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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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思惑の裏側



 その日の昼。ジャンヌはダレス神殿内の奥まった一室を訪れていた。


 今朝の一件で失意の内にあるジャンヌではあったが、すこしの仮眠の後、友人である狼少女との約束を果たすべく、父の執務室へとやって来ていた。


「それで、ですね。そのルゥという獣人族の少女に、農地を貸し与えていただきたいのです」


 ジャンヌの父、ダレスの司祭枢機卿であるアルストロメリア侯爵は、考え深げに娘を見つめる。


「ジャンヌ。お前がこの私に頼み事をするなど、今までに無かったことだ。父として嬉しいという思いはあるが、一つだけ聞きたい」


 長年の修練により、心身共に鍛え上げられ、鋼を思わせる偉容を持つアルストロメリア侯は、ゆったりとした声音で尋ねる。


「なんでしょう?」


「獣人族といえば、氏神を奉り讃える種族だ。お前が最も忌み嫌う異教徒であろう。なぜそのような者のために、人に頼る事をよしとしないお前が、この私にそのような願いをする?」


「それは……ええと…………狩猟のため定住することのない獣人族が、田畑を耕し大地の恵を受ければ、改めてレギウス神の偉大さを知ることが出来るでしょうし……」


 考え考え口を開いたジャンヌが、斜め上方に視線をさ迷わせながら言葉を途切らせる。


「以前のお前からすれば、考えられないような変化だな。よほどその獣人族の少女が気に入ったのか? お前の信仰に反する行いをとらせるほどに?」


「そ、そういう訳ではありませんわ。ただ、そのう……ルゥは友達ですし……」


 どこか自信なさげにうつむくジャンヌを見て、アルストロメリア侯は満足げに頷く。彼が娘の口から、友達などという言葉を聞いたのはこれが初めてのことだった。


「そうか、よかろう。今現在、相次ぐ戦乱により領内では働き手が不足している。機能していない農園もまた多い」


「では――?」


 ぱっと顔を輝かせたジャンヌに、アルストロメリア侯が釘を刺すように告げる。


「ただし、条件がある」


「……なんですか?」


「三日後に行われる褒章授与式への参列だ」


「それは……何度もお断りしたはずです!」


 すでに両者の間で数回行われた話であった。

 凱延討伐に功のある者へ対する褒章授与式への参加。

 ジャンヌは凱延を討ち果たした場に居合わせた者として、教王から直々に恩賞が下される事となっていた。


「ジャンヌ。わずか十代にして助司祭に任ぜられるなど、かつて例のないことだ。お前のたゆまぬ信心が結実した(あかし)とも言えよう」


「いいえ、わたし自身はなんの働きもしていません。何をどう言われようと、そのような恩賞を受けるいわれはありませんわ!」


 強く否定する娘を、アルストロメリア侯は(いか)めしい表情で見据える。


「だいたい、凱延を倒したアルフラにはなんの恩賞も与えられないのに、わたしが受けることなどありえません! しかも、あの忌ま忌ましい魔導師が英雄に祭り上げられるなど――!!」


 クマの浮いたジャンヌの目には、歴戦の武人でもあるアルストロメリア侯ですら気圧されるような、激しい怒りに満ちていた。


「それに、トマスから聞きましたわ。先の王宮での話し合いに際して、お父様は、魔族へ降るという魔導師の言葉に迎合されたそうではないですかっ!」


「そうではない。ただ、多大な被害を被った今回の戦いを教訓とし、もしも和平の道があるのならば、それは最も多くの人命を救う方策の一つだと考えたまで。検討せぬ訳にはゆくまい」


 宗教者としてではなく、多くの臣民を守らなくてはならない領主の一人として、アルストロメリア侯はジャンヌを諭す。


「魔族に服従するなどありえませんわっ! 神の教えに背く大罪です!!」


「ジャンヌ……私が言うのもなんだが、お前の信仰はいささか盲目的過ぎる。人あってこその信仰だ。このまま戦いが激化すれば、レギウス教国の存続すら危ういのだぞ」


「いいえ、神あってこその人です! 武神ダレスの司祭であるお父様の言葉とは思えません!」


 激昂するジャンヌのきつい眼差しを、アルストロメリア侯は正面から受け止める。

 そして、淡々とした口調ながらも、愛娘に噛んで含めるように言い聞かせる。


「そのような考えでは、人々の暮らしを守ることはできん。すでに一連の戦いにより、軍には多くの死者が出ておる。人命だけではなく、多くの砦や関所も失われた。たった一人の魔族――凱延によって受けた被害はあまりにも大きい」


 すでに王宮での軍議は、魔術士ギルドを中心とした降伏論へと趨勢(すうせい)が移動している状況でもあった。


「凱延を討ち取ったギルドの者達からも、多くの人命が失われている。その長であるホスロー殿自身が、これ以上の継戦(けいせん)は不可能だ、と言っているのだ」


「ですから! 凱延を倒したのは魔導師ではなくアルフラです! それにアルフラは魔族と戦いたがっています。……そうですわ。誰が凱延を倒したのか、誰が貴族殺しの英雄であるのか――真実を皆に伝えましょう」


 病的なほど神に心酔し、魔族を敵視するジャンヌには、それがとても良い考えだと思えた。


「凱延を倒した英雄が、魔族との戦いを望んで後押しするなら、王宮の不心得者(ふこころえもの)も考えを改めるはずですわ」


「……そのようなことをしてなんになる。一人の勇者が、たとえ数人の貴族を倒せたとしても国は救えん。人一人の力で戦いに勝つなど不可能だということは、お前にも分かるであろう?」


 (きび)しい表情でアルストロメリア侯はジャンヌへ問いかける。


「魔族全体を考えれば、数百人からの貴族がいるのだぞ。そして、さらに強大な力を持った魔王が何人もおるのだ」


「神を信じる者には、絶対の加護がありますわ。それに、本格的な戦いが始まれば、天山グラシェールに戦神バイラウェが降臨なされるという神託が降りているではないですか」


「そう、まだ戦いは前哨戦だ……にも関わらず、わずか一人の貴族からの進攻により、このレギウス教国は瀕死の様相を(てい)している」


「それは……」


「私はダレス神の司祭である前に、多くの人命を預かる為政者(いせいしゃ)として、最善の道を模索しなければならないのだ。それは決して神の教えに(そむ)くことではないと思っている」


 アルストロメリア侯は道理を示し、人の上に立つ者に必要とされる機知を説く。

 確固たる信念はあるが、それを成し得る理念を持たないジャンヌは、言い返すことが出来ずに唇を噛む。


「ジャンヌ。私は父として、強い信仰心を持ち、レギウス神教のために尽くすお前を誇りに感じている」


 それまで、毅然とした態度で話していたアルストロメリア侯は相好を崩し、温かみのある声音で語りかけた。


「少々真っ直ぐに育ち過ぎた感はするが、お前は心根の優しい娘だ。戦いを望めば多くの人命が失われ、友人にも危険が及ぼう。そして自らの身にもな。――あまり私に心配をかけてくれるな」


「くっ……」


 父の言い分も解るが、それとは相反する神への信仰から、ジャンヌにとってはとても納得の出来るような話ではなかった。

 しばしの間、アルストロメリア侯を睨みつけていた彼女は、それ以上言葉を重ねることなく背を向ける。


「ジャンヌ。三日後の式典には――」


「わかっています」


 退室しようとしていたジャンヌは立ち止まり、振り返ることなく答える。


「式典には出席します。ですから、農地の件はくれぐれもよろしくお願いします」


「よかろう。どの程度の人数を養う必要があるのか、獣人族の友人に尋ねておくとよい。それに見合った収穫の見込める農地を都合しよう」


「……ありがとうございます」



 扉を閉める際、ジャンヌは父へ深々と他人行儀な礼をとり、執務室から退室した。





「ふう……」


 ジャンヌが去った執務室で、アルストロメリア侯は軽くため息を落とした。


 ここ数日、王宮では頻繁に話し合いの場が持たれ、魔族との戦いにおいてどういった方針を取るか、といった問題で紛糾していた。

 もちろんアルストロメリア侯も、領主でありダレス神の司祭でもある立場上、王宮へは日参している状況であった。

 もともと彼は、断固として魔族と戦い、神に敵する者に屈服することを決してよしとはしないという考えだった。

 だが、レギウス国軍はオーク襲撃から続く一連の戦いでの疲弊著しく、あまつさえ凱延襲来により国境からガルナへ至るまでの砦や関所が軒並み破壊されてしまっている。

 レギウス教国の心臓部である王都は、防備に関し、丸裸と言っても過言ではない現状なのだ。


 現実的に考えて、本格的な魔族の進攻が始まってしまえば、レギウス教国の命運はすぐさま(つい)えるであろう。そうアルストロメリア侯は考えていた。

 レギウス教国に暮らす多く人民のことを考えれば、これ以上の戦乱を招くような決断が出来ようはずもない。


 娘であるジャンヌのように、神の加護を信じて無謀な戦いへ挑むには、彼は世情に(さと)すぎたのだ。

 武神の司祭である彼といえど、ギルドの者から言われるように、丸きりの狂信者というわけではない。人の上に立つ者として、最低限の分別は持っているつもりだ。


 しかし、彼の娘にはそれがない。


 多忙なアルストロメリア侯は、ジャンヌがまだ幼い時分から、娘をダレス神殿へ預けていた。今ではそのことを、少なからず後悔している。

 物心のつくかつかないかという歳の頃からジャンヌは熱心な信徒達に囲まれて育ち、武神の教儀を学んできた。

 とても正義感が強く、健やかに成長したとは思う。だが、必要な常識が身につく前にレギウス教徒としての教育を施されてしまった弊害か、司祭であるアルストロメリア侯の目から見ても、ジャンヌはあまりにも深く神へ傾倒し過ぎている。


 ガルナでの戦いでは、無謀にも魔術士ギルドの戦士たちと共に凱延に挑んだと聞き、その信心深さがいつかは命取りになってしまうのではなかろうか? 彼はそう危惧していた。

 そして、最近ではジャンヌが頻繁にギルドの宿舎へ出入りしていることを聞き及んでもいた。

 そのこと自体はよい兆候なのではないか、とアルストロメリア侯は考えている。


 幼少の頃より、ジャンヌの時間は祈りと修業で大半が占められていた。それは押し付けられたものではなく、彼女自身が望んだものだった。

 父である彼ですら、娘が子供らしい遊びをしている姿を見た記憶がない。


 アルストロメリア侯には、娘が全てを神へ捧げているかのように思えていた。

 そのジャンヌの口から、友達などという言葉が聞けるとは、夢にも思っていなかったのだ。


――これをきっかけに、少しずつでも娘の意識が変わり、人並みの楽しみや幸福といった物を理解してくれれば……


 アルストロメリア侯は無意識の内に祈りの言葉を口にしかけ、思わず自分の行いに苦笑してしまう。



 ダレス神の司祭たちを束ねる司祭枢機卿である彼は、祈りといった物があまり役には立たないことをよくよく知っていたのだ。





 王都カルザスでは様々な思惑が錯綜し、魔族へ朝貢してでもレギウス教国の存命を計るべき、との流れが出来つつあった。


 そんな最中(さなか)、戦乱の元凶である魔族の皇帝は、二人の王を(ともな)い東へと向かっていた。

 魔族の領域中央と東部を隔てる国境地帯。あまり人の(かよ)いもなく、街道の状態は極めて悪い。

 荒野の広がるこの地は、危険な生物も数多く生息する場所でもあった。


 だが、当然のように何の障害もなく行程を進めて来た三者は、それぞれ別の目的地へ赴くべく足どりを止め、今後の行程(こうてい)を確認していた。


「では、私はここより北上し、東部の盟主である藤堂(とうどう)の居城を目指します」


 戦禍は薄い笑みを浮かべ、灰塚と雷鴉へ告げる。


「灰塚。あなたは南下し、傾国(けいこく)のもとへ。そして雷鴉はこのまま東へ進み、茨城(いばらぎ)のもとへ向かって下さい」


 無言でうなずく灰塚とは対照的に、雷鴉は渋い顔つきで低く唸る。


「なあ。やっぱりさ、俺の担当を傾国の方にして貰うことは出来ないか? 茨城は本当に苦手なんだよ」


「あなたはかの鬼族の女王と、かなり懇意にしていると聞いています。むしろ適任だと思いますよ」


「いや、それはそうだが、傾国ともそれなりに交友がある。出来ればそっちにして貰いたい」


 雷鴉の言葉を聞き、灰塚がどこか飽きれたような顔で首を振る。


「本当にこまめなことね。どこにでも手を回し過ぎると、そのうち痛い目を見るわよ」


「ほっとけよ。お前には関係ないだろ」


 悪態をつく雷鴉へ、戦禍がたしなめるように口を開く。


「今回の用向きは、あくまでも各王に登城を促すための使者です。戦いにならずに済むならそれが一番いい。茨城相手にそれが出来るのはおそらくあなただけでしょう」


「そうは言ってもさあ……俺が行ってもある意味戦いになるって。酷い目に()うのは分かりきってんだよ」


 ぶちぶちと文句を言う雷鴉を楽しげに見やりながら、戦禍はすっと左手を差し出す。


「ん……なんだ?」


「手を出しなさい。行きがけの駄賃代わりに、すこし血を与えましょう。万が一戦いになっても、そうそう遅れを取らないようにね」


「え? いいのか?」


 雷鴉は魔王という立場上、これまで血を与えたことはあっても、与えられるという経験がない。

 そして、強い力を持つ者ほど、そう安々とは血を与えないものだ。


「手を」


「あ、ああ」


 予想外の申し出に、雷鴉はおっかなびっくり手を出してみる。

 伸ばされた戦禍の指先で小さな稲妻が弾け、雷鴉の掌に血がしたたり落ちた。――――とたんに、


「う……ああぁ!?」


 わずか一滴の血から膨大な量の魔力が溢れ出し、雷鴉の体へと染み込んでゆく。


「く……ぅ。すげぇな」


 跳ね上がる鼓動を押さえ付けるかのように、雷鴉は胸に手を当てて呼吸を整える。


「灰塚。あなたも手を」


「あ……はい」


 雷鴉の反応を興味深げに見つめていた灰塚が、その言葉に従い手を差し出す。

 戦禍の指から、先程と同じように一滴(ひとしずく)の血がしたたり、同じように大量の魔力が灰塚へと流れ込む。


「ありがとう……ごさいます」


「すごいな、戦いで力を奪ったことは何度もあるが、ここまでの魔力を吸い上げたのは初めてだ。血を貰うのも初めてだけどな」


 戦禍へ興奮気味の面持ちを向ける雷鴉を見て、灰塚が毒づく。


「男が頬染めてんじゃないわよ、気持ち悪い」


「いや、これだけの魔力を一気に吸えばしょうがねえだろ。それに俺は、顔に出やすい(たち)なんだよ」


 何故か酒を飲んだ時のような例えをする雷鴉へ、灰塚ははた目からは分からぬ程度に眉をひそめる。そして、いまだに胸を押さえ、浅い呼吸を繰り返す雷鴉を観察するかのようにのぞき見る。



 雷鴉とは逆に、平然とした様子の灰塚を、戦禍がまったく同じような目で見つめていた。

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