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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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ボーイミーツガールズ



 早朝、アルフラたちは宿舎の自室で朝食をぱくついていた。


 昨晩お泊りしたジャンヌも、ちゃかりと相伴(しょうばん)にあずかっている。そのジャンヌに危機が迫っていた。


 すでに自分の朝食を平らげたルゥが、ちらちらと周囲へ視線を走らせる。剣呑な輝きを帯びた獲物を探す目だ。

 慣れたものであるアルフラとシグナムは、充分な距離を置いて食事をしていた。腹ぺこ狼少女に背中を見せないよう壁際に位置取っている。もちろん死角へ入られるというヘマもしない。


 ルゥの瞳がギラリと光る。ほとんど手付かずのパンをかじっているジャンヌへと狙いが絞られた。

 殺気を感じた神官娘は、残りのパンを一気に口へ詰め込んだ。――――――そしてむせる。


「うぇっふ!」


 口内の水分をごっそりと奪い取られ、喉にパンを詰まらせるのは、当然の帰結だった。――どう考えても大き過ぎたのだ。ジャンヌの小さな口には。


 そしてそれは、ルゥに対して致命的な隙となっていた。


 喉に詰まったものをスープで流し込もうとジャンヌの手が伸ばされる。しかし、その手に触れたのは、すでに飲み干された空の皿だった。

 一息でスープを啜り切ったルゥが、お礼とばかりに咳込むジャンヌの背をさする。


「ル~ゥ~!!」


 涙目でけほけほやりながら、ジャンヌはおもむろに拳を構えた。彼女が得意とする、レギウス神拳“どこからでもかかってらっしゃい”の型だ。

 狼少女はジャンヌから素早く飛びのく。ささっとその背に隠れようとしたルゥから、シグナムが身を引いた。


「あたしを巻き込もうとするんじゃないっ」


 アルフラもとっくに安全圏へと退避していた。

 憤怒の形相を浮かべ、闘気をまとったジャンヌへルゥが非難がましい声を上げる。


「そんなに怒んなくてもいいじゃないっ」


 その態度には反省のかけらも見られない。ジャンヌのまなじりが、きりきりと吊り上がった。


「武神ダレスはこうおっしゃられています。汝のパンを奪おうとする者を殲滅せよ、と」


 ジャンヌが拳と上体を怪しげに揺らめかす。


「さぁ、どこからでもかかってらっしゃい!!」


 ジャンヌの尊い挺身(ていしん)により、アルフラとシグナムは無事食事を終えることが出来た。



 そして、狼少女と神官娘の白熱したキャットファイトが始まった。





 室内では、かなり高度な近接戦闘が繰り広げられていた。

 アルフラはそんな二人に興味を示さず、ぼうっと鎧戸から中庭を眺める。昨日部屋を訪れた女吸血鬼の言葉が思い出されていた。


 少し野暮用で王都を離れる、とカダフィーは言っていた。お前には常に見張りが付いているから勝手なことはするな、とも。

 アルフラは野暮用というのが間違いなく魔族に関することだろうと考えていた。そして、ギルドはあくまで自分を戦わせるつもりがないのだと確信した。


――許せない……


 ここ最近、あまり宿舎に顔を見せないフレインのことも気にかかった。彼が王宮へ出向してから、アルフラを取り巻く状況が明らかに不透明さを増していた。

 フレインに尋ねれば、カダフィーが何処へ何をしに行ったのか教えてくれるだろう。自分が今置かれている状況も話してくれるはずだ。しかし、王宮での仕事が忙しいらしく、すでに一週間ほどフレインは宿舎を訪れていない。

 もしかすると白蓮の一件以来、フレインを無視しつづけたことも彼の足を遠ざける一因となっているのてはないか、とも思えた。

 アルフラの中で、だんだんと苛立たしさが募ってゆく。


 (うと)ましくはあるが、居なければ居ないで不便だ。アルフラにとって、フレインはそういった存在となっていた。


――魔族が王都に攻めて来てくれればいいのに……


 白蓮の伝言があるので、アルフラとしてもあまり長くは王都を離れることが出来ない。自分に会いに来てくれるであろう白蓮と、行き違いなってしまう可能性があるからだ。


 だが、たとえ白蓮と再会出来たとしても、戦禍が生きている限り、一緒に暮らすことは出来ないのではないか。そうアルフラは考えていた。

 このまま戦いから遠ざけられていては、いつまで経っても望みは叶わないだろう。


 朝夕のカンタレラだけでは足りない。もっと強い魔族の血が――力ある血が必要だ。

 いっそギルドを出奔(しゅっぽん)して、魔族の領域付近へ行ってみようかとも考えてみた。



 待っているだけでは、決して状況は好転しない。自明の理だ。





 物思いに耽るアルフラを、シグナムがじっと見つめていた。


 最近のアルフラは以前と比べ、だいぶ口数が少なくなっていた。かといって、ふさぎ込んでいるといった雰囲気でもない。

 今も、白蓮の髪を包んだ懐紙(かいし)を胸に押し当てて、何事かをしきりに考えているようなのだ。


 シグナムの心中に、かすかな不安が()ぎる。

 なかなかに無鉄砲なところのあるアルフラのことだ。また無茶な計画を立てているのではないかと勘繰ってしまう。

 ガルナではシグナムたちを()いて、ジャンヌと二人で凱延に吶喊(とっかん)をかけた前科もある。


「……アルフラちゃん」


「――え?」


 心ここに在らず、といった風情であったアルフラが振り返る。

 搦手(からめて)で揺さぶり本音を引き出す。などといった腹芸を持ち合わせていないシグナムは、直球を放る。


「なに、考えてるんだ?」


「……べつになにも」


 伏し目がちに鳶色の瞳が逸らされる。

 アルフラは分かりやすい。シグナム以上に駆け引き的なことは不慣れなのだ。


「あのさ。なんて言うか……あたしたちは仲間、だろ?」


「……うん」


 うつむいてしまったアルフラへ、シグナムが手を伸ばす。


「アルフラちゃんが白蓮て人を取り戻したいのは知ってる」


 頬に垂れかかる亜麻色の髪をかき上げてやり、シグナムは細い首に腕を回す。そのまま軽く抱き寄せ、アルフラの額にみずからの額を合わせた。


「魔族と戦いたいのなら、あたしも協力するからさ」


 シグナムは優しく語りかける。


「頼むから一人で無茶なまねはしないでくれよ、な?」


 顔の近さにどぎまぎとした様子のアルフラが、こくこくうなずく。


「たぶん、あたしだけじゃなくルゥも――」


「きゃいんっ!!」


 言いかけたところでルゥの悲鳴が聞こえた。


 シグナムが振り向くとそこには――――胸元で腕を組み仁王立ちするジャンヌと、頭頂部を押さえてうずくまるルゥの姿があった。

 どうやら食い物を原因とする死闘に決着がついたようだ。


「ふふふ。これに懲りたら、人様の食べ物を掠め取ろうなどと思わないことですわっ」


 勝者であるジャンヌも目許に青痣が出来ていた。とはいえ、元々目の下にクマがあるので、たいして目立つようなものではなかった。

 対して、ひんひんと泣き崩れるルゥは、かなり重傷のようだ。頭を押さえた両手の隙間から、大きなコブがのぞいている。

 ダレス神の鉄槌が降ったらしい。


「まったく……人がちょっといい話をしてる時に……」


 苦笑したシグナムが、大泣きするルゥの頭を撫でようとした時、扉の叩かれる音が室内に響いた。


 そして、開かれた扉から現れたのは、一人の少年魔術士。


「みなさん、おはようございます」


 十代半ば、やや線の細い体つきをした少年が、和やかに挨拶をした。

 宮廷付きとなり、あまり顔を出せなくなったフレインに代わり、朝夕のカンタレラを差し入れるのが彼の仕事だ。

 いつもにこにこと笑顔を絶やさない、可愛らしい男の子である。


「カミルおはよーっ」


 それまできゃんきゃんと泣き声を上げていたルゥが、元気良く駆けよる。


「――て、嘘泣きかよっ!!」


 ルゥのコブを撫でようとしていたシグナムが、間を外されてたたらを踏んだ。


「どこでそんな技覚えやがった!?」


「あたし知ってる。昨日、カダフィーがルゥに言ってた」


 シグナムの疑問にアルフラが答える。


「涙は女の最終兵器だって」


「あのアバズレ吸血鬼めぇぇ。ルゥに妙なこと教え込みやがって」



 純朴だった獣人族の少女は、周りを取り巻くクセの強すぎる仲間たちに感化され、着実に社交性を身につけつつあった。どちらかと言うと、人としては駄目な方向へ。





 カミルと呼ばれた栗色の髪と瞳を持つ少年は、ルゥのお気に入りだ。フレイン、ジャンヌにつづく、三人目の子分である。


「はい、これはルゥお姉ちゃんの分です」


 カミルが懐から取り出したカンタレラをルゥへ渡す。

 かるく胸を反らし、得意げなルゥがそれを受け取った。カミルは狼少女が強要したお姉ちゃん呼びを、嫌がるそぶりも見せず行っている。それはルゥがカミルを気に入っている最大の要因でもあった。


「ちょっと。あなたルゥをお姉ちゃんて呼ぶのやめなさいよ」


「え、あの……」


 普段、あまりアルフラから話しかけられたことのないカミルは、目に見えてあたふたとしている。


「ルゥが調子に乗って困ってるんだから」


「アルフラもボクのことお姉ちゃんて呼びなよ」


「……ほら、ね」


 アルフラは事あるごとにお姉ちゃんと呼ばせようとするルゥにうんざりしていた。それもこれも、カミルがルゥをお姉ちゃんと呼ぶようになってからだ。


「だいたい、どう見てもあなたの方が年上じゃない。変だと思わないの?」


 その外見に似合わずアルフラは押しが強い。場合によってはシグナムすら凌駕する勢いがある。

 たじたじと後ずさるカミルに、シグナムから助け船が出された。


「まあまあ、いいじゃないか。カミルもルゥに言われて仕方なくそう呼んでるんだろ?」


 なぜかそこへジャンヌが割り込んで来る。


「でしたらルゥは、わたしのことをお姉ちゃんと呼ばなければおかしいですわ」


 ジャンヌの扱いにもいい加減慣れて来たシグナムが、その首根っこを掴みルゥへ投げる。


「お前が絡むと収拾が付かなくなる。ルゥと遊んでろ」


 アルフラの背後で、ルゥが毛を逆立てて唸り声を上げる。ジャンヌもゆらゆらと妙な構えを取り迎撃態勢だ。ふたたび二人の間で、一触即発のゆるい空気が流れる。


「……もういい。早くカンタレラをちょうだい」


 気勢の削がれたアルフラが、カミルへ手を差し出した。


「あっ、はい」


 渡された容器を一気に煽り、アルフラは物足らなげな表情をする。


「ねえ、もっとカンタレラをちょうだい」


 各人へカンタレラを配り終え、扉へと(きびす)を返したカミルへおかわりの声がかかった。


「すみません。あの、僕の一存ではちょっと……」


 カミルはすこし強張った表情で謝罪した。早くこの場を立ち去りたげに扉へ半身を隠す。――若干、アルフラへ対する苦手意識があるようだ。


「じゃあ、もっと偉い人に頼んでよ」


「ほ、本当に無理なんです。僕、どなたがカンタレラの事をお決めになられているのかも、よく知らないんです。ごめんなさい!」


「なんでよっ。フレインだったらすぐに――――っ!」


 思わず、といった感じでフレインの名を口走ったアルフラは、強く唇を噛む。


「あの……フレイン様は王宮付きになられるような、とても偉い魔導士なんです。僕のような見習い魔術士では、フレイン様と同じことは出来な――」


 カミルは、なぜかアルフラの表情がより険しさを増していくことに気づき口をつぐむ。


「あー、カミルも仕事があるんだろ。早く行きな」


 気を利かせたシグナムが、カミルを押し出しながら小声で囁く。


「アルフラちゃんの前でフレインの話はしない方がいい。機嫌が悪くなるからね」


「あ、あの……」


「お前が悪い訳じゃないから気にしなくていいよ」



 シグナムは柔らかい栗色の髪をくしゃりとかき混ぜ、カミルを部屋から送り出した。




 その日の夕刻。カミル少年は重い足取りで宿舎の廊下を歩いていた。

 目的地は、今朝も訪れた女戦士たちの部屋だ。

 カンタレラを渡すためでもあるのだが、今回は別の用事もあった。それは昼過ぎ頃にギルド本部から受けた指示を伝えることである。


 カミル少年がフレインの後任として仕事を与えられてから、すでに二十日ほどが経つ。

 彼が担当する女戦士たちは、みな個性は強いがそれなりに気の良い人ばかりだ。と思っていた。――今朝までは。


 そう、カミル少年はアルフラが怖かった。

 つい先日、十五歳になったばかりの彼は、アルフラをニ、三歳年下だと思っている。

 最初に会った時は、アルフラやルゥのような子供が傭兵として戦っているということが、とても信じられなかった。

 これまでアルフラとは、挨拶以外の会話をほとんどしたことがない。印象としては、無口ではあるがその愛らしい顔立ちから、すこし内気な性格なのだろうと思っていた。

 しかし、今朝方のやり取りはカミル少年を怯えさせるに充分な効果があった。

 正面からのぞき込んでくるアルフラの瞳を思い出すだけで、足がすくみそうになる。――本能に訴えて来る、とてつもない威圧感があるのだ。


 カミル少年は年下の女の子を怖がる自分を情けなく思いつつも、アルフラたちが魔族との戦いを何度も経験しているという噂を思い出していた。まだ見習いであるカミル少年は、あまりギルドの内情に詳しくはない。だが、その噂はきっと真実なのだろうと感じた。


 アルフラについては尊敬する先輩魔導士フレインから、彼女にはくれぐれも良くしてあげてくれ、と頼まれている。


――あんな恐ろしい子のお世話をなさっていたなんて……さすがフレイン様です


 そのフレイン様が、あやうくアルフラに殺されかけたことをカミル少年は知らない。世の中には知らない方が幸せなことも、確実に存在するのだ。


 そしてカミル少年は扉を開く。緊張のあまり、ノックをし忘れたことにも気づかずに。

 室内からむわっとした甘ったるい香りが漂ってきた。実際にはそれほど強いものではないのだが、男にしか感じられない女性特有の匂いだ。

 三人の年頃の娘(実質四人)が寝泊まりする部屋に立ち込める、むせ返るような女臭さ。カミル少年は嗅覚を直撃され、くらりとしてしまう。おそらく女には、あまり分からない類いの感覚だろう。

 逆に女性が男ばかりが暮らす戦士の部屋へ入ったならば、その男臭さに鼻をつまむような事態となるはずだ。


 カミル少年は気を取り直して部屋へ入る。

 すかさずルゥが駆け寄って来た。心持ち顎を逸らし、お姉ちゃん待ちをする。

 もちろんカミル少年も、なにを催促されているのか心得ている。


「こんばんは、ルゥお姉ちゃん」


「うんっ。こんばんは、カミル」


 目を細めたルゥが、得意げに小鼻をひくつかせる。

 年端もゆかない子供相手にお姉ちゃんと呼ぶのはかなり面映ゆい。だが、ルゥくらいの年頃の子は、とかく背伸びをしたがるものだ。カミル少年にも覚えがある。

 嬉しそうなルゥの顔を見れば、少々の恥ずかしさもどこかへ行ってしまう。


 カミル少年はにこにことしながら、まずはルゥにカンタレラを渡す。次いでシグナムへ。当然のように手を差し出したジャンヌにもくれてやる。

 最後に不機嫌そうな目をしたアルフラへ渡す。


「あの、アルフラさん……」


「なに?」


 向けられた視線にびくりとしながらも、カミル少年は与えられた仕事をこなす。


「その……大導師様がアルフラさんとお会いしたいそうです。表に馬車が待っていますので、迎えの者にご同行願えますか?」


「わかったわ」


 あっさりとした承諾の言葉に、カミル少年は胸を撫で下ろす。

 もしもごねられるような事になれば、自分では絶対に説得出来ないだろうと思っていたのだ。


「おい。それはあたし達もついて行っていいんだよな?」


「すみません。僕が聞いた話では、アルフラさんお一人でということでした」


 シグナムが眉をひそめる。


「なんでアルフラちゃんだけなんだよ。理由は?」


「いえ……そこまでは聞かされていなくて……」


「ならとりあえず、あたし達もついていく。いいよな」


 思わぬところから物言いが付き、カミル少年は焦ってしまう。そして、さらに思わぬところから助けが入った。


「シグナムさん。だいじょうぶだよ」


 さきほどまでのとげとげしい表情を一変させ、アルフラはシグナムへ笑顔を向ける。


「あの、今回の呼び出しは、アルフラさんに幾つか質問したいことがあるからだと聞きました。大導師様もご多忙なので、それほど時間をお取りすることはないそうです」


「ね、だいじょうぶ。あたしもあのお爺さんとは話したいことがあったの。カンタレラとか魔族のこととか」


 さらに何か言いたげな顔をしたシグナムだったが、ふっと息をつき頷く。


「……ああ。でも気をつけなよ。あの爺さんは胡散臭いからね」


「うん。わかってる」



 素早く身支度を済ませたアルフラは、宿舎の外で待つ馬車へと向かった。

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