犠牲により成されたもの
饒舌な南部の盟主がみずからの立像制作に取り掛かってから二日後の夕刻。
皇城の一室では、気の進まぬ呼び出しを受けた挙句、無駄足を踏まされた白蓮が、その帰還を待ち構えていた灰塚からの訪問を受けていた。
「それで……」
やや険のある表情を灰塚へ向け、冷たい声音で尋ねる。
「私に“これ”をどうしろと?」
ちらりと視線を落とした先には、ぐいぐいと白蓮の胸元に押し付けられた傾国が、困ったような顔で見上げている。
「ですから、お土産ですわ。東部の」
傾国の両肩を掴み、白蓮に押し付けながらもその不興を感じとった灰塚が、愛想笑いを浮かべた。そして当然のようにつれない答えが返される。
「結構よ。持って帰ってちょうだい」
「あ、あの……灰塚様?」
それまで事のなりゆきをはらはらと見守っていた怜琳が遠慮がちに声をかけた。
「これは一体……?」
「お前は黙ってなさい」
白蓮へ向けられる甘ったるい声とはまったく違ったきつい調子で怜琳を一喝し、灰塚は機嫌を取るような上目遣いで白蓮を見上げる。
「傾国はこう見えて、なかなかの力を持っていますわ。それに東部の盟主である藤堂の姪でもあります」
傾国の有用性をアピールるすることで、灰塚は己の手柄を誇示しようとする。しかし白蓮の冷ややかな態度はなお継続中だ。
「藤堂は姪である傾国を非常に可愛がっていると聞きます。東部に対する影響力といった意味では、申し分ない力をもっていると思いますの。それにこの子はとてもよい声で鳴きますわ」
灰塚は最後にうっかり口を滑らせてしまった。そこを白蓮に指摘されてしまう。
「あなた、ちょっと本音が出てるわよ……」
白蓮のうんざりとした視線にもめげることなく、灰塚はさらに傾国の背を押す。
「お姉さまは……」
それまでとは違い、灰塚の表情と口調とが真剣なものに変わる。
「ウルスラをどこか観察するような感じでごらんになっている時が、ありますわよね?」
「……」
「私や魅月にも似たような目を向けられることがありますし……お姉さまはなにか、実験のようなことをなさっているのではありませんか?」
「……それが?」
「聞くところによると、アルフラという娘はウルスラや傾国と似たような年の頃なのでしょう? お姉さまの目的にも叶うのではなくて?」
相変わらずの無表情で白蓮は何事かを思案する。内心の読みづらいその鉄面皮を灰塚はじっと見詰める。
「灰塚、あなたはたまに……おそろしく感が働くわね」
褒め言葉だと受けとった灰塚は、かるく目礼をしてみせた。
「どうでしょう。傾国を味見して――」
すこし調子に乗ってしまった灰塚は、またも口を滑らせる。だが、言葉の端々に見え隠れする本音を、悪びれた風もなく言い直す。
「――傾国に味見させてみては?」
「あなた、いちいち一言余計よ」
向けられた白蓮からの眼差しは、とても寒々しいものだった。が、しばしの沈黙が流れ、やがて凍りついたような美貌に薄い笑みが浮かぶ。
「――いいわ」
灰塚に押され、みずからの胸元に鼻先を埋める傾国を傲然と見下ろしながらも、白蓮は了承の意を見せ微かにうなずく。
「その心遣いは、ありがたく受けとっておきましょう」
「えっ? あの……?」
話の流れについて行けず、怜琳がうろたえた声を上げる。その腕をむんずと掴んだ灰塚は、強引に怜琳を引きずって扉へ向かう。
「そういうことだから。さ、帰るわよ」
「お待ち下さい。これはどういう事なのですか!?」
「なにも心配はいらないわ。私も傾国のことは気に入ってるし、悪いようにはしないわよ」
「い、いえ、ですが――」
「それに見てごらんなさい。傾国だって嫌がってはいないわ」
最初こそはおっかなびっくりといった様子だった傾国も、今ではぼうっと白蓮の顔に見とれている。
部屋を引きずり出される寸前、怜琳の耳に傾国のうっとりとした声が聞こえた。
「いいにおいがするー」
灰塚と怜琳が去った室内に、白蓮の声が響く。
「ウルスラ」
「は、はい」
寝室へとつづく扉の陰から、こっそりと事のなりゆきを見守っていたウルスラがぱたぱたと駆けて来る。
「聞いての通りよ。この子の世話をしてあげなさい」
「はい、かしこまりました」
依然ぼうっとした様子の傾国に、ウルスラがまずは自己紹介を始める。それとほぼ同時に、灰塚が出て行った扉が外側から叩かれた。
「入りなさい」
入室を許可する声に続き、室内へ立ち現れたのは高城だった。老執事は丁重に腰を折り、話し始める。
「雷鴉様が皇城へ帰還なされました。現在、東部の魔王茨城と連れ立ち、謁見の間へ向かわれたようです」
「そう。謁見が終わり次第、あの男を呼んで来て欲しいところだけど……それは?」
白蓮の視線が、高城の小わきに抱えられた白木の箱に向けられる。
「先程、定時報告に来た間者からもたらされた品です。なんでも奥様がレギウスへ赴かれた際、あのサダムという魔導士に言い付けておいた品だとか」
「ああ……」
大理石の卓の前に腰掛けた白蓮がうなずき、ウルスラと傾国の方へ視線をやる。
二人は壁に掛けられた飾りの前に立ち、ペちゃくちゃとお喋りをしていた。
傾国が凝った意匠のタペストリを指差し、なにやらしきりに質問をしている。
どうやら東部ではあまり見かけぬような調度品の数々が、珍しくて仕方ないらしい。
ふと、アルフラが雪原の古城で暮らし始めた当初のことが思い出された。やはり幼き日のアルフラも、同じように見慣れぬ調度品に興味を示し、いろいろといじくり回していた情景が脳裏によみがえる。
無意識のうちに、白蓮の口許に優しげな笑みが広がっていた。
「奥様?」
「……なんでもないわ」
高城の声で我に返った白蓮は、やや掠れた声でウルスラに命じる。
「傾国を連れてしばらく退室してなさい。呼ぶまで来なくていいわ」
「え……あ、はい。では傾国様、まいりましょう」
一瞬、名残惜しそうな目で白蓮の顔を見た傾国だったが、なにも言わずにウルスラの服の裾をつまむ。
黒エルフの王女は、魔王という立場にある傾国の子供らしい気安さに苦笑する。しかしそれについては言及せず、逆に傾国の手を引き部屋から退室していった。
扉が閉じられたことを確認し、白蓮が高城へ尋ねる。
「中身の確認は?」
「はっ、一応させていただきました。中には羊皮紙の束がぎっしりと入っております。私が目を通してよい物か解りませんでしたので、内容までは確認しておりません」
「そう、こちらへ持ってきて。中をあらためるわ」
高城は白木の箱を卓上に置き、中から羊皮紙を取り出す。ぎっしりという言葉にあやまたず、かなりの枚数が白蓮の前に広げられる。
「……多いわね。なんなのかしら、この文章の山は。目が滑るわ」
思わず、といった感じで白蓮は眉間にシワを寄せた。
「ざっと目を通してみてちょうだい」
「かしこまりました。少々お待ち下さい……ああ、これは――」
一枚目の羊皮紙を手にとった高城が、すっと目を細める。
「サダムからの書簡でございますね」
「なんと?」
ざっと視線を上下させた高城が、内容を要約して説明する。
「カンタレラという薬物に関する資料が、いかにギルドにとって重要なものかということと、厳重に管理されたそれを持ち出すのに、どれだけ苦労したかという話が長々と記されております」
白蓮は興味なさげに羊皮紙の一枚へと視線を落とす。
「どうやら送って寄越したのは、数十年に及ぶ膨大な研究資料の一部らしいですな。ここにあるのは、サダムがかろうじて融通を効かすことが可能なもののみだそうです」
「これで……ほんの一部なの?」
「そのようです」
卓上を埋め尽くすそれらに向けられた白蓮の瞳が閉ざされ、うんざりとしたように目頭へ手が当てられる。
その間にも高城は、素晴らしい勢いで羊皮紙に目を通していく。
「ほう……これは……」
唸るような声を発し、驚愕の念を表した老執事はさらに数枚の羊皮紙を手に取る。
「魔族や古代人種の血を摂取した者を対象とした、経過報告書ですね?」
「そうよ。あのサダムという男、私の希望通りの物を送って寄越したようね」
「……なぜこのような物を?」
その問いには答えが返されず、白蓮は目線だけで作業を促す。
高城は羊皮紙へ視線を戻し、黙々と流し読みしていく。やがて、その半数ほどにざっと目を通した高城がふたたび口を開く。
「凄まじいものですな……私が目を通した範囲で、すでに三桁に及ぼうかという被験者が命を落としています」
白蓮の眉が弓なりに上げられたのを見て、高城は話を続ける。
「これらの経過報告によると、実験の最初期においては、魔族の血を生のままで経口摂取していたと記されております。日を置かずかなりの量を飲用していたらしく、そのほとんどが変死しておるようです」
「変死?」
「ええ、主な死因は心肺及び重要臓器の機能停止といったものですね。なかには血管の破裂により、全身を毒々しい紫に変色させた者や、ある日突然意識を失い急死した者もいるようです。総じて吐血を繰り返すといった症状が見受けられますな」
硬い表情で絶句した白蓮の顔から、血の気が失せていく。
「おそらく無理な大量摂取が祟ったのでしょう。どうやら予想以上に魔族の血は、人の身体に負担をかけるようですね」
こちらの報告書には、と高城が一枚の羊皮紙を白蓮へ手渡す。
「当初は魔力を増そうと、魔術師たちが己の身体で実験をしていたようです。――が、あまりに被害が大きかったため、雇われ戦士や孤児などといった者に実験の対象を移してゆく過程が詳細に記されております」
「魔族の血は、長寿や万病に効く秘薬だという話はどうなっているの?」
「量の問題でしょう。ギルドは魔族に抗するため、人為的に強い魔力を持つ者を作り出そうと躍起になっていたようです。実験の中期あたりでは、それまでの教訓から摂取する量を抑え、中和剤や安定剤といった物の開発にも取り組んでいたようですな」
さらに数枚の羊皮紙が白蓮へ手渡される。
「手探りで始められた研究は多くの犠牲の上、やがてカンタレラと呼ばれる薬品へと結実します。このカンタレラを服用させることにより死に到る者は激減し、およそ五十年に及ぶ実験に一つの成果が見られた、と結ばれています」
「その成果の中に、大きく寿命を延ばしたという例は?」
「――ッ!」
高城が鋭く息をのむ。白蓮がなぜ、このような資料を求めたのか? その疑問に答えが出たのだ。
ここ最近、白蓮が何事かを成そうとするとき、それは常にアルフラと関わりのあることなのだ。
「奥様は……魔族の血を摂取することにより、お嬢様が人のそれを越えた寿命を得られると……そう考えておられるのですか?」
手元の羊皮紙をのぞき込んでいた白蓮が、ゆっくりと顔を上げる。
「……私の願望かも知れないけれど、その兆候はすでに現れていると、思わない?」
高城の中で、発育不良の傾向が強い、痩せた少女の姿が思い起こされる。
そう、かつての古城の暮らしの中では、単なる発育不良だと考えていたのだ。が――
「あの子はもう十五才よ。人間でいえば大人だと認められる歳だわ。でも……アルフラには、成人女性の印すら、まだ訪れていない」
「そう、なのでございますか……?」
そういった方面には疎い老執事は、狼狽した顔で尋ねる。
「ええ、あの子の歳でまだ初潮も迎えていないのは、個人差があるとしても少しおかしいことなのよ。……身体的になんらかの異常があるとしか思えないわ」
健康管理といった点では、充分に気を遣っていたはずだ。
「おそらく、アルフラの成長自体が緩やかになっているのよ」
すなわち、老化においても緩慢なものとなっているのではないか、と予想できる。
だとすれば、それは……
「私の血の影響だと思うわ」
すでに同じ結論へと行き着いていた高城は、愕然とした面持ちで白蓮を凝視していた。
「このままお嬢様が力を増し続ければ、魔族と変わらぬ寿命を持つに到るのではないか。そう期待されているのですね?」
蒼ざめた白蓮の顔にほんのりと朱がさす。
「私はアルフラと、同じ時の流れを生きたいの」
「……ですがそれは、大変危険な試みではございませんか?」
高城は目の前に広げられた幾枚もの羊皮紙を指し示す。
「これらの資料を目にする限り、行き過ぎた血の摂取は身を滅ぼす毒以外の何物でもございません。――カンタレラと呼ばれる薬品により、安定した成果を上げられるようになった後も、慢性的な頭痛や吐き気といった後遺症を訴える者も少なくはないようです」
「そうね。私もいきなりアルフラで試すのは、無謀だと思うわ。あの子にそんな危険なまねはさせられない」
「では、魔術師たちのように他の人間を使い――」
「そんなもの、なんの意味もないわ」
白蓮が強い口調で否定する。
「あの子はすでに、爵位の魔族を倒せるほどの力を持っている。普通の人間などと比べようもない。アルフラは特別なのよ」
高城は内心で眉をひそめる。
確かにアルフラは、人の身にあるまじき魔力を身につけていた。しかし、白蓮は気まぐれで拾ってきた少女との出会いを、何か運命的なものと捉えているきらいがある。だが、それこそが願望というものではないだろうか。
常日頃、合理的に思考を巡らせる白蓮。だがアルフラのことになると、時として驚くほど感情的になることがある。高城にとってそれは、あまりよい傾向とは思えなかった。
「では、奥様は一体どうなされるおつもりなのですか?」
「それはお前が頭を悩ませることではないわ。今はその羊皮紙のすべてに目を通し、私の知りたい事柄について報告してちょうだい」
「……かしこまりました。それでは少し時間を頂いて、自室でこれらを読み進めてみるとしましょう」
高城は羊皮紙を丁寧に白木の箱へと戻していく。
一礼し、退室しようと扉へ向かった高城の背に、白蓮の声が届いた。
「ウルスラと傾国を呼んで来てちょうだい」




