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氷の滅慕  作者: SH
四章 覇王
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招かれざる来訪



 ガルナでの戦いが、凱延の死をもって終結してから一日。

 アルフラは大型の馬車に揺られ、一路カルザスへと向かっていた。


 シグナムの膝を枕にし、アルフラはこんこんと眠りつづける。薬液を浸した布を各所にあてがわれ、包帯で地肌が見えぬほどにぐるぐる巻きにされた酷い状態だった。

 時折、馬車の揺れが傷に障るのか、苦しげに身をよじらせている。

 だが、比較的呼吸は安定しており、何やら良い夢でも見ているらしく、ひび割れた唇にはほほ笑みが溜められ、その幼さに見合わぬ艶めかしい吐息をこぼしたりもしていた。


 向かいに座るフレインなどは、そんなアルフラの様子を顔を赤らめながらも、ちらちらと伏し目がちに気にしていた。


 シグナムも膝の上から聞こえる妙な声に苦笑する。


 かなりアルフラの容体を心配していた一同も、この頃にはだいぶ緊張感も薄れてきていた。そしてアルフラが人ではない何か異質なモノへと変貌してしまったのではないか、という不安も。


「まったく……どんな夢を見ていることやら……」


 ディース神殿での戦いの後、凱延の命を完食し終えたアルフラは、その動きを止め、しばらくぼんやりとした様子で血の気を失った屍を眺めていた。

 やがて、声もなく見守る者達の前で、アルフラは崩れ落ちるように意識を失い動かなくなってしまった。

 急ぎ多くの神官達が神殿へ呼び集められ、アルフラの治癒が行われた。


 当初、アルフラの有様を一目見た神官達は、周りに散乱する屍と同様、すでに死んでいると判断したらしい。

 口々に祈りの言葉と哀悼の意を表し出した彼らに激怒したシグナムが、大剣を振り回して治癒魔術を行わせた。

 半死半生のアルフラは、すぐに動かすには危険な状態だった。しかし、散在する魔族を率いて撤退した戒閃が、ふたたび来襲することを危惧したホスローは、みずからはガルナに残り、無理を押してでもアルフラだけは王都へ帰還させるよう指示を出した。

 そうしてアルフラとシグナム、ルゥ、フレイン、なぜかちゃっかりとジャンヌまでもが同乗し、王都カルザスへの帰途となった。


「ん……ぅ……」


 シグナムの膝の上でアルフラのほそい息がはかれた。まぶたが微かに震え、覚醒が近いようだ。

 アルフラは首をかたむけ、半開きの唇から垂らしていた唾液をシグナムの革のズボンに擦りつける。


「うっ……」


 よだれをみずからの太ももで拭かれたシグナムが、すこし嫌そうな顔で呻いた。

 その声に反応したのか、ぱちりとアルフラが目を開く。


「あっ、アルフラちゃん! 大丈夫か? 痛む所は?」


 シグナムを始め、四人の仲間達が身を乗り出すようにして見つめる。いきなり四人の顔に視界をおおわれたアルフラは、しばらくの間びっくりした表情を浮かべていた。やがて――大きく失望のため息を洩らす。よほど良い夢を見ていたらしい。


 自分の置かれている状況がよく分からず、身を起こそうとしたアルフラがちいさく呻く。


「い……たい……」


「さすがに起きるのは無理だよ。神官の奴らがアルフラちゃんを死体と見間違えやがってから、まだ一日しか経ってないんだからね」


「アルフラさん。意識はしっかりしていますか? ここは馬車の中で、現在カルザスへと向かっているところです。お分かりになりますか?」


 フレインの問いに、アルフラは声を出すことなく軽くうなずいて応えた。だが、その喉から湿った不快な音が出始める。


「ぐっ……」


 不意に横を向いたアルフラが、激しく咳こんで血を吐き出した。


「か……はっ……」


「お、おい、アルフラちゃん! アルフラちゃん!?」


 しばらく苦しげにしていたアルフラだったが、喉に絡んだ血を残らず吐くと、弱々しくであるが笑顔を浮かべた。


「だい……じょうぶ。全部吐いたらすっきりした」


 シグナムも深酒をした翌日、何度か言った覚えのある台詞をアルフラが口にした。


「い、いや。大丈夫って……おい! 馬車を止めて神官を呼んでくれ」


 シグナムが戸を叩き、外の御者へ声をかけた。後続の馬車には、医神ウォーガンの神官達が乗っている。呼べばすぐに駆けつけてくれるだろう。

 だが、アルフラはしっかりとした口調でそれを拒んだ。


「本当にだいじょうぶ。自分で、わかるの」


 全身の節々にいたるまで走る痛みは、薬液のためかそれほどつらくはなかった。

 むしろ、身の内を鼓動とともに駆け巡る充足感に満ちている。それは、凱延から奪い取った命というよりは、白蓮の冷たく優しい心地良さだ、とアルフラは感じていた。


「ぜんぜん、だいじょうぶ」


「でも……」


 アルフラの目に意思の力が浮かぶ。強がりなどではなく、確信をもった声音でもう一度だけ、だいじょうぶ、とつぶやいた。


「……そうか、じゃあ念のためジャンヌに治癒の魔法をかけて貰おう」


「えっ?」


 名指しされたジャンヌが当惑の面持ちでシグナムを見る。

 アルフラも同じような表情でジャンヌを見ていた。


 シグナムはたとえ武神の信徒とはいえ、ジャンヌも神官なのだから当然治癒魔法を使えると思っていた。


「おい、早くしてくれ」


「わ、わかりました。シグナム様がおっしゃるのでしたら」


 急にやる気を見せたジャンヌへ、アルフラがとても不安そうな顔をする。


「大丈夫ですわ。武神ダレスは戦う者に分け隔てなく加護を下さいます。すぐ楽にして差し上げますから、おとなしくしていなさい」


 後半部分に、どこか不穏な響きを感じたアルフラが、いやいやをするように首を振る。

 ジャンヌは気にすることなくアルフラ胸元に手を当てると、ダレス神の聖句を唱え、祈り始めた。

 普段耳にするレギウス教徒の祈りとは少し違った高低差の激しい抑揚を付け、ジャンヌは高らかと祈り上げる。


「おっ……」


 すぐにその効果が現れ、ジャンヌの手が生温い濁光(だくこう)に包まれる。

 しかし、青白い顔をしたアルフラがそれをさえぎった。


「ごめん……もう止めて。むしろ具合わるくなってきた……」


 ひくっ、とアルフラの喉が鳴る。


「気持ち悪くて死にそう…………」


「え……えぇぇー!?」


 本当に具合の悪そうな顔をするアルフラを見て、ジャンヌも顔を青くする。


「あなた……何に祈ったの? あたしに呪いをかけようとしてない?」


 込み上げてくる吐き気をこらえながらアルフラが愚痴った。

 ジャンヌへ冷ややかな視線が集まる。


「ああっ、ダレス神よ! あなたの治癒(キュア・ウーンズ)は、いったいどうなっているのですか!?」



 みずからの神に責任をなすりつけようとするジャンヌに、向けられた皆の目がさらに冷たさを増した。





 アルフラ達が王都の宿舎へ帰還してから数日。


 春の柔らかな日差しが差し込む室内では、和気あいあいとした平穏さがあった。

 寝台の上で半身を起こしたアルフラは、干した果実を切り分けたものをシグナムに食べさせてもらっていた。

 すでに折れていた両の腕は日常生活に困らない程度にまで回復している。だが、ここ数日の間、アルフラに食事をさせていたシグナムが、雛鳥に餌をやっているようでおもしろい、と大喜びだったので、すこし恥ずかしいのを我慢してなされるがままにしていた。


 親鳥気分を満喫するシグナムの隣では、ルゥが干した果実を指さして、しきりとジャンヌへ何事かを尋ねていた。

 どうやら萎びた果物が、なぜ腐らないで食べられるのか不思議でしょうがないらしい。

 アルフラが寝台から起き上がれない間は、ルゥもお姉さん風を吹かせて、しきりとその世話を焼きたがっていた。

 だが、食事をルゥに食べさせてもらうことだけは、断固として拒否した。一度やってもらった時、ルゥは自分が食べるのと同じペースでアルフラの口に食べ物を詰め込もうとしたのだ。


――死ぬかと思った……


 アルフラの回復は非常に早く、朝夕に訪れる神官達もあまりの治癒力に、神の奇跡だとレギウス神へ祈り出すほどだった。

 そんな神官達を見て、アルフラは心の中で笑っていた。


――神様なんかじゃなくて、白蓮のおかげだ。また白蓮があたしを助けてくれた


 アルフラは以前にも増して、強く白蓮の存在をみずからに感じていた。

 そしてそのことが、一つの疑問をもたらす。

 これまでならば、神官達が奇跡だと感動するほどの事象でも、単純に白蓮なのだから当然だ、と納得していた。白蓮はすごいのだ、と。


 しかし……


 疑念の発端は、ディース神殿で凱延の力を奪い尽くした直後。

 飲み干した魔力は、これまでに屠った魔族達とは比べ物にならないほどに強大だった。――にも関わらず、駆け巡る高揚感は白蓮の血に及びもつかない。

 そして、身のうちに感じる凱延の力は、白蓮のものと比べて遥かに脆弱だった。


 レギウス教国において、伝説的な魔族である凱延を倒すほどの力を与えた白蓮の血。通常では考えられない生命力と回復を見せるアルフラの身体。


――白蓮ていったい……


 アルフラは自分が白蓮について何も知らないことを、いまさらながらに気づく。

 雪原の古城で四年もの歳月を共に過ごしたにも関わらず、白蓮は己の過去を一切語らなかった。

 気を利かせた高城が何かと白蓮の話をしてくれはしたが、彼ですら主の生い立ちについてはほぼ知らないようだった。


 以前にカンタレラについても不思議に思ったことがあった。

 魔導士にとってもかなりきついといわれる物より、さらに濃度が高いカンタレラを飲んでもアルフラは何も感じなかった。その時も、やっぱり白蓮はすごい、となんとなく思っていた。

 疑問に思ったことを、自分よりも豊富な知識を持つフレイン辺りに相談してみれば何か分かるかも知れない。そう思ったこともあるのだが、彼に対して白蓮の話をするのはとても嫌だった。


 外界から隔絶された雪原の古城で思春期を過ごしたアルフラの精神は、その見た目同様、実年齢よりも幾分幼い。人と交わる機会のなかった年月が、情緒の育成を(とどこお)らせていた。

 珍しく物思いに耽るアルフラの、うかない様子が気になったシグナムが声をかける。


「どうした? あんまり美味しくなかったか?」


「え……? ちがうの、そうじゃないんだけど……」


 言葉尻を濁すアルフラをじっと見ていたシグナムが、わしゃわしゃと亜麻色の髪をかきまぜる。


「なあ、アルフラちゃん。もう普通に歩けるんだろ? だったらすこし市場の方まで行ってみないか?」


「あ、うん。行きたい」


「よし、そろそろ生の新鮮な果物も出回ってる頃だしね。なんか美味しい物でも食べようぜ」


 それまでジャンヌにじゃれつき、おぶさるような形で抱き着いていたルゥが、ぴょいと背から飛び降りる。


「美味しいもの!?」


 嬉しそうにする狼少女へシグナムが苦い顔を向ける。なにしろルゥの胃は、遠慮と限界を知らない。

 どんな高価な食べ物でも、際限なく丸飲みにしてしまうのだ。好きに食べさせると、懐具合に致命傷を負いかねない。


「ルゥにはおごらないぞっ。ちゃんと小遣いを渡すから、その中でやりくりしな」


「えー」


「ジャンヌ。ルゥは金の計算が出来ないから、何か買い食いする時は付いてやっててくれ」


「えー」


 二人が異口同音に不満の声を上げたのと、部屋の扉が外側から叩かれたのは、ほぼ同時だった。


「…………」


 閉ざされた扉の向こうから、覚えのある強い妖気が流れて来ていた。


「開けたく……ないな……」


 シグナムがぼそりとつぶやく。


「なぁ、確か吸血鬼ってのは、招かれなければ部屋に入って来れないって言い伝えがあるよな?」


「ええ、聞いたことはありますが……」


 しかし、招かれざる来訪者は、扉をあっさりと外から押し開けた。

 フレインとカダフィーが連れだち、戸口から顔をのぞかせる。


「……お前って奴はぁ」


 シグナムから棘のある視線を飛ばされ、フレインが扉を開いた姿勢のまま、びくりと身をすくませる。


「す、すみません。また返事を聞かず開けてしまいました」


 背後に立つ女吸血鬼が、妖艶な流し目をシグナムへ送り、くすりと笑う。


「招かれなければ門戸を越えられないってのは迷信だよ。それに私くらいになるとね、神聖なレギウス神殿にだって出入り自由さ」


 断りもなく室内へ入ってきたカダフィーが愉快そうにする。木漏れ日の差し込む室内で“うっかり”と影を落とし忘れたままに。


 ジャンヌの強烈な敵意を完全に無視し、カダフィーは警戒の色を見せるアルフラへ口を開く。


「そう邪険にしなさんなって。神殿で斬られたことなんて、根に持ってやしないよ」


 そこで軽く口角を吊り上げ、長い犬歯を覗かせる。


「だいたい凱延を倒しちまうような化け物相手にどうこうするつもりはないよ」


 なにがしかの含みを感じさせるその言葉に、室内の緊張感が高まる。

 取り繕うように、慌ててフレインが喋り出した。


「ええと、ですね。今日はすこし話がありましてカダフィーを(ともな)いました。――そのう、実は……」


 言いにくそうに口ごもったフレインには構わず、外出の用意をしようとしていたアルフラ達の様子を、目ざとく見咎めたカダフィーが首をかしげる。


「あんた達、どこかへ出かけるところだったのかい?」


「うん! ボクたちね、これから市場へ美味しい物をやっつけに行くとこだったんだよっ」


 ルゥだけは二人の来訪を喜んでいるようだ。


「おや、それは都合がいいね。私達もついて行くから、道すがら話をしようじゃないか」


「うんうん。そうしなよ」


「おいっ、ルゥ!」


 叱りつけるような声を出したシグナムへ、ルゥが満面の笑顔で応える。腹ぺこ狼少女には、フレインがお財布に見えていた。


「だってボク、フレインと約束したもん!」


「約束?」


 そこでフレインが、ガルナでのやり取りを思い出し、ああ、とうなずく。


「ガルナでの戦いが終わったら、ルゥさんに食事をご馳走すると約束していたのです」


「そう! いっくらでも食べていいって!!」


 じゃあ小遣いは要らないな、とつぶやいた現金なシグナムが、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる。


「しかし、いくらでもって……お前、ルゥに身ぐるみ剥がされちまうぞ」


 カダフィーが小柄なルゥをまじまじと見つめる。


「へえ、このお嬢ちゃん、そんなに食べるのかい?」


「熊でもまるごと食べれるよー」


 真顔で握り拳を作ったルゥに、フレインの表情がやや青ざめる。


「フレイン坊やのおごりってんなら、私も負けちゃいられないね。基本食べ物は必要ないんだけど、私は体内で溶解性の神経毒を生成出来るからね」


 人狼であるルゥへ対抗意識を燃やしたカダフィーに、フレインが何故あなたまで? といった顔をする。


「フフ、その気になればいくらでもいけるよ。――ちょっとお手洗いが近くなるけどね」


「あたしは上等の火酒がいいね。しばらくご無沙汰だったから、今なら樽ごと()せるよ」


「ちょ、ちょっと待って下さい」


 大変なことになって来たと気づいたフレインが、焦った調子で制止する。

 だが、アルフラがぺっこりとしたお腹をさすりながら、絶妙なタイミングでフレインの裾を引く。


「あたしも最近やわらかいのばっかり食べてたから、すごくお腹へってる」


「え? ああ、もちろんアルフラさんのためでしたらいくらでも――――」


「大食を司る武神ダレスの名にかけて……異教徒や神の摂理に反する不死者には負けられませんわ」


 ダレス流暴飲暴食術がどうのと言い出したジャンヌに、フレインは思わず頭を抱えこむ。



 彼の一年分ほどの食費が、今日一日で飛んでゆきそうだった。

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