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氷の滅慕  作者: SH
三章 死線
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凱延



 丘の傾斜をシグナムたちから死角となるよう大きく迂回し、アルフラは早足でガルナへと向かう。そこでふとある事に気がついた。


「ねぇ、ジャンヌ。武器はどうするの?」


 すでに戦端が切られたこともあり、神官服の上から革の防具を身につけていたジャンヌであったが、なんらかの武具を帯びるでもなく丸腰だったのだ。


「必要ありませんわ。こぶしの神とも呼ばれるダレス神の信徒は、己の身一つで戦うことを美徳としています」


「えぇっ!? 無理だよっ。シグナムさんが魔族を殴りつけた時は、障壁がすっごくかたくて死ぬほど痛かったって言ってたんだよ」


「そういえば魔族は、強固な魔力障壁を持っているらしいですね」


 失念していた、という感じでつぶやいたジャンヌへ、アルフラの疑わしげな目が向けられる。


「……らしいって、ジャンヌは魔族と戦ったこと――」


「ありませんわ」


 みなまで言わせず否定されてしまったアルフラの視線が冷たいものに変わる。

 もともと一緒に戦った事のないジャンヌを頼りにしていた訳ではないが、下手をすると足を引っ張られかねないと思ったのだ。


 みずからの事は棚に上げ、レギウスの神官を新兵呼ばわりしていたジャンヌは胸を反らせ、自信に満ちた顔をする。


「わたしはレギウス神拳の免許皆伝です。なんの問題もありません」


「レギウス、神拳?」


「はい。武神ダレスが開祖とされる。拳闘術ですわ」


「あんた馬鹿!? シグナムさんなんて手を包帯でぐるぐる巻きにしちゃったんだよ? 素手でなんて絶対無理だよ!」


「うっ……ですが、わたしたちには戒律もありますし刀剣のたぐいは……」


 尊敬するシグナムの名を出されて、ジャンヌもさすがに逡巡する。


「……そうですわ。神話の中でダレス神が使ったとされるアレなら……。すこしわたしの天幕に寄らせていただいて構いませんか?」


「いいけど……神官たちに止められるんじゃないの? ジャンヌは司祭様の娘なんでしょ?」


「大丈夫です! 武神ダレスの信徒に、戦いへ赴く者を止めるような不心得者はおりませんわ」


「そう、なんだ……」



 武神ダレス……本当に大丈夫か? などとその存在自体を疑問に思いながら、神官団の天幕へと駆け出したジャンヌの後を追った。





 神殿関係者の野営地へ入ったアルフラたちは、ジャンヌの天幕近くに居たトマスと行き当たった。


「トマス。あれをお持ちなさい」


「ジャンヌ様! あれでございますか!?」


「そうです。あれです」


「……あれ、とはなんでしょうか?」


 断食あけのトマスが、落ち窪んだ目をおっかなびっくりさせる。


「あれと言ったら、“脳天かち割り丸”に決まっているではないですかっ」


「なっ!? まさか、ジャンヌ様みずから魔族討伐へ――」


「早くなさいっ」


 いらいらと告げるジャンヌの声に押され、当惑の面持ちでトマスは天幕へと向かう。

 ジャンヌと共に後を着いて歩くアルフラは、やがて一際大きな天幕へとたどり着いた。

 トマスが中に入り、なにやらごそごそと山積みにされたチェストをあさりだす。脳天かち割り丸とやらは、ずいぶん大切にしまい込まれているようだ。

 入口で待っていたアルフラはだんだんと焦れてくる。


「ねぇ、早くしないとシグナムさんたちが探しに来ちゃうよっ。戦いも終わっちゃうかもしれないし」


 そわそわと神官服の(すそ)を引くアルフラを、とても落ち着いた様子のジャンヌがたしなめる。


「あわてる小娘は貰いが少ないですわよ。――そうですね、よい機会です。脳天かち割り丸についての逸話を語って聞かせてあげましょう」


「えっ……別にいらな――」


「そもそもは、武神ダレスが魔族との戦いにおいて使ったとされる“雷鳴轟き丸”をして作られたのが、脳天かち割り丸だと言われています」


「うん、わかったから急ぐように言ってよ」


 だが、せかすアルフラの言葉には耳も貸さず、ジャンヌは熱を帯びた口調で語り続ける。


「わたしたちダレス教団の至宝とも言える脳天かち割り丸は、神聖な力をもった破魔の武具としても有名で――」


「もうっ! そんなのどうだっていいから早くしてよっ」


 いい加減アルフラの我慢が限界に達しようとした辺りで、トマスから声がかかった。


「ジャンヌ様、お持ちしました」


 じゃらじゃらと音を立ててジャンヌに渡されたのは、長大な鎖の先端に鉄球を付けた物だった。

 真っ直ぐに伸ばせば長槍の倍はありそうな鎖と、子供の頭ほどもある、よく研き込まれた黒鉄(くろがね)の塊。


「これが脳天かち割り丸ですわ」


 ジャンヌが巨大な鉄球をぐるんぐるんと振り回す。


「ちょっとっ、危ないじゃない」


 慌てて身を引いたアルフラが、これまで見たことのない珍奇な得物に興味津々な顔をする。たしかにいろいろな脳天をかち割れそうではあった。


「脳天かち割り、は分かるけど……丸てなに?」


「え…………?」


 予想外の質問を受け、ジャンヌはかなり重量のありそうなそれを、ぶんぶん振り回しながら考え込む。

 ややあって、何か閃いたらしいジャンヌが、黒光りする鉄球をぺたぺたと撫で回し始めた。


「きっとこの丸い部分のことですわ」


「じゃあ、鎖の方が脳天かち割りなの?」


「え……ええ、そうですわ。この鎖ならば、たとえ貴族の脳天であろうと一撃です」


 妙に納得した様子のアルフラがふむふむとうなずく。

 今度は鎖の部分を振り回し始めたジャンヌへ、絶対に違うだろうと言いたげな顔をしたトマスだったが、そのことには触れず進言する。


「是非、このトマスめもお連れ下さい! 我が手で邪悪な魔族共に天誅を(くだ)したく思います」


 思わず迷惑そうな顔をしてしまったアルフラの代わりに、ジャンヌが応える。


「なりません。わたしたち武神の信徒には、レギウス神教の守護者として、他の神官たちを守るという責務があります。神敵共はガルナのこちら側にまで攻めてくるかも知れません。その時、他派の者を守る任はあなたたちの役割なのです」


 とかく自分の事は棚に上げがちなジャンヌが、もっともらしいことを言ってみせた。

 なおも食い下がろうとしたトマスを、アルフラが制する。


「待ってっ。なんか騒がしくなってきた」


 遠く聞こえて来ていた戦いの喧騒が、先程までよりもいくぶん近くから聞こえるようになっていた。

 走り出したアルフラの後を、ジャンヌとトマスが追う。


 野営地の東、ガルナの方角から二騎の伝令兵がせわしなく馬に鞭を入れ、こちらへと駆けて来ていた。

 神官団の警護のため、野営地の前面に配されていた騎士団の一部隊へ伝令兵が叫ぶ。


「東部平原に展開していた本隊が撤退を始めました! 戦線はすでに瓦解し、半潰走状態です」


 伝令兵の報告に騎士たちからざわめきが起こる。


「兵はガルナ外周を迂回し、西大門前で再集結を図っております。城壁付近では、追撃する魔族と、それを押し止めようとする一部の兵との間で散発的な戦闘が起こっている状況です。ここも戦場となる可能性が高いので、一時野営地を引き払い、神官たちを撤退させて下さい!」


 慌ただしく騎士たちが野営地に散らばり、撤退を告げる叫びが響き渡りだした。


「トマス、聞きましたね? あなたは神官団の撤収が間に合わなかった場合、この場に踏み止まり、その身を持って魔族を食い止めなさい」


「はっ、ジャンヌ様はいかがなされるのですか?」


「もちろん討って出ます。神敵共をこの手で滅殺しに――」


 駆け出そうとしたジャンヌの神官服をアルフラが掴む。


「ちょっと、どこ行くつもり?」


「どこって、レギウス軍を追撃して来る魔族を――」


「ちがう! 凱延はガルナだよっ。フレインが言ってじゃない。凱延をガルナに引き入れて倒すって」


「あっ――そうでしたわね。雑兵をいくら倒したところで意味はありません。行きましょう、西門へ!」


「うん」


「武神ダレスの加護があらんことを――――」


 走り出したアルフラたちの背に、トマスの祝福の言葉が投げられた。


 鉄球を小脇に抱えて走るジャンヌへ、アルフラがすこしきつめの口調で警告する。


「魔族はね、呪文も唱えずに魔法を使って来るから気をつけて。距離を取ってむやみに近づかないで」


「わかってます。貴族ともなると、それこそとんでもない魔力を持っていると聞いてます。ですが、わたしに策がございますわ」


「さく? どんな?」


「まずはわたしが囮になります。その隙にアルフラが後ろからばっさりやってしまって下さい」


「うん」


「……」


「……え? それだけ?」


「はい。いかな貴族といえども、隙を突けばなんとかなるはずです」


 以前にほぼ同じことを考えて、あっさりと戦禍にあしらわれてしまった経験のあるアルフラが首を振る。


「魔族って、そんな簡単なやつらじゃないよ。凱延とはあたしが戦うから、ジャンヌは下がってて。いざとなったら治癒の魔法とか使ってくれればいいから」


「わたし、治癒の魔法なんて使ったことありませんわ」


「え゛――!?」


 アルフラは思わず変な声を出して立ち止まってしまった。


「ジャンヌって司祭様の娘なんだよね?」


「そうですわ」


「なんで治癒魔法できないの!?」


「出来ないとは言ってません。とくに使う機会がなかっただけで、簡単な治癒魔法なら使えます。……たぶん」


「たぶん、て……だって神殿には怪我した人が治してもらいに来たりするでしょ?」


「いえ、怪我人はレギウス神殿か医神ウォーガンの神殿へ行きます。拳の神と呼ばれるダレス神殿になど来ません」


「……じゃあ自分が怪我した時とかはどうしてたのよ?」


「ダレスの信徒はちょっとやそっとの怪我など気力で治します」


「えぇー……」


「武神ダレスはこうおっしゃられています。即死でなければ気合いで治る、と」


 アルフラが何ともいえない顔をして、しみじみとつぶやく。


「あなたのとこの神様って、とんでもないわね」


 なぜか褒められていると思ったらしいジャンヌが、得意げに顎をそらした。


「ちまたでは、ダレス神は頭の中身も筋肉で出来ていると大評判です」



 えっへん、と胸をはるジャンヌを、アルフラはとても残念そうな目で見つめる。それは絶対馬鹿にされていると思ったが、可哀相で口に出せなかった。





 布陣していたレギウス軍があらかた撤退したあとのガルナ東大門。堅牢な石造りの城壁を前に、戒閃(かいせん)は頭上を見上げる。

 レギウス軍はガルナ市街へ入ることはせず、外周を南周りに後退していた。追撃していた配下の者も、その半数ほどはすでに戻って来ており、凱延の背後に控えている。

 身の丈の三倍ほどもあろうかという重厚な岩壁に、感心したような目を向けた戒閃がにやりと笑った。


「大したものですね。これほど強固な城壁となると、凱延殿の風でも倒壊させることは無理でしょう?」


 さきほど、群がるレギウス軍を減らしてこいと自分向きではない仕事を押し付けようとした凱延へ、戒閃がお返しとばかりに意地悪く問い掛けた。

 巨大な門へと目を向けた凱延が、やはり皮肉げな笑みを浮かべる。


「たわけがっ。城壁には必ず城門があるものだ。お前のように、なんでもかんでも力で押し通ろうとする必要はない」


「あなたがそれを言いますか……」


 思わず口から漏れてしまったつぶやきに、凱延が高笑いで応える。


「フーハッハッハッハァ! まあ見ておれ。いかに堅固な城壁とて、門はただの木材よっ」


 凱延の腕が振り上げられ、高圧な大気の塊が城門に叩きつけられる。


「む……なかなかに頑強だな」


 さらに二度、三度と破城槌を打ち付けたような振動と、凄まじい衝突音がこだまする。

 幾度目かの衝撃で、ついに門の内側から、閂が折れ飛び地に落ちる音が聞こえてきた。


「フッ。ざっとこんなものだ」


 その言葉を待っていたかのように、すでに変形していた門と城壁を繋ぐ留め金が外れ、分厚い城門が内側へと倒れ込んだ。


「お見事。では雑兵(ぞうひょう)の相手はわたしが……」


 言いかけた戒閃が言葉を途切らせる。

 地響きを轟かせ、倒れた門の向こうから語りかけてくる声があった。


「お待ちしておりました」


 当然、ガルナの守備兵が待ち構えていると思っていた戒閃の目に映ったのは、晴れてきた土煙りの中に立つ、ただ一つの人影だった。

 やがて、すっかりと土埃が収まり姿を現したのは、濃紫の導衣を羽織った枯れ枝のような魔導師だった。


「お初にお目にかかります。我が名はアルザイール。教王ユリウス六世より宮廷魔導師に任ぜられておる者です。そして、魔術士ギルドの長である大導師ホスロー様の高弟の一人でもあります」


 慇懃にこうべを垂れるアルザイールへ対し、凱延が不機嫌な声で応じる。


「魔導師風情が大層な口上を述べおって……まあよい、ギルドの長が来ているのならちょうどいい。我が目的の半分もこの地で(たっ)せられようからな」


「いえいえ。我が師の言によれば、このガルナこそが凱延殿の墓所となるとのことでございます」


「ほう……身の程を(わきま)えぬ虫けらがっ!!」


 怒りをあらわにした凱延から、アルザイールがすっと身を引く。いつの間にかその背後に、人が数人ほど並んで入れそうな闇がわだかまっていた。高さもちょうど人がくぐれるくらいの暗闇の通路が、ガルナの大通りの先まで伸びている。


「む……」


 闇へにじみ込むように姿を消した魔導師の声が、殷々(いんいん)と周囲に響く。


「この先でホスロー様がお待ちです」


 人の気配が途絶えた日中のガルナ市街に、墨を垂らしたかのような暗闇の通路だけが長く伸びていた。


「なんて怪しげな……着いて来いということなのでしょうが、あからさまに罠ですね」


「ふむ」


 凱延の身から、唸りを上げた旋風が放たれ、暗闇の通路を吹き散らす。


「これは……闇というより黒い煙のような物か」


「なんらかの術を用いて、その煙を場に留めているのでしょうね」


「馬鹿正直に中へ入る必要もないと言うことか。――ならば吹き散らしながら後を追うとしよう」


「行かれるのですか? これ、あきらかに罠ですよ? それより追撃にあたっている者たちを呼び集めに、城壁の外周を回り込みましょうよ」


「それを言えば城壁内に撤退することなく逃げて行った兵士たちも怪しかろう。どこかに兵を伏せている可能性もある」


「それは――」


「まあどちらにせよ、しょせん人間のやる事だ。問題はない」


 凱延は現状について思案し始めた戒閃を、気にすることなく歩き出す。


「お前は好きにするがいい。我は魔導師の長を殺しにゆく」


「わかりました。配下の者は凱延殿がお連れ下さい。わたしはまだ戻って来ていない者を拾いつつ、西側へ回り込みます。そうすれば市内に潜んでいる者が居たとしても、退路を絶って挟撃することが出来るでしょう」


 後方で待機していた五十名ほどの魔族へ、戒閃が目配せする。


「ふん。心配性なことだ。みすみす逃しなどはせん」



 戒閃は手勢を引き連れて歩み去る凱延をしばし見送り、まだ交戦中であろう者を集めるため、門を出て西へと向かった。

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