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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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RED HOT



 謁見の間には、焦げ付くような熱気が立ち込めていた。

 灰塚を囲む人垣の輪が、怖じけを見せ、じりじりとその半径を広げる。

 そんな廷臣たちへ、(あざけ)るように灰塚は告げる。


「なにも皆殺しにしようとは思ってないわ。死にたくなければこの場を離れなさい。――ただし、お前は駄目よ」


 灰塚の目が、毘前へと据え付けられる。

 毘前の腰にすがりついていた傾国が、細い悲鳴を漏らす。灰塚の視線から逃れるように玉座の方へと走り、幼い魔王はその影にしゃがみ込んだ。


「おのが分も弁えず、魔王の座に思いを馳せるような身の程知らずは、生かしておけないものね」


 頬を紅潮させ、笑みの形に口角を吊り上げた灰塚が、腕を一振りする。その動きに合わせ、指先に灯った炎が流れ、すうっと糸を引く。

 さらに腕が振られると、細く赤熱する炎が鞭のようにしなり、たわみ、のたうつように暴れ回った。

 同時に、膨れ上がった高熱に(あぶ)られた石畳の床が、赤く輝き溶解しだす。岩の融点を遥かに越えた炎の鞭が動くたび、とてつもない熱気が放たれていた。


 突如、貴族の一人が総身から火を吹いた。炎に包まれ、声もなく崩れ落ちる。一瞬で燃え尽きた侯爵位の魔族は、全ての水分を失い、ずいぶんと小さな灰の山となっていた。

 灰塚がその貴族に何かした訳ではない。灰と化した者はただ単に、強大な力を行使する余波に耐え切れなかっただけなのだ。


 周囲の石壁が熱せられた飴のようにどろどろと溶けだす段となり、廷臣たちは我先にとその場から駆け出す。

 すでに謁見の間は、主への忠誠心だけでは、とても踏み止まれないほどの灼熱の地獄と化していた。


「傾国様、覚悟をお決め下さい。とても逃げられる相手ではない。……かくなる上は、灰塚めを討ち取るより他ございません」


 よく立ち凌ぐ毘前へ返されたのは、か細い悲鳴だった。

 その不様さに、灰塚が一つ鼻をならす。そして全ての廷臣が立ち去ったことを確認するかのように、ぐるりと周囲を見回した。


 毘前は、自分からほんのわずかに注意が逸れたその瞬間を、好機だと感じた。

 もしも灰塚に勝てる見込みがあるとすれば、不意打ちによる先制。それしかないと考えたのだ。


 毘前の体から、将位の魔族に相応しい膨大な魔力が溢れ出た。


 床、壁、天井。灰塚を囲むあらゆる場所から、人の身よりなお太い岩の杭が()り出した。間髪を置かず、無数のそれらは高速で打ち出される。

 広い謁見の間を埋め尽くすほどの質量を持った岩の杭が、灰塚へと襲いかかった。


「――――ッ!?」


 毘前には、なにが起こったのかすぐには理解出来なかった。

 灰塚から凄まじい光が放たれ、直視することが出来なかったのだ。

 ただ、飛沫(しぶき)を上げた岩の杭が、灰塚の魔力障壁にすら届かなかったことは知覚していた。どろどろと溶け落ちたそれらは、大量の溶岩(マグマ)溜まりとなり、謁見の間の赤い(いろど)りとなっていた。


 灰塚の笑い声が聞こえた。

 笑いながら腕が振られる。

 切り裂いた大気と音を置き去りにし、炎鞭(えんべん)が毘前へと打ち付けられた。


「オ、オオォォ――――!!」


 毘前は炎鞭の絡み付く障壁を全力で支え、切羽詰まった声音で傾国へ助けを求める。


「け、傾国様!! 儂がしばし持ちこたえます! その間に灰塚を討ち取って下さい――――っっ!!」


「馬鹿ね。お前にそんな間を持たせることなんて、出来るはずないでしょ?」


 灰塚は手首を返し、軽く指先を折り曲げた。

 炎鞭が絞り上げられ、あっさりと毘前の障壁を舐めとる。

 絡みついた炎鞭により、毘前の身体が細かく焼き切られた。断面は綺麗に炭化し、血は一切流れない。

 炎を吹いたその身は地に落ちる前に燃え尽き、灰となって舞い落ちた。


「いやぁ…………」



 玉座の陰から様子をうかがっていた傾国と、微笑む灰塚の目が合った。





 灰塚は怯えた表情で後ずさる傾国を見て、下腹部から込み上げて来るかのような愉悦感を味わっていた。

 東方風の織物であつらった、仕立の良い衣をまとった美少女。その怯える様は、灰塚の嗜好をひどくそそった。

 恐怖に引き攣った表情で、一歩、また一歩と傾国は後ずさる。肩に垂れかかるぬばたまのような黒髪を揺らし、同じく闇色の瞳は涙で濡れ光っていた。

 その美しい顔をさらに歪めるため、灰塚は意識して冷酷な声音を作る。


「さあ、おとなしく私の言う通りになさい。でないと、可愛らしい顔が醜く焼けただれる事になるわよ」


「ひいいぃぃ――――!!」


 跳びはねるように床へ転げた傾国が、ずりずりと這いながら逃げようとする。

 予想以上の反応の良さに、うきうきとしながら灰塚が後を追う。


「いやあぁぁ!! 来ないでえ!!」


 恐慌状態に陥った傾国がめちゃくちゃに腕を振り回す。瞬間、床から凄まじい勢いで水の壁が立ち上がった。

 灰塚と傾国との間を隔てるように出現した水壁は、完全に謁見の間を二分していた。


「まったく……無駄なあがきを」


 灰塚は炎鞭を振るい水壁を切り裂く。だが、床から勢いよく噴き上がる水流により、すぐに壁は修復される。


「む……」


 それどころか水壁は分厚さを増し、灰塚を呑み込もうとするかのように迫って来ていた。

 溶解した石畳が、水流により急速に冷やされ凝固してゆく。噴き上がる水流に呑まれた岩が圧し潰され、その粉塵により水壁が黒く(にじ)んだ。


「なるほど……ただの防壁代わりではないって訳ね」


 水壁の内部には、冷却固化された溶岩を砕くほどの水圧があるようだ。もし生身で呑み込まれるようなことになれば、間違いなく灰塚は肉片となるだろう。


「お願い! もう帰って。あたし、水宮から離れたくないっ。皇城なんてところ、ゆきたくないの!!」


 水壁のあちら側から、涙声で傾国が叫ぶ。


「そうはいかないわ。痛い目見たくなければ、無駄な抵抗はおやめなさいっ!」


 灰塚も、声を張り上げ叫び返す。

 その間にも圧倒的な水量でもって、水壁が迫ってくる。


「チッ!」


 鋭い舌打ちとともに、灰塚の周囲を取り巻く熱気がさらに増す。水壁との間に大量の水蒸気が溢れ出した。


「あんたねえ! いい加減にしないと怪我だけじゃ済まさないわよっ」


 その怒声に、傾国の息を飲む声が聞こえた。そしてしゃくりあげるような音が響く。


「泣いたって許さないわよ。さっさとこの水壁をやめなさいっ!」


「あたしはどこへもゆきたくないの――――っ!!」


 その悲鳴に呼応するかのように、噴き上がる水流の勢いが増す。外側に大きくたわんだ天井が圧力に耐え切れず砕けた。そこから天井全体へ亀裂が走り、大規模な崩落が始まる。

 灰塚の発する高熱により熱せられた石材が、今度は水流と水蒸気により急速に冷却されたため、城館自体が脆くなっていたのだ。


「ちょっと……自分の居城でむちゃくちゃするわねえ」


 灰塚は崩れ落ちて来る瓦礫をものともせず、視界を覆うほどの高さとなった水の壁を見上げる。

 噴出する水流はなおも勢いを弱めることなく立ち上がりつづける。すでにその両端は中洲を横断し、両岸の河川へ到達していた。

 見上げる灰塚の顎も徐々に上向き、地面とほぼ水平となった。

 それでも噴出は止まらない。


「……………………冗談、でしょ……」


 ぞっとする光景だった。眼前の水壁が、遥か上空の雲に突き刺さるのが見えた。

 それはまるで天地が逆転し、洪水が空に向かって流れ落ちてゆくかのような恐るべき光景。

 いつまで続くのかと、灰塚は興味半分で見つめる。いい加減首に疲労感を覚え始めた頃、唐突に水流の噴出が止まった。


「………………」



 超高々度にまで到達した水壁の頂点から崩壊が始まる。

 頭上の雲を打ち叩き、膨大な質量が一塊となり雪崩落ちて来た。





 凄まじい鉄砲水が濁流となり、灰塚の周囲にある物全てをさらってゆく。


「くぅぅ――」


 灼熱の炎を発する灰塚の周りは、濃白色の分厚い水蒸気に包まれていた。

 水が気化する事により膨張した大気が、降り注ぐ大水を押しのける。だが、天高く立ち昇った水壁は、それこそ山のごとき質量を持ち、降り注ぐ津波となって灰塚を押し流そうとしていた。


「こ、のぉぉ――!」


 一際強い光を放ち、灰塚の体から赤熱した魔力が溢れ出た。

 気化、膨張する力が、降り注ぐ水流の圧力を上回る。

 大気が爆散し、凄まじい衝撃波が巻き起こった。

 あらゆる物が薙ぎ倒され、巻き上げられる。地鳴りのような重低音が響き、噴煙となった土砂と水蒸気がキノコの笠のように上空で広がっていた。


「なるほど……ね」


 乱れた黒髪を手櫛で直しつつ一人ごちる。至近でとてつもない爆風を受けてなお、灰塚は無傷だった。そして、茫然とへたり込む傾国もまた、無傷であった。


「ただの傀儡(かいらい)かと思っていたけど、魔王に相応しい力は持っているようね。……でも――」


 通常、魔王同士の戦いは、互いに強固な魔力障壁を有するため、相手に傷を負わせることすら一苦労だ。


「私の方が、お前よりもさらに強いわ。いい加減諦めて、戦禍帝への忠誠を誓いなさい」


 言葉もなく、傾国はふるふると首を振る。

 もともと気の長い(たち)ではない灰塚は、いらいらとした調子で告げる。


「あまり聞き分けが悪いようなら、命の保証は出来なくなるわよ」


 灰塚の胸元に、一抱えほどもある火球が出現した。

 赤く燃え盛るそれは、内包する魔力を増しながら凝縮されてゆく。


「最近使えるようになった魔法なの。だからあまり加減はできないわ」


 見る間に爪の先ほどの小ささにまで濃縮された火球は、直視することが困難なほどの光量を放っていた。そして火球から赤い光が傾国へと伸びる。


 光の線を目で辿り、みずからの肩に赤い光点を見つけた傾国が悲鳴を上げる。


「や、やめてぇ」


 ふたたび両者の間に水流が噴き上がる。

 さきほどのものよりさらに分厚く、その表面からは無数の水槍が生み出された。

 とたん、灰塚へ向かい横殴りの雨のように次々と水槍が放たれる。


「もちろん、無駄よ」


 限りなく打ち出され水槍は、一つとして灰塚へ届くことなく破裂音と共に気化する。

 灰塚は立ち込める水蒸気の中、狙いを逸らさぬよう目を(すが)め、一言つぶやく。


赤光線花(しゃこうせんか)


 赤い光がほとばしった。

 ほぼ光速に近い赤い線は、射出されると同時に傾国の肩へ穴を穿(うが)っていた。


「え…………?」


 水壁は瞬時に蒸発し、強固な魔王の障壁すら、なんの役にも立たなかった。

 肩に空いた指先大の穴を見つめ、傾国は困惑の表情を浮かべる。


「え? え?」


 やがてその顔が苦痛に歪む。


「い……いたい。いたっ! いたっ! いたいいたいいぃ――――――!!」


「当代では使える者の居ないと言われていた、加熱霊子線と呼ばれる魔法をアレンジしたものよ。試し打ちは何度かしてみたのだけど、実戦で使うのは――――って、聞いてる?」


 呻き声を上げる傾国は、それどころではなかった。

 生まれて初めて負った傷。初めての激痛なのだ。

 そして何よりも、自分に対しこれほど酷い仕打ちをしたにもかかわらず、愉快そうに語りかけて来る冷酷な魔王への恐怖。


「いやあぁ、もうやめてぇ……ゆるして……」


 うずくまり、はらはらと涙を流しながら傾国は懇願(こんがん)する。

 可憐な少女が綺麗な顔を涙と苦悶(くもん)でぐしゃぐしゃにし、怯え切った上目遣いで見上げてくる様は、灰塚の嗜虐心を豪快に掻きむしった。


――な、なかなか、来るモノがあるわね……


 顔を上気させた灰塚が、ぶるりと身を震わせた。


「…………」


 か細い悲鳴をもうすこし聞きたくなり、熱量をともなわない射線を傾国へ向ける。


「あひいぃぃぃ!?」


 いい声で鳴くわね、などと思いつつ体を火照らせる灰塚は、不意に閃いた。


――そうだわ、この娘をお姉さまへのお土産に……


 灰塚は以前に聞いた、白蓮がとても執心している人間の娘は、確か傾国と同じくらいの年頃だという話を思い出していた。


 そして考える。


 傾国ほどの器量と力がある娘であれば、きっと白蓮も気に入るのではないだろうか?


「名案だわっ」


 独り言を漏らした灰塚に、とんでもなく不穏なモノを感じ取った傾国は、泣きながら逃げだそうとした。


「後ろを向いて踏み出す前に、穴があくわよ」


 赤い光点が傾国の顔をポイントしていた。



 傾国は無言で両手をあげた。

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