憂い断つ狩人
蒼ざめた月が照らし出す森の中、三人の男が地面に穴を掘っていた。男達はいずれも灰色のローブをまとい、手にした農具を地に突き立てる。
数日前に降った雨のおかげで、水分を含んだ土は柔らかかった。
男達はとりたて体格がよいというわけではないが、こういった作業には慣れているらしく、中々に手際がいい。
穴を掘っていた男の一人が、一旦手を止める。すでに穴の深さは、彼の腰近くまで掘り進められていた。
「ふいぃ~~」
大きく息を吐き、穴の外に立つ年若い導士を見上げる。
「フレインの旦那。これくらい掘れば十分じゃねぇですかね? この辺りは野犬も少ない。滅多なことにゃならないと思いますぜ」
野卑な顔つきをした男は、フレインの足元にちらりと目をやる。
意味ありげに細められた視線の先には、人がすっぽり入るくらいの大きなズタ袋があった。
「そうですね。ですが私には、やや深さが足りないように感じます。――申し訳ありませんが、もう少し作業を続けて貰えませんか?」
しばし威圧的な顔でフレインを睨んだ男であったが、無言で己の仕事に戻る。
夜の森で黙々と穴を掘り返す三人の男は、サダムの仲介で渡りを付けたギルドの魔術士であった。
魔術を志す者としての才に恵まれない、うだつの上がらぬ食い詰め者達。要職につくこともなく、ギルドから依頼される細々とした雑務で、その日の生計を立てている下級術士だ。
時には、あまり表沙汰に出来ないような仕事に絡むこも間々ある。――今回のように。
予想外に出来上がってしまった死体の処理に頭を悩ませる、という事態は誰にでもあることだ。そう考えるような男達であった。
「そろそろ私は行かなくてはなりません。これは約束の金です」
フレインは懐から皮の袋を取り出し、術士の一人へ手渡す。
受けとった男は、ずっしりとした袋の感触に、軽く驚愕の表情を浮かべた。
「こりゃあ……」
慌てて中身を確認した男が、にやにやと相好を崩す。
彼らに約束されていた報酬は、一人頭金貨三枚。
一日の稼ぎとしては破格な額である。
だが――皮袋の中には、ざっと見ただけでも十枚以上の金貨が詰まっていた。
「十五枚、あります」
フレインの言葉に男達から歓声が上がる。
「ひゃははっ! さすがフレインの旦那だ。気前がいい!!」
「もちろん口止め料も含まれています。この事は、くれぐれも内密にお願いしますよ」
「ええ、ええ、重々承知でさぁ! しかし――」
男達のねっとりとした厭らしげな視線が、フレインにまとわりつく。
「これを機会に、旦那とは末永いお付き合いをしたいもんですねぇ」
おそらく、亡者が金に目を眩ませれば、こんな目をするのではないかという案配だ。
「ははは……」
渋面を作ったフレインの口から、乾いた笑いが漏れた。
「私としては、これきりにしたいものですね。……二度とこんなことには……」
やつれた顔を気弱げに歪め、フレインは男達に背を向ける。
「へへへ、そう言わずに、なんかあったら声を掛けてくだせえよ。俺達と旦那の仲じゃありませんか」
親しげに、というより、馴れ馴れしい態度で歯を剥いて笑う。
魔術士などより、山賊にでもなった方が出世を見込めるのではないか、と誰もが思うような顔である。
「そうですね……考えておきましょう」
地面に置いてあったカンテラの一つを拾い上げ、フレインは歩き出す。
「では、くれぐれもお願いしますよ。その袋が決して人目に出ぬよう、深く深く葬って下さい」
「へいへい。了解しやしたよ」
フレインの姿が暗い森の闇に溶け込む。
見送った男達が笑い声をさざめかせた。
「いや~、なんていうか、俺達にも運が回って来たな!」
「ちげえねぇ。なんたって次期宮廷魔導師と噂されてる、あのフレイン“様”だぜ」
男達は、侮蔑を含んだ顔でにやにやと笑う。その視線がズタ袋へと向けられた。
「どう考えても、まともな死体じゃねえよな」
男の一人が穴から這い上がる。そして、袋の口を閉ざす、しっかりと結ばれた縄に手を掛けた。
彼ら下級術士には、その存在すら知らされていないギルドの地下深くから人目を避けて運び出した袋。
中は見ていないが、持った時の感触から、それが人の――女の屍だということには想像がついていた。
今回の彼らの仕事は、ギルドを通した正式な依頼ではない。しかも、決して他の者に口外しないよう釘を刺されている。
訳ありの後ろ暗い仕事であることは、一目瞭然だ。
運び出したのが牢屋らしき場所だということを考えれば、なんらかの手違いで獄死させてしまった囚人を秘密裏に処理しようとしている、そんなところであろうと男達は考えていた。
宮廷付きの立場ある魔導士にとっては、大変な弱みとなるだろう。
「おおっ! こいつぁ……」
驚愕と感嘆の入り混じった声に、他の二人が顔を向ける。
縛ってあった縄が解かれ、袋から覗いていたのは、美しい女の顔だった。
「なるほどねえ、確かに生きてれば奮い付きたくなるくらいの別嬪さんだ」
「俺ぁ死体でもイケるな。お願いしたいくらいだぜっ!」
「この変態が。まあ、生きてりゃお願いしたくなるってのは同感だがな」
どっと笑い声を上げた男達は知らない。
その女が、もしこの場で目を開くようなことがあれば、何をどうお願いしたところで、彼らの命は一瞬で潰え去るような存在であることを。
「にしても……ずいぶんと安らかな死に顔だな」
「いい事してる最中におっ死んじまったんじゃないか?」
薄い笑みすら浮かぶ女の顔を、男達はまじまじと見つめる。
「しっかし……おとなしそうな顔して、あの魔導士殿もやるもんだな」
どこか女性的なフレインの顔立ちを思い浮かべ、そんな感想をつぶやく。
「しかも金払いがいい!」
「くくっ、しばらくは美味しい思いをさせてくれそうだぜ」
彼らにしてみれば、弱腰とも言える柔和な態度のフレインは、よい金づるにしか見えなかった。
欲に塗れた三つの笑い声が、静かな夜の森に染み入ってゆく。
「とっとと終わらせようぜ。もう少しだけ掘って埋めちまおう」
「だな。人一人埋める分には、こんだけ掘りゃ十分だと思うけどよ」
男達は穴を掘る。
美しい女魔族の墓穴を。
暗い夜の森をフレインは歩く。
自然と歩みは速まり、何かにせき立てられるかのような足取りだった。
人気のない森は不気味だ。
闇に対する根源的な恐怖は、誰しもが生まれながらに持っているものである。
カンテラの明かりに影を揺らめかせる木々が、得体の知れない化け物のように感じられた。
足元の木の根を気にし、伏し目がちとなっていたフレインは、覚えのある冷たい気配に顔を上げる。
前方の闇から湧いて出たような人影。
暗がりへ対する人の恐怖心が、具現化したのではないかと見紛ごうばかりの不吉さ。
それは、細く華奢な体つきの、少女の形をしていた。
光源を持たぬのに、迷いのない足運びで近づいて来る。
フレインは立ち止まり、明かりを持たない少女へ、手にしたカンテラを差し出す。
すっ、と手が上がり、フレインの腕に少女の手の甲が当たる。
そのまま軽く押しのけられ、二人は無言ですれ違う。
フレインは声も無く頭上を仰いだ。
中天を越えた十六夜の月が、西の空へと傾いていた。
赤みを帯びた月には雲一つかからず、煌々とした光を降り注がせている。
ガルナでの戦いを思い出す。
月明かりのない闇夜の森で、魔族の斥候を見事狩り出した少女。その手腕を考えれば、状態はさほど悪くもないのだろう。
木立に紛れた影を見送り、森の奥で墓穴を掘る者達へと思いを馳せる。
金子を受け取り、はしゃいでいた男達。まともに働けば、金貨五枚という金額は、彼らの数ヶ月分の稼ぎに相当するはずだ。
たった一晩でそれだけの金を手に出来れば、有頂天となるのも頷ける。
――だが…………
それが自らの命の金額だと知ればどうなのか。
墓穴を掘らされる対価としては、とても納得出来るものではないだろう。
放たれた狩人は凄腕だ。
彼らはこの夜を越えられない。
フレインはカンテラをかざし、暗い夜の森を歩き出す。
王都北西部の貧民街。その一角に軒を連ねる小屋の中に、サダムと向き合うフレインの姿があった。
「首尾は滞りなく」
告げた若い魔導士を見つめ、愕然とした面持ちでサダムが呻く。
「お前は本当に、大導師様を……」
「いえ。私ではありません。大恩ある大導師様を裏切る以上、せめて自ら手を汚さねばと思ったのですが…………私には無理でした」
「では、あの娘が?」
「はい……一瞬でした。あまりの事に我に返った時には、すべてが終わっていました」
痩せたフレインの顔には、はた目にも分かるほどの自責の念がにじみ出ていた。
「そのような顔をするな。見る者が見れば、お前が何かを仕出かしたのだとすぐに分かるぞ」
「……すみません」
表情を隠すようにフレインはうつむく。
「しかし、大導師様を一瞬でとは……あの娘、一体どれ程の力をつけているのだ……」
独り言めいたその言葉に、いらえはなかった。
場に沈黙が落ちる。
壁に掛けられたカンテラから、中に灯る炎の燃える微かな音が室内に響く。
耳が痛くなるような静寂を厭い、サダムが口を開く。
「それで、紹介した者達の処理は済ませたのか? もし事が露見するとしたら、あやつらからだぞ?」
「そちらも今頃は、すでに片が付いているでしょう」
サダムが眉をひそめる。
「お前はその死を確認していないのか?」
「アルフラさんが、私では心許ないから自分でやると……」
「ふ……む。ならば誰に任せるよりも確実であろうな」
深く納得し、サダムは鷹揚に頷く。
「後ほどその場の確認はする積もりです。私はギルド内の動きが気になり、一足先にこちらへ来ました」
「まだ大きな騒ぎにはなっておらぬ。大導師様の不在に気づいた者は居ても、現状ではそれほど大事だと考えてはいないようだ」
「そうですか……」
「地下牢の方も、見張りの交代時間である早朝までは、事が明るみとはならぬであろう。――眠らせた見張りの者は大丈夫なのか?」
「ええ、そちらも今頃は、南方のロマリアへ向かう馬車の中です。事の次第を説明したところ、話を振るまでもなく助けを求められました」
見張りをしていた術士には、眠っている間に中の虜囚が逃げたとだけ伝えてある。
ギルドの最重要区画から脱走者を出した不手際に恐れおののいた術師は、それを仕組んだフレインへ助けを求めた。
彼は取り乱す術師に幾つかの知恵と充分な金子を与え、この王都から送り出したのだ。
落ち着いて考えてみれば、その術師もフレインへ対する疑念を持つだろう。――だが、それを確かめる手段を術師は持たない。
悪い事をしたとは思うが、眠っている間にアルフラから殺されてしまうよりは、よほど現状の方がましなはずだ。
「そういえばあの術師はロマリア出身だったな。かの地は現在、魔族の進攻により混乱している。追っ手を向けるにしても、容易にはいかんだろう」
「いえ、彼には国境地帯でロマリアからの難民に紛れ、ラザエル皇国へ行くよう言い含めておきました。自らの足跡を消すよう腐心するように、ともね」
「なるほどな。多くの人手を失ったギルドの現状を考えれば、そこまですればその術師についてもあまり心配はいらぬか」
ふっとサダムが一息つく。
「後顧の憂いはあらかた断たれたようだな。フレイン、お前……酷い顔をしておるぞ。とりあえず朝まではゆっくり休んだ方がいい」
フレインのげっそりとやつれた顔に苦笑が浮かぶ。
「そういう訳にはいきませんよ。これから王宮へ戻り、仕事を片付けねばなりませんからね」
呆れた顔をするサダムへ、フレインは苦笑を深める。
「私は夕刻に、疲労で倒れたのですよ。今は休養をとっている事になっています。ですが残して来た仕事をなんとかしないと。――明日は忙しくなりますからね」
「そうだな。消えた爵位の魔族、失踪した見張り、姿の見えない大導師様。……明日には忙しくなるだろうな」
腕を組み、難しい顔で思案していたサダムが、まじまじとフレインの顔を見る。
「その顔色で倒れたとなれば、よほど説得力があったのであろうな。本当に死にそうな顔をしている」
「そうらしいですね。王宮の者は、一瞬私が死んでしまったのではないかと思ったそうですよ。……しかし、まさかあなたから心配されるほどだとは思いませんでした」
冗談めかしたように言ったフレインが、一旦言葉を区切る。そして悲しげに微笑んだ。
「アルフラさんからは、とくに何も言われませんでしたけどね……」
部屋の扉が開き、にこにことご満悦な様子のアルフラが帰宅した。
「ただいま。まだ起きてたんだ」
普段であればとっくに就寝してるはずの面々を、アルフラが見回す。
「ん、ああ。あんまり遅いからさ。すこし心配してたんだ」
笑顔を作ったシグナムが、アルフラの肩へ腕を回す。
「さぁ、こんな時間までフレインと何をしてたのか、白状して貰おうか?」
興味なさそうにそっぽを向いていたジャンヌが聞き耳を立てる。その隣に居たルゥは、アルフラから身を引くように壁際まで後ずさっていた。
「ん?」
そんなルゥの様子に気づき、シグナムが不審げな顔をする。
「どうした、ルゥ?」
「……血のにおいがする」
その一言で、室内に軽い緊張が走った。
「まさか、あの魔導士と……」
口許に手を当てたジャンヌが、なぜかアルフラの股間を見つめる。
「そういう冗談はいいから」
ごちんっ、とシグナムのげんこつが神官娘の頭頂部に落ちた。
ひゃいぃ、と変な悲鳴を上げ、ジャンヌがうずくまる。
「アルフラちゃん? なんかあったのか?」
「別になにもないわ。もぅ、ルゥったら……」
アルフラは、壁を背にしたルゥの正面に立つ。
「あたし、いま気分がいいんだから。変なことは言わないで」
ルゥは壁に張り付くようにして、ぴくりと肩を震わせた。
「……っ…………」
顔を寄せ、アルフラはルゥの瞳を覗き込む。
「あたしだけ“美味しい物”を食べて来たから怒ってるんでしょ?」
動かぬ瞳でじっと見つめてくるアルフラの笑顔が、ルゥにはとても恐ろしい。
「こんどフレインに言って食卓亭でご馳走してあげるから、機嫌直して、ね?」
アルフラの人差し指が、かすかに震えるルゥの唇に触れる。
そういったことに鈍い狼少女にも、余計なことは喋るな、と示唆されているのだと理解出来た。
「う、うん」
「ふふ、いい子ね」
なんとかアルフラの視線から逃れたルゥは、尻尾を丸めた子犬のようにとぼとぼと寝台へ向かう。
一連のやり取りに何とも言えないような不安を感じたシグナムは、それ以上アルフラに追求することなく就寝の用意を始めた。
――明日にでもフレインを捕まえて、事情を聞いてみないといけないな……




