ってしまうのではないか、ということだった。


「どうした? ほら、構えなよ」


 困惑するアルフラがどうしようかと悩んでいると、二人のやり取りを遠目に見ていた戦士の一人が近づいて来た。


「おい、ねぇさん。もしかして嬢ちゃんとやるのか?」


「ああ、軽くな」


 声をかけて来たのは、午後からの時間が非番ですこし汗でも流そうかと修練場へ出て来たバイケンだった。


「こいつは運がいいな。滅多に見れないようなもんが拝めそうだ。――おいっ、野郎ども! ちょっと集まれ」


 わらわらと集まって来た戦士達を見てシグナムが苦笑する。


「ははっ、これじゃ今さらやらないとは言えないね」


 バイケンはアルフラから不機嫌そうな目で睨まれていることも気づかず、集まった戦士達とどちらが勝つかで賭けを始める。

 口々にアルフラとシグナムの名が叫ばれ、結果は四―六でアルフラの優勢というオッズが出た。

 そしてバイケンは誰も賭けなかったところへ張り、総取りを狙う。


「おい、見物するのは構わなねぇけどよ、あたしらで賭けるなら金取るぞ」


 不利と見られたシグナムは少しかちんときたらしく、荒い口調で毒づいた。


「まぁまぁ、いいじゃねえか。最近俺らも不規則な任務続きで娯楽に飢えてるんだよ。もし俺が勝ったら酒でも飯でも好きなだけ奢るからさ」


「……忘れるなよ、その言葉」


 にやりとしたシグナムの目がキラリと光る。ルゥの目もギラリと光っていた。


 フレインが、私は知りませんよ、といった顔で一歩さがる。


「よし。じゃ、始めようぜ、アルフラちゃん」


 周りでお膳立てがされてしまい、アルフラは仕方なしに木剣を構える。

 シグナムはやや距離を取り、上段に構えた。


 間合いに勝るシグナムは、アルフラの踏み込みに警戒しながら様子を(うかが)う。ゆるやかに上下するアルフラ胸を注視し、その呼吸を計っていた。


 かつて国境の砦で手合わせしたときには、シグナムはそれほど労することなくアルフラをあしらうことが出来た。それは技量や身体能力の違いではなく、単純に経験の差だとシグナムは分析していた。だが、今ではその優位性もあらかた消えている。

 アルフラはこの半年の間におそろしく密度の濃い戦いを経験して来たのだ。


 それでも――と、シグナムは思う。


 負ける気はさらさらない。

 それは、十年に及び剣を頼りに戦場を生き抜いて来た、シグナムの強固な自負心によりもたらされるものだった。


 アルフラの呼吸を読み、それに合わせて息を整える。

 命を張る傭兵達の寿命は短い。その中で、十年の歳月は老練ともいえる技術をシグナムに身につけさせてくれた。


 異常に鋭いアルフラの踏み込みを知るシグナムは、呼吸を合わせてその初動を待つ。だが、正眼(中段)に構えたアルフラは、みずから先に動くつもりはないようだった。

 らしくない消極さだ。


「チッ」


 このままでは埒が明かないと感じ、シグナムは上体を振りざま前へ出る。

 上段から振り下ろした木剣は、アルフラの持ち手の浅い箇所を狙っていた。

 木と木の打ち合わさる硬い音が響き、切っ先に近い部分を払われ軌道が逸れる。

 最小限の動作でシグナムの一撃を流したアルフラは、小手先に牽制の突きを入れながら後ろへ下がる。


 間を外されることを嫌ったシグナムは、足を止めず前に出ようとした。――が、執拗な刺突(しとつ)の連撃がさらに手元を狙ってくる。


「クッ!」


 アルフラは足だけではなく手の速さも尋常ではない。


――おそろしく、やりにくい


 一旦間合いを外し、仕切り直しとばかりに木剣を一振りする。

 ぴたりと、アルフラはふたたび正眼に構えていた。


 さらに数合、同じような攻防が繰り返される。

 間合いに優れるシグナムが前に出て、アルフラが牽制(けんせい)を交えつつ距離を置こうする奇妙な流れが出来ていた。


 はた目に見れば、間髪の隙からでも一瞬で勝負を決める技量を持った両者が、互いに攻めあぐねいているようにも見える。


 ――――だが、


 シグナムに一つの疑念が湧く。

 もしそうであれば、とても我慢のならない推測。

 消極的なアルフラの動きから、それが確信に変わる。


「シ、シグナムさん?」


 急に険しくなったシグナムの目つきに、アルフラが不安そうな声を出した。


「なんで本気でやらない?」


「え……あたし――」


 アルフラの言葉をさえぎり、シグナムは修練場の土を蹴り上げ一気に距離を詰めた。

 虚を突かれたアルフラだったが、眼前に舞い散る土埃には反応せずシグナムの動きに対応する。


 胸元への薙ぎ払い。

 力任せとも思える強打は、アルフラの木剣に弾かれ空を斬る。

 出足を止めようと襲い掛かった牽制の刺突を、しかしシグナムは左腕で払って強引に前へ出た。


「――――ッ!?」


 アルフラの空いた胴への斬撃。

 木剣の切り返しが間に合わず、伏せるような低い姿勢を取りなんとかしのぐ。

 だが、下がった上体をシグナムの長い足が蹴り飛ばした。


「くっ――!」


 鋭い呼気がはき出された。

 アルフラは大きく飛びのき、驚いた顔でシグナムを見つめる。


「シグナム……さん……?」


「ははっ、どうだい? さすがに今のは肝が冷えたろ」


 実際には蹴り飛ばされたというより、アルフラはみずから後ろへ跳んでいた。

 もちろんそのことはシグナムも理解している。


「まったく……」


 ぺっ、と地に唾を吐いたシグナムの表情に怒気がにじむ。


「手加減なんてされるのは何年ぶりだろうな。剣を握るようになってから、とんと覚えがないね」


「そんな……あたし、手加減なんてしてない……」


「でも、本気ではやってねぇだろ?」


「……」


 唇を噛んだアルフラに、シグナムは軽く舌打ちする。


「なあ、お互いさ、木剣で打たれたくらいでどうにかなるようなヤワな体はしてないだろ」


 ふたたび正眼に構えたアルフラを見て、シグナムは首を振る。


「本気で来なよ。勝っても負けても恨みっこなしだ。あたしはさ、前から一度アルフラちゃんと本気でやり合ってみたいと思ってたんだ」


「あたしは、あんまりシグナムさんとは……」


「あのさぁ、まさかとは思うけど、あたしに勝っちまったら気まずくなるとか思ってんのか?」


「……」


「図星を突かれると黙り込む癖、直した方がいいよ」


 うっ、と呻いたアルフラの顔が歪む。

 よけいシグナムを怒らせてしまったのではないかと思い、アルフラはその表情を伺う。

 だが、さきほどまで険しかったシグナムの目は、凪いだように穏やかだった。


「アルフラちゃんはさ、まだガキの頃に両親を亡くしちまったんだろ?」


 急な話題の変化にアルフラは戸惑う。


「そのあと育ててくれた人達にもほっぽり出されて、魔族と戦おうと決めたんだよな?」


「……うん」


「そして、一人でどうしていいかよく分からない時に、あたしと出会った」


 アルフラは、何を言いたいのかよく分からないといった顔をしていた。


「急に一人ぼっちになっちまったんだ。心細かっただろ?」


「……すこしだけ」


「今でもアルフラちゃんの身近にはさ、同じ年頃のルゥやジャンヌ、ちょっとはましだがそれでも頼りなさそうなフレインとか、そんなのばっかりだもんな」


 急に矛先を向けられたフレインがびくりとする。


「自分で言うのもアレだけど、アルフラちゃんが頼れそうなのってあたしくらいだろ?」


「うん、シグナムさんには感謝してる」


「両親が死んで育ての親も居なくなって、周りには微妙に頼りない奴ばっかで……だったら――」


 夜の深さを思わせる瞳が、真摯にアルフラを覗き込む。


「――あたしに(うと)まれるのは、さぞ怖いんだろうね」


 アルフラは絶句する。


「ほら、また黙り込む」


「あ、あのっ……えっと……」


「あたしも、アルフラちゃんと出会えて幸運だったと思ってるよ」


「……え?」


「最初の頃はさ。周りはむさ苦しい野郎ばっかで、アルフラちゃんも萎縮してたろ? あんまり自分からどうこうしたいとも言わないで、あたしに依存してたよな」


 顔を赤くしたアルフラは、覚えがあり過ぎるだけに何も言い返せなかった。


「あの頃はあたしも、アルフラちゃんを守ってやんなきゃって気になってて、すこし子供扱いしすぎたのかもな」


 それは世間知らずなところのあるアルフラと世慣れたシグナムとの差を考えれば、ごくごく自然なこととも言えた。


「でも今じゃあ違うだろ? まあ考えなしで無茶なところは相変わらずだけど、ちゃんと自分を主張出来るようになったし、いろんな意味で強くなった。――――本当に、びっくりするほど強くなったよ」


 今まであまり語られたことのなかったシグナムの心情に、アルフラは呆然と聴き入っていた。そして、くしゃりと顔を歪め、誇らしげな笑みを浮かべる。


「あたしの背に隠れてた頃の小娘じゃ、なくなっちまったね」


 シグナムからも、初めて見るような艶を含んだ微笑みが返された。すこし寂しげではあるが、柔らかく女性的な笑みだ。


「アルフラちゃんは、もう一端(いっぱし)の戦士だよ」


 優しく告げられたシグナムの言葉に、ぽろりと、アルフラの頬に涙が伝った。

 ある意味シグナムは、アルフラにとって人としての理想像だった。

 女離れした屈強な体格と女性的な肉体美を(あわ)せ持ち、女ながらに多くのいかつい男たちから一目おかれて頼りにされていた。世情にも通じており、何事も一人でこなせる自立した大人の女性だ。

 こうありたいと願った憧れの存在から、いまアルフラは認められたのである。


「シグナムさんの、おかげだと思ってる」


「いや、アルフラちゃんのお手柄だよ」


 思わずこぼれてしまった涙を、アルフラは恥ずかしそうに拭う。


「……ありがとう……ございます」


「アルフラちゃんはあたしの大切な仲間だ。十年間傭兵をやって来た中で、最高の戦友だよ」


 これまで、アルフラがシグナムへ向けてきた親愛の情は、友愛で返された。


「今なら対等さ。な、やろうぜ――本気で」



「はい!」





 かつてアルフラは師である高城に、正眼の構えはあらゆる剣術の基本であり理想型だと教わった。


 相手の喉元に剣先を向けるこの構えは、守りに固く攻めに転じやすい。

 まず、相対した者は対角線上に置かれた刀身により、間合いが詰めにくくなる。

 さらには、中段正中線の構えなので、受けに回っても対応力に富んでいる。

 加えて、剣術におけるあらゆる動作の中で、刀身が相手へ届く最短の軌道を辿る刺突へも繋ぎやすい。

 汎用性においては、これに勝る構えはないと言っても過言ではないだろう。


 だが、アルフラはこの構えを崩す。

 シグナムの望みに応じ、木剣を右手のみに持ち替え、切っ先をだらりと地に垂らす。


 地ずり八双――アルフラが最も得意とする型だ。

 初めて命を奪った――フェルマーを殺した時の型でもある。


 アルフラは、これ以上もなく本気だ。


 対するシグナムは、初めて見る奇妙な構えに軽く目を見開きながらも、アルフラの雰囲気が一変したことを感じ取っていた。


 まずいな、これはまずい――と、自然に笑みが浮かび上がる。


 もしその笑みを、かつて好戦的な気質と死を恐れぬ勇猛さから、狂戦士と呼ばれた古代人種達が目にすれば、これは間違いなく我らの眷属だと認めたであろう。そんな笑みだ。


 高まる緊張感に、集まった戦士達も賭けのことなど忘れ、ぶるりと身震いをした。


 アルフラは表情を消し集中力を高め、シグナムは笑みを深め戦意を昂揚させる。


 バイケンが、低くつぶやく。


「お、おいおい……こいつは殺し合いじゃないんだぞ……」


 ゆらり、とアルフラが糸の切れた人形のように前方へ倒れ込む。


 本来であれば、後の先を取る防御の型である八双を、アルフラは攻撃的に扱う。


 かしいだ体が地につくかと見えた瞬間、爆発的な瞬発力が地を穿っていた。

 えぐれた土を後方に、瞬きの間もなく自らの間合いへ。


 変わらず上段に構えていたシグナムは、人の知覚極限の反射で迎撃する。

 十全にたわめられた筋肉が、高速で飛ぶ野鳥を射抜くかのような精密さで、力を解放した。


 振り下ろされた斬撃に重ね合わせるように、アルフラは木剣を斬り上げる。

 微かな角度をつけ割り込んで来た刀身に、互いの木剣は軌道を逸らされる。

 アルフラは半身を捻りながら振り上げた木剣を斬り下ろす。

 対して、振り下ろされた木剣はアルフラの肩口を掠め、地を強打する。シグナムは慣性の力に逆らい、アルフラの二ノ太刀を打ち払らおうとした。

 だが、間合いの深くにまで入り込まれてしまっていたため、長い木剣では対応出来ない。


 身をのけ反らせたシグナムの胸が、したたかに打たれる。しかし、アルフラの腹にも木剣の柄頭が叩き込まれていた。


 グッと息をはいて上体を折ったアルフラの頭上から、シグナムの悔しげな声が響いた。


「くそっ、負けた」


 うずくまったアルフラへ手が差し延べられる。


「相打ち、だと思います」


 アルフラは手を借りることなく立ち上がり、首を振った。


「たぶん実戦だったら、しゃがみ込んだときに、あたしトドメ刺されてた」


 すこしつらそうに腹部を押さえるアルフラに、シグナムもまた首を振る。


「いや、アルフラちゃんはトドメ刺しても死にそうにないからなぁ」


「シグナムさんだって、ちょっと斬ったくらいじゃ死ななそう」


 笑い声をあげた二人に、戦士達からの惜しみない賛辞が贈られる。

 バイケンも興奮した面持ちで駆け寄り、ばしばしと肩や背を叩く。


「いやー、本当いいもん見せて貰ったぜ。最後は早過ぎてよく分からなかったけどよ、まばたきくらいの一瞬だったな!」


 人垣が出来た輪のうしろで、ルゥがぴょんぴょんと跳びはねる。


「ねぇ、結局どっちが勝ったの?」


「んー……」


 顔を見合わせたアルフラとシグナムが唸る。


「引き分けでいいのかな」


「ですね」


 両者共に、まあ満足な結果だったらしく笑顔でバイケンを見つめる。


「ん? ああっ! それなら俺の一人勝ちだな!!」


 戦士達から悲痛な叫びがあがった。

 だが、一番の出費を強いられるのはおそらくバイケンだ。


「あんたが勝ったら好きなだけ飲み食いしていいんだよな?」


「やった」


「ああ、いいぜ。だいぶ儲けさせて貰ったからな。お安いもんだ」


 以前にエール二杯で沈んだバイケンは、その時の惨状を知らない。


「よしっ。ジャンヌが帰って来たらカミルも連れて今夜はパーティーだ!」


 上機嫌なシグナムに、バイケンも楽しげだ。


「おう、やっぱ飲む時はパーッと行かなきゃな」



 その背後で、いつでも腹ペコ狼少女――食卓の白い悪魔が獲物を見る目でバイケンを凝視していた。

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