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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
92/251

魔王の酒宴



 夏の日の朝。

 まだ太陽は遠く中天には届いていない。だが、明かり取りの窓からは強い日差しが照り付け、室内には北方ではありえないような蒸し暑さがあった。

 白蓮は周囲に冷涼とした大気をまといながら、優雅にハーブのお茶などを(たしな)んでいた。

 そこへやや慌て者の()がある黒エルフの王女が、たいへん、たいへんと口走りながら駆け込んでくる。


「なに? 騒々しいわよ」


「へんたいです白蓮さま!!」


「……だれが変態ですって?」


「あっ、まちがえました。たいへんなんです白蓮さま! 灰塚さまが、灰塚さまがぁ」


「……? 灰塚がどうしたというの?」


「それが……ほ、北部と南部の盟主さまをお連れになられているんですっ」


 ティーカップを受け皿へ戻した白蓮は、微かに首を傾ける。


「北部の盟主……」


 以前にかの老魔王と面識のあることを思い出した白蓮は、きっぱりとウルスラへ命じる。


「丁重にお引き取り願いなさい」


「そ、そんなぁ、北部と南部の盟主さまですよ!? あたしに追い返すなんて……」


 無茶苦茶な仕事を求められた黒エルフの王女は半べそ気味だ。

 さすがにウルスラでは荷が勝ちすぎるかと感じた白蓮は、高城の所在を問う。


「雷鴉を呼びにやらせた高城は、まだ戻らないの?」


「高城さまはまず魅月様の部屋へ向かわれましたから、もうしばらくは戻られませんよぉ」


 鼻声で答えたウルスラが、あたしには無理ですと全身で訴える。


「……いいわ。灰塚も南北の盟主を(ともな)って来るくらいだから、何か大切な話があるのでしょ。通って貰いなさい」


「わ、わかりましたっ」



 ウルスラは来た時と同じく、飛ぶように駆けて行った。





「……え? お姉さま、お会いなさるの??」


 呆然とした声で尋ねる灰塚へ、会見を求めたのはあなたじゃないですかっ、といった表情でウルスラが頭をこくこくさせる。


「ほう、こうもすんなり事が運ぶとはのう」


 鳳仙(ほうせん)は嬉しそうに、嫌らしそうに目尻を垂れ下げる。

 口無(くちなし)もしきりにうむうむと頷いていた。

 灰塚としては、高城あたりが出て来て如才なくむさ苦しい男共を追い払ってくれると思っていたのだが……


 ウルスラは二人の盟主にぺこぺこしながら案内に立つ。

 黒エルフの王女に先導され、灰塚は隣を歩く口無を肘でつつく。身長差がかなりあるので、腰骨の辺りを。


「あなた、いつものくだらないお喋りでお姉さまの機嫌を損ねたら、しょうちしないわよ」


「おお、愛しの灰塚様の願いとあらば、私は物言わぬ貝にもなりましょうぞ!」


 次に灰塚は、鳳仙の耳元で凄味を利かせる。


「お姉さまに結婚してくれなんて言いやがったら焼き尽くしてやるからね!」


 にゃむにゃむと頷く老魔王。そしてなぜか口無が身悶えていた。


「ああ、我が美しの君よ。私はすでに身も心も愛の炎に焼かれておりますればっ! 頑強を持って知られる我が身であっても、これ以上の熱情に堪えうる自信はございません」


「ちょっとっ、貝はどうなったのよ!」


「おお、そうでしたな」


「……いいからあんたは黙ってなさい」


 本当に分かっているのかと、灰塚はがしがしと肘打ちをくれる。


 やがて続きの間を抜けた三人の魔王は、白蓮の待つ部屋へと通された。

 くつろいだ様子で白い卓の前に腰掛けていた白蓮は、流れるような所作(しょさ)で立ち上がる。


「ようこそおいで下さいました。私は白蓮。お初にお目にかかります」


 優美に腰を折り、白蓮はよそ行きの微笑みを浮かべる。


「北部の盟主、鳳仙様と、南部の盟主であらせられる口無様でございますね?」


 鳳仙は無言で頷きつつも、まじまじと白蓮の顔を見つめる。

 口無は目に映るあまりの造形美に絶句していた。――とても珍しいことである。


 白蓮の普段とは明らかに違った物腰と物言いに、灰塚はかるく目を見張っていた。

 そして猫を被った白蓮もやはり素敵だなあ、と感じる。そういえば皇城で初めて会った時にはこんな感じだったと思い返しながら。


「こたびはいかような用向きでのご来訪でしょうか?」


「用というほどの事でもないのじゃが……そなたとはやはり以前にも、()うたことがあるな?」


 鳳仙はじっと白蓮の目を凝視する。


「あら、お姉さまはこの助平爺と面識がございますの?」


「いえ、記憶にないわ。おそらくどなたかと勘違いをなされているのでは?」


 慎重な口ぶりで、鳳仙は疑問を差し挟む。


「……そなたのような容姿を持った者、そうそう見間違うこともないと思うのじゃがのう」


「鳳仙様のようなやんごとなき殿方とお逢いしたのであれば、私も記憶に残らないといったことはございませんわ。――ねぇ、そうは思わない。灰塚?」


「えっ?」


 いきなり話を振られ、灰塚が困惑の声を上げる。だが事の真偽はともかく、どうやら白蓮は鳳仙と初対面という事にしたいようだと察する。


「鳳仙、そろそろボケが始まったんじゃないの? お姉さまがそう言ってるのだから、お前の勘違いよ」


「……ふむ、よかろう。ずいぶんと昔の話ではあるしの。それに儂としてもその方が都合もよい」


「……」


「なんせ、戦禍帝の想い人に求婚したことがあるなど、あまりに外聞が悪いからのう」


「なんですって!」


 枯れたような声で笑った老魔王を、灰塚が睨みつける。


「この爺、よりによってもうお姉さまに――」


「灰塚。聞いていたでしょう? 鳳仙様とは今日初めてお会いしたのよ」


「え……? ああ、そうでしたわね」


 肩をすくめた灰塚の隣で、それまでおとなしくしていた口無がにこやかに笑う。


「いや、しかし……本当にお美しい。我が麗しの君が姉と呼び慕うに相応しいお方でありますな。その美しさは人の――いやさ、あらゆる生命の域を越えている。たとえるなら……そう、雄大な自然を目にしたとき、身の内を震わせる原初の感動のように――」


「口無! なかなか的を得た言葉だけど、しばらく口をつぐんでいてちょうだい」


「おお、これは失礼した」


 いつもは無表情である白蓮の顔には、笑顔が張り付いている。

 むしろ灰塚にはそれが怖い。


「では、魔王様方と同席するというのも厚かましいかとは思いますが、立ったまま話をお伺いするのも非礼でしょう。どうぞ席に着かれて下さい」


 ()し示された飾り椅子に腰を落ち着けた鳳仙と口無が、しきりと部屋の一点を気にしていた。


「ところで、そちらの可愛らしい娘御はどなたかの?」


 鳳仙が向けた視線の先には、部屋の隅でぷるぷると身を縮こまらせた傾国が立っていた。


「あら、傾国。あなた居たのね」


 灰塚が猫の仔にするように、くいくいと指先で呼びかける。


「ほら、そんな隅っこに居ないでこっちへおいでなさい」


 ふえっ、と吐息をもらした傾国が、涙をこぼしながら灰塚に抱き着く。


「灰塚ぁぁ…………傾国は、傾国はぁ――」


「ちょ、ちょっと。あなたどうしたのよ??」


「傾国は、女になってしまいましたっ」


「………………は?」


「白蓮さまがっ、白蓮さまが~~」


 ひっく、ひっくとしゃくり上げる傾国を胸元にぶら下げ、灰塚は物問いたげな顔を白蓮へ向ける。


「……」


 白蓮は素知らぬそぶりでティーカップを傾けていた。

 灰塚の視線が白蓮からウルスラへと流される。

 黒エルフの王女は、苦笑しつつ首を横へ振っていた。


 得心入ったという表情で、灰塚は傾国を引きはがす。


「お前はなにか勘違いをしているわ」


「……え……?」


「いくらお姉さまでも、お前を女にすることは出来ないのよ」


「……そうなの?」


 傾国は涙目できょとんとする。その泣き顔があまりに可愛らしかったため、嗜虐心をかき立てられた灰塚だったが、人目もあるので安心させるように頭を撫でてやった。


「きっとからかわれたのよ。お姉さまはたまにそういった意地悪をなされるから」


「そうなの?」


「ええ、お前はまだ娘よ。………………………………………………………………………………………………………………たぶんね」


 ひくっ、と傾国の喉が鳴った。


 くすり、と灰塚がほくそ笑む。


「よう分からんが、意地悪をしておるのはお前の方ではないか?」


 鳳仙がやんわりと灰塚をたしなめた。そして感慨深げに傾国の顔に見入る。


「そうか、そなたが傾涯(けいがい)の忘れ形見じゃったか」


「……お父さまのこと、知ってるの?」


「うむ。いくらか交友があった。そなたはよう母君に似ておる。……あれはほんによい女じゃった」


 将来が実に楽しみじゃ、と傾国の顔を見ながら鳳仙はしみじみとつぶやく。――灰塚がすごい目で睨んでいた。


「ふぉっふぉっ。冗談じゃ冗談じゃ」


 和やかな(?)空気に包まれた室内。

 白蓮が灰塚へ、にっこりと笑みを送る。


「では、そろそろ話を聞かせてちょうだい」


「……はい?」


「なにか話があって来たのでしょ? 二人の盟主を連れて来るくらいなのだから」


「え……ええ、と」


 困った灰塚は、鳳仙に酒を出せと身振りで伝える。


「おお、そうじゃったの」


 鳳仙が白蓮の前へ酒壷を差し出す。


「儂の領地で造った酒じゃ。そなたの口に合えばと思うてな」


 酒壷を手に取り、白蓮はその口に鼻先を近づける。癖のない、強い酒気が漂っていた。


「これは……火酒?」


「うむ。幾種かの古酒を混合した最高級の上物じゃよ」


「あまり強い酒は好まないのだけど……せっかくですから味見させて頂きましょうか。――ウルスラ、杯の用意を」


「はい。ただいま」


 では、と白蓮が灰塚へ顔を向ける。


「そろそろ本題に入ってちょうだい。まさか南北の盟主が揃いも揃って、ただ酒を渡しに来たわけでもないのでしょ」


 白蓮の言葉から、嫌味や皮肉といったものは感じられない。本気でそう思っているようだ。


「う……」


 灰塚は助けを求めるように、鳳仙と口無へ視線を向ける。だが老魔王はついと目を逸らし、お喋り魔王は貝になっていた。

 挙動不審な灰塚の様子に、白蓮が眉根をよせる。


「……まさか、本当になんの用もないの?」


 灰塚としては、どうせ鳳仙と口無は追い返されるだろうと高を(くく)っていたのだ。

 言葉に詰まった灰塚を救ったのは、杯を両手に抱え、慌てたように駆けて来たウルスラだった。


「白蓮さまっ、高城さまが戻られました! 雷鴉さまたちをお連れです」


「そう……」


 白蓮は、鳳仙と口無に目をやり思案する。部外者が居れば込み入った話はしにくい。――とはいえ呼び付けた手前、雷鴉を待たせるというのも角が立つ。そう考えると、二人の盟主には早めにお引き取り願うのが一番だろう。そのほんのわずかな逡巡の間に灰塚が口を挟む。


「ちょうどいいわ。私も雷鴉には色々と問い正したいことがあったの」


 心なしか青ざめた表情で主の顔色をうかがっていたウルスラに、白蓮はうなずいて見せる。鳳仙と口無には、何か理由をつけて適当なところで帰ってもらおうと結論づけた。


「いいわ。雷鴉を呼んで来てちょうだい」


「あの、ですが――」


 何事かを言いかけたウルスラを灰塚が()かす。


「ウルスラ、さっさとなさい。あいつには二言も三言も言ってやりたいことがあるんだから」


「わ、わかりました」



 どうなっても知りませんよー、と謎の言葉を残し、ウルスラは戸口へ走って行った。





 すぐに戻って来たウルスラが扉を開くと、真っ先に飛び込んで来たのは魅月だった。


「お姉さまぁ!」


 椅子に腰掛けた白蓮へ、涙声の魅月が抱き着く。

 ぐすぐすと鼻を鳴らしているが、よく見ると涙は流れていない。――明らかな嘘泣きだ。


 さらに雷鴉と茨城が戸口をくぐる。


「鬼族――? どういうこと?」


 首にまわされた魅月の腕を邪魔そうにしながら、白蓮はウルスラへきつい眼差しを向ける。


「あ、あたしはちゃんとお伝えしようとしたんですよ。でも、灰塚さまが……」


「なによ。私が悪いっていうの? ていうか魅月! 下手な小芝居はやめなさいよ」


 それでも魅月はぐすぐすと泣きまねをし、戸口に立つ茨城を指さす。


「お姉さま、あの鬼女があたしのこといぢめるんですよぉ」


 魅月は口と同時に手も動かし、どさくさ紛れに白蓮の胸元へ右手を差し入れる。その手はさらにちゃっかりと薄い胸を揉みしだこうとしていた。

 すかさず灰塚が淫行夢魔を引っぺがす。


「あんた、イジメられて泣き出すようなタマじゃないでしょ!!」


 チッ、と魅月が舌を鳴らした。

 見た目は小柄でか弱そうな魅月だが、その性格は毒蛇に例えられている。それは周知であり、事実でもあった。


「フッ、夢魔の女王ともあろう者が情けない。そんなどこの馬の骨とも知れん女に泣き付きおって」


 魅月が凄まじい目つきで茨城を睨み上げる。


「アァン? てめっ、お姉さまになんて口ききやがる! 二度と覚めない悪夢の中に叩きこんでやろうかっ!?」


 普段は間延びした口調で話す魅月の豹変ぶりに、ウルスラの目が大きく見開かれる。

 茨城はまさに鬼のような形相で吠えた。


「南部の尻軽淫魔がほざくな!」


「東部の田舎モンがっ! お姉さまの前じゃ、ちょっと言えないようなえげつない夢見せるぞコラァ!!」


 魅月の本性を知っていた灰塚と雷鴉は呆れ顔だ。


「魅月、()が出てるわよ。そのお姉さまの前なのだからすこし(ひか)えなさい」


 すかさず魅月は白蓮へ泣きつく。


「ねっ、見たでしょ、お姉さま。あの鬼女があたしに酷いこと言うんですよぉ」


「私には、お前の言い様のほうが酷かったように思えるのだけど」


 めそめそする魅月を見る白蓮の目は、普段の数倍増しに寒い。

 千客万来すぎる客人と、あまりのごたごたぶりに、猫を被っているのが馬鹿らしくなったようだ。


 不意に、茨城の後ろから苛立たしげな声が上がる。


「いつまで戸口に立っている。通れんだろうが!」


 茨城を押しのけて藤堂が姿を現す。それを見た傾国が椅子を蹴立てて腰を浮かした。


「お、叔父さま!?」


「傾国、お前がこちらに居ると聞いて――」


「叔父さまぁぁ…………傾国は、傾国はぁ――」


 ふえっ、と吐息をもらした傾国が、涙をこぼしながら藤堂へ駆けよる。

 灰塚が片手で顔をおおった。


「傾国は、女になってしまいましたっ」


「………………な、なんだとぉーー!?」


 可愛い姪の重大発表に、藤堂は身をのけ反らせて驚愕する。


「子供の()(ごと)よ。気にする必要はないわ」



 室内に、あまりにも冷静で投げやりな白蓮の声が響いた。





 一時は収集不可能かと思われるほどの混乱に見舞われた室内。それを収めたのは鳳仙と口無だった。

 年の功と言うべきか、あまり意味を成さぬ言葉の羅列の勢いか。中央の盟主が余計な口を挟まず、大人しくしていたことも大きいだろう。


 二人のとり成しにより、まずは酒の一献(いっこん)でもといった流れになっていた。

 魔族は生れつき薬物に耐性があり、アルコールにも強い。飲めない者はまずおらず、総じて酒好きだ。


 鳳仙は自慢の火酒をもう幾壷か持って来させ、集った魔王達に振る舞った。

 北部の銘酒に舌鼓を打った茨城が気を良くし、我負けじと自室へ戻り酒樽を担いで来る。


「これは東部で一番の美酒じゃ。それほど酒気は強くないが、口当たりが良く幾らでも飲めてしまう。酒豪揃いの鬼族でも、(しま)いには酔い潰れてしまうことから“鬼滅ぼし”という名が付けられておる」


 なぜ、こんなことになっているのか……。

 考えるのも面倒になった白蓮は、ぐいぐいと杯をあおった。

 隣ではすこし酔いが回ったらしいウルスラに、灰塚が絡まれていた。


「ですからぁ、灰塚さまのせいでぇ、あたしの可愛がっていたグリフォンのグリンちゃん(♀)が、逃げ出しちゃったんですよっ」


「……」


「あの子臆病だから、皇城にまで聞こえてくるような爆発に驚いて、どこへ行っちゃったのか分からないんです」


 無言で聞き流す灰塚のはす向かいでは、口無が茨城の巨躯に感嘆のため息をこぼしていた。


「なんと素晴らしい。まるで豪華客船のようなお方だ!」


「あなたの美的感覚に疑問の出てくる台詞ね……」


 ぽそりとつぶやいた灰塚のドレスを、ウルスラがぐいぐいと引っ張る。


「ねぇ! 聞いてます、灰塚さま? グリンちゃんの巣があった所は穴だらけにしてしまうし、地面にあんな大きな――」


「……あっ!」


 勢いよく灰塚が立ち上がった。露天風呂のことを思い出したのだ。

 灰塚は一番大きな穴の亀裂を炎で溶解させ、露天風呂を完成させていたのである。


「お姉さまっ! これから湯浴みに参りませんか?」


「湯浴み?」


「ええ、近くに大きな風呂を作りましたの。――湯舟に浸かりながら杯を傾けるというのも、風情(ふぜい)があって良いとは思いませんこと?」


 白蓮はにべもなく断る。


「いやよ。この暑いのに湯に浸かるなんて。――冷水なら構わないけど」


「傾国っ! あなた冷たい水は出せる!?」


「――え?」


 藤堂と楽しげに談笑していた傾国が、ぶんぶんと首を振る。


「あたし、温度を上げたり下げたりするの、出来ない……」


「くっ! じゃあ水は傾国が貯めますから、お姉さまが――」


「なぜ私が、わざわざそんな事をしなければならないの? それに今朝、バルコニーの浴槽で水浴びを済ませたわ」


 灰塚は白蓮の手をとり、悲しげな声を出す。


「そんなぁ……お姉さまは私におっしゃったではありませんかっ! 身体を綺麗にしてくれと」


「――え? あなた、すこし飲み過ぎじゃないの? なんの話をしているのか分からないわ」


 ほんのりと頬を紅潮させた灰塚は、見た目以上に酔いが回っているようだった。もしくは現実と妄想の境が曖昧になっているのか。

 白蓮を見つめる目つきが、かなり怪しい。


「いいえっ。お姉さまは確かにおっしゃいましたわ!!」


 その叫びに室内はしんと静まり、酒宴を開いていた魔王達が何事かと目を向ける。


「私のお口でお姉さまの身体を隅々までお浄めしろと! 嫌がる私に無理矢理……う、うぅ……ぺろぺろさせて……うっ、うっ、ぐすっ……」


 とんでもない冤罪だった。

 魔王達は心持ち白蓮から身を引き、ひそひそと耳打ちしあっている。


「な、なにを言ってるのあなたはっ!!」


 白蓮が珍しく焦った声を出す。


「ひっ、ごめんなさい! 私、お姉さまのためにがんばりますから……」


「頼むからがんばらないでちょうだい! ……というか、なにをがんばるつもりなのよ」


 泣き崩れた灰塚へ、なかなかやるわね、といった魅月の視線が刺さる。



 白蓮には、何か恐ろしいモノを見るような視線が突き刺さっていた。





 迷惑極まりない灰燼の魔王を、なんとか極低温の冷気で正気に戻した白蓮。その耳元に、給仕に立っていた高城が耳打ちする。


「……誰、それ?。もう何でもいいわ、通してあげなさい。灰塚の臣下なのでしょ?」


 うんざりとした様子の白蓮へ、さらに声を潜めた高城が耳打ちする。

 話を聞く白蓮の顔から表情が失せ、冷然とした真剣な面持ちに変わる。


「……凱延の、副官ですって? いいわ。すぐに通しなさい」


 ふたたびウルスラに絡まれだした灰塚を気にしつつ、高城が確認する。


「灰塚様にお伝えしなくてもよいのですか?」


「構わないわ。その女の持って来た報告を私も聞きたい」


「かしこまりました」



 これまで室内で繰り広げられた茶番とは違う、本物の波乱を携えた使者を迎えるため、高城は急ぎ場を後にした。

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