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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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魔王の喜怒愛楽



 灰塚が脳内お姉さまのすみずみを綺麗にし終え、ふと我に返ったのはだいぶ時が経った後だった。


 怯えたように遠巻きから様子をうかがう傾国と怜琳へ、ちらりと目線をやり、こほんっとひとつ咳ばらいをする。


「わ、私としたことが、ちょっぴり我を忘れてしまっていたようね……」


 ちょっぴりどころではない痴態を晒していた灰塚は、よほどの大仕事を済ませて来たようだ。その肌は桜色に上気し、全身をしっとりと汗ばませている。


「そ、その……わ、私たちは何も見聞きしておりません。ど、どうかお見逃し下さい」


 傾国と二人抱き合い、なぜか命乞いをするような台詞を口にした怜琳へ、灰塚は満足そうにうなずく。


「そう。どうやらあなたにも、事の重要性が分かってもらえたようね?」


「は、はい、それはもう! 子々孫々、露天風呂の素晴らしさを代々語り継いでゆこうと、考えを改め直しました」


「そうでしょう? この大自然の中で、お姉さまと湯浴(ゆあ)みをすることがどれほど素晴らしいか!」


 左腕を大きく広げ、辺りを指し示すような仕草をした灰塚へ、怜琳がおそるおそる声をかける。


「あの、大自然と申されましても、いくら何でもこれは……」


「へ?」


「ここは黒エルフが版図(はんと)とする森でございますよね? 皇城にも近いこの辺りは、いわば魔皇陛下のお膝元なのでは? それをこのような有様にしてしまわれては……」


 灰塚が、その有様を見回す。


 大地はえぐれ、大小様々なクレーターが五つほど出来上がっていた。

 周囲の樹木は軒並み薙ぎ倒されている。

 灰塚のいる場所を中心にして、見渡す限りあらゆるものが放射状に倒壊していた。

 ほんのさきほどまでは多くの木々が生い茂り、昼なお暗く視界の悪い森の中だった……のだが、すっかりと見通しがよくなっている。

 日当たりも最高だ。


 遠くの空から獣のものらしき鳴き声が無数に聞こえ、灰塚は無言で南の空を見上げた。


「………………」


 おそらく、この辺りに住んでいたのであろう有翼魔獣が、群れを成して飛んでゆくのが目に映る。

 それは天変地異などを予期した渡り鳥が、一目散に逃げ出して行く光景を彷彿とさせた。


 どう見ても、災害跡地だった。


「灰塚様。所々で煙が上がっています。森林火災となる前に、消して参りましょうか?」


「……そ、そうね。お願いしようかしら」


 その煙は、皇城からもはっきりと見えることだろう。

 さすがにこれはまずいと感じた灰塚の頬に、一筋の汗が伝った。

 いくら戦禍が温厚な性格とはいえ、今回ばかりは笑って許してくれそうもない。黒エルフの領土に大変な被害を出してしまったのだ。――皇城から望む景観を激変させてしまうほどに。


「あっ! あたし、火を消すの得意だよー」


 背後に水柱を立ち上がらせた傾国を、怜琳が慌ててとめる。


「おやめ下さい傾国様! 黒エルフの森が無くなってしまいますっ」


 それで無かった事に出来るなら、ぜひ水に流して欲しいと灰塚は思った。



 だが、結局のところ数時間後、すでに皇城へ帰還していた戦禍から、傾国と二人揃ってこってりとお説教されることになる灰塚だった。





 謁見の間では、戦禍による説教が小半時(約三十分)ほど続いていた。


 常日頃、あまり感情を激することのない戦禍から厳しい叱責を受け、普段は唯我独尊の(てい)である灰塚も神妙に押し黙り、傾国は身を堅くして畏縮している。


「ですから、(さかのぼ)ればあの森は、災厄の主みずからが黒エルフの封土と定めた地なのですよ。古老や中央の王達は、たとえ高位の魔族であろうと、むやみに森を侵すことは禁忌に触れると解釈しているのです」


 無言でうなだれる灰塚を見て、戦禍が軽くため息を落とす。


「私も中央と南部でしかあまり知られてはいない数千年前のしきたりを、北部の王であるあなたに強く押し付ける積もりはありません。――ですが、ああまで派手に森を荒らしては、おいおい黒エルフの女王から正式な苦情が届くでしょう。その時には誠意ある弁明をお願いしますよ」


「わかりました……」


 滅多に見られぬ灰塚のしゅんとした様子に、それまで苦り切った顔をしていた戦禍が薄い笑みを作る。


「……この件に関しては、これくらいにしておきましょう。――灰塚。東部へ赴き傾国を伴い帰還した今回の働き、ご苦労でした」


「いえ、もったいないお言葉です」


 しおらしく頭を下げた灰塚から傾国へと視線が移る。


「傾国。遠路遥々この皇城までよく来てくれた。明晩には歓待の席を設けます。諸王も交え、今後のことについてじっくりと話をしましょう」


「あ、はい。あの……よろしくお願いします」


 傾国も灰塚をまね、ぺこりとお辞儀をする。


 心持ち、おどおどとした感の見られるその様子を、戦禍は目を細めて観察していた。そして鷹揚にうなずき、玉座へ深く身を預ける。


「いろいろと聞きたいこともありますが、旅の疲れもあるでしょう。今宵はゆっくり休みなさい。――下がっていいですよ」


「あの、戦禍様。さきほど控えの間で高城と会ったのですが、ここ数日お姉さまは皇城を留守にしているそうですね……?」


「……灰塚、あなたはちゃんと反省をしていますか?」


「え、はい。それはもちろん……」


 ふたたび神妙な顔をして見せた灰塚へ、戦禍は呆れ混じりの声音で告げる。


「――私は以前にも言いましたよ? あの人にあまり関わるな、とね」


「……善処いたしますわ」


 戦禍の幾分うんざりとした表情を見て、灰塚もそれ以上話を続けることを断念する。白蓮の行方やその帰りがいつ頃になるのかを知りたかったのだが、詳しいことは後々高城かウルスラにでも聞いてみようと考えた。


「それでは失礼いたします」


 謁見の間を出ると、皇城の使用人が傾国を待っていた。

 皇城に滞在するにあたり、あてがわれた部屋へと案内された傾国たちと別れ、灰塚は白蓮の居室へ向かった。

 だが、応対に出て来た老執事の口は堅く、白蓮がどこへ行ったのか(がん)として答えようとしない。

 結局、もう数日もすれば白蓮は帰還するはずだという話しか聞けなかった。

 (くみ)(やす)そうなウルスラを出せと言ってはみたものの、灰塚が荒れ地に変えてしまった森林の様子を見に行ったらしく、黒エルフの王女は不在であった。



 ウルスラが戻って来たら来たで、森を荒らした文句を聞かされそうだと思った灰塚は、とりあえずすごすごと自室へ帰ることにした。





「ご帰還お待ち申し上げておりました」


 およそ二十日ぶりに自室へ戻った灰塚を迎えたのは、北部に残して来たはずの姜威きょうい侯爵だった。

 戸口の脇でうやうやしく膝を折り、深く頭を下げた臣下を見て、灰塚は微かに眉をひそめる。


「……なぜお前がここに?」


 姜威は灰塚翼下の貴族の中でも特に有力な者だ。その彼みずからが皇城へ参じるということは、相応の大事が起きたと考えるのが自然であろう。

 自室へ戻った早々、面倒事を聞かされそうだと灰塚は嘆息(たんそく)した。


「ご報告の儀がございまして紅武城より(まか)り越しました」


「わかったわ、ついて来なさい」


 ひざまずく姜威へ声をかけ、灰塚は奥の私室へと向かう。そして歩きながら侍女へ飲み物の用意を命じた。

 自室に姜威を招き入れた灰塚は椅子に腰掛け、すでに用意されていた卓上の葡萄酒を取り、手ずから(さかずき)を満たす。


「楽にしていいわ。お前も座りなさい」


 ふたたび片膝をついて顔を伏せていた姜威は、さらに深く(こうべ)を垂れる。


「お心遣い感謝いたします。しかし、私のような者が灰塚様と同じ卓を囲むなど、あまりに恐れ多い事です」


「すぐに終わる話でもないのでしょ? 見下ろしながら聞くのも首が疲れるわ」


 姜威はすこしの逡巡(しゅんじゅん)の後、灰塚の正面で一礼し腰を下ろした。


「では、報告を」


「はっ。十日ほど前のことなのですが、紅武城に戒閃(かいせん)子爵からの急使が到着しました」


「戒閃から?」


「はい。……大変、申し上げにくいことなのですが……」


 やや椅子を下げ、姜威は灰塚から身を引くような仕種を見せた。


「凱延伯爵はレギウス教国ガルナにおいて……人間共の手にかかり、討ち取られたそうです」


「――ッ!!」


 姜威が予想した通り、灰塚の反応は激烈なものだった。一瞬の絶句の後、凄まじい怒声が浴びせられる。


「どういうことっ!! 詳しく説明なさい!!」


「も、申し訳ございません! 送られて来た使者は、ガルナからの撤退中に放たれたらしく、その者もそれ以上のことは語ることが出来ませんでした」


 怒りに顔を歪ませた灰塚の頬が、ひくりと痙攣する。


「ガルナといえばレギウスの王都にもほど近い都市よね!? 私に無断で出兵した凱延と戒閃には、即刻自領へ戻り謹慎するよう使者を送ったはずよ!」


「はい、ですがその使者が到着した(おり)には、すでに凱延は(たお)れた後だったそうです」


「なんてこと……人間ごときに私の臣下が――伯爵位を持つ貴族が殺されたというの!?」


 激しい怒りが熱気となり、灰塚の手にしていた杯の中身がごぼりと沸き立つ。そして赤熱した銀製の杯がまばゆい光を発し、どろどろと熔け崩れた。

 掌から流れ落ちた銀の雫が黒磁石の床へ(したた)り、耳障りな音を立てる。


「は、灰塚様……」


 落ち着いて下さい、と言おうとした姜威がその言葉を飲み込む。以前に同じ台詞を口にした廷臣が、あやうく焼き殺されそうになったことを思い出したのだ。その時は磁朋じほう将軍が慌てて間に入り事なきを得たが、今現在この部屋の中には灰塚と姜威の二人きりである。同じ事が起こった場合、灰塚を止めてくれる者は居ない。


「戒閃は! あの娘は何をしている! なぜ直接報告に来ない!!」


「わ、私が皇城へ参りまして三日経ちますが、その間に新たな使者より続報がもたらされました。それによると、現在戒閃子爵はガルナの手前に位置するサルファに留まり、凱延の遺骸を手の者に捜索させているそうです」


 顔色をなくし、震える声で答えた姜威を灰塚が鋭く睨みつける。


「遺骸ですって? そんなもの必要ないわ! すぐに事のあらましを説明するため皇城へ来るよう戒閃へ使者を発てなさい!」


「そちらはすでに磁朋将軍の方で手配済みです。戒閃子爵には、指揮する手勢への指示を出し次第、みずから皇城へ出頭するよう使者を送ってあるそうです。――おそらく数日中にはこちらへ到着するでしょう」


「そう……」


 やや気を落ち着けた様子の灰塚であったが、依然その表情は直視することをためらわせるほどの怒りに彩られていた。


「凱延の領地にも人をやり、事後の混乱を治めるよう手は打ってあります」


「いいわ。その他の諸事についてはお前と磁朋に任せる。……話はそれだけ?」


「いくつか裁可を仰ぎたい件があります。まず、戦に備え諸王は中央へ兵を集結するよう戦禍帝より方々に触れが出されていますが――」


 灰塚が刺すような視線でもって、姜威の言葉を遮る。


「今は聞きたくないわ。細々とした話は明日になさい」


「……かしこまりました」


「下がっていいわ」


 姜威はそそくさと退出の口上を述べ部屋をあとにする。

 深く灰塚を敬愛している彼ではあったが、殺気にも近い気配が充満したこの場に、長居をする勇気はなかった。



 命の危険すら感じる怒気にさらされていた姜威は、寿命が数十年も縮んだ思いだった。





 翌朝、灰塚の居室を南部の盟主、口無(くちなし)が訪れた。

 上質な葡萄酒を手土産に持って来た口無は、灰塚の顔をみるなり口髭をたくわえた厳つい顔に満面の笑みを浮かべた。


「おぉ、我が愛しの君よっ! あなたが東部へ赴かれている間、私の心は淋しさのあまり萎び、朽ち果てる寸前でした。そのお美しい(かんばせ)を――」


「とりあえずその葡萄酒を渡しなさい。そしてさっさと帰ってちょうだい」


 不機嫌極まりないといった表情の灰塚が、愛の囁きを一刀のもとに斬り捨てる。


「あぁ、久方ぶりの再会だというのに、なんとつれないそのお言葉! ですが、あなたを思う我が心は――」


「わかったから葡萄酒だけ置いて帰りなさい」


「……灰塚様? いつになくご気分の優れぬ様子ですな。――やはり昨日ご帰還なされたばかりで、旅の疲れがまだ残っているのですね」


 ようやく灰塚の機嫌が地を這っていることに口無は気づく。だが、心の機微に疎い彼は、機嫌ではなく気分が悪いと受けとったようだ。

 灰塚がひとつ、重苦しい吐息をこぼす。


「……あなた、本当に惜しいわ。口さえつぐんでいれば、見た目はなんの申し分もないのに……」


 彫りの深い顔立ちをまじまじと見つめる灰塚の表情は、とても残念そうだ。

 口無の容貌は、一見筋骨隆々とした壮年の偉丈夫だ。――しかし、その見た目と名前とはうらはらに、一度口を開くといつまでも喋りつづける。


「これはしたり! 私は灰塚様のために愛をさえずる小鳥! 我が胸を焦がす熱い思いを――」


 灰塚が手を振り、暑苦しい小鳥を黙らせる。だが、渋面を作った灰塚が何か辛辣な言葉で口無を追い返してやろうと考えている間に、お喋り魔王はふたたびさえずり出す。


「あぁ、我が麗しの君よ! ならばあなたの疲れが癒えるような善き知らせをお聞かせしましょう」


「いえ、結構よ――」


「灰塚様が皇城を留守になされている間に、グラシェール天山で不穏な動きが続いていることは、その形の良い耳に届いておいでですか?」


「……グラシェールで? 初耳ね」


「なれば是非、お伝えせねばなりませんな。私は戦禍帝が東部へ赴く以前に、我が領土に隣接するロマリアへ配下の者を攻め込ませよと命ぜられておりました。――神族が見過ごすこと叶わぬほどに、人の王国を蹂躙せよとね」


「……それで? 出来れば手短にお願いするわ。くれぐれも要点を絞って話して」


 だが、空気といったものを全く読まない口無は、辟易とした灰塚の様子に気づけない。


「私は二名の貴族に可能な限りの兵を繰り出し、ロマリアを攻めよと命じました。その甲斐あって、グラシェールに大挙して集まっていた有翼人種共の動きが活発となっております。――いよいよ戦神の降臨も間近に迫っていると見て間違いないでしょう」


「それが確かなら……朗報ね」


「そうでありましょう! 中央の王が、グラシェールへ数人の貴族を偵察に向かわせたとの報も入っておるのですよ。その中には将位の者まで混じっていたとか」


「なるほど……なかなか確度の高そうな話ね」


 神族との戦いの予感に、灰塚は口許をわずかにほころばせる。


「おぉ、ようやっと灰塚様の笑顔が見れましたな。この至福はどんな上物の美酒より甘やかだ。あなたが笑むだけで、この世のすべてが色あせてしまう。それはまるで太陽のごとき御身(おんみ)の輝きで、あらゆる地上の美が霞み――」


 口無の眼前で、ふたたび灰塚の手が振られた。なかなか終わらない言葉の奔流が途切れる。


「……本当に、本当にもったいないわ。外見だけはいいのに……その名の通り口さえ無ければ、部屋に飾っておきたいくらいなのだけどね……」


 口無の苦み走った渋い顔立ちは、男性の趣味としては灰塚の好みのど真ん中といえる。――だが、口無を見る灰塚の視線は、異性としてではなく調度品へ向けるものに近かった。


「おぉ、灰塚様がお望みでしたら、私の立像をお贈りいたしますぞ! 配下の者にドワーフの職人をさらって来させ、最高の品を作らせましょう」


「それは……」


 灰塚は真顔で首をかしげる。


「なかなかいい考えね」


「ならば善は急げだ! すぐにでも量産して、一刻も早くあなたの喜ばれる顔を拝見せねばっ!」


「ちょ、ちょっと待ちなさい! 量産て……」


 そのまま扉へと駆け出した口無を、灰塚が焦ったように呼び止める。


「五、六体もあれば充分よっ! あっ、葡萄酒はちゃんと置いていきなさい」


「おぉ、これは失礼。――では、また明日にでもご機嫌伺いに参ります」



 うっかりとそのまま持って帰りそうになった葡萄酒を灰塚へ渡し、口無は足早に部屋をあとにした。

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