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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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暗黒魔法



 マーヌ神殿。愛を司る女神、マーヌを(まつ)る神殿である。博愛の戒律を持つマーヌの神官たちは、安らぎを求める“あらゆる者”に対し、分け隔てなく門戸を開いている。


 そこは、日々の戦いに疲れた男たちが訪れる、ひと時の安息の地。夢の桃源郷とも呼ばれる夜の聖域である。

 万人を受け入れる癒しの場ではあるが、大抵の者は疲労感を増して帰って行く、ある意味戦いの地でもあった。


 バイケンは緊張の面持ちで神殿の門をくぐる。


 すでに日も昇る直前だというのに、神殿内には、十数名の薄物をまとった浮かれ()が立ち並んでいた。


 女たちを見渡したバイケンは、上体をやや前に倒し、軽い前傾姿勢で油断なく敵戦力を分析する。

 考えるまでもなく、彼我の戦力差は甚大だ。数の問題ではなく、女たち一人一人の力量が、遥かにバイケンのそれを凌駕していた。


 そんな相手が、十数人である。

 もとより勝機などなかった。


 だが……


 バイケンの戦士としての矜持が、退()くことを許さない。彼は不退転の決意を持ってこの場に()っているのだ。

 女たちの発する秋波(しゅうは)が、頬に走る一文字の傷を引き攣らせ、顔には汗の玉がふつふつと浮かび上がる。


「あ~らバイケンちゃん。また遊びに来てくれたのねえ」


 最も年かさの女。女神マーヌの神官長であるイメルダが、気安げに声をかけた。


「あ、ああ。今日はな、これまでの借りを、まとめて返しに来たんだ……」


 緊張にこわばる身体をほぐすため、バイケンは首を巡らせながら、ことさらゆったりとした口調で答えた。


「へえ。借りを、ねぇ。ずいぶんな口を()いてくれるじゃないか?」


 にやにやと馬鹿にしたような笑みをイメルダが浮かべた。

 気を呑まれそうになりながらも、バイケンは必死に余裕のある態度を取ろうとする。


「ハッ、今日の俺は一味違うんだよ。今まで通りだと思ったら、痛い目見るぜ?」


 虚勢を張るバイケンに、イメルダの笑みが硬質な鋭いものへと変化する。


「言っておくれだねぇ……まあいい。今日もたっぷりと絞り取ってあげるから、好きな娘を選びなよ」


「クッ……ククク…………」


 喉を鳴らして笑い出したバイケンを見て、イメルダが訝しげに眉根を寄せる。


「……どうしたいんだい、早くおしよ。こちとらそうそう暇じゃあないんだよ」


「フッ。お前達のような三下じゃ話になんねぇよ! 今の俺をヤりたければ、娼姫の姐さん達を連れて来なっ!!」


 その言葉に、居並ぶ浮かれ女たちが殺気立ち、バイケンを取り囲み威嚇の声を上げる。


「バイケンちゃん。あんたいつからそんなでかい口叩けるようになったんだい!?」


「またあたしが、たぁっぷりといぢめてあげようかぁ?」


「バイケンちゃんのくせになまいきよっ!」


 浮かれ女たちに罵られ、何故かうっとりとした顔をするバイケン。

 (かしま)しく騒ぎたてる女たちを、イメルダが一喝する。


「ぴーちく(さえ)ずるんじゃないよ、みっともない!」


 イメルダが女たちを掻き分けてバイケンの前に立つ。


「娼姫を呼べ、だって? あんた……命知らずも大概にしなよ。――どうしてもってんならねぇ、天国じゃなくて、地獄を見せてやることも出来るんだよ?」


 快楽のね、とイメルダが口許を歪める。


「俺は、言ったはずだぜぇ? お前たちじゃあ話になんねぇってな」


 不敵な笑みを浮かべるバイケンに、ようやくイメルダも何かこれまでとは違ったものを感じ取り、警戒の色をあらわにする。


「俺には強~い助っ人がついてるのさ」


「……なんだって?」


 明らかな動揺を見せるイメルダたちを横目に、バイケンは背後へと声をかける。


「先生っ!! 出番ですぜ、よろしくお願いしやす!」


 その呼びかけに応じて、ゆらりと姿を現したのは、下ろしたてのえっちな薄物を着流したカダフィーだった。


「な――――――!?」


「カダフィー姐さん!?」


「なんで姐さんがバイケンちゃんなんかと……」


 バイケンを囲む女たちが、カダフィーの歩みに合わせ、さあっと潮が引くように後ずさった。

 女吸血鬼は神官長の前に立ち、値踏みをするように視線を這わせる。


「イメルダ……あんたも随分といいご身分になったもんだねぇ」


「ね、姐さん……これはいったい……?」


 予想以上の効果を発揮したカダフィーの威を借り、バイケンが声高に吠える。


「どうだ、恐れ入ったかい? うちの先生の相手が、お前らに務まるとでも思ってるのか?」


「う……くぅぅ…………」


 悔しげに呻いたイメルダへ、カダフィーが追い打ちをかける。


「あんたがまだ見習いだった頃、散々手ほどきをしてあげた私の顔を……つぶしたりはしないよねぇ?」


「で、ですけど……」


「なんならあんたがどれ程腕を上げたのか、私が直接相手してやってもいいんだよ?」


 両手の指をわきわきさせ、臨戦態勢を取ったカダフィーを見て、女たちが細い悲鳴を漏らす。

 イメルダも観念したかのように、がっくり肩を落とした。


「最早これまで…………えぇい! 者共、出あえ出あえい!!」


 イメルダの叫びを聞き付け、神殿の奥から新たに数人の女が駆け込んで来る。

 それは、この王都でも最上級とされる“娼姫”と呼ばれる浮かれ女たちだった。


「バイケンちゃん。分ってるだろうけど、本来ならあんたみたいな床下手が相手に出来るような女達じゃあないんだからね」


 完全に逆転した形勢に、気が大きくなったバイケンは鼻で笑う。



「フッ、前口上はもう必要ねえ。部屋へ案内してくれ。さっさと始めようじゃないか」





 バイケンが上機嫌で神殿の奥へと案内されてから数刻。三人の浮かれ女をやっつけたカダフィーは、心地好い余韻を抱いてマーヌ神殿を後にした。


 入口を出たところでカダフィーは歩を止める。

 神殿に続く石段の上に、一人黄昏れるバイケンの姿が目に入った。


「おや、ずいぶんと早かったんだね。まだお楽しみの最中かと……」


 膝を抱え、朝焼けに染まった空を見上げるバイケンの横顔を見たカダフィーは絶句する。

 どこか哀愁を漂わせるバイケンの目許から、キラリと光る雫がこぼれ落ちたのだ。


「あんた…………泣いてるのかい?」


 膝に顔を埋めるようにして(うつむ)いたバイケンは、小刻みに震える声で答える。


「先生……俺は……俺はもう駄目だ。やっぱり俺には、そっちの才能は無かったんだ!」


「……なにがあったんだい? 話してみなよ。少しは楽になるかもしれない」


「それが……」


 バイケンは一瞬言葉に詰まり、切々と語り出した。


「二人の娼姫が相手をしてくれたんだ。最初は俺も有頂天だったさ。――だが、な。それも最初だけ。結局のとこ……散々もてあそばれ、(なぶ)らた挙げ句、最後に一言……」


 バイケンは苦しげに呻き、言葉を切る。そして、意を決したように言った。


「あいつら俺に……へたっぴ、と言いやがったんだ!!」


 号泣しだしたバイケンを、カダフィーは暖かな目で見つめる。


「……そうかい」


 それは男として、戦士として、再起不能なまでの奈落へ突き落す情け容赦のない一言だった。

 すでに立ち上がる気力もないであろうバイケンに、慰めの言葉などなんの意味もない。


 だが、カダフィーは茜色の陽光をさえぎるようにバイケンの前に立つ。


「バイケン……あんた、女は好きかい?」


「あ、ああ。もちろんさ。俺は女が大好きだ。俺以上の女好きはレギウス広しといえど、一人も存在しねぇ。――そう断言出来る!」


「フッ……」


 力強く言いきったバイケンに、カダフィーは背中で応える。


「なら、何の問題もない。あんたはまだ、終わっちゃいないよ」


「え……?」


 バイケンは思わず伏せていた顔を上げた。


「好きこそモノの上手なれ――――私の座右の銘さ」


 カダフィーのえっちな薄物をまとった大きな背中に、バイケンは圧倒されていた。


「たとえあんたのモノがどれ程のなまくらだろうと、女が好きだという気持ちさえあれば、あんたはまだまだ戦える」


「せ、先生……」


 振り返ったカダフィーは膝を付き、バイケンと目線を合わせてその両肩に手を置いた。


「錆び付き、刃こぼれした得物でも――――研磨(みが)き続け、鍛え上げ続ければ、斬れない物はない大業物(おおわざもの)になるかもしれない」


 滂沱(ぼうだ)の如く感涙するバイケンへ、カダフィーは優しく語る。


「たとえ、えモノが折れ、タマが尽き果てたとしても、戦い続けな。――あんたなら、いつかは更なる高みに手が届く。私はそう信じてるよ」


「くっ、うぅぅ……いい言葉だな。好きこそモノの上手なれ、か」


「そう、略してスキ者上手……この言葉、忘れるんじゃないよっ」


 嗚咽を漏らし、バイケンは泣いた。



 (おとこ)泣きに泣いた。





 魔術士ギルドの重鎮たる女吸血鬼と、ギルドの雇われ剣士のまとめ役であるバイケンは、確固たる信頼を築き上げて宿舎へと帰還した。


 二人が門をくぐると、中庭には時ならぬ人垣が出来上がっていた。


「治癒を頼む。肋骨が折れてるかもしれない」


 焦りをおびたシグナムの声が響く。


「なんだ? なんかあったのか?」


 バイケンとカダフィーが何事かと様子を見るため、集まった戦士たちを掻き分ける。


 そこには、ダレス神の聖句を早口で唱えるジャンヌと、胸を押さえつつもなんとか神官娘から(のが)れようとするフレインの姿があった。


「すぐ楽にして差し上げますから、大人しくなさい」


 聞きようによってはとても物騒な台詞を口走り、ジャンヌがフレインを押さえつける。

 そして、フレインの胸に淡く輝く手を当てて、どろりと濁った光を流しこむ。


 ヒュッと、かぼそい音がした。

 フレインの喉から発せられた音だ。

 そのままばたりと倒れ込んでしまう。


「お、おい! まさか折れた骨が肺に刺さってたんじゃないか」


 身体をくの字に折り曲げ、ひくりと痙攣するフレインを心配げにシグナムが覗きこむ。

 これはただ事ではないとふたりへ駆け寄ったバイケンが尋ねた。


「おい、どうしたんだ? いったい何があった?」


 その問いかけに、ジャンヌがちらりと宿舎の方へ目をやり答える。


「フレインが殺されそうになったんです。アルフラから――」


「い、いえ……今はジャンヌさんから……」


 神官娘の言葉をさえぎり、虫の息のフレインがほそい声音(こわね)で訂正した。


「そ、そんなはずはありません。わたし、最近では寝る間も惜しんで治癒魔法の勉強をしてますし……ちゃんと効いているはずですわ」


 頬をふくらませて赤面したジャンヌが、物騒な光を放つ手をふたたびフレインの胸元へ近づける。


「ちょっ、ちょっとお待ち!」


 カダフィーが慌てジャンヌの腕を押さえる。


「あんたフレイン坊やを殺す気かい。その手の光……ディースの神官が暗黒魔法を使う時のものとそっくりじゃないか」


「えぇぇー!? な、何を失礼な。わたしは治癒(キュア・ウーンズ)の魔法を……」


「ジャンヌさん……」


 苦しげに顔をしかめたフレインが、導衣の裾から何かを取り出す。


「あ、あなたが使ったのは……負傷治癒(キュア・ウーンズ)ではなく負傷(ウーンズ)の魔法です」


 フレインの手に、黒く変色した抗魔の護符が握られていた。


「こ、これが無かったら危なかった……。ジャンヌさん、あなたは二度と人に向けて治癒魔法を撃っては……いけませんよ。死人が出ます」


「そ、そんなはず……」


 何かを言いかけたジャンヌだったが、フレインの手に握られた護符が、腐食してぼろぼろと崩れ落ちる(さま)を見て、びくりと背をのけ反らせてしまった。


「そんなぁ……」


 その光景を見ていた周囲の戦士や術士たちから、ざわめきが起こる。


「暗黒魔法なんて始めて見たぜ……」


「すげえ苦しみようだったな。呪い(クラス)の治癒魔法だ……」


「なんて恐ろしい……」


 ざわざわ…………


 辺りから聞こえてくる、心ないが正当な評価ともいえる囁き声に、いたたまれなくなったジャンヌの目許が涙で潤む。


「う、ぅぅ~……」


「まったく……しょうがないねぇ」


 カダフィーが口の中で詠唱をしながらフレインの胸へ手を当てる。

 それまで不規則に苦しげな呼吸を繰り返していたフレインが、驚きの声を上げた。


「あ……ああ? だいぶ楽になって来ました」


 周囲からもまた、ざわめきが沸き起こる。


「どうなってやがるんだ。吸血鬼が治癒の魔法を使ったぞ……」


「神官が呪って、吸血鬼が治した……」


「なんて恐ろしい……」


 ざわざわ…………


 ジャンヌの心がぽっきりと折れ、がくりと膝を落とす。


「わたしの信仰が、神の摂理に反する不死者にすら劣るなんて……」


「いや、私のはあんたら神官が使うのとは、また違った系統の治癒魔法だよ。長いこと魔術の研究をしているとね、そういったものを覚える機会もあるのさ」


 地に膝を付き、四つん這いで嘆くジャンヌの頭をルゥが慰めるように撫でる。


「この前はアルフラも死ぬほど具合が悪くなったって言ってたし、その魔法ならきっと魔族だって倒せると思うよ」


 さすがに気の毒になったカダフィーがフォローを入れる。


「あんたには“その道”の才能があるよ、あんな見事な暗黒魔法はそうそうお目にかかれるもんじゃない。私ならそれを伸ばしてやれるかもしれないよ」


「ううう……不浄の者からも憐れまれるなんて……」


 がっくりとうなだれたジャンヌが神へと問いかける。


「あぁダレス神よ。あなたの治癒は……」


 すべてを神のせいにしようとしたジャンヌへ、冷たい視線が集中する。

 心を折られた今の彼女には、周囲から感じる無言の圧力を耐えることが出来なかった。


「わたしの治癒は、いったいどうなっているのですか……」



 みずからのあやまちを認め、ジャンヌは一回り大きくなった。

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