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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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待ち受ける危難



 王宮の離れに割り当てられたフレインの執務室。彼は今、各地から送られて来た書類の整理に追われていた。それらは主に各地のギルド支部からの報告書や嘆願書であったが、中には地方領主から送られた、どう見ても政務官宛てのものだろう、と首を傾げたくなるようなものまでが混じっていた。


 フレインはそれらを幾つかの山に分けていく。まず、自分の裁量で判断出来るものは資料などに目を通し、適切と思える処理をする。より高度な判断を要するものはひとまとめにし、宮廷魔導師であるアルザイール行きだ。そして明らかに管轄の違う書類に関しては、ものにより写しを取った上で相応の部所へ回す。


「ふーーっ…………」


 大きく息をついたフレインは、一旦手を休めて軽く肩を捻る。当初は慣れない仕事の連続で、寝る間もないほどに多忙を極めていた。それから一月ほどをかけ効率化を図り、最近ではなんとか睡眠時間を確保出来るまでになっていた。しかし、貯まった疲労は果てしない。

 とりあえず、まとまった睡眠を一度摂りたいとフレインは切実に願っていた。


 やや虚ろになってきた目をしばたかせ、滋養強壮の効果がある葉を浮かべた苦い茶をすする。


 ずずずっ、と一気に飲み干した時、扉が叩かれ来客の訪れが告げられた。


「ギルドから使いの者が参っております」


「……ギルドは私を殺す気ですか? 過労死狙いですか?」


 やつれて頬骨の浮き出た顔をしかめ、フレインは首をふった。


「明日にしてもらって下さい。これ以上仕事を増やされたら、私、本当に死んでしまうかもしれません」


「いえ、おそらくそういった用件ではないと思うのですが……シグナムと名乗る大柄な女戦士で――」


「シグナムさんですか!?」


 告げられた名のあまりの意外さに、フレインは思わず腰を浮かした。


「すぐにお通しして下さい」


 一礼して退室した案内の者がシグナムとカミルを伴い戻ってくる。


「よっ、すまないね。忙しい……」


 カミルと共に部屋へ入ったシグナムが、フレインを見て一瞬口ごもる。


「……なんか、随分げっそりと……ほんとに忙しそうだな」


「あ、ええ。もう本当に忙殺されそうですよ、仕事に。書類は山のように届くし、朝議だ会食だ各方面との調整だと覚える事も後を絶たず……」


 疲れ果てた、といった感じでフレインは肩を落とす。


「フレイン様……」


 心持ち顔を赤らめたカミルが、心配そうにフレインのやつれた顔を見やる。

 一介の見習いに過ぎないカミルは、本来ならばフレインと顔を会わせる機会はほとんどない。若くしてギルドの要職に就くフレインは、魔術を(こころざ)すカミルにとって、いわば目標であり憧れの存在である。深く尊敬し、彼のようになりたいとも思っていた。


「あー、そんなだとすごく言い出しにくいんだけどさ」


 疲労を色濃く浮かべたフレインへ、やや遠慮がちにシグナムはつづける。


「ちょっと宿舎まで来てくれないか?」


「は? 今から、ですか?」


 気だるげな様子で尋ねたフレインへ、シグナムがひとつ頷く。


「アルフラちゃんがね、あんたに会いたいんだとさ」


「行きましょうっ!」


 間髪も置かず即答したフレインだったが、すぐに不安そうな表情をする。


「あの……最近私は、アルフラさんからずっと無視されていたのに、一体どういった……?」


 ここ一月ほどの間、フレインはなんとか時間に都合をつけ、宿舎を幾度か訪れていた。だが、例の一件以来アルフラには口もきいてもらえない。

 白蓮が去り際に残した忠告が、経緯は違えど現実の物となっていたのだ。


「んー、そのへんは道すがら話そう」


「わかりました。――あっ、この時間なら外来用の馬車を使った方が早いですね。ついて来て下さい」


 言ってフレインは足早に歩き出した。シグナムもその後につづく。



 あまりにあっさりとシグナムの言葉が受諾されたことに、カミルは目を丸くして驚いていた。そして、急いで二人の背を追った。





 宿舎へ向かう馬車の中。シグナムは正面に座るフレインに、事の成り行きを説明した。相槌を打ちながら耳を傾けていたフレインは、となりに腰掛けたカミルへ顔を巡らす。


「カミル。そういった噂の類いは、今後あまり口にしない方がいい」


「は、はい。すみませんでした。気をつけます」


 びくりと首をすくめたカミルを一瞥し、シグナムがフレインへ尋ねる。


「爵位の魔族の話は、本当なのか?」


「……その問いには、肯定も否定も出来ません」


 フレインは目線でカミルを指し示す。

 一瞬、カミルには意味ありげな視線の意図が読めず、しばしの間沈黙が落ちた。そしてすぐ、暗に自分が居るから話せないのだとフレインが言っていることに気づき、カミルは慌てて口を開く。


「あ、あの! 僕、一度ギルドへ寄らないといけないので、この辺りで降ろしていただけると助かります」


「……すみませんね、カミル」


「い、いえっ。僕の方こそ、ずうずうしく王宮の御用馬車に乗せていただいてしまって……あの……ありがとうございました」


 ぺこぺこと頭を下げるカミルに、フレインは柔らかな笑みで応えた。

 シグナムが御者に声をかけ、馬車を止める。


「ああ、そうそう」


 馬車を降り、ふたたび走り出すのを見送ろうとしていたカミルに、フレインが幾らかの金子(きんす)を差し出した。


「アルフラさんやルゥさんは甘い物が好きです。なにか機嫌を損ねてしまうような事があれば、市場で菓子や果物などを買って、渡してみるとよいですよ」


「あ、ありがとうございますっ」


 カミルがおずおずと数枚の銀貨を受け取る。フレインはその肩に手を置き語りかけた。アルフラへ対するカミルの心証を良くするために。


「カミル。今あなたに与えられている仕事は、なにぶん気苦労も絶えず戸惑うことも多いでしょう。アルフラさんはいささか気性の激し――いえ、気性の荒い……」


 気性につづく穏当な言葉が浮かばず、フレインは最初から言い直す。


「その……アルフラさんは気難しいところもありますが、それは性格がすこし繊細だというだけで、本来はとても優しい人です。あなたに出来る範囲でよいので、なにかあれば力になってあげて下さい」


「わかりました。僕、頑張りますっ!」


 カミルは、走り出した馬車に何度も頭を下げる。

 軽く手を振るフレインは、にやにやと笑みを向けてくるシグナムの視線に気づき、居心地の悪そうな顔をした。


「な、なんですか?」


「いや……なんでもない」


 くすりと一つ笑んで、シグナムは表情を真剣なものへと改める。


「……で、だ。さっきの話、実際のとこはどうなんだ?」


「――ギルドの地下。その最下層には、子爵位の魔族が囚われています」


「子爵!?」


「はい。幾重にも封印術式を施した、堅固な地下牢に」


 ディース神殿での戦いがシグナムの脳裏をよぎる。圧倒的な力を見せた女子爵、戒閃の姿が。

 ギルドの地下に囚われた貴族が、それと同等の力を持つ魔族だという驚愕に声が上擦る。


「よくもまあ、そんなとんでもない奴を……」


「それにはすこし複雑な事情がありましてね。現状では封印と薬物の大量投与を併用し、その身を力ごと縛りつけています。――常に半覚醒状態にし、ほとんど意識が無いといった感じですね」


「……その上で、血を抜いてるのか? 生かさず殺さず少しづつ」


 眉をひそめたシグナムを見て、フレインも顔を曇らせる。


「……ええ。おっしゃりたいことは分かります。ですが、私は立場上それを必要な行いだと考え、割り切るしかありません。魔族との戦いに手段を選べないというのも事実です。――人は、それほど強くはありません」


「いや……別に責めてる訳じゃないよ。ただ、聞いてて気分のいい話でもない。……それだけさ」


 シグナムは馬車に取り付けられた小窓を開く。外気を大きく吸い込み、胸に湧いたもやもやとしたものを紛らわす。


「どうするつもりだ? アルフラちゃんがその事を知れば……」


「今まで以上にカンタレラへ対する要求が高まるでしょうね。より強固に」


「それで? あんたにカンタレラは都合出来るのか?」


「おそらく……出来ません。アルフラさんが大導師様と話し、その願いを断られたのであれば、私にも無理です」


 だが――どう考えても、無理です、はいそうですか、で済む話ではない。相手はアルフラなのだ。

 口を閉ざした二人は、しばらく無言で顔を見合わせる。


「どうするつもりだ?」


「ど、どうしましょう」


 フレインの浮き出た頬骨を一筋の汗が伝う。


「……爵位の魔族の存在をごまかすというのはどうでしょうか」


「ばれた時のこと考えて言ってるのか? それ以前に口の滑りやすいあんたが、アルフラちゃん相手にごまかしきれるかって話だな。――あたしはあんまりお勧め出来ないね」


「そ、それは確かに……」


「仕事に殺されるより、アルフラちゃんに殺される心配をした方がいいね。――真剣に」


 引き攣った顔のフレインが、両手で頭を抱え込む。

 見かねたシグナムが何事かを口にしようとした時、馬車が速度を落とし停止した。


「あ……」



 何の答えも出ぬまま、馬車は宿舎に着いてしまっていた。





「いいかい? 部屋へ入ったら、扉は閉めず開けたままにしとくんだよ」


 暗い廊下を歩きながらシグナムが確認する。

 ぎしぎしと軋む床板の音が静かな宿舎の中に響く。普段はあまり気にならないその音が、いまのフレインにはやけに大きなものに感じられた。


「戸口の近くに立って話しをするんだ。不用意にアルフラちゃんに近づいたら駄目だからね」


「わ、わかりました」


「話しをする時は、あたしがあんたの斜め前方に立つ。もしもの場合は、また止めに入ってやる。――その時は、あんたもこの前みたいにぼうっと突っ立ってないで、さっさと逃げるんだよ」


「ありがとう、ございます」


 フレインはびくびくとした様子でシグナムの後をつづく。その目には、彼女の広い背がとても頼もしいものに映っていた。


「大丈夫だって。アルフラちゃんに襲われるあんたを助けるのも、いい加減慣れてきた」


 実際、フレインはシグナムに幾度か命を救われている。もしその助けがなければ、彼はアルフラから首を跳ねられたり、頭を潰されたり、短刀の的にされたりといった末期を迎えていたはずだ。


「シグナムさんには本当に感謝しています」


「なあに、気にするこたぁないよ。同じ戦場に立った仲間が、目の前で殺られちまうのは寝覚めが悪いからね」


 微苦笑を浮かべたシグナムが扉の前で止まる。


「よし。開けるよ」


「は、はい」


 フレインは大きく息を吸い気を落ち着ける。

 シグナムは、そろりと開いた扉から部屋の中を覗き込んだ。


「……あれ?」


 左右に首を巡らしたシグナムの口から、疑問の声があがる。

 部屋で待っていると思っていたアルフラの姿がなかったのだ。


「あっ、お姉ちゃんおかえりー」


 ジャンヌにじゃれついていたルゥが、すかさず駆け寄ってくる。朝方作った大きなたんこぶは、満月が近いためすでに完治していた。


「ルゥ、なんでアルフラちゃんが居ないんだ?」


 問いかけたシグナムの背後から、安堵のため息が漏れ聞こえた。室内にアルフラは居ないと知り、フレインの緊張の糸が切れたらしい。


「アルフラはちょっと前にね、なんか荷物かかえてお外へいったよ。フレインがきたら、一人で宿舎裏にこいって言ってた」


「は? なんだ荷物って」


 その問いには、ルゥに遊ばれて髪の毛をくしゃくしゃにしたジャンヌが答える。


「これくらいの袋ですわ。なにやら贈答用の包装がされた」


 ジャンヌがこれくらい、と胸の前で手を肩幅くらいに広げる。


「……なんだそりゃ? 意味が分かんないな」


「わたしにもよく分かりません。アルフラは変わってますから」


「いや、お前が……」


 言うな、と小一時間ほど説教したい気持ちを抑え、シグナムは背後のフレインへ向き直る。


「とりあえず、宿舎裏へ来いってことらしい」


「一人で、ですか?」


 強張った面持ちのフレインが細い声を出した。


「らしいね。でも何でわざわざ外に呼び出したりするんだ……?」


「室内を忌まわしい魔導士の血で汚さないようにという配慮では?」


 ジャンヌが意地の悪げな顔でフレインを見る。

 ギルドの主導で進められている魔族との和平は、ジャンヌにとって神への裏切りに等しい。それを行う魔導士全般に激しい敵意を抱いていた。


「い、いきなりそんな事にはならないでしょう。……アルフラさんは、カミルが口にした噂の真偽を私に尋ねたいのですよね?」


 ジャンヌとシグナムを交互に見比べ、フレインが不安そうにする。


「……のはずなんだけどね。でも、カミルと話してた時の剣幕さからして……ない、とは言い切れないな」


「そんな……」


「話の流れによっちゃあ、ふとアルフラちゃんの気が変わってあんたを殺そうと思い立っても……あたしは全然不思議とは思わないね」


 黙って聞いていた狼少女が、がくがくとうなずく。ルゥもこれまでに、何度か命の危険を感じたことがあり、その表情はかなり切実だ。


「わ、私は一体どうすれば……」


 青ざめ、膝を震わせるフレインを勇気づけるように、シグナムがその肩を叩く。


「アルフラちゃんはなんか荷物を持って行ったみたいだし、もしかするとあんたに贈り物でもして口を割らせようと……」


 言いながら顔をしかめたシグナムが、途中で言葉を飲み込んだ。


「……いや、それはないか。自分で言って呆れてきた。――なんなんだろうな、その袋の中身は……」


「アルフラは細剣も持って行きましたわ。――やはりその魔導士を殺すつもりだというのが一番ありそうですわね」


「でもアルフラはお外へゆくとき、かならずあの細剣を持ってくよ?」


 不可解なアルフラの行動に、みなが一様に首を捻る。


「考えててもしょうがないな。あんまりアルフラちゃんを待たせない方がいい」


 シグナムの声に促され、フレインが渋々とうなずく。


「私、一人で行くんですよね……?」


「ああ、わざわざ人目に付かないような場所を選んで一人で来いって言ってるんだ。あたし達がついてっちゃまずいだろ」


 シグナムも不安を煽るつもりはないのだが、フレインは目に見えて顔色を無くしていく。


「あたしは宿舎の脇あたりに隠れて様子を見てるよ。アルフラちゃんは勘がいいからね。あまり近づくと気づかれちまう」


「……分かりました」


「さっきも言ったけど、話す時はくれぐれも近づき過ぎないようにね。絶対にアルフラちゃんの間合いに入っちゃ駄目だよ」


「は、はい」


「アルフラちゃんの間合いは広い。あんたが安全だと思う倍の距離を保つんだ」


「倍、ですか?」


「ああ、分かってるとは思うけど、防護の呪文なんて唱えてる暇はないからね。すこしでもアルフラちゃんがおかしな動きをしたら、すぐに悲鳴を上げな。――間に合うかは微妙だけど助けに行くから」


 フレインが情けない顔をする。


「悲鳴って……そんな暴漢に襲われた婦女子のような……」


「あのな、相手はアルフラちゃんなんだよ。――あんたが危ないと感じた時には手遅れだ」


「それは……なんとなく分かります」


「いいかい? もしもアルフラちゃんが殺ろうと思った時は『殺す』とか『死にたいのか』みたいな脅しや警告は無いからね。――直接殺しにくる」


 シグナムが軽くため息をつく。


「前に一度だけアルフラちゃんが『死ねっ』て言ったのを聞いたことがある……オークの指揮官だったかな。その時には、そいつはとっくにくたばってたけどね」


 フレインはがっくりとうなだれる。色濃い疲労が陰を落とすその表情に、死を覚悟した戦士のような悲壮さが浮かんでいた。



「……万一の時には諦めます」

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