嵐
「フーハッハッハァ!!」
吹きすさぶ烈風の中、豪奢なえんじ色のマントをなびかせ、凱延が高笑いを響かせる。
レギウス教国東部とサルファを結ぶ街道に据えられた関所は倒壊し、凄まじい暴風により大空へ巻き上げられていた。
「凱延殿ぉ、なんでもかんでも飛ばしちゃうのはやめましょうよ……あらよっと……空へ飛ばした物は、必ず落ちて来るんですから」
凱延の副官である戒閃が、降って来た身の丈ほどもある木材を、あらよっと避けながら愚痴る。その後方では凱延の部下たちも、ばらばらと落ちてくる瓦礫を障壁で弾いたりなどしていた。
「ククク。なんと脆き事よ、人間共の作りし建造物のっ」
常にテンション高めな凱延は、部下たちの迷惑そうな視線も気にしない。引き連れた手勢の後方では、関所に隣接した村に住んでいた村人が三十人ほど、恐怖に満ちた目で、この恐るべき光景に震えていた。
強固な関所を一瞬にして関所跡地へと変えてしまった爵位の魔族に、村人たちから畏怖の視線が向けられる。
「どうだ、驚いたか? この凱延の力に」
上機嫌で問い掛ける凱延へ、村人たちはがくがくと頷く。彼らは皆一様に老人や女子供ばかりであった。魔族襲来の報を受け、逃げ遅れた者たちである。若い男や健康な者はすでに我先にと逃げ出した後だった。
抵抗する事なく捕らえられた村人たちに、面白い物を見せてやると凱延が言い、ここまで連れて来られたのだ。
声もなく、ただただ頷く村人たちへ、凱延は尊大な笑みを浮かべる。
「そうか、驚きすぎて声も出ないか。だが安心せよ。貴様らのような戦う事すらまともに出来ぬ虫けらを、殺そうなどとは思っておらん」
周りを多数の魔族に囲まれている村人たちは、歩み寄る凱延から逃げることも出来ず、がくがくと震えていた。
「お前達はこの凱延の恐ろしさと、我が主である魔王灰塚様の威光を近隣の者へ伝えよ。そのためだけに生かしておいてやるのだ。ありがたく思うのだな」
フーハッハッハァ、と笑う凱延へ、村人の中で最も年かさな老人が進み出る。その後ろには、三人のあまり器量がよろしいとは言い難い村娘が並んでいた。
「私はこの村の長老であるカハトと申します。凱延様のお慈悲に感謝の意を表したく思うのですが……」
カハトへと怪訝な表情を向けた凱延が問い掛ける。
「なんだ? ゆうてみよ」
「はい。すでに若い者はあらかた逃げ出したのですが、もしよろしければこの娘達を好きにお使い下さい」
卑屈な笑みを浮かべたカハトが、蒼白な顔色で歯をかちかちと鳴らす娘たちを凱延の前へと押し出す。
「む……?」
不審げな顔をした凱延の耳元へ、戒閃が顔を寄せた。
「その娘達を差し出して命乞いをするつもりだったのでしょう。乞う前に殺さないと言われたので、礼になどと言っているのだと思います」
同じ女性として、なにか感じるもののあったらしい戒閃が、嫌悪の篭った瞳でカハトをにらむ。
「なるほど。その娘達の体を差し出すので、他の村人には手を出すな、ということか?」
向けられた質問へカハトの厭らしい笑みが引き攣る。
「いえいえとんでもない。これは純粋な感謝の表れであって、そのような――」
「たわけがっ!」
ふたたび凄まじい烈風が吹きすさび、今度はカハトが天空へと巻き上げられた。
魂消えるような絶叫が長く尾を引き、やがて聞こえなくなる。吹き飛ばされたカハトを目で追っていた者たちも、大空の小さなシミとなったカハトを、最後まで視認出来た者は居なかった。
おそらくどこか遠方へ落ちるのだろうが、運よく水場に落下したとしても、確実に命も落とす高度まで舞い上げられたことだけは確かだ。
「くだらぬ! 高貴なる灰塚様の僕である我が、そのような下賎な申し出を受けると思っておるのか」
しかし、戒閃は呆れたようにつぶやく。
「凱延殿……なかなか良い事をおっしゃられていますが、娘の内二人ほど一緒に飛ばされてしまいましたよ……」
一人だけ残された娘はぶるぶると震え、へたり込んでしまっている。
三人の中では一番まともな顔立ちの娘だ。
なにかと理不尽な男、凱延伯爵だった。
王都カルザス。王宮では、街道を西進中の凱延へ対する軍議が行われていた。
老王ユリウス六世を中心に、右手には軍を取りまとめる将軍達、左手には各神殿の高司祭が居並び、一同の視線はユリウス六世の正面に座したホスローへと向けられていた。その左右には宮廷魔導師アルザイールとカダフィーが座り、背後にはフレインとアブラヒム、二人の魔導士が控えていた。
場にわだかまる瘴気に司祭らは顔をしかめ、将軍たちは怖じ気を見せまいと気を張っている。
己の身から沸き立つ瘴気を極力抑えながら、ホスローがユリウス六世へ進言する。
「王国東部に存在する兵を、急ぎガルナへ布陣させて貰えませぬか」
ユリウス六世が、ホスローのフードに隠された顔へ目を向けて口を開く。
「それはサルファに駐留している兵も総て引き揚げさせろ、ということですか?」
御歳七十二を迎えるユリウス六世であったが、物心ついた時にはすでに齢百を数える大魔導師であったホスローを相手には、自然と丁寧な言葉遣いとなる。
「いかにも。すでにギルドの術師たちには招集をかけております。――ガルナにて凱延めを迎え撃ちましょう」
「なれど……サルファの守りは如何なされるつもりですか?」
「ガルナ以東の住民らには退避勧告を出し、街道沿いに点在する街や村は、諦めるほかなかろう。既に国境にある幾つかの砦は落ち、関所の兵達も抗戦を諦め、そのほとんどが撤退を始めておるのじゃろ? この局面においては戦力の一点集中以外に取るべき策はあるまい」
「む……う……」
苦い顔でうなったユリウス六世は、しばし黙考し、将軍の一人に声をかける。
「ドルバス将軍」
「はっ」
「今からサルファへ早馬を放ったとして、ガルナへの布陣を完了させるまでどのくらいかかる?」
「現在サルファには、元々の守備兵の他に、オーク襲撃の際に援軍として駆け付けたカレリア候率いる四千の兵が、焼き払われた市街復興のため駐留しております。さらには東より撤退して来た守備兵達も含めれば、ゆうに一万を超す数にのぼるかと」
ドルバスが難しい顔で思案する。
「……総ての兵を取り纏めるとなれば、どんなに急いでも十日は見ていただかねばなりますまい」
「魔族共の進攻速度は?」
「砦や関所はほぼ機能しておりませんが、奴らは全ての関所を破壊しながら西進しているらしいので、十日ほどの猶予は有るのではないかと」
関所の兵は既にあらかた退却してしまっているのだが、敵方の進軍を遅らせるという意味では充分に機能しているといえた。
「よかろう、すぐに使者を」
入口を固めていた近衛兵が、主君の命を遂行するため早足で退出した。
「ホスロー様……」
将軍達の一人が、おそるおそる、といった様子で瘴気の魔導師へ声をかける。
「ガルナの外に陣を敷いたとして、そのう……勝算はお有りなのでしょうか? 三十年前の遠征時には、一万からの兵が凱延一人を相手に半壊したと聞き及んでいます。城壁の中に入り篭城をした方がよいのではないでしょうか」
その言葉に、武神ダレスの司祭が賛同の声を上げた。
「確かに。陣を敷いては城壁の意味がない。ここはガルナに篭り、奴らの進攻を食い止めることに主眼を置いた方がよろしかろう。なんでも凱延という魔族は、暴風を操り、まともに近づくことすらままならんというではないか」
司祭達は敵意に近い眼差しをホスローへ向ける。彼ら聖職者の目には、瘴気の源である無数の怨霊の姿がはっきりと見えていた。信仰厚い者にとっては、ホスローも魔族同様、神に敵する存在なのだ。そしてその隣に陣取る、人外の女魔導師もまたしかり。
「もちろん」
侮蔑混じりの視線を受け、ホスローが愉快そうに応じる。
「最終的にはガルナの中で決着をつける。そのための城壁じゃからな」
「城壁の……中で?」
ユリウス六世、将軍達、そして司祭らも一様に不審の表情を浮かべる。魔術士ギルドに属さぬ者総てが、物問いたげな目をホスローへ向けた。
「あの城壁はの、貴奴を……凱延めを葬るために作ったのじゃ。ガルナをあやつの墓所とするためにな」
それまで口を閉ざしていたカダフィーが、黒い瞳を爛々と輝かせる。妖気を垂れ流す女吸血鬼の顔に、艶やかな微笑みが浮かび上がった。
「城塞都市ガルナ……ようやく、その本来の用途に使えるというわけね」
「百二十年前。ガルナの城壁を建造した時から、かの地が凱延の墓所となる事は定められておったのじゃよ」
ぐつぐつ、ぐつぐつぐつと笑うホスローへ、様々な視線が向けられる。そのほとんどが、魔族に対する怖れや嫌悪といった感情と同質のものだった。
滅多に人前に姿を現さず、瘴気と多くの術師を従える得体の知れないこの大魔導師は、軍議に参加している者たちにとっても恐るべき存在なのだ。
夜も更け、そろそろ日付も替わろうかという時分にも係わらず、宿舎は慌ただしい喧騒に包まれていた。
アルフラは鎧戸から無数の松明が燈された中庭を見やる。
眼下ではすでに、武装を済ませた七十人ほどの戦士達が整列を済ませていた。門の外では二十台近い馬車に、食糧や医薬品、獣油などの物資が次々と運び込まれていく。
「ねぇ、なんであたしたちだけ部屋で待機なのかな? 中庭にはあんなにいっぱい集まってるのに……」
ぼんやりと呟いたアルフラの隣にシグナムが立つ。どうにも腑に落ちない、といった顔をして。
「宿舎中の戦士があらかた集まってるみたいだね。……もしかして大規模な魔族の進攻が始まったのかな」
「えー、じゃあボクたちは行かなくていいのかなあ?」
アルフラとシグナムの間に割り込んだルゥが、鎧戸から身を乗り出すようにして中庭を見渡す。
「だと……いいけどね。そんな楽はさせてくれないんじゃないか? むしろあたし達だけ、もっときつい仕事を押し付けられるって線が濃厚な気がするよ」
「きつい仕事……」
げんなりとした表情のシグナムとは対象的に、アルフラは瞳を輝かせる。
アルフラたちの仕事は魔族と戦うことである。よりきつい、となると……アルフラにとってはむしろご褒美だ。
なにごとかを口にしかけたアルフラを遮るように、扉の叩かれる音が室内に響いた。
「あぁ……なんかやな予感がするよ」
シグナムの愚痴っぽい声と同時に扉が開かれる。
「失礼します」
懲りずに返事を待たず入室して来たフレインが、びくりと動きをとめた。己に向けられる三者三様の眼差しにたじろいでいる。
シグナムのとても迷惑そうな目。アルフラの期待に満ちた瞳。ルゥのなんか食べ物ちょうだい、という催促に溢れた口許。
「え……ええと。とりあえず、すみません」
なんとなく謝ってしまったフレインへ、うんざりした調子でシグナムが尋ねる。
「どうせあたし達だけ特別任務とかなんだろ?」
「ええ、お察しの通りです」
「で……内容は?」
非常に言いづらそうにしながらフレインが答える。その顔は主にアルフラへと向けられていた。
「ガルナでの後方支援です」
「……は? 後方支援て、物資の輸送とかそういうやつかい?」
「ちょっと! なんでよっ。魔族が攻めて来たんじゃないの!?」
中庭を指差したアルフラが、フレインへ食ってかかる。
「あんなにたくさん集まってるじゃない! なんであたしたちだけ前線に出れないのよ!?」
「それは……ですね……」
魔族との戦いが始まると思ってご機嫌だったアルフラは、いわばおあずけを食ってしまった状態だ。すごい目つきでフレインを睨んでいる。
「まあ、あたしは楽出来るならなんの問題もないけどね。ちゃんと説明しないとアルフラちゃんに噛み付かれちゃうよ」
冗談めかしてシグナムが笑う。しかし、アルフラが倒した魔族をどうしているのかを考えれば、あまり洒落にならない。
魔族ほどではないにしろ、魔導士であるフレインは常人を遥かに凌ぐ魔力を持っている。そこにアルフラが思い当たれば、あまりおあずけが過ぎると文字通り血を見ることになりかねない。
「ガルナ近郊で大規模な迎撃戦が行われます。今回あなた達三人は、その後方で治療などを行う神官団の警護、という役回りを担って頂きます」
「大規模? そんなに大勢の魔族が攻めて来たのか?」
「いえ。百前後だという話です」
「なんだ、思ったより少ないな」
気のぬけたように息をついたシグナムへ、フレインが固い声音で応える。
「数の問題ではないのですよ。爵位の魔族みずからが率いているのですから」
「な――」
「なんであたしたちだけ警護なのよ! 外に集まってる人たちは魔族と戦うんでしょ!?」
「それは……」
言い淀んだフレインへ、シグナムが意味ありげに目くばせを送り、周囲を見渡す。
「大丈夫です。現在監視の者も忙しく動き回っているので、他の者の目はありません」
「そうかい。後方任務ってのは、もしかしてあんたが手を回してくれたのか? そのままギルドからおさらばしろってことだろ?」
アルフラの息を呑む音が聞こえた。
「いえ――それが……状況が変わってしまいました。今ギルドから逃れようとすれば、執拗に追っ手が掛かります」
「どういうことだ? 貴族が攻めて来てるんだよな。あんたら魔術師ってのはそんなに暇じゃないだろ?」
「私にも――いえ、ギルドですら詳しい理由は判っていないのですが、これは魔王雷鴉の意向です。召喚の儀式によって呼出したかの魔王が、アルフラさんの身柄を確保するよう厳命したのです」
話の流れが自分に向けられ、アルフラは訳が分からないといった顔をする。
「召喚? 魔王って……なんでそんなことになってんだ!? どこの魔王様だよ!」
忌ま忌ましげに吐き捨てたシグナムをよそに、フレインの真摯な目がアルフラへ向けられる。
「アルフラさんは、魔王雷鴉の名すら聞いたことがないと言っていましたね?」
シグナムの剣幕さにすこし驚いてしまったアルフラが、おずおずとうなずく。
「う、うん……」
「その魔王雷鴉が、あなたの名を口にしたのです。レギウス教国の自治と引き換えに、アルフラさんを保護し、その身柄を決して手放すなと」
意味が分からない、とアルフラはちいさく首を振る。
「私は、白蓮様となんらかの関係があるのではないかと考えています。魔王雷鴉は中央の盟主です。同じく現在中央の皇城へ連れ去れたという白蓮様から以外、アルフラさんの名が伝わる要素が思いあたりますか?」
やはりアルフラは首を振る。
数日前に突然現れた高城。訣別にも似た言伝を送ってきた白蓮。名も聞いたことのない魔王の意向。みずからの及び知らぬ遠く離れた魔族の領域で、己の行く末にも関わる何らかの思惑が交錯している。
なんともいえない気持ちの悪さを感じながらも、アルフラはきっぱりと言い放つ。
「いやよっ! あたしはギルドから逃げるつもりなんかないけど、神官の警護なんて絶対にいや!!」
鳶色の瞳が、闇夜に燈った篝火のように怒りで燃え上がる。
「あたしは魔王なんて知らない。そんな奴の言うことなんか聞かない!!」
アルフラはまるで目の前に魔王雷鴉がいるかのように、フレインを睨めつける。
憎しみにも似た感情を向けられ、フレインは、ああ、やはりな、と思う。やはりこうなるのだな、と。
「相手が貴族だってゆうなら尚更だわ。あたしはその貴族の……」
ふと、アルフラは口をつぐんで言い直す。
「貴族と戦うんだからっ!!」
きらきらと欲望に潤んだ瞳に魅入られて、フレインは言葉を返すことなく、ただただアルフラに見とれていた。




