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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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不断の魔手



 カンテラだけが光源の薄暗い室内。ギルド本部の地下に位置する一室で、アルフラは大導師ホスローと対峙していた。

 石畳に直接腰を下ろしたホスローの背後には、彼同様、深くフードを降ろし、人相の定かではない魔導士が四人立ち並んでいた。


「では、お前は魔王雷鴉様については何も知らぬと?」


「そうよ、何度も言ってるでしょ。聞いたこともないわ」


 低く響くホスローの声は、以前のようにどこか湿り気のある聞き苦しいものではなかった。そして、その身から発せられるおどろおどろしい瘴気も明らかに減じている。瘴気の元凶である多くの死霊たちが、凱延との戦いで消滅してしまった為だった。


「すでに知っておるとは思うが、お前には複数の見張りを付けさせている。お前の生い立ちについても幾分調べさせてもらった」


 アルフラは険のある目でホスローを見返す。これまで彼のことを、かなり高齢の老人だと思っていたアルフラだったが、瘴気の薄まった濁りを帯びぬその声音を聞いて、予想していたよりはだいぶ若いのかも知れないと感じていた。


「お前が戦う理由は、村を焼かれ家族を殺されたからではなく、さらわれた育ての親である白蓮という魔族を救い出すためなのだな?」


「……そうよ」


「その白蓮という女は何者だ。何故さらわれた?」


「知らない……何も話してくれなかった。白蓮はあたしに、自分のことを何も教えてくれなかった……」


 鳶色の瞳が陰り、哀惜の色を湛える。

 悲しげに伏せられたアルフラの顔を、ホスローはじっと凝視していた。百数十年もの間、人というものを見つづけて来た不死の魔導師は、少女の目に偽りはないと感じた。


「……よかろう。どうやらお前から得られるものは、あまりないようだ」


「あたしも聞きたいことがあるわ」


「なんだ? ゆうてみよ」


「カダフィーはどこへ行ったの? 魔族を倒しに行ったのよね?」


 一瞬考えるような間を置き、ホスローが逆に尋ね返す。


「そのようなことを知ってどうする?」


「あたしは魔族と戦いたいの! あなた達だって、そのためにあたしをギルドへ連れて来たんでしょ」


「事情が変わったのだ。雷鴉様から下った命は聞かされておろう」


 ホスローは一旦言葉を区切る。そしてふたたび話し出したその声音には、苦々しげな響きがこもっていた。


「しかも、お前はあの凱延をも倒す力を持つに至った。今やお前の動向は、このレギウス教国の趨勢(すうせい)をも左右するのだ。――もはや迂闊には動かせん」


「そんなこと……あたしの知ったことじゃないっ!」


「お前がどう思おうと魔族と戦わせることは出来ん。国家の行く末にも関わりかねんのだからな」


 もしアルフラが魔族との戦いで命を落としたり、ギルドから離反するようなことがあれば、魔王雷鴉と結ばれた盟約を破ることになる。その場合、魔族との和平は成らず、戦乱は激化する可能性が非常に高い。

 下手を打てば、レギウス教国は滅びの一途を辿り兼ねないのだ。


「……じゃあカンタレラの量を増やしてよっ!」


 それもまたホスローには、容易に了承出来ない事柄だった。

 現状、アルフラの力が増大しても、ギルドに取って害になりこそすれ益にはならない。


 ホスローは重々しく答える。


「カンタレラは魔族や古代人種の血と、沈静作用を有した薬物、そして安定剤を用い精製している物だ。一日に作れる量には限界がある。これ以上お前に与える量を増やすのは、物理的に不可能だ」


 きつい眼差しで睨みつけてくるアルフラを意にも介さず、ホスローはつづける。


「それ以外のことであれば、なるべく便宜を図ろう。金銭面での待遇も向上させよう。望むのなら領地を得、貴族としての地位を与える事も可能だ」


 だが、そんな物でアルフラの心は動かない。視線は揺らがず、じっとホスローへ注がれる。


「これだけは理解して欲しい。儂も好き好んでお前に不自由を()いている訳ではない。――このレギウスには多くの民草が暮らしている。お前の動静は、その者達の命運に深く影響するのだ」


 口を開きかけたアルフラを、ホスローが手で制す。


「もうしばらくの間は、この王都にて大人しくしていてくれ」


 ぎりりと噛み締めた口許から、呻くような声が漏れる。


「……なんで?」


 アルフラは顔を紅潮させ、そのまなじりにはうっすらと涙が滲んでいた。


「なんでよ? なんでみんなあたしの邪魔ばっかりしようとするの!?」


 怒りに肩が震える。悔し涙が零れた。

 アルフラは子供っぽい癇癪を起こしていた。

 見も知らぬ他者の思惑がみずからの動きを妨げる。

 カダフィーは一人だけ抜け駆けし、アルフラには何も与えられない。

 これまでギルド内での便宜を図り、何くれとなくアルフラの望みを叶えてくれていたフレインも、最近では宿舎にすら顔を出さない。

 王都を訪れた白蓮は、アルフラに会うことなく去ってしまった。


 ようやく爵位の魔族を倒すほどの力を手にしたにも関わらず、なにもかもが思うようにいかない。

 もし白蓮と再会出来ていたなら、強い力を手にした自分を褒めて貰えただろう。そうアルフラは思っていた。雪原の古城で武技の訓練に明け暮れていた頃、よくそうしてくれたように、優しく抱きしめ、よくやった、と誉めそやしてくれるはずだと。


「すまんな。だがこれも――」


「うるさいっ!! そんなの知らない! あんた達が何もしてくれないなら、あたしも自分の好きにするっ!!」



 感情的に叫び、アルフラは足を踏み鳴らした。亜麻色の髪を勢いよくひるがえし、ホスローへ背を向ける。そして乱暴に扉を開き、部屋から駆け去って行った。





 薄暗い室内は静まり返っていた。


「凱延を打ち倒すほどの力を持てど、その中身は見た目と同じく、まだ年端もゆかぬ子供ということか……」


 ぽつりと、独り言めいてつぶやかれたホスローの言葉に応える者はいない。

 背後に控える四人の導士達は、フードに隠れた顔をホスローへと向け立ち尽くしていた。


 冷たい地べたに座したまま、ホスローは(うつむ)き黙考する。


「サダム。あの娘の言に偽りは無かったか?」


「はっ。私が遠見の術で見聞きした内容とほぼ同じです。それは、これまでに大導師様へ報告したものと一致しているはずです」


 ホスローは振り返ることなく、さらにサダムへ問う。


「お前がこれまでに知り得た情報は、逐一儂に報告しておるな?」


「もちろんです。ただ、あの娘は感情が激すと強い魔力を発しますゆえ、術が妨げられる事があります。ですので私の遠見も完全とは言えません」


 それはある種の保険とも言えた。サダムはアルフラについて幾つかの事柄を、故意に隠匿している。もしもの場合、自分は知らなかったのだと言い逃れる予防線となるだろう。


「ふむ……つくずく扱いづらい娘だ……」


 さきほどのアルフラの様子では、単身王都を離れ、そのまま戦いへ身を投じかねない。

 南方のロマリアが魔族の進攻を受けていることも、行商人などの口から王都の民に伝わっている。


「サダムよ。あの娘についてはお前が最も通じておろう。ギルドから離反する可能性はどれ程あると思う?」


「それは……私には判断が付きかねます」


 歯切れ悪く語尾を濁したサダムの答えに、ホスローはふたたび思案する。アルフラに対する懸念が他にもあるのだ。


 ギルドの地下で飼っているカンタレラの材料。近々ホスローはそれを“処分”しようと考えていた。

 材料の出自は魔王雷鴉との契約である。それはあくまで雷鴉個人との密約であり、魔族との和平を控えた今、その存在が明るみとなるのは非常にまずい。

 雷鴉から爵位の魔族を譲り受けたなどという事実は、早々に無かった事としなければならない。

 もともとカンタレラは凱延との戦いに備えて研究を進めてきたものだった。すでにその役割は終えている。そうなると今後、カンタレラの必要性は極めて薄くなるのだ。


 カンタレラの精製を破棄し、アルフラへ供給出来なくなれば、その身をギルドに引き留めておくことは不可能だろう。


――早急に手を打たねばならん


 だが、ホスローの中で、微かなためらいが生じる。アルフラのような幼い少女の運命を捩曲げることとなる、みずからの所業に対して。

 ホスローは凱延への復讐が成って以来、百年以上も前に命と共に絶えたと思っていた情らしきものを、己の中に感じていた。逆に、復讐心に起因する、どろどろとした負の感情と呼べるものの大半が失せてしまっていた。――まるで憑き物が落ちたかのように。

 実際、凱延との戦いで、怨鎖の導衣に囚われていた死霊の多くが滅せられたことも、一つの要因かも知れない。

 ()げられた復讐と共に戻ってきた人間味。それはここ最近、ホスローを悩ませる懸案の一つでもあった。


――いまさら、罪悪感などとは言うまい


 それが許されないほどの行いを重ね続けて来たのだから。


 彼はこれまで、多く命を(ないがし)ろにし、多くの者の人生を狂わせてきた。国政の中枢へ食い込み、百二十年もの間、レギウス教国から莫大な予算を引き出しつづけもした。それらは時に、飢饉であえぐ農民や戦乱により苦しむ国民を(かえり)みることなく行われた。


 すべては凱延を倒すためだった。


 レギウス教国を守るためにも必要なことではあったが、その発端はホスローの私怨にすぎない。


 生涯を()した復讐が成就した今、ホスローの望みはただ一つだった。それはレギウス教国の自治を保ったまま、魔族との和平を締結すること。

 戦乱の芽を摘み、レギウス教国に安寧をもたらすためだ。


 これまでの行いに対する贖罪(しょくざい)、などというつもりはない。ただ、多くの犠牲の上で成し得たものに、相応の対価を支払わねばと思っていた。

 そして、たどり着いた答えが、レギウス教国の繁栄である。


 まずは魔族の脅威を取り除き、国土から戦役(せんえき)を排す。そのためには、自治を保ったまま魔族との和平を締結させる必要があった。従属はしても、決して魔族の支配を受けてはならない。

 強大な力を持つ魔族の傘下(さんか)に入り、その庇護を受けられれば、周辺諸国との外交で優位に立てる。それ以前に、魔族の進攻が終わった時、レギウス教国の四方は魔族の領域となっているだろう。東のラザエル皇国も、南のロマリア王国もこの地上から消滅しているはずだ、とホスローは考えていた。

 神官達は、神族の助力をあてにしているようだが、頼みの綱であるレギウス神族はかつて魔族に大敗し、この地上から駆逐されているのだ。いまさら戦神バイラウェが降臨しようと、並み居る魔王に(こう)せるはずもない。なぜ神官達にはそんな事も理解出来ないのかと、ホスローは苛立たしく思っていた。


 真に、国と民のことを思うのであれば、大勢(たいせい)を見極め手段を講じなければならない。信仰などといったものに、目を曇らせてはいけない。情に流されるなど()っての(ほか)だ。


 ――そしてホスローは決断する。


「サダム。あの娘を拘束せよ。地下の最下層へ幽閉する」


「な――!? それは……」


 驚愕と戸惑いを帯びたサダムの声音を、ホスローはすこし誤解したようだ。


「凱延を倒す力を持つとはいっても、その身は人間だ。恐れる必要はない。やりようはいくらでもある」


「は……あ……」


「睡蓮の香を使うとよかろう。薬術をよくする術師を集めるのだ。……いや、事は万全を期さねばならん。ガルナへやったカダフィーの帰還を待とう。あれは人を無力化させる(すべ)に長けておる」


「か、かしこまりました」


「このことは他言無用だ。……とくに、フレインにはな」


「……御意に」


 深く頭を下げたサダムの顔は蒼白だった。すでに完治したはずの手首に、じくじくとした痛みを感じる。



 決してアルフラに危害を加えるな、とサダムに命じた恐るべき魔族のことが思い出された。





 アルフラが宿舎へ戻ると、部屋では三人の仲間とカミルが待っていた。

 その場の全員が、アルフラとホスローとの間で、どのような話がなされたのか気になっていた。しかし、あからさまな怒気を発するアルフラを見て、おおかたの予想がついたようであった。


 カミルはそろそろと扉へと移動する。が、視線に気づき硬直してしまう。

 他の者はともかく、なぜお前がここに居るのか、というアルフラの目が向けられていた。


 言い訳をするようにカミルが喋り出す。


「あ、あの。僕、師匠である魔術師の先生に聞いてみたんですけど、やっぱりカンタレラのことは大導師様や高位の導士の方でないと分からないそうです」


「知ってるわっ。その大導師さまと話してきたんだから!」


 そのまま、ぷいとそっぽを向きアルフラは寝台へ寝転がる。


「ご、ごめんなさい。でも、あまりカンタレラを多量に摂取すると、すごく身体に悪いそうなんです。お師匠様が言ってました。血を吐いたりして命を落とした人が幾人かいたのだと」


 それには応えることなく横を向いてしまったアルフラを見て、カミルは困ったように身を縮こませる。


「あれってそんなに危ないお薬なの? ボクは好きだけどなぁ。おいしいし」


「えーと……動悸とかが激しくならないようなら、それほど心配はないと聞きました」


「身体に火照りを感じる程度なら、毎日飲んでも問題ないってフレインが言ってたな」


 シグナムのつぶやきにカミルが頷く。


「そうですね。僕は飲んだことないですけど、お師匠様は立ちくらみや頭痛が酷いそうです。噂では、カンタレラには爵位の魔族の血が入っているとも聞きました」


「――ええっ!?」


 弾かれたようにアルフラが飛び起きる。


「ちょっと待って! 爵位の魔族って――それ、ほんとなの!?」


「い、いえ。あの、同じ見習いの友達から聞いた話なので、ただの噂かもしれません――」


「どっちなのよ! 爵位の魔族の血でカンタレラを作ってるなら、ギルドは貴族を捕らえてるってことよね!?」


 寝台を降り、詰め寄って来たアルフラの剣幕さに、カミルは泣きそうな顔をする。


「ごめんなさいごめんなさい。僕では詳しいことは解りませんごめんなさい」


「……いいわ。ならフレインを呼んできて」


「え、えぇぇ!? む、無理ですよう。フレイン様は今、王宮勤めなんですから……」


「そんなのわかってるわっ。いいから呼んできなさいよ」


 壁際まで追い詰められてしまったカミルが、助けを求めるように周囲を見回す。()()えとした空気を漂わせるアルフラが、恐ろしくてならなかった。


「僕なんかが王宮へ行っても、こんな夜中じゃ取り次いでもらえるかも――」


「あー、あたしがついてってやるよ。凱延討伐に加わったギルドの戦士だって言えば、会うくらいは出来るだろ」


「シグナムさん?」


「フレインのことだ、アルフラちゃんが会いたがってるって伝えれば、二つ返事で飛んでくるよ」


 あたしに任せときなっ、とシグナムが胸を叩き、にかっと笑った。


「あの……でも、フレイン様と会われたとしても、ギルドの者には厳しい守秘義務があります。カンタレラのことに関しては、フレイン様でもお話しは出来ないと思うのですが……」


 おそるおそる告げられたカミルの言葉に、アルフラがすこし考え込む。大きな鳶色の瞳をまたたかせ…………やがて唇が、きゅっと吊り上がった


「……あたしに“いい考え”があるわ」



 アルフラがにまっと笑った。

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[一言] あ~あ。ホスローの死亡フラグが立ってしまったか。 アルフラやっちまえ!!
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