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氷の滅慕  作者: SH
一章 楽園
8/251

戦禍の先触れ ※挿し絵あり



 四季の景観において、ほとんど変化の見られない雪原の古城では、二年の月日が流れていた。


 成長期にあるはずのアルフラもまた、その身体つきにあまり変化は見られなかった。

 だが、日々の暮らしにおける学びの時間の内容は、以前とくらべれば、やや進歩したと言えるだろう。


 午前は修練のかわりに、高城やフェルマーが教師となり、一般常識や大陸の歴史、広く浅い雑学など、多様な知識を学ぶ時間となっていた。高城の受け持つ授業では、毒物や人体の急所などといった、かなり物騒な内容のものまでが教授された。


 空いた時間には、フェルマーと一緒にお菓子を焼くこともあった。「お嬢様」であるアルフラが、厨房に入ることを彼女はあまり好まなかったが、渋々ながらもパイやクッキーの焼き方をアルフラに教えてくれた。


 高城やフェルマーは、アルフラのことをお嬢様と呼ぶようになっていた。逆に高城たちのことは、敬称を付けずに名前で呼ぶようにと頼まれた。

 白蓮を呼びすてにしているアルフラが、使用人である高城たちを、さん付けで呼ぶのは立場的にまずいとのことだった。


 野外生存術の実習との名目で、雪原を越えて山の裾野に天幕を張ったりもした。そのときは、白蓮がサンドイッチなどをフェルマーに用意させ、ハイキング気分ではしゃぎ回り、あまり実になったとは言えないようであった。フェルマーのサンドイッチは、とても美味しかった。


 山を越え、さらに広大な森林地帯の向こう側に、生まれ育った村があることをアルフラはそのとき初めて知った。



 雪原の城から人里までを行き来するのは、なかなか大変なことらしい。





「先程も言いました通り、心臓や肺、膵臓(すいぞう)といった箇所は鎧に守られているため、あまり有効とは言えません」


 午前の練武場。冷たい床に胡座(あぐら)をかいて座ったアルフラは、高城の授業を受けていた。

 優雅な立姿で淡々と語る老執事は、とんっ、とみずからの右脇を叩いてみせる。


「やはり肝臓でしょう。腎臓でも十分な殺傷力を見込めますが、足の速さが違います。敵が生きている時間は、より短い方がいい。言うまでもないことですね」


 アルフラもみずからの脇をとんとんしてみた。


「最大の利点は、鎧の継ぎ目から直接刃を入れられることです。ただし、幅広の得物を使っているときは、刃を寝かせないと骨に当たり臓器に届きません」


 ふむふむとアルフラはうなずく。


「短刀などであれば、刺した後にもう一度、下から突き上げるようにすれば、より確実ですね。――こうですっ!」


 見よう見真似でやってみる。


「こうっ!」


「そうです。一分ほどで出血が致死量を越えます。たとえ止血しても意味はありません。腹の中は血の海。おだぶつです」


「おだぶつっ!」



 戦技教官としても恐ろしく有能な漢、高城であった。





 深夜、白蓮から“食事”を貰ったあとの余韻のひととき。


「なかなか背が伸びないわね。アルフラくらいの年頃なら麦の穂のように、ぐいぐい伸びるものじゃないの?」


「白蓮は背がたかいほうが好きなの?」 


 気にしていたことを指摘され、アルフラは少しふてくされてみせた。

 十四歳になったアルフラであったが、いまだに彼女の背は白蓮の肩にもとどかない。


「あまり考えたことはないわね。まあ、すぐに大きくなるわよ」


 白蓮の視線が、一瞬アルフラの胸の辺りで止まったのは気のだろうか?


「男ならともかく、女の子は小さい方が可愛らしいと思うわ」


 自らの視線に罪悪感を覚え、白蓮はすかさずフォローを入れた。が、小さいという言葉に、アルフラの肩がぴくりと震える。――たんなる追い撃ちとなっていた。

 かわいらしくむくれたアルフラは、しかしすぐに笑みを浮かべて小首をかしげる。


「白蓮は男より女の子の方が好きなの?」


「……は?」


 とうとつな質問に、白蓮は頭のなかで話の流れを確認してみる。まったく意味が分からなかった。


「高城が、奥様はあまり殿方を好まれておられないようです、って言ってたよ」


「まったく……あなたたち、練武場でどんな話をしてるのよ?」


「ん~と……おだぶつとか?」


 おだぶつが何なのか分からなかった白蓮は、とりあえず流すことにした。


「まあ、どちらかと言えば好きではないわね」


 その表情からは、うんざり、といった言葉が聞こえてきそうだ。


「白蓮はきれいだからモテるんでしょ? 高城が言ってたよ」


――高城め……


「昔ね、この城には蛮族の王が住んでいたの」


「あーっ。話そらそうとしてる!」


「まあ聞きなさい。男の話よ。この場所はね、地脈によどみがあって、大量の魔力が地下に溜まるの」


「地下?」


 アルフラの視線が床に向く。


「もっと、ずうっと深い所よ。だから蛮族達はここを霊場と呼んで城を建てた」


「ふぇ~。なんかすごいね」


「それに目を付けた魔族がいてね。蛮族の王を殺して自分の城にしてしまったの」


「……悪いやつだね」


「そう。魔族の領域外に領地をもつなんて、絶対に許されないことなのよ。なんとか子爵っていう、くだらない男だったわ」


「え……」


「男の話がしたかったのでしょ?」


「う、うん……」


 口角を吊り上げて笑った白蓮に、アルフラはどきりとする。初めて会った頃の酷薄な白蓮を連想したのだ。


「……その魔族の人はどうしたの?」


「私が殺したわ」


 楽しそうに話す白蓮を見て、やはり彼女は魔族なのだ、とアルフラは実感した。


「でも、爵位の魔族って、ものすごく強いんでしょ?」


「さあ? 戦った訳ではないからね。お前を妻にしてやろう、とか言って私の身体をべたべた触ってきたから……」


「きたから……?」


「こうっ、グサッとね。肝臓の辺りを突き上げて」


「おだぶつだね」



 魔族の間では、肝臓はわりとポピュラーな急所なんだなとアルフラは納得した。





 初夏のおだやかな日差しの中、アルフラと白蓮は二人で浴槽に()かっていた。

 大陸でもかなり北方に位置するこの地方では、初夏といえどもやや肌寒い。雪もとけ、寒さも少し和らいできたので、バルコニーに浴槽を出し、湯を張ったのだ。

 大量の湯をフェルマーが用意し、手ずから浴槽へうつす重労働を、魔族である彼女はそれほどの苦もなく、ごく短時間でこなした。


 白蓮は長身だが細く、アルフラは全体的にかなり小さい。浴槽もそれなりの大きさがあったので、かなりゆったりと浸かれる。


「ほら、アルフラ。ちゃんと背を伸ばして。そんなに縮こまっていたら洗えないでしょ」


「く、くすぐったいよぅ」


 きゃっきゃっと笑いさざめく二人を、フェルマーがにこにこ顔で見守っている。もちろん高城は、入浴中のバルコニーには立入禁止である。


「やはり、お嬢様はもう少し栄養をつけなきゃ駄目ですねぇ」


 フェルマーの視線に、アルフラは湯の中に沈みこんで身を隠す。思春期らしい羞恥心なのか、発育不良ぎみなことも相まって、人の身体を見たり見られたりするのが恥ずかしいようだ。


「そおねえ、やはり食事の量をもう少し増やした方がよいのかしら……」


 まじまじとした目でアルフラを見やりながら、白蓮もため息混じりにつぶやく。最近の彼女の重大な心配事のひとつである。


「このまえ仕入れた鹿の肉がまだ結構残ってますから、今日は肉料理にしましょうかね」


「あら、それはいいわね。そうしなさい」


 白蓮の視線を受け、アルフラは湯に浸かり上気した頬を、さらに赤く染める。しかし逆に、白蓮の肢体をちらちらと盗み見たりなどしていた。

 はたから見れば、仲の良い姉妹の入浴中のように見える。だがアルフラの視線には、なにかそれ以上のものが見え隠れしているようにも思えた。


「もう、アルフラったら。なに恥ずかしがってるの? 女同士なんだから、変な見かたをするのはやめなさい」



 微妙な視線に気が付いた白蓮の手が、アルフラの腋の下へのびる。途端に響き渡った嬌声に、フェルマーは微笑まし気な目を向けながらも、その顔にはほんの少しの陰りが見えた。





 ある日のこと。高城は練武場で修練に使う武具の手入れを行っていた。

 アルフラの上達は目覚ましかった。まず身体能力が高い。俊敏性、瞬発力、身軽さ、そして体の軽さも相まって、持久力も人並外れたものがあった。これは白蓮の血の効果だけではなく、もともとの素養が大きく関係しているのではないか、と高城は考えている。

 技術的なものも、師が優秀なのか弟子が秀逸なのか、はたまたその両方であるのか、驚くべき成果が見られた。


 アルフラ自身には、強くなりたいと思う意思は希薄だった。ただ、修練のなかで高城からよい評価が下されると、それは白蓮に報告される。喜んだ彼女はアルフラに、力を重んじる魔族の価値観を語り、とても褒める。

 結局のところ、アルフラは白蓮に褒めて貰いたいだけなのだ。

 動機としてはいささか不純ではあるが、その想いは恐ろしく強い。高城が驚くほどの短期間で、アルフラは様々な技術を吸収していった。

 岩をも通す一念、であろうか。


 アルフラの持つ特質は、戦争のような乱戦になれば、かなりその優位性が殺されてしまう。しかし、一対一での戦いならば、並の戦士では足元にも及ばぬであろうと高城は考えている。それだけのものを伝えたという自負もあった。



 非凡な弟子との修練は、高城にとっても非常に有意義な時間であった。





 雪原の稜線に日が没する頃合い、高城とフェルマーは、夜の戸締まりを行っていた。

 二人で勝手口や鎧戸を手分けして確認していく。あらかたの作業を終えたところで、同じく戸締まりを済ませたフェルマーが、高城に声をかけた。


「ねぇ、高城。最近の奥様なんだけどさ……」


 カンテラの薄明かりの中に、フェルマーの顔が青白く浮かび上がる。


「いったい何を考えてらっしゃるんだろうね?」


 曖昧な問いかけではあるが、高城はフェルマーの思いを正確に理解していた。それは高城の危惧でもあったからだ。


「それは、われわれ使用人風情が気に病むことではないだろう」


「でもさ、主人の気持ちを察するのも、使用人の勤めじゃないのかい?」


 高城のかるい牽制に、フェルマーが正論で応える。もちろん二人が気を揉んでいるのは、使用人としての在り方ではない。


「ほんの四年ほどの間でさ、奥様はだいぶ変わっちまったよ。言い方は悪いが、見る影もない」


「……」


「お嬢様をどうなさるつもりなのかね。どうやったって、ずっと一緒になんか居られないよ。やっぱり人間は人間の中で暮らす方が幸せなんじゃないかい?」


 高城はかすかに口を開きかけたものの、嘆息するかのような呼気をもらして顔を伏せた。


「この四年でお嬢様は大きくなったよ。まぁ体は小さいけどさ。あと四年も経てば、ちゃんと大きくなって大人になるだろう」


「ああ……」


 そのことを思えば、高城の胸にも苦いものが広がってくる。


「でも奥様は変わらないさ。見た目はね。あたしやあんたもだ。魔族は人間の十倍くらい生きる。身体の成長だってそれ相応さ」


「そう……だな」


「さらに四年もすれば、お嬢様は奥様に追いつく。さらに時間が経てばあたしだって追い抜かれて、お嬢様はお婆さんになっちまう」


「我々と人間は、違う時の流れのなかで生きているからな」


 高城にしても、それは何度も考えたことであった。


「最後にゃあんただって追い抜かれて、お嬢様は死んじまう。奥様より確実に先にね」


「……そうだな」


「……」


 それきり、二人は言葉もなく、長い沈黙が流れた。

 (まと)わりつくような重い空気が場をつつむ。その居心地の悪さから逃れるように、フェルマーは口を開いた。


「お嬢様をさ……いつまでもこの城にゃ置いとけないよ」


 むぅ、と唸るようなため息が、高城の口からもれた。


「あたしゃ人間が嫌いさ。でもお嬢様は別だ。あんな素直で可愛らしい娘は、魔族の子にだってそうはいないよ」


「そうだな」


 高城の顔色は、さらに陰欝さを増していく。そう、可愛いからこそ不憫なのだ。

 その想いを代弁するかのようにフェルマーは言う。


「だからこそ、お嬢様が大人に成りきる前に、人の住むところへ帰してやった方がいいんじゃないかい」


「……ああ。人は人の中で、同じ時の流れを共有出来る者たちと――それが普通であり、一番の幸せなのだろうな。……だが、それは奥様だって分かっているだろう」


「そうだね、奥様は聡明な方だ。……でもさ、奥様は“本当”にわかってらっしゃるのかね……」


「それは……」


「ねぇ、あんたの方から奥様に進言してみちゃどうだい? あたしゃさすがにさ……」


「お嬢様を人の街に帰してやれ、と? そのようなことを口にすれば……大変なお怒りを受けるだろうな」


 眉間に深くしわを刻んだ高城が、しぼり出すような声で呟いた。


「悪くすれば、もうお仕えすることが出来なくなるかもしれない」


「い、いや、まさかそこまでは……」


「最近の奥様には、そういった所がある。お前は、それを危惧しているのではないのか?」


「そ、それはそうなんだけどさ。あんたは奥様から、すごく信頼されているじゃないか。まさかあんたにお暇を出すなんてことには……」


「本当に、そう思うか?」


 フェルマーはなにか言いたげに口元を動かす。しかし結局、その口から言葉が発せられることはなかった。



 答えの出ぬまま、真夏の夜の闇は、深く重くふけていった。





 短い夏が終わりに近づき、朝晩の冷え込みも厳しくなりだす季節の変わり目。

 雪が降り始める前に、街へ食料などの調達に出ようという話が持ちあがった。

 基本的に魔族はあまり食事を必要としないのだが、人間であるアルフラはそうもいかない。


「お嬢様もご一緒にいかがですか」


 高城が、街までの同行をアルフラに尋ねた。


「お嬢様も年頃ですし、服や小物などは、ご自分で見て選びたいのではないですか?」


 しかし、これには白蓮が凄まじい勢いで反対する。


「だめよ! 街は危険だわ。アルフラをそんな所へやれるわけないでしょ!」


 人間であるアルフラが人の街へゆけば、望郷の念が湧いてしまい――街に住みたい、この城から出ると言い出すのではないか。そう白蓮は恐れていたのだ。


「私が同行いたしますので、身の危険の心配は――」


 高城の言葉をさえぎり、白蓮は席を蹴立てんばかりの勢いで立ち上がる。


「私に同じことを二度言わせるつもり!? 私はだめだと言ったわ!」


「あたし街になんて行かないよっ! だって街までは遠いんでしょ? そのあいだ白蓮に会えないのやだもん」


 白蓮の気持ちを、何とはなしに察していたアルフラは、甘えるように白蓮の手に指をからめた。


「服や小物なんていらない。あたし、白蓮が居てくれれば、なんにもいらない!」


 白蓮はアルフラのほそい肩を抱きよせ、優しく亜麻色の髪を撫でる。


――まるで、本当の親子のようだ


 抱きあう二人を見て、高城は苦い顔する。


――だが、白蓮様が居れば、他には何もいらないと言うこの娘は、白蓮様との別れが訪れた時、どうするというのか……


 不意に、とん、とん、と扉を叩く音が聞こえた。


「失礼。声はかけたのですがね。あまり喉が丈夫な方ではないので、声が届かなかったらしい」


 扉にもたれるようにして、長身の男が悪戯っぽく笑っていた。


「初めましての方がいるね。私の名は戦禍(せんか)。お見知りおきを」


 男は冗談めかした口調で優雅に一礼する。

 彼は現在、魔族に大きな変革をもたらそうとしている人物であった。

 そして高城もよく知る人物である。


――このタイミングで……


 高城はうめき声を飲みこむ。


――悪魔のわるい冗談か?


 そう、その男は魔族の領域北部に覇を唱えた、魔王だった。





「なんの、用?」


 かたい声音で白蓮が問う。


「おや、随分とつれないお言葉ですね。久しぶりの再会だというのに」


「……」


「しかし驚きましたよ。しばらく会わない内に、貴女(あなた)はだいぶ変わられましたね。これはなにかの悪い冗談ですか?」


 内心を悟られたかのようなその軽口に、高城が顔を歪める。

 戦禍はさも興味深かげに白蓮とアルフラを見比べ、心底おどろいたという風に天井を仰いだ。


「いまは魔王であるあなたが、なぜこんな所にいるの?」


「魔王!?」


 驚愕の声をあげたアルフラと戦禍の目が合う。

 初見であるにも関わらず、アルフラは戦禍に対して凄まじい敵愾心(てきがいしん)を感じていた。

 きつい目つきでいけ好かない魔王を観察する。


 歳は白蓮よりすこし上のようだ。背も白蓮より高い。アルフラと比べれば、頭二つ分以上も高い。

 顔も非常に整っており、お伽話に出てくる王子様のようだ。色素が薄く、きらきらと輝きながら肩に流れ落ちる金髪など、きざったらしくて嫌な奴だと思った。


 一番気に食わなかったのは、もし白蓮と戦禍が並んで立ったら、恐ろしく絵になるだろうということ。


――まるで王子さまとお姫さま……ちがう! 女神さまと魔王さまだ!! ぜったい、似合ってなんかない


――身分ちがいだっ!


 アルフラは、これは自分のものだと主張する子供のように、白蓮の腰へ抱きつく。そんなアルフラを安心させるかのように、白蓮は優しく肩に手をまわした。

 二人の様子に、戦禍は苦笑いを浮かべていた。


「しかし……本当に驚きました。貴女(あなた)は子供が嫌いなのだと思っていましたからね」


 やや棘のある視線を見返し、白蓮は問う。


「なんの用件でここへ?」


「……貴女をね、皇城へお迎えにあがったのですよ」


 アルフラの瞳が、不安で大きく見開かれる。皇城……聞き慣れない言葉であった。

 しかし、目の前の男が自分の最愛の人を、どこか遠くへ連れて行こうとしていることは、本能的に理解していた。


「……場所を変えましょう」


 白蓮の声は硬くほそい。複雑な感情をうかがわせるその声音に含まれていたのは、哀惜(あいせき)であろうか、それとも罪悪感だったのだろうか。


「他の者に聞かれて困る話でもないでしょう」


 戦禍だけが、変わらぬ物腰で穏やかに、しかし有無を言わさぬ態度で告げた。


「場所を……」


 白蓮の、いままで聞いたことがないような弱々しい声に、アルフラの不安は高まる。絶対の庇護者である彼女が見せた弱さは、恐怖に近い感情をアルフラから引き出した。


「その娘の今後にも関わる話です」


 戦禍から投げかけられた視線に、自分の足元で不可視の暗い穴がぽっかりと口を開いたようにアルフラは感じた。


「お願い……」


 ほそい白蓮の声に不安はいや増す。足元に開いた陥穽(かんせい)は深く、底知れない。怯えた心は奈落の穴に墜ちてゆく自分を幻視(げんし)した。


「……わかりました」


 大きなため息をこぼして、戦禍はうなずいた。

 白蓮はアルフラの耳元に顔をよせたが、すぐにその手を戦禍に引かれて部屋をあとにした。


 二人の後ろ姿を、アルフラは言い知れぬ恐怖と不安とをもって見送った。闇に引かれたように、その膝がすとんと床へ落ちる。



 茫然と目を見開いたアルフラは一人、自室に取り残されてしまった。





「帝位に昇ります」


 何の前置きもなく、戦禍はいきなり本題を切りだした。その言葉に、はっと高城は息をのむ。


「現状、私にはあまり時間がありません。各地に散在する王たちをまとめる作業が詰めの段階なので、あまり中央を空けておくことは出来ませんからね。手短に必要なことだけを伝え、すぐに皇城へ戻ります」


「帝位に、ということは……中央の三王に承認されたのね?」


 冷静さを取り戻した白蓮が尋ねた。


「そうです。ただ、三王の中にも私のことを良く思ってない者がいるので、すこし微妙な状況ではあります。まあ、承認自体は下りているので問題はないでしょう」


 東方魔族と呼ばれる者たちの中には、現在十六人の魔王が存在している。帝位を得るにはその内の三人、魔族の領域の中央部を統治する三王の承認が必要なのだ。


「とはいえ東部の者たちが少しごねていますので、すぐに、という訳にもいかない。もしかするとそちらでも戦いになるかもしれませんが、それほど時間をかけるつもりもありません」


「そう……」


「しきたりでは、三王の承認さえあれば問題ないはずなのですが……実際にはそう簡単に事は運ばない。――難儀なものです」


 慇懃(いんぎん)な物腰だが、戦禍の仕草や態度には、支配者の風格と絶対の自信が見てとれた。


「戴冠の日取りは、すでにお決まりなのでしょうか?」


「まだですね。年内にはと考えています。高城、もちろんその時には、お前にも登城して貰うぞ?」


「御意」


「もちろん貴女もです。戴冠のあかつきには、我が居城へ迎え入れたいと考えています」


 白蓮は、戦禍の視線をさけるように目を伏せた。長い睫毛が落とす影以上に、その表情の(かげ)りは深い。


「むろん嫌とは言いませんよね。以前に交わした約束を忘れたとは?」


 美しい顔が苦渋にゆがみ、吐息とともに罪悪感と憐憫(れんびん)がこぼれ落ちた。


「私には時間がない、と言ったはずですよ?」


 無言の白蓮に、なおも優しく戦禍は問いかける。覗きこむ眼差しには、気遣いすら見て取れた。


「すこし……考えさせて」


 動けなくなった彼女の心は、わずかな時間の猶予を欲した。

 ふっ、と戦禍は息をはき、血の通わぬような、白蓮冷たい手におのれの手を重ねる。


「私にとって、貴女を皇城に迎え入れることは、帝位と同じくらいに大切なのですよ」


「……すまないとは、思っているわ」


 根深い葛藤(かっとう)を潜ませた声は、しわがれた老婆のそれのようでもあった。


「貴女を責めているわけではないのです。どうかそんな顔はなさらないでください」


 戦禍は気づかわしげな顔で、白蓮の手の甲へかるく唇をあてる。


「……わかりました。まだ戴冠式も終えてませんしね。つぎは戦禍帝と呼ばれる身分になってから迎えに来ます」


「わかったわ……」


 高城はぶるりと身を震わせる。

 室内の温度が、肌に感じられるほどに下がっていた。彼は横目で打ちひしがれた様子の白蓮を見る。まるで、彼女の心情が流れ出たかのようだった。


「それまでには、あの娘にも別れを告げておいて下さい。人の子を皇城へ連れて行くわけにはいきませんからね」


 うつむいた白蓮をのぞきこむ戦禍の顔には、それでも信頼の念がこもっていた。その表情を見てとった高城は思う。


――はたして奥様に、そんなことが出来るのだろうか……


「帰る前に、あの娘にも挨拶をしていきたいところですが、いささか長居をしすぎました。このまま失礼させて頂きます」


 バルコニーへ出た戦禍だったが、何かを思い出したかのように振り返った。


「そうそう、使用人の数を増やした方がいいですよ。城門で叫んでも、誰も出て来ない城なんて不便でしょうがない。まあ、それも今年いっぱいのことになるでしょうけどね」



 その名の通り、戦禍の気配を宿した魔王は、夜闇へ溶けこむように姿を消した。





 薄暗い室内で、アルフラは泣き腫らした目をこすり、白蓮が戻って来るのを待っていた。


 白蓮は部屋を出て行くとき、アルフラにだけ聞こえる声で、ごめんなさい、とつぶいていた。


――なんで、あやまるの?


――白蓮はあたしに、なにも悪いことしてないのに、なんであやまったの?


 アルフラの目に大粒の涙が浮かぶ。


――あいつは迎えに来たって言ってた……これからなにか悪いことが起こるの?


 涙は一瞬たりとも(こら)えられることなく、ぼろぼろと頬を伝う。

 ごめんなさい、とつぶやく白蓮のかぼそい声が、耳から離れない。


――あたしが悲しくなるようなこと、するの?


 その愛らしい顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながらも、アルフラは気にならなかった。気づきもしなかった。


――どこかに行っちゃったり、しないよね?


 不意に、扉の外に白蓮の気配を感じた。

 アルフラは反射的に立ち上がる。


 扉は、開かれない。


 そろりと戸口に歩みよる。気配はたしかに感じられた。

 アルフラはみっともない顔を見られないように、涙をぬぐってじっと待つ。


 扉は、開かれない。


 期待を込めて、アルフラは見つめる。

 そっと扉に手を添えてみると、悲しげな気配にふれたような気がした。

 じわりと涙があふれたが、上を向いてがまんする。白蓮から泣き虫だと思われるのはいやだったから。


 しかし、扉は開かれない。


 徐々に不安がせり上がって来る。

 こらえていた涙がふたたびこぼれると、もう止まらなかった。

 アルフラは、また足元に大きな穴が開いたのだと感じた。口を開けた闇が、どこにあるのかは見えない。しかしそれが、確実に存在することは知覚出来る。


 その闇は、アルフラの漠然とした不安によって作り出された陥穽であった。――白蓮がどこかへ行ってしまうのではないか。自分は置いていかれてしまうのではないか。――無知ゆえに、子供は恐れるものが多い。そういった未熟さにより生じた恐怖が、アルフラの足元に開く奈落として想起されたのだ。その闇の中は、幼い彼女の精神では理解出来ない、なにか良くない物、恐ろしい物、どろどろとした未知の“何か”で一杯なのだ。決してそこに墜ちてはならない。

 しかしそれは目に見えなかった。避けて通ることは出来ないのだ。


 一歩も踏み出すことの出来なくなったアルフラは、扉の前に座り込む。彼女は次の一歩で、自分が確実に墜ちてしまうことを知っている。――と思っていた。


 多感な年頃を、一切人間と交わることなく魔族によって育てられた少女。

 その未成熟で幼い精神は、ひとつ扉をへだてた所にいる母から、完全に迷子となってしまっていた。


 アルフラは声を上げて泣いた。泣きながら助けを求めた。

 いつまでも、いつまでも、扉が開かれるのを待っていた。


 ごめんなさい


 と聞こえた気がした。



 その日、扉が開かれることはなかった。

 四年の歳月のなかで、初めて白蓮の血を口にしない日だった。



挿絵(By みてみん)


イラスト 柴玉様

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― 新着の感想 ―
[良い点] 《だが、遠く離れた魔族の領域では、血まみれの未来をアルフラにもたらす戦禍が、その足音を響かせ始める。》2話前の最後にあったこれもすごい暗示ですね。戦禍様初登場というわけではないけど。 「…
2021/04/02 08:33 退会済み
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