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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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東部の盟主



 女難の()のある中央の盟主が愉快な一夜を過ごしている頃。灰塚と傾国、そして伶淋の三人は、中央との境界に程近い貴族の居城でくつろいでいた。


 傾国は本来であれば供回りの者を引き連れて皇城へ参内する予定だった。しかし、毘前が抱いていた野心が明るみとなり、その息がかかった者を選別する必要が生じたのだ。そうなれば、信の置ける者を選定する作業に時間が費やされることとなり、皇城への出立に幾日かの猶予が必要となってくる。だが、灰塚がそのことを強く(いと)い、他の者は後日皇城へ向かう手筈となり、伶淋(れいりん)だけを伴い帰還する運びとなった。


「それにしても……雷鴉にも困ったものね。女子供だけじゃなく、あんなじじいまでたぶらかしてたなんて……」


 長椅子にもたれかかった灰塚がぽつりとつぶやいた。

 卓を囲み、傾国と並んで腰掛けていた伶淋が困ったように微笑む。


「そうでございますね。ですが、ここ数年東部が平穏であったのは、雷鴉様のお力によるところも大きゅうございます」


「そうなの?」


「はい。以前は傾国様の先代であらせられた傾涯(けいがい)王が東部の盟主だったのですが、当時は茨城との間で戦いの火種が絶えませんでした」


「ああ、聞いたことがあるわ。確か傾涯は茨城との戦いに破れ、その傷が元で命を落としたのだったわよね」


 伶淋が隣に座る傾国をすこし気にしつつ話を続ける。


「ええ。先代と現在の盟主、藤堂様とは縁戚関係がございます。父君の後を継いだ傾国様の叔父にあたられる方です」


 父の死にまつわる話となり、悲しげな顔をする傾国のちいさな手を、伶淋が優しく包みこむ。


「藤堂様は傾国様をとても可愛がられており、幼い姪が王位を継ぐにあたり、後見役を申し出てくれたのです。そのため、藤堂様と茨城との関係が非常に険悪なものとなりました。――藤堂様はとても力のあるお方です。その力ゆえ、茨城も全面的な戦いになることを避けていたと聞いています。藤堂様も(いくさ)となり、王位に就かれたばかりの傾国様へ(るい)が及ぶことを危惧しておられました」


 伶淋は話を一区切りし、軽く息をつく。灰塚が促すような眼差しを伶淋へ向けた。


「そういった次第で、藤堂様と茨城との間で一触即発の状況が続いていたのですが――」


「そこに雷鴉が現れた、と?」


「はい。当時帝位へ昇ると噂されていた戦禍様を共通の敵とし、東部の各王と盟約を結ばれたそうです。藤堂様も数年前まで名も聞いたことのない魔王の台頭を、快くは思っていなかったそうで、表向きはすんなりと話がまとまったらしいです」


 灰塚が苦いものを口にしたような顔をする。


「雷鴉も随分と手際がいいわね。藤堂に茨城、それに傾国を傀儡にした毘前。よほど利害の一致がなければ、無理な話だと思うのだけど」


「茨城についてはよく存じませんが、藤堂様はとても厳格な方です。利で動くようなことはないでしょう。毘前殿との間では、いずれ雷鴉様が帝位に昇り、傾国様を皇妃に迎え入れるという密約が成されていたと聞いております」


「……傾国の輿入れに伴い王位を放棄させ、代わりに毘前を王として擁立する。といった感じかしら」


「詳しくは分かりませんが、それに類した甘言に惑わされたのではないかと……。ですが灰塚様が水宮へお越しになった際、雷鴉様との連絡が取れず毘前殿はだいぶ焦っていたようでした」


 申し訳なさげに伶淋が目線を伏せた。


「まったく……やってくれるわね。――その挙句(あげく)、不要になった駒の処理を私に押し付けるだなんて」


 雷鴉が使者を送る猶予があったにも関わらず、毘前に対してなんら指標を示さなかったのは、そういう腹積もりであろうと灰塚は考えていた。

 たとえ毘前が洗いざらい事の顛末(てんまつ)を話したとしても、すでに戦禍からは雷鴉の行動を不問にするとの言質が下りている。どう転んでも、雷鴉に痛む腹はないのだ。


 これまで雷鴉のことを、力はあるが少々頭の回りが良い程度の道化、と考えていた灰塚であったが、その見解を改める。


「あの男への評価を、すこしだけ上方修正する必要があるようね……」


 実際、雷鴉が東部に対し、いらぬ介入をせねば、戦禍による魔族統一はとっくに成されていたはずなのだ。


「それにしても、東部の王達は随分と理性的なのね。毘前のような奸臣(かんしん)が国政を掌握していて、よくも今まで国として存続(そんぞく)していたものだわ」


「はい。それも藤堂様が盟主として、この東部の均衡を保っていたおかげですね。そして、雷鴉様のお力によるところも大きいかと思います。――たしか北部では、戦禍様が覇を唱えるまで、慢性的に争いが絶えなかったそうですね?」


「ええ、そうね。北部の王は、考え無しの馬鹿者揃いだわ」


 愚痴っぽい灰塚のつぶやきに、伶淋が困ったように笑う。


「ですが灰塚様ほどの方であれば、そのお力でもって北部の王達を従えることも出来たのではないですか? 傾国様と戦い、あれほど一方的な勝利を収められるのならば、そう難しいことではないように思えます」


「……いえ」


 灰塚はみずからの手に視線を落とし、考え深げに目を細める。


「ここまでの力を“得た”のは、つい最近なのよ」


 正確には、皇城へ居を移してからである。

 もともと灰塚は、魔王達の中でも(ひい)でた力を持っていた。しかし、他の王と争って圧倒するほどの力があれば、伶淋の言う通り、たやすく北部を統べることも出来ただろう。


 現在の灰塚の力は、東部への道すがら、戦禍の血を与えられたことも要因の一つである。だが、その力が目に見えて増大してきたのは、ここ数ヶ月のことだ。


 それきり黙りこんでしまった灰塚に、傾国と伶淋の視線が注がれる。

 しばしの時が過ぎ、何事かを思案していた灰塚が傾国へ目を向けた。


「ちょっと。傷の具合を見せてみなさいよ」


 長椅子に深く背を預けた灰塚が、傾国を手招きした。

 おそるおそる歩み寄った傾国の衣を、灰塚が無造作に引き降ろす。


「よかったわ。跡は残ってないようね」


 肩口をのぞき込んだ灰塚が笑みを浮かべた。

 その様子を見ていた伶淋が、傾国へ囁く。


「灰塚様に傷を癒していただいた礼を」


「あ……えっと……ありがとう、ござます」


 ぺこりと頭を下げようとした傾国の額を灰塚が押える。


「えっ……? あの……」


 傾国は意味が分からず、額を押し上げる灰塚の手に両手を重ね、困ったような顔をする。


「礼は述べても頭を下げては駄目よ」


「は……い……?」


 めずらしく真摯(しんし)な面持ちの灰塚が、軽くため息をつく。


「臣下の前で、王が頭を下げてはいけないわ。唯一許されるのは、主である戦禍帝にだけよ」


 不思議そうに見返す傾国へさらに告げる。


「たとえ相手が魔王だとしても、同じ王位に在る者として対等でなければならないわ。決して(へりくだ)ってはいけない」


「……うん」


「臣民の上に立つ者には、相応の責任があるの。それをおろそかにすれば人心が離れるわ」


 完全には理解出来なかった傾国であったが、なにかとても大切なことを()かれているのだと悟った。灰塚へ向ける視線に、わずかではあるが尊敬の念らしきものが芽生える。


「それを忘れては駄目よ」


「はいっ」


 実際のところ、今の言葉は灰塚の養育係であった磁朋じほう将軍からの受け売りである。だが、その教えに対しては在位百二十年に及ぶ王としての経験から、灰塚も深く理解していた。

 常日頃から実務全般を嫌い、彼の苦言を聞き流していた主のこの姿を見れば、紅武城で留守を預かる磁朋は嬉し涙を流しただろう。


「灰塚様……」


 感激一入(かんげきひとしお)といった表情で伶淋が膝をつく。


「これまで傾国様のお傍には、そういった諌言(かんげん)を下さる者がおりませんでした。毘前殿は己の取り巻きばかりを傾国様の傍へ(はべ)らせ、王たる心構えを学ぶ機会がなかったのです」


「まあ、そうでしょうね。見れば分かるわ」


「傾国様に代わり、わたくしから謝意を――」


 深々と頭を下げた伶淋へ、灰塚は上機嫌で応える。


「礼の必要はないわ。お姉さまへ傷物を貢ぐなんて出来ないからね。ただそれだけよ」


「そうです……は? 貢……??」


 頷きかけた伶淋が思わず顔を上げた。


「お姉さまとは……?」


 北部の事情にそれほど明るくはないが、灰塚に姉がいるなどという話は聞いたことがなかった。


「とても素晴らしい方よ」


「はぁ……貢ぐというのは……?」


「お前が気にする必要はないわ」


「い、いえ、あの……」


 当惑の表情で、なんとか考えをまとめようとする伶淋を尻目に、傾国が不安そうな顔をする。


「その人、こわい人?」


「いえ……」


 言いかけた灰塚が口をつぐむ。否定しきることが出来なかった。


「やさしい人?」


「そう……ね……」


 白蓮を敬愛している灰塚であったが、どうひいき目に見ても、優しいと言うには無理があった。

 結果、余計に不安を煽ってしまい、傾国が涙目になる。


「え、えとね。とても美しい人だわ。それに……」


 現状、灰塚が口に出来る範囲では、他に褒めるところが見当たらない。


「お前が傾国などと名乗るのが、恥ずかしくなるほど美しい方よ」



 その後、灰塚は白蓮の長所についてかなり真剣に考えてみた。とても良い匂いがする、〇〇が上手、などといった、ちょっと口に出すのがためらわれるような事しか思い浮かばなかった。





 魔族の領域北東部。


 平原を見下ろす小高い丘に天幕を張り、魔王藤堂は戦禍の来訪を待ち構えていた。


 みずからの居城にも近いこの地は、藤堂にとって最も力の発揮出来る地形でもある。彼の背後に控える数名の臣下は、いずれ劣らぬ大貴族と呼ばれる者達だ。


「藤堂様……」


 臣下の者から動揺の気配が伝わってきた。


「ああ、来たようだな。戦禍めが」


 まだ姿は視界に入らない。しかし、その膨大な魔力がはっきりと知覚出来た。

 以前に一度だけ(まみ)えた時とはまるで別人だった。かつての会見に際し、柔和な笑みを絶やすことのなかった若年(じゃくねん)の魔皇。いまは明らかな戦意を隠そうともせず、凄まじいまでの存在感を溢れさせている。


「俺はあやつを見誤っていたようだ。……まさかこれほどとはな」


 悠然と歩を進める長躯が見えて来た。

 藤堂が微かに身を震わせる。それが武者震いなのか畏怖心に起因したものかは、彼自身にも判別がつかなかった。

 決して大柄ではないが、がっしりとした筋肉質な身体に緊張が走る。

 あと数年で齢四百を数えるこの東部の盟主は、みずからを遥かに凌駕する強者との対峙に心躍る思いであった。


 戦禍の歩みが止まる。距離はまだまだ遠い。少なくとも、話し合いをする、といった距離ではない。だが、最低でも視界に入りさえすれば、互いを害する手段があることは両者ともに理解していた。

 すでに間合いの内なのだ。


「東部の盟主藤堂。用向きは分かっていますね?」


 よく通る声で戦禍が問いかけた。


「ハッ! 用向きもなにも、貴様は戦いを望んでおるのであろう」


「いえ、私は話し合いで済むのなら、それに越したことはないと思っていますよ?」


「白々しいことを」


 互いに臨戦態勢であることは火を見るより明かだ。


「嘘は言っていませんが? 私はあなたの敵意を感じたので、それに合わせただけです」


「……ほう?」


「力の差を実感していただければ、戦いを避ける事が出来るのではないかとね」


 その言とともに、口許が軽く吊り上がる。薄い笑みをいた戦禍から、さらに濃密な圧力が放たれた。


「……これほどの力を持つ者がいるとはな……想像したことすらなかったぞ」


「ならば――」


「だがお前は、思い違いをしている。これほどの強者を前にして、その力を見ずに屈することが出来ると思うか?」


 藤堂の顔にも笑みが浮かんだ。戦いを好み、力を重んじる魔族の王たるに相応(ふさわ)しい笑みが。


「やはり、そうなりますか。雷鴉からも使いが来ませんでしたか? 私の意に従うようにと」


「来たな。あれはなかなか見所があるかと思っていたが、所詮は風見鶏よ! そのような者の言葉など聞く耳は持たん」


「それはあなた自身の判断で私に敵対していると解釈しても――?」


「当然だ。俺は他の者の言に、行動を左右されたりなぞせん」


 藤堂が背後で息を詰めていた者達へ、払うように手を振った。

 一礼した臣下達はその場を離れる。間もなく始まるであろう戦いから、身の安全を計るに充分な距離を取るために。


「それに、以前会った時にも言うたはずだぞ。たとえどれほどの力を持とうと、不遜にも初代皇帝の一字を名に冠するなど、あってはならん事だと。そのような者が帝位に就くなど認められんな」


「またその話ですか。私も言ったはずですよ? この名は生まれた時に親から授かったものなのだと。そこになんら他意はありません」


「ならば(ごう)を改めるがいい。王以上の位に就く者は即位に際し、それまでの名を改めるのが慣習であろう。特に理由がない場合はな」


 それに答える戦禍の声音が変わる。やや苛立ちを含んだものに。


「理由はあります。この名は母から貰った唯一のもの。そして“正統”な私の名です」


「……埒があかんな。もとより我ら魔族に言葉で交わす恭順などありえん」


 一歩前へ踏み出した藤堂の足元が割れる。

 地が裂け、奥底から轟くような鳴動が響き、戦禍へ向かい亀裂が走った。


「……でしょうね」



 戦禍の周囲を紫電が覆う。鋭角線を描き膨れ上がった稲妻により大気が電離し、凄まじいオゾン臭が草原に満ちた。

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