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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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首謀者達の奔走



 その夜、魔術士の塔には、人目を避けて暗がりを歩むように、導衣姿の者たちが集結していた。

 ひそやかに会した魔導士たちは協議の間の重苦しい雰囲気のなか、車座で差し向かい報告を述べていった。


 一通りの者が喋り終え、枯れ木のごとく痩せ細った男が口を開く。


「各所に配した者達からは、なんら有力な情報はもたらされていない。地下牢から逃亡した魔族の足跡すら不明だ」


 集まった十名ほどの者は、宮廷魔導師アルザイールの言葉に無言で耳を傾けていた。彼らはいずれも(たが)わぬ高位の導士である。


「そしてまた、ホスロー様の行方も依然として分からぬままだ。――魔族の捜索と並行し、その所在を確かめねばならん」


 ぐるりと周囲を見回したアルザイールへ、サダムが応じる。


「おそらく、最後にホスロー様とお会いしたのは私でしょう」


 軽く頷いた宮廷魔導師が先を促す。


「詳しい状況を」


「はい、昨日夜もまだ浅い頃合いでした。私はホスロー様に、例の少女に関する定時報告を行いにゆきました。これは日毎に定められたもので、いつものように周囲は人払いがされており、他に人もおりませんでした。――報告自体は特に目新しい情報もなく、すぐに終わりました」


「その時、ホスロー様に何か変わった様子は? どこかへ出向かれるといった話はされていなかったか?」


「いえ……なにも」


 感情のうかがえぬ能面のような顔で答えたサダムに、唸るようなため息が返された。


「このような時に……ホスロー様は一体どこへ……」


 独り言めいて呟いたアルザイールへ、一人の魔導士が声をかける。


「アルザイール殿。ホスロー様が不在のおり、かりに逃亡した魔族の足取りが掴めたとしても……我々だけで捕縛するには少々不安が……」


 ギルドマスターであるホスローの姿が見えないため、この場の指揮を取っているアルザイール自身にも懸念がある。

 彼がガルナでの戦いで片腕を失ってから、まだ一ヶ月程しか経っていない。とても全快といえる状態ではなかった。

 むしろ、もともと細身であったその体は痩せ衰え、はた目にも傷の経過が思わしくない事は一目瞭然である。


「いかに爵位の魔族とはいえ、三年ものあいだ幽閉され、日を置かず投薬を続けられたのだ。満足に力を奮うことは出来まい。――それに、カダフィー殿にはまだ日がある内に帰還を(うなが)す使者を発てている」


 問題は――そう囁いたアルザイールが眉をひそめる。


「手引きした者の存在だ。姿をくらませた見張りの術師……奴一人では最下層の石牢から囚人を(のが)すことは不可能だ。――その裏に、爵位の魔族を助けようと、力ある魔族が絡んでいることも考えられる。さらには他の内通者の存在も否定できん」


 導士たちの間に緊張が走る。

 張り詰めた気配の中、フレインが遠慮がちに口を開いた。


「たしかに……見張りの者が爵位の魔族を逃がす動機がわかりません。南方のアルストロメリアへ向かう待合馬車へ単身乗り込んだという目撃情報を最後に、その動向は掴めていません。最悪、その者はただ都合よく使われただけで、すでに亡きものにされている可能性もあるのではないでしょうか?」


 共犯者でもあるサダムが、さらに話を誘導する。


「それは私も考えておった。――高位の魔族が裏で糸を引き、仲間である爵位の魔族を救出しに来たのではなかろうか。ホスロー様までもが姿を消していることから(かんが)みるに、いち早くそれに気づき追跡しているのではないか?」


「うむ……有り得ないことではないが……」


「ホスロー様は、内々のうちに事を運ばれるところがある。――ディース神殿での時のように」


 一同は押し黙り思案にくれる。

 静まり返った協議の間には、重苦しい空気が立ち込めていた。

 その沈黙をアルザイールが破る。


「現状では、事の顛末(てんまつ)になんら予測は立てられん。私としては、凱延の仇を討とうとする魔族の報復を危惧していたのだが……ホスロー様には、身辺に注意を促すよう進言していた矢先の出来事でもある。そちらの件も踏まえ、広く対応するしかない」


「かしこまりました。それに、ホスロー様ほど力あるお方ならば、よほどのことでもない限りは、大事に至ることもないでしょう」


「うむ、私はこの場に残り引き続き陣頭指揮にあたる。――フレイン」


 アルザイールの痩せた体がフレインへ向き直る。


「お前は王宮に詰め、イブラヒムと協力して各方面との折衝を頼む。私の代理として動いてくれ。通常業務は滞らせても構わん」


「お任せ下さい」


 その成り行きに、あらかたの予測を立てていたフレインは如才なく頭をさげる。


「すでに、市中及び街道への関所付設を受け、王都の防衛を(にな)うカルザス騎士団や街道警備隊から再三に渡り苦情が来ている。――ドルバス将軍を始めとした各方面へは使者を手配済みだが、軍部との摩擦を極力軽減出来るよう努めて欲しい」


「尽力いたします」


「うむ。――だが、最も気をつけねばならんのは、現在の混乱を王宮や神殿勢力に気取られぬことだ。特にホスロー様の不在は、なんとしてでも隠し通してくれ」


「……わかりました」


 ギルドがレギウス教国内で強い発言力を有するのは、その長であるホスローの存在があればこそだ。

 分かっていたことではあったが、やっかいな役廻りを振られたフレインの表情は硬い。さらにその後方へ、アルザイールの視線が向けられる。


「アイシャ。そなたには引き続きフレインの補佐を頼む」


「御意に」


 フレインの背後に控えた女魔導士が深く(こうべ)を垂れる。


「サダム、そなたは手の者を使い、なんとしても脱走した魔族の所在を突き止めよ。同時にホスロー様の捜索についても期待している」


「お任せ下さい。全力を持ってあたりましょう」


 何食わぬ顔でうけあったサダムが、アルザイールへ問い掛ける。


「あの娘への監視は、いかがなさいますか?」


「その任は一旦解……そうもいかんか。今はそのような事にかかずらってはおられんが、とても瑣末事(さまつじ)とは言えん。手の空いた者を一人付けておけ」



 次々と指示が下されて行く中、おおよそのところが思惑通りに運んだフレインであったが、その胸中には暗雲が立ち込めていた。





 魔族の領域、中央と北部を隔てる緩衝地帯にあたる山並みの(ふもと)

 背の高いほっそりとした女魔族――白蓮は、石造りの古い館の前に立っていた。一見、遥か以前に打ち捨てられたかのような寂れたその館に、なんの迷いもなく踏み行ってゆく。

 かつては長年この地に住んでいたこともあり、その歩みは勝手知ったるものであった。


 館の奥。上階へ通じる階段の裏に隠された地下区画への扉を開く。

 地上部の建物とは違い、黒く光沢のある材質で造られた階段を降りきったところで、老齢の男が白蓮を出迎えた。


「ようこそおいで下さいました。白蓮様」


「お前は……松嶋(まつしま)、だったかしら?」


「左様です。お久しゅうございますな」


「そうね」


 高城よりやや年上といった年齢の執事が、丁重に腰を折る。


「八十年ぶりといったところでしょうか? お変わりのない美しさに、年甲斐もなく見とれてしまいました」


 しわ深い顔に笑みを浮かべた松嶋に、白蓮はそっけなく応じる。


「世辞は必要ないわ」


「いえいえ、世辞などとは心外です。むしろ美しいなどという無粋な言葉では、とても白蓮様の容貌を言い表せないと、私は常々思っておりました」


 次々と紡がれる美辞麗句に、閉口した様子の白蓮から不機嫌そうな気配が漂う。


「おお、軽口が過ぎたようですな。久しぶりにお会い出来た喜びで、少々心が舞い上がっているようです。――どうかご容赦下さい」


「……あなた、すこし“あの方”に似て来たのではなくて? よく回る(かろ)やかな舌は、品性と威厳を損なうわよ」


「はは、これは手厳しい。ですが確かに、従者は主に似るものですからな。――失礼、それではご用件を(うけたまわ)りましょう。さすがにこれ以上ご不興を買うと、生きた心地がいたしません」


「賢明ね。さっさと取り次いでちょうだい」


 冷たく命じた白蓮の言葉に、松嶋が困ったように顔をしかめる。


「それが、ただいま我が主は不在でして……数日ほどこちらへはお戻りになっておられないのです」


 白蓮の眉が軽く跳ねる。それは微かな動きではあったが、内心の驚きを如実に物語っていた。


「珍しいこともあったものね。あの筋金入りの出無精が……どこへ行ったの?」


 白蓮の物言いに、咎めるような視線を投げつつ松嶋が答える。


「なにぶん自らの考えを口にするような方ではございませんので、私にはなんとも。――いつ頃戻られるのかすら聞き及んではおりません」


「……まったく、人を呼び付けておいて留守にしてるなんて……」


 口では不平を言いつつも、白蓮の唇には薄い笑みが浮かんでいた。――どうやらその不在は、彼女の意に叶ったもののようだ。


「いいわ。私が確かにここを尋ねて来たことだけ伝えておいてちょうだい」


「かしこまりました。よろしければ当館に滞在なされてお待ちしてはいかがですか? 主が出向かれてから世話をする方もおらず、暇を持て余しておりましたので」


「結構よ」


 言葉少なに(きびす)を返し、足早に立ち去ろうとした白蓮がふと立ち止まる。


「――世話をする方がいない? いまこの館には、あなたしか居ないの?」


「はい。お二人連れだって出かけておいでです」


「それは……本当に珍しいわね……」


「ええ、滅多にないことではございますが、最近は留守がちで、あちこちを奔走しておられるようです」


 白蓮は表情のない顔で考え込む。はた目からでは、その思いを読み取ることは至難であった。

 じっと一段低い階下に佇んでいた松嶋が、不意に何かを思い出したというように、ぽんと手を叩いた。


「おお、そういえばお二人が出掛けに、グラシェール天山について何事かを話し合っておられたのが記憶にございます」


「グラシェールですって? では神族が神の宮に降臨するという話は……」


「はい。私も半信半疑だったのですが……。状況から考えるに、それほど間を置かず現実の事となるようですな」


 氷のような美貌が怜悧(れいり)さを増し、松嶋を見据える。


「あなたは、あの方が何をしたいのか……どこまで聞かされているの?」


「先程も申しました通り、我が主は自らの考えをあまり口になさる方ではございません。私が知らされている事柄など、白蓮様には及びもつかないものだと存じます」


 内心を見透かそうとするかのような視線を避け、松嶋は顔を伏せる。深く下げられた頭を見下ろし、白蓮は納得したかのように息をはいた。


「……そう。確かにそうね。――では私はこれで失礼するわ」


「あ、白蓮様。せっかくお越しいただいたのです、せめてお茶の用意でも――」


「不要よ」


 白蓮は階段を登りながら背中越しに応える。


「せっかく留守にしているのだから、運悪く鉢合わせしてしまわない内に帰らせて貰うわ」



 苦笑を浮かべた松嶋はふたたび腰を折り、白蓮の後ろ姿を見送った。





 戦乱の気配漂う魔族の領域。その中枢たる皇城の南方に広がる森林地帯で、凄まじいまでの爆音が天地を揺るがせた。


 四方へ地鳴りを走らせた爆発地点の中心には人影がふたつ。それは、けほけほと咳込む魔王灰塚と、耳を押さえてうずくまった傾国であった。


「っ~~~~! すごい煙ね……」


 乳白色の濃い水蒸気に巻かれ、ぱたぱたと灰塚が手で扇ぐ。

 生身であれば蒸し焼きになるほどの熱気ではあるが、それよりも肺に吸い込んだ水分過多な空気の方がつらかったようだ。

 むせ返りながらも、その身から赤熱した魔力を放つ。周囲の大気が燃焼し、上昇気流が生み出される。


 あらかたの水蒸気が上空へと吹き上げられた後には、目を回した傾国がこてりと地面に転がっていた。――こちらは鼓膜をつんざくような爆発音が堪えたらしい。


「……また失敗のようね」


 視界を取り戻し、先程の水蒸気爆発による成果を覗き込んだ灰塚が、げんなりとした様子でつぶやいた。

 眼前には巨大なクレーターが出来上がり、地面はきれいなガラス状になっていた。

 ……しかし、そのすり鉢のような底面には無数の亀裂が蜘蛛の巣模様を作っている。


「これでは湯を溜めることが出来ないわ。――傾国! やり直しよっ」


「あ……ぅ……」


 よろよろと立ち上がった傾国が、泣き声をあげる。


「あ……たし、もうむりぃ……」


「今のはお前が水量を多くしすぎたから失敗したのよ! ぐずぐず言ってないで早くおしっ」


「ひぃ~~ん」


 泣き出した傾国の額を灰塚が軽くこづく。


「あの……灰塚様?」


 おそるおそる伶琳(れいりん)が声をかける。それまで巻き込まれないよう遠目から様子をうかがっていたのだが、傾国の泣き声が聞こえ、慌てて駆けつけたのだ。


「もう皇城は目と鼻の先ですし、こんな事をしていないで、早く帰還なされた方がよいのではないでしょうか」


「こんな事、ですって?」


 ぎろり、といった擬音が聞こえて来そうな剣幕さで灰塚は伶琳を睨む。


「あなた……ここに露天風呂を作れば、どれほど素晴らしい思いが出来るのかわからないの?」


「は……あ……」


 正直にわからないとは答えられない怜琳が、あいまいに首をかしげる。

 露天風呂も何も、灰塚の目的は傾国を皇城へ連れていくことだったはずなのだ。


「考えてもみなさい。大きな露天風呂でお姉さまと二人……」


 灰塚の目つきがすこし怪しくなってくる。


「真っ白で淡雪のような肌をほんのりと紅潮させ、降り注ぐ月光のような銀髪を結い上げたお姉さまが、うなじに垂れかかる(おく)れ毛を――こう、細くしなやかな指先でかき上げて…………そんなお姉さまが私に言うの……」


 どこかへ旅立ってしまった灰塚を呼び戻そうと、傾国がドレスの裾をくいくいとひっぱる。

 そんなことは気にも止めず、夢見る魔王は誰かの口まねをしだす。


「灰塚、身体を洗ってちょうだい。――もちろん、あなたの舌でよ……」


「は、灰塚様……??」


 組んだ両手を頬にあて、ふるふると身悶え始めた灰燼の魔王から、傾国と怜琳は一歩後ずさった。

 そして、灰塚の夢芝居はつづく。


「ああ……!! お姉さま、ゆるしてくださいっ! ――――駄目よ。全身くまなく綺麗にするまで許さないわ。――――そんな……わかりました、お姉さま。私も北部では比類なき力を持つと言われた魔王です! その誇りにかけて!! 灰塚はがんばりますっ!!!!」



 怜琳は、灰塚が視界に入らないよう傾国を振り向かせ、そっとその耳を塞いだ。

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