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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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水宮の城



 魔族の領域南東部、魔王傾国の居城“水宮(すいぐう)”。

 海に面する河口の中洲に建てられた、美麗な城館である。大河を挟さんだ両脇に広がる水宮の都は、市中に細い水路が幾重にも入り組み、無数に浮かべられた小船の航行により交通網の整備された、まさに水の都といえる都市であった。


 中洲に存在する水宮には、二本の大橋により市街からの行き来がなされている。その両端には城兵の詰め所が設けられ、厳重な警備が置かれていた。


「おい……なんか騒がしいな」


 魔王の居城へ続く大橋を守る城兵が、遠く喧騒の流れて来る市街へ目をやり様子をうかがう。


「……もしかして、中央からの使者が到着したんじゃないか?」


「いや、魔王直々の来訪って話だろ? いくらなんでも事前に先触れの一つもあるはずだ」


「お前、ちょっと様子を見てこいよ」


 騒ぎに気づき、詰め所から出てきた数人の城兵が囁き合う。


「待て、この気配……」


 市街地からこちらへと向かって来る高圧な魔力が、城兵たちにはっきりと感じられた。

 それは近づくつれ密度を増し、爵位の魔族などとは比べようもないほどの恐ろしい威圧感を放っている。


「間違いない。皇城からの使者がご到着だ。水宮へ伝令を出せ」


 遠く聞こえていた喧騒も、しだいに近づいて来ていた。

 やがて、異国の魔王を一目見ようと詰めかけた都の住人たちを背後に従え、一人の女が姿を現す。

 色鮮やかな赤いドレスを身にまとった黒髪の魔王。美しい面立ちを、やや不機嫌そうにしかめながら大橋へ向かって歩を進めていた。


 水宮へと至る大橋を守護する城兵たちは、その姿を目にした瞬間、ひざまづいて(こうべ)をたれる。

 初めて見る異国の魔王からは、そうさせるだけの確かな威厳と強大な魔力が滲み出ていた。


 城兵たちは緊張の中、異国の魔王から何らかの命が下されるのを待つ。

 本来ならば職務柄、まずは何者なのかを確認するのが彼らの仕事であった。しかし、それが(はばか)られほどの存在感が女魔王にはあった。

 初対面である相手の気質が分からない現状、口を開く許しが得られぬ内に言葉を発することは、命取りになりかねない。


「お勤めご苦労なことね。いつまでもひざまづいていないで傾国の許へ案内なさい」


 明らかに苛立ちの混じったその声音に、城兵たちはびくりと身をすくめる。

 慌てて立ち上がりはしたものの、案内するでもなく困ったように目線をさ迷わせる城兵に女魔王が不審げな顔をする。


「なによ? 言いたいことがあるのならはっきりなさい。発言を許すわ」


「も、申し訳ございません。一つだけ確認をさせて下さい。――御前(ごぜん)は魔王灰塚様で間違いございませんでしょうか?」


 気の毒なほど怖々となされた質問に、女魔王が鼻を鳴らす。


「見れば分かるでしょ! 私ほど美しい魔王が他に居るとでも? それともなに? お前ごとき一兵卒に、名を名乗れと言うつもりじゃあないでしょうね?」


「滅相もございません! 不快に思われたのならば、どうかお許し下さい。ただいまご案内をいたしますゆえ」


「いいわ。これ以上無駄口は叩かず自分の仕事をなさい」


「はっ!」


 城兵の一人が灰塚の先導に立ち、水宮へ向かって歩き出す。馬車の数台も並んで走らすことの出来る幅広い橋は人の往来もなく、遠くの潮騒が聞こえて来るほどに静まり返っていた。


 橋を渡り切り、水宮の城門前に到着した灰塚を一人の女貴族が出迎える。


「お初にお目にかかります。わたくしは主である魔王傾国より公爵位を賜ります伶琳(れいりん)と申します」


 五爵の最高位である大貴族の丁重な物言いに、灰塚は軽く頷き返答する。


「北部の魔王、灰塚よ。主である戦禍帝の命により、使者として参内(さんだい)したわ。傾国王に目通りを」


「心得てございます。まずは高貴なる御身への拝謁叶(はいえつかな)いこの栄を――」


 深々と伏せる伶琳公爵に辟易とした視線を落とし、灰塚が口上を遮る。


「儀礼ばった堅苦しい挨拶は無用よ。まずは案内をなさい」


「失礼を致しました。それではこちらへ」



 立ち上がった女公爵に続き、灰塚は大きく開かれた城門をくぐった。





 水宮の中枢ともいえる謁見の間では、慌ただしい空気の中、重鎮である老将軍の怒声が響いていた。


「どういう事だ! なぜ雷鴉様へ送った使者からのいらえが来ぬ!?」


 主である傾国に代わり、国事全権を取り仕切る毘前(びぜん)将軍が、配下の貴族へ叱責混じりの詰問を繰り返していた。

 魔王傾国の治世を支える十数名に及ぶ廷臣(ていしん)たちが、うろたえた様子で互いの顔を見合わせる。


「今回、中央からの使者は魔王の一人なのだぞ! これまでのように無下に扱う事は出来ん。いったい儂はどうすればよいのだ!!」


「毘前将軍、落ち着いて下さい。ただいま(うたげ)の準備を進めておりますれば」


「そうです。まずは手厚くもてなして、時を稼ぎましょう。その間に雷鴉様から何らかの指示も来ましょうほどに」


 口々に毘前を(なだ)める貴族たちの言葉はなんら功を奏すことなく、ただ虚しく広間にこだまする。


「それではなんの解決にもならん。儂はてっきり雷鴉様自身が使者としてお越しいただけるとばかり思っておったのだ! だいたい“あの”魔王灰塚を相手に、この場をどうやって切り抜けろというのだ!」


 今にも口から泡でも吹かんばかりに顔色を紅潮させ、老将軍は喚き立てる。

 その様子に、ちょこんと玉座に腰掛けた少女は怯えたように目をまるく見開き、おっかなびっくり周りの者に尋ねる。


「ねぇ、その灰塚という魔王は、そんなに恐ろしい人なの?」


「いかにも。傾国様、かの魔王はかつて中央との戦いに際し、多くの貴族を屠り、あの雷鴉様と互角の戦いを繰り広げたとの伝聞がございます」


 冷静さを失い、答える余裕のない毘前に代わり、貴族の一人が幼い主の問いに答える。


「なにより恐ろしいのは、逆らう者ことごとくを問答無用で焼き捨てると言われるその気性だとか。かの王が通った後には形ある物、灰の塚しか残らないともっぱらの噂でございます」


 口許に両手をあて、小刻みに震えながら話を聞いていた傾国が、不安げに周囲へ目を走らせる。


「あ、あたし、そんな怖い人と会いたくない、な……」


「こたびはそうもゆきません。魔王みずからが使者として参られたのですから」


 玉座に腰を下ろしたまま、落ち着かなげにぷらぷらと足を振りつつ、傾国は泣き出しそうな顔で配下の貴族に尋ねる。


「でもっ、でもっ、雷鴉は言ったよね。あたしはこのまま水宮に居てもいいって。皇城ってとこに行かなくてもいいって」


「……確かに雷鴉様とは幾つかの盟約がございますが、肝心の雷鴉様自身との連絡が途絶えているため、今回どう対処すればよいのか……」


「そんなぁ」


 現在、王位についている者の中でも、最年少の魔王である傾国。まだ幼さの残る少女ではあるが、(ちょう)ずれば絶世といっても過言ではない美女に育つであろうことは、想像に(かた)くない容貌の魔王である。

 その見目麗しさから、花の(かんばせ)とも形容され、ゆくゆくは中央の盟主である魔王雷鴉との婚姻を、宮中の者から囁かれていた。


「お、お待ち下さい! それはさすがに――」


 灰塚への応対について紛糾する謁見の間に、焦りを帯びた悲鳴混じりの声が聞こえてきた。

 場のざわめきが一瞬収まり、皆が何事かと目を向ける。


「困ります灰塚様! どうか貴賓室へお戻り下さいっ」


「まさか……」


 どこからか呻くような言葉が漏れ聞こえた。


 謁見の間の入口に伶琳公爵の背が見え、すぐにそれを押し退けた灰塚が姿を現す。


「な――――っ! そなた、いくらなんでも無礼であろう」


 悪びれた風もなく謁見の間に踏み入って来る灰塚へ、毘前将軍の叱責が飛ぶ。


「たとえ魔王といえど、なんの許しもなく他国の宮中を闊歩(かっぽ)し、あまつさえこの謁見の間へ――」


 ちらりと毘前へ目をやった灰塚が、すぐに興味を無くしたように視線を外し、玉座へ顔を向ける。


「お前が傾国ね」


「ひぃ……」


 先ほど配下の者から、さんざんにその恐ろしさを吹聴(ふいちょう)されたばかりの傾国は、引き攣った呼吸音を鳴らして玉座の上で縮こまる。


「……なに、その反応は? 失礼な娘ね。東部の王は挨拶の一つも出来ないのかしら」


「失礼なのはそなたの方であろう。北部の王は礼を弁えぬ無礼者なのか!?」


 完全に存在を無視されてしまった毘前将軍が、灰塚の視線を遮るように玉座の前に立つ。

 それでも灰塚の目は老将軍を通り過ぎ、背後の傾国へと据えられていた。


「そなたの行いは使者としての権限から、あまりに逸脱しておろう!」


 あからさまな怒気を見せる毘前を歯牙にもかけず、灰塚は表情を変えることなく言い放つ。


「お前に用はないわ。礼を説きたいのなら、まずは私の視界の端に寄り、ひざまずきなさい」


「な――」


 絶句する毘前に構うことなく、灰塚は高圧的な態度で続ける。


「私が使者として戦禍帝から(うけたまわ)った用向きはすぐに終わるわ。はいかいいえで答えられる単純な質問よ」


 力を伴った視線に押され、毘前が玉座の前から退(しりぞ)く。

 正面から灰塚に見据えられ、怯えをあらわにした傾国は顔を伏せた。


「魔王傾国。ただちに戦禍帝への恭順を示し、皇城へ赴きなさい」


「あ、あたしは……」


 言いよどむ傾国の歯切れの悪い態度に、灰塚の眉間にわずかなしわが寄る。


「なにも悩む必要はないでしょう。すでに東部以外の王達は、戦禍帝への忠誠を誓っているわ。あなた一人が抗うことなど、今更無理な話だと思うけれど?」


 灰塚の厳しい問いかけに、傾国はぶるりと身を震わせ、助けを求めるように視線をさ迷わせる。


「さあ、早く答えなさい。諸王は皇城へ登城せよ、との勅令よりすでに四ヶ月が経つわ。これ以上無為に時を過ごすと言うのなら、魔王傾国に叛意(はんい)有りと受け取られても文句は言えないわよ」


「そのような性急な問いに答えられるはずがなかろう! あまりに一方的過ぎる! これは一国の行く末にも関わる一大事ですぞ。ある程度は検討する時間が必要だ」


 ふたたび横から割って入った毘前に、灰塚が初めて興味を示す。


「……お前はさっきから頻繁に口を挟むけど、いったい何者なの?」


「儂は傾国様より国事全権を預かる毘前と申す者だ」


「全権を、預かるですって?」


 信じられない、といった顔で灰塚は、傾国と毘前を見比べる。

 その視線から身を隠すように、傾国は玉座から飛び降りて毘前の背に回り込んだ。


「あ、あたし、国のことなんてよくわからないっ。だから毘前と話をして!」


 普段から頼りになる老将軍の背に隠れ、傾国は何も聞きたくないと言うように両手で耳を塞ぐ。


「いくら年若いとはいえ……」


 呆然とした声で灰塚がつぶやく。


「お前のような者が王位に就いているなんて――」


「たとえ魔王とはいえ、我が主を愚弄するような発言は控えよ!」


「……話にならないわ。――とにかく、戦禍帝の意向に従い登城するか否か答えなさい!」


 あからさまな苛立ちを見せはじめた灰塚の態度に、居並ぶ廷臣たちの緊張が増す。

 重苦しい雰囲気の中、傾国が感情的に叫ぶ。


「あたし、水宮から離れないっ! 雷鴉もそれでいいって言ってたし、毘前だって――」


「傾国様!!」


 毘前が咎めるように傾国の言葉を遮った。


「雷鴉ですって!?」


 苦々しい顔で灰塚が吐き捨てる。


「まったくあの男ときたら……」


 物騒な気配を立ち上がらせ、灰塚の視線が傾国をその背に庇う毘前へと向けられた。


「どういう事か詳しく説明して欲しいところだけど……大方の想像はつくわ。雷鴉は東部の王達を使って、新たな戦乱を画策してたのでしょう?」


 無言で立ちすくむ毘前が、唇を噛み締めて灰塚を見返す。


「あいにくだけど、雷鴉も今では戦禍帝に従っているわ。最近あの男も心変わりしたらしくてね。魔王たちを皇城へ集めることにも協力的だわ」


「なっ!?」


 毘前の目が大きく見開かれる。


「お前たちも大人しく、戦禍帝への恭順の意を示しなさい」


「有り得ん! この儂を(たばか)ろうとて、そうはゆかんぞ!」


「なにが有り得ないと言うの? 雷鴉はお前になんと言った? 何を約束されたの?」


「そ、それは……」


 言葉に詰まる毘前に対し、灰塚は酷薄な笑みを浮かべる。


「まあ、何を言われたのかは知らないけれど、一つだけはっきりしているわ。――雷鴉はお前のことなど使い捨ての駒程度にしか考えてない。それも、かなり使い勝手の悪い駒としかね」


「馬鹿な! それこそ有り得んわ!!」


「ならお前は、雷鴉が戦禍帝の側に立ったことをなぜ知らされていない。状況が変わってもう必要が無くなったからじゃないのかしら? おそらく駒としての使い道がなくなったのでしょうね」


 手の甲で口許を隠し、灰塚が笑いを堪えるように顎を反らせる。


「そんなはずはない! 雷鴉様はおっしゃられたのだ! 事が成った暁には、この儂を東部の王の末席に加えて下さるのだと。それほどまでに儂の力を買って下さっているのだぞ!!」


 言い切ってしまってから、毘前は息を呑む。

 その場に居合わせた貴族たちの半数が顔をしかめ、残りの半数は驚愕に顔色を変える。


「毘前将軍!? それはいったい……?」


 灰塚もその言を聞き捨てることは出来ず、すっと目を細める。


「まさか、そんな大それた夢を見ていたなんてね。しかも、うかうかと口を滑らせるとは……お前のような無能では、雷鴉でなくても切り捨てようと考えるわ」


 ふつふつと汗の玉を顔中に浮かべ出した毘前が、灰塚を凄まじい目付きで睨みつける。


「こんな奸臣(かんしん)に国事を預けるなんて、傾国という号も伊達ではないわね。違った意味で国を傾けているわ」


 呆れ果てたと言わんばかりの(さげす)んだ目が、傾国へと向けられる。


「あまりに不遜だ!」


 毘前に近しい間柄の廷臣が、灰塚へ糾弾の声を上げた。


「たとえ他国の王といえど、そのような物言いがまかり通るとお思いか!?」


「我らが国の(まつりごと)に口を出すなど、決して許されることではない!」


 同調した廷臣たちの言葉に、毘前も冷静さを取り戻し、灰塚へ対する敵意を煽ろうとする。


「いかにも! 我が主、我が王に対する暴言の数々。たとえそなたが傾国様と同じ王位にある者とて、看過するには堪えませんぞ!」


 くっ、と灰塚が喉を鳴らす。


「な――――!?」


 くすくすと笑い出した異国の魔王に対し、敵意を募らせた廷臣たちの怒りが一丸となる。


 だが、彼らは勘違いをしている。数に頼り、わずかにでも優位に立っているかのようなその錯覚が、どれほど儚い幻想であるのかをすぐに思い知ることとなる。


「お前達は――」


 さも愉快そうに笑う灰塚は、なんとかその発作を抑えんとしているかのようであった。


「その傀儡(かいらい)として飾られている小娘とこの私を……同列に語ろうというの?」


 灰塚の身体から、ゆらめく赤い影が立ちのぼっていた。

 視覚に捉えられるほどに濃密な魔力。居並ぶ大貴族たちの顔色(がんしょく)を一瞬にして無さしめる強大な力。


「怒りもあまりに過ぎると、むしろ笑えてくるものなのね」


 くすくす……

 くすくすくす


 渦を巻き流れ落ちる黒髪が、力の奔流に煽られて揺らめき立つ。


「穏便に、とは言われているけど、戦うなとは言われていないからね」


「なんだと……?」


「まあ、力ずくというのが妥当でしょう。傾国さえ生かして皇城へ連れ帰れば、充分穏便と言えるわ。私達魔族にとってはね」


 灰塚を中心に、とてつもない熱量が放出され、周囲の大気を焦げつかせる。

 じりじりと後退りながら、毘前が憎々しげな目で退路をうかがう。


「使者などと名乗りながら、最初からそのつもりだったのであろう!?」


「当然でしょ? 戦禍様は力を示し帝位に昇られたお方だわ。その勅令をお前達は無視し続けたのよ。――だから私が送られて来た」


「貴様ッ!!」


「まったく、ほんとうに口の()き方を知らないじじいね。お前は誰に向かって物を言っているのか、分かっているの?」


 ゆっくりとした動作で灰塚の右手が持ち上がり、毘前を指差す。その指先に小さな赤い炎が(とも)った。


「魔王、灰塚さま」


 一言一言、言い聞かせるように灰塚は告げる。



「それが、お前をこれから焼き尽くす者の、名よ」

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