アルフラ攻略 そして瞬殺
早朝、アルフラの部屋を訪れたのは高城だった。
「おはようございます、お嬢様」
普段と変わらぬ物腰で、折り目正しく一礼する。
高城の声で目を覚ましたアルフラは、慌て身を起こした。
いつの間にか泣き疲れ、うずくまるようにして、扉の前で寝てしまっていたようだ。
高城は、そんなアルフラを見て嘆息する。
「おやおや、こんなに泣き腫らして」
優しくアルフラを抱き起こして寝台へと運ぶ。
「フェルマーに水を用意させますので、少し目元を冷やした方が良いですね。そのような顔を見られれば、奥様も悲しみましょう」
「あ……白蓮は! 白蓮はどこ!?」
「奥様はまだお休みになられておりますよ」
高城が沈痛な面持ちで告げる。
「昨晩はだいぶ、ふさぎ込まれている様子でした」
「きのう、白蓮来てくれなかった」
アルフラの目に、じんわりと涙がにじむ。
「奥様にもなにか、お考えがあるのでしょう」
「あいつ……あいつは白蓮になにを言ったの!? あいつが、あいつが…………!」
「あのお方は、魔王たちの長になろうかという方なのですよ。あいつなどと言ってはなりません」
「だって、あいつが来たから……。あの男が……」
「すこし落ち着きなさい。まずは水と食事の用意ですかな。少々お待ち下さいませ」
高城は足早に部屋を出てゆく。
――あいつのせいだ。あいつが来たから……
結局、アルフラが朝食を摂ることはなかった。
卓上に置かれた料理が冷めるにまかせ、高城もそれを咎めはしなかった。
アルフラは床で寝入ってしまったため、節々が痛む体を寝台に横たえる。冷水に浸した布を、高城が顔に乗せてくれた。
「ねぇ……あいつが白蓮の旦那さん、なの?」
「いいえ――」
あいつ、というアルフラの言い様に、高城はやや顔を強張らせる。が、とくに言及はしなかった。
「旦那様はすでに亡くなられていると聞いております」
「え? そうなの?」
以前に一度、直接白蓮に尋ねたときには「いないわ」の一言であっさりと話が終わってしまった。なのでアルフラは、この城にはおらず、どこか別の城に住んで居るのだと思っていたのだ。
「じゃあ、あいつと白蓮はどんな関係なの?」
「私も詳しくは知りませんが、奥様に大分ご執心のようではありますな」
「それは……なんとなく見ててわかったけど、白蓮は嫌そうにしてたよ……ね?」
「いかがでしょう、私には計りかねます」
「きのうは、どんな話をしたの?」
「……本来、私の口から申し上げてよいことではないのですが、奥様からのお叱りを覚悟でお話しましょう」
高城は淡々と告げる。
「戦禍様は近々、魔王たちを統べる帝位に就かれます。戴冠の暁には、魔皇の居城である皇城へ、奥様をお迎えしたいとのことでした」
「そんな……」
「普通に考えれば、妃か側室に、と言う意味なのだと思います。ただ、戦禍様にとって白蓮様と帝位は同等に大切だ、とまでおっしゃっられていましたので、お妃にと考えておいでなのでしょうね」
アルフラが寝台から跳び起きる。
「白蓮は? 白蓮はなんて言ったの!?」
「考えさせて欲しい、と」
「そう……なんだ」
すこしだけほっとしたアルフラは、くたりと寝台に倒れこんだ。
「戦禍様は、戴冠を済ませてから迎えに来るとも申されておりました」
「……いつ、来るの?」
「年内には、とだけ聞かされております」
「白蓮はゆかないよね?」
「それは……分かりません」
つねに打てば響くかのように受け答えする高城が、めずらしく言いよどんだ。
アルフラは、もしかしたら白蓮は行ってしまうのではないかと思い、また、泣いた。
高城は最近の己の言動が、いささか職務からは逸脱してしまっているという自覚があった。
これからやろうとしていることもそうだ。
――しかし……
高城は思う。
奥様は変わられた。
驚くべき変化だ。
それも一重にアルフラの人柄の成せる業だろう、と。
それもうなずける。
この四年間、様々な知識を教え、技術を伝え、長い時間接して来た。
明るく、裏表のなく、打算もない。朗らかで、利発で、とても素直だ。
魔族と言えど、外見と同じくその内面も人と大差はない。
高城も、アルフラを可愛く思っていた――悲しい思いはさせたくない。幸せになって欲しいと。
もし、自分に孫がいたら、こんな感じなのかもしれないとも思っていた。
普通であれば人は人の中で、魔族は魔族の中で暮らすのが幸せだろう。両者は似て非なるものだ。寿命も価値観も大きく違う。
人間同士、魔族同士ですら戦いは絶えないのだから、種の異なる者同士が共存出来るわけがない。
引き離されればアルフラも最初は悲しむだろうが、長い目で見れば、同じ人間に囲まれて暮らした方が幸せなはずだ。
しかし、と高城は思う。
アルフラの白蓮に対するあの傾倒ぶり。「白蓮がいれば、ほかには何もいらない」と言い切った悲痛な声が甦る。
引き離せば、なにか取り返しの付かないことになるのではないか?
白蓮にしてもそうだ。この四年での変わり様。アルフラが居なくなれば、この先どう変わってしまうのか想像もつかない。
高城はみずからに許される範囲で、二人のために出来ることを成そうと心に定めた。
日は没し、室内の闇は深い。白蓮は玉座に身を沈め、手ずからゴブレットに並々と葡萄酒を注いでいた。
室内に扉を叩く音が響く。
「呼んでないわ」
入室を拒まれた高城が、扉の外から謝罪する。
「申し訳ございません。本日はお呼びがありませんでしたので、せめて細々としたご報告だけでもと愚考いたしました」
慇懃な物言いに、白蓮はため息を吐き入室を許可した。
「失礼いたします」
頭を垂れる高城に対し、感情のうかがえぬ淡々とした声音が命じる。
「手短にね」
白蓮は気怠げな様子で、高城を冷たく見下ろす。その姿は、アルフラと出会う以前の酷薄さが戻ったかのようであった。
「アルフラ様のことなのですが……」
高城は語尾を濁らせ、白蓮の顔色を冷静に伺う。
「続けなさい」
その名を聞いた瞬間、白蓮の眉根が小さく跳ねたのを確認した。
かつては決して見せることのなかった弱さだ、と高城は思う。
「失礼いたしました。お嬢様が、食事をお召しになられておりません。昨晩からでございます」
「……そう」
「おそらく、奥様がお会いに行かれるまで、食事を拒まれるおつもりかと」
白蓮の唇からもれた吐息は、限りなくため息に近かった。
「僭越ですが、昨日の戦禍様のお話、おおまかにですがお嬢様にお伝えしました」
「余計なことを……。まあいい。それだけ?」
「……泣かれておりました」
「……」
「目を赤く泣き腫らし、奥様の名を呼ばれていました」
周囲にわだかまる夜闇よりもなお陰鬱な表情で、白蓮は顔をうつむかせる。
まだ泣いているのか、というささやきが聞こえ、長い沈黙が落ちた。
室内の空気は滞り、息づかいさえ聞こえない。ただ、逡巡するかのような気配だけが、玉座の白蓮から感じられた。
面を伏せたまま、高城は無言で待つ。
さらにいくばくかの刻が流れ――不意に、白蓮は玉座から立ち上がる。抜けるような白い肌をもつ彼女の顔色が、今は青くすら見えた。
「下がっていいわ」
扉の前に立った白蓮の耳に、室内からぱたぱたと足音が届いた。
昨日は気持ちの整理が着かず、扉を開けることが出来なかった。
わかってはいるのだ。いつまでも一緒に居るわけにはいかないことは……。
決断を迫られた時、思い悩むのは、彼女にとってかなり珍しいことだ。だが、まだ気持ちは定まらない。こんな状態で会っても、アルフラを納得させる話はできないだろう。
しかし、とても悲しい思いをアルフラにはさせてしまった。
――わずか一日でこれでは、先が思いやられる
しょうがない、と思いながら扉を開いた瞬間――間髪を置かずアルフラが白蓮の腰に飛びついてくる。
「白蓮! 白蓮!」
予想通りの反応ではある――が、想定外だったのは、アルフラがすでに大泣きしていたことだ。
――やりにくいわね……
優しく肩を抱きよせて、なだめながら寝台に座らせる。
「食事、してないそうね」
「……うん」
「ちゃんと食べないと背が伸びないわよ」
「皇城ってとこに行かない?」
「まだ、わからないわ」
「……行くかもしれないの?」
「本当にわからないの。私にだってどうすればいいか分からないこともあるわ」
白蓮には、戦禍との約束があった。もしも戦禍が魔皇の座に着いたときには、皇城で共に暮らそうと、そう乞われていた。
しかし、アルフラと戦禍との約束を秤にかければ、最悪その約束自体は反古にしてもいいと思っていた。
だが、白蓮の“しがらみ”は、それだけではなかった。
「じゃあ……もし行くことになったら、あたしもついてっていいよね?」
「それは無理よ。皇城は魔王の集う所なの。人間がうろつけば、すぐに殺されてしまうわ」
「……じゃあご飯いらないっ。食べない!」
アルフラの瞳に大粒の涙が浮かぶ。
「あのねえ、アルフラ? 前に魔力は純粋な力だって、言ったわよね?」
「うん……?」
「魔力は体内で消費される活力を補うこともできるの。だから魔族はあまり食事を必要としない」
「すごい……ね」
白蓮は、びっくりまなこのアルフラの髪をふわりと撫でる。柔らかな髪質のため、すぐにくしゃくしゃとほつれてしまう。
「アルフラには私の血が結構入っているから、食べなくてもすぐに死んだりはしないわ。お腹が減るだけ損よ」
アルフラの瞳に浮ぶ涙が、さらに大きさを増した。
白蓮はその雫がいつこぼれ落ちるのかと、はらはらしてしまう。
「じゃあ、血をちょうだい」
「……だめよ」
心の中で、一つの区切りにしようと白蓮は決心した。
アルフラを拾った四年前の夜。白蓮は人里近い森の中をさ迷っていた。人間の王国に雪崩込んだオークの軍勢の規模と双方の被害を、その目で確認しようと考えたのだ。
戦火の灯に惹かれるまま辿りついた寒村。その村に火をかけたのは、オークではなく人間の兵士たちだった。
街道沿いの砦が落ち、近隣の村や集落を焼き払いながら撤退する国境警備兵。
食料不足により、人間から略奪を行おうと攻め入ったオークたちに、食料を渡さないための焦土戦術。
略奪できなければオークたちの飢饉は深刻化し、数が減る。
実に合理的だ。
――やはり人間は賢い
白蓮は口元をほころばせた。
自分たちを守りに来たと思った兵士が村に火を放つ。
村人たちは一転して阿鼻叫喚の最中へ。
そして、警備兵を追撃していたオークの一群が、村人を虐殺していく。
突然訪れた災いに逃げることすらできず、わずかな時間で滅んだ村。
瓦礫に埋もれ、こちらを見上げて来る少女は、実に無惨なものだった。
顔の半分は焼け爛れ、唇はなかば焼失し、剥き出しとなった歯茎は血と煤とで赤黒い。
二目と見られぬ醜悪な“それ”が「女神さま?」とつぶやいた。
――女神? 魔族であるこの私が? まったく逆の存在だわ
思わず笑ってしまった。
しかし、それはどんな気まぐれだったのだろう?
白蓮はみずからの手を傷つけ、赤黒い洞と化した少女の口に、数滴の血を垂らしてみた。
何をどうしようと、明確な考えがあったわけではない。
魔力を宿した血が、治癒力や生命力を向上させることは知っていた。
しかしそれは、生きているのが不思議なほどの、悪臭を放つ生焼けの肉塊だ。
まさか命を繋ぐとは、考えてもみなかった。
しばらく観察していたが呼吸は止まらない。
白蓮は、ヒューヒューと耳障りな音を出すそれを城まで持ち帰った。
折を見ては血を飲ませてみたり、傷口に塗り込んでみたりした。すると――驚くべき効果が現れた。
わずか数日後。
――悪臭を放つ肉塊が、人の子になった……
最初、白蓮にあったのは単純な好奇心だけだった。
どちらかと言えば、アルフラ自身にはかるい嫌悪感を持っていた。
――子供はうっとうしい
それが何故……こうなった?
今の白蓮は、こちらを見上げて来るアルフラの、潤んだ瞳にたじろいでいる。
今にもこぼれ落ちそうな涙に、心が痛む。
――私は弱くなった
以前は感情の起伏に乏しく、常に冷静で、何事についても的確に対処出来ていた。
己の強さを信頼していた。
こんな自分は許せないと思った。
まだ、いくばくかは時間に余裕がある。
少しずつ距離を置き、言い聞かせよう。
まずは一緒に居る時間を減らし、血を与えることを控える。
アルフラとて人間たちと一緒に暮らした方が、結局は幸せになれるはずだ。
そうすれば、すべて元通り。――それでいい。
――私は以前の自分へ戻れる。強かった自分に。
弱い魔族など、存在する価値もない。
「………………」
そして、途方もない罪悪感に苛まれる。
――やはり私は、アルフラと一緒に居るべきではないのだろう
白蓮はみずからの心の冷たさに、その貧しさに歯噛みする。
――だってほら、こんな時なのに……私は自分のことしか考えてない
アルフラの幸せを願うのならば、人里へ帰さなければならないのだと、白蓮はそう思った。
「白蓮……?」
思考の中に沈み込んでいた意識が現実へと引き戻される。
「と、とにかく血はだめよ。ちゃんとした食事を摂りなさい」
「やだよ、食べない」
アルフラのまなじりは決壊寸前だ。
しかし、固い決意をした白蓮は、心を鬼にする。
「じゃあ血も食事も抜きね」
「そんなぁ……。あたし、お腹すきすぎて死んじゃうよう」
アルフラの瞳に溜まっていた大量の涙が、ついにボロリと零れ落ちた。
表面張力は重力に敗れ、白蓮もアルフラに敗れ去る寸前だ。
――しまったっ!
視線が外せなくなっていた白蓮は、その様を直視してしまった。――冷えた心に、庇護欲と罪悪感がのしかかる。
「じゃ、じゃあちょっとだけよ」
無意識の内に言葉が出ていた。
結局、白蓮は二日分の血を与えてしまった。
彼女は、自分で思っているほど強い女ではなかったのだ。