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氷の滅慕  作者: SH
三章 死線
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静けさの後の嵐



 魔術士ギルドの塔、その最上階では召喚の儀式が執り行われていた。


 幾重にも張り巡らされた結界の中には、魔王雷鴉の禍々しい影が揺らめき、強大な魔力により悲鳴を上げた結界が軋みを響かせる。


 大導師ホスローと雷鴉の間では、現在王都を跋扈(ばっこ)する魔族の間者についてのやり取りがなされていた。


「なれば、あの間者達は雷鴉様の手の者という事で間違いはないのでしょうか?」


「正確には灰塚の配下だが、それは我が意向に添う行動だ。いかなる理由であれ、その活動を阻害することは許さん」


「しかし――」


 一国の都で、魔族の間者が好き勝手に動き回ることをさすがによしとは出来ず、口を開きかけたホスローの言葉を雷鴉が(さえぎ)る。


「魔導師よ、最後まで話を聞くのだ。なにもただでとは言わん。相応の対価は用意してある」


「対価、でございますか?」


「この先それほど時を置かぬ内に、我等魔族は人間達に宣戦を布告する見通しだ。我は戦禍帝より正式に、戦いの(のち)、人の王国についての全権を賜った。――お前の望むレギウス教国の自治を認めようではないか」


「おお!」


 ホスローが喜悦の声を漏らす。その場に居合わせた魔導士たちからもざめきが起こった。


「もちろんいくつかの条件がある」


 雷鴉のその言葉に、ホスローが用心深く口を開く。


「もちろん我々に出来うる事でしたら、なんなりとお申しつけ下さい」


「まず、以前に伝えた純血の古代人種の捕獲は継続して行え。王都で活動中の間者達を邪魔せぬことについては先に言った通りだ。そして、最も重要なのはこの後だ。そなた達のギルドにアルフラという少女がいるな?」


「は……? はい、確かにおりはしますが……」


 魔王の口から告げられた、あまりにも意外な名にホスローが呆気にとられたような声で答えた。

 そして、結界の維持に魔力をそそいでいたフレインも、その名を聞いてびくりと身を震わせる。


「アルフラという娘を保護し、危険に近づけるな。娘の安否は王国の自治権に関わると考えよ。決して手放さず管理下に置いておくのだ」


 雷鴉はこう考えたのだ。白蓮に対し、かなりの影響力を持つその娘は、駒として確実に押さえておく必要がある。現状ではなんの役にも立たないが、ゆくゆくはなんらかの使い道が出てくるだろう、と。


「か、かしこまりました。しかし、なぜあのような小娘ごときを雷鴉様が――?」


「それは貴様の知るところではない。詮索は控えよ。我が言を忠実に遂行すれば、そなたの望みを(たが)えることはない」


 不信の念を抱きながらも(こうべ)を垂れたホスローへ、雷鴉はさらに告げる。


「しかし、レギウス教国では神族を崇める神官達の影響力が強いのであろう? 自治を認めるとはいえ我々魔族にそうやすやすと(くだ)りはすまい」


 魔族との徹底抗戦を訴える神官達と、あくまで全面的な戦いとなることを回避しようとするホスローの方針は対立していた。

 そういった司祭達の考えは、魔族の恐ろしさを知らぬための愚かさだ、とホスローは思っている。

 百二十年前に、凱延がレギウス教国に攻め込んだ時の惨状は、現在でも語り継がれている。そして、三十年前のオーク間引き作戦のおりには、凱延と遭遇した部隊はほぼ全滅していた。その力を目にし、体感した“生きた”人間は存在しない。


 だが、ホスローは知っているのだ。


 たった一人の貴族が、レギウス教国にどれ程の被害をもたらしたのか。

 魔族を相手に戦いを選択することが、どれ程愚かな行為なのか。

 かつて凱延の力をその目にしたホスローは、誰よりもよく知っている。


「恐るべき力を持つ魔族と、本気で事を構えようなどという者は、神官の中でも極々一部の狂信的な者だけです」


「ほう……」


「すでにオーク共との戦いで、国軍と騎士団は多大な被害を被り、教王自身もかなり腰が引けております」


「オークごときに苦戦するようではな」


 魔王の影が蔑むように笑う。


「……はい。加えて南方のロマリア王国では、すでに爵位の魔族の侵攻を受け、いくつかの砦が陥落したとの報が入っておりますれば」


「ロマリア? 南部の魔王、口無(くちなし)の配下が先走り、罰を受けたと聞いたな……」


「現在、我が弟子の一人でもある宮廷魔導師が、教王陛下へ早期の降伏を進言しております。なにか後一押しあれば、神殿の強行派も大人しくなりましょう」


「ならば本格的な侵攻が始まる前に降伏の使者を立てることを勧めよう。なにしろレギウス教国に隣接するのは、魔王灰塚の領土だからな」


 人の領域に魔族が本格的に攻め入ったことなど、ここ千年以上もなかったことだ。実際に魔族が総力を上げ、人の領域を攻めた場合、いったいどれ程の惨事に見舞われるのか、ホスローにも想像がつかない。

 力においては貴族と雲泥の差が有り、神族にすら匹敵すると言われる魔王にしても、やはりその力量は想像の域を出ない。


「灰塚様とはそれほど強力な魔王なのですか?」


「中央の者からは、灰燼の魔王などと揶揄(やゆ)されておるな。その名の通り、あの女が通った後には灰の塚しか残らん。灰塚自身が戦いに赴けば、このレギウス王国は焦土と化すであろう」


「それは……もし戦が始まる前に国家としての正式な使者を送り、恭順の意を示すのであれば、来るべき戦火を回避することは可能でしょうか?」


「可能だ。我等は人間との戦い自体にあまり興味はない」


「わかりました。それではこちらとしても早急に手を打ちましょう」


「ククッ、手遅れにならぬうちにな……ただ、アルフラという娘を手元に置いておく限り、灰塚についての心配は無用かも知れぬがな」


「な――!? それはいったい……?」


「詮索はするな、と言ったはずだぞ。話は済んだ。くれぐれも我が命を違えるでないぞ……」


 その言葉を最後に、魔王の影は揺らめき、輪郭を失っていく。同時に強大な魔力の内圧が弱まり、張り巡らせた結界が儀式の間の中央へと収束される。


「雷鴉様! お待ち下さい」



 ホスローの叫びが響いた時には、召喚の糸も完全に途切れていた。





「ふぅ――」


 召喚から帰還し、堅苦しい言葉使いに肩の凝るような疲れを感じた雷鴉は、全裸で伸びをする。


「くそっ! なんか気持ちいいと思ったら、またかよっ」


 己の状況に気づいた雷鴉が、目の前の魅月に悪態をついた。


「人払いを命じてたはずだぞ! どうやって入った?」


「ふつうに通してくれたわぁ」


 魅月はつやつやとした顔で微笑む。


「くっ……」


 雷鴉は誰も通すなと命じておいた家令に、暇を出してやろうかと真剣に考えた。

 白蓮の部屋にいた非常に有能そうな執事が頭に浮かび、ああゆう使用人が欲しいな、とひとりごちる。


「それにしても珍しいわねぇ。あなた結構飲んでるでしょ?」


「そんなに顔に出てるか?」


「いいえ、顔には出てないけど味で分かるわぁ」


「ちっ。こんなことなら戦禍の部屋で召喚を受ければよかった……」



 ため息と共に雷鴉がぼやいた。なにげに綺麗に(たた)まれている脱がされた衣服を身につけながら。





 これまでの召喚と比べ、妙に饒舌だった魔王雷鴉が去った儀式の間に、ホスローの声が響く。


「フレイン!」


「はっ」


「お前はなにか、儂に隠しておる事はないか?」


 常ならざる厳しい声音で問うホスローに、それまで雷鴉の言葉に混乱していたフレインの思考が正常に働き出した。


「先日王都を騒がせた魔族と遭遇したあと、その者達とは関わるな、とアルフラさんにお伝えしました。ですが雷鴉様については、その名すら知らぬようでした」


「ふむ……初めて聞く話じゃが?」


「申し訳ございません。目新しい情報は聞けなかったので、報告には及ばないかと愚考いたしました」


 その内心を示すかのように、ホスローの身から溢れ出す瘴気の流れが和らぐ。


「……よかろう。じゃが今後は、どのような些事(さじ)であれ、あの娘に関しては必ず報告するのじゃ」


「かしこまりました」


 ホスローが初めてアルフラと会った日、いくらかは生い立ちに関する質問もしたのだが、あまりたいした情報は聞けていない。

 内容的には、レギウス教国北東部の寒村で育ち、親はただの農民だったこと。そして前々回のオークの侵攻で両親は殺され、自身も瀕死の重傷を負い、村が滅びてからは人里離れた古城で育てられたこと。そして結局は育ての親からも見捨てられたらしいという程度だ。


 憐れな話だ、と思うくらいの人間味はホスローにも残されていた。だが、そういった感情もあらかた麻痺している。よくある話なのだ。フレインも二十年ほど前に家族を失った孤児である。不幸なことではあるが、長い年月を経たホスローからすれば、取り分け珍しい話ではない。


 アルフラに簡潔な()い立ちを話させた時には、その生死がわからなくなったとしても、気に病み、行方を探そうする者が居ないであろうということに満足したのを覚えている。

 だが、状況は激変していた。雷鴉はアルフラの安否が教国の自治権をも左右し、その身柄を確保しておけば、灰塚への抑えになるようなことを匂わせていた。


「いったいあの小娘に、何があるというのだ……? フレイン。今すぐに儂の居室へ娘を連れてまいれ。いまいちどあの者の生い立ちについて詳しく聴取せねばなるまい」


 ホスローの命にフレインが応えるより先に、慌ただしく儀式の間の大扉が開かれた。


「ホスロー様! 急使が参っております」


「ええい、今はそれ(どころ)ではない。後にせよ」


「ですが魔族の――」


 使者の存在を告げた術師の顔は、強い焦りと恐怖から蒼白に歪んでいた。

 そのただならぬ気配から急を感じ取ったホスローも、魔族という言葉に反応する。


「……わかった、すぐに通せ」


「はっ!」


 術士が退室すると、すぐに扉の外で待っていた使者が儀式の間に駆け込んでくる。男はサルファにあるギルドの支部から送られて来た使者だった。そして口早に報告を始める

 話が進むにつれ、居合わせた魔導士たちの間に動揺とざわめきが広がった。フードに隠され、表情の見えないホスローにも緊張感が漂う。


「来おったか……ついに貴奴めが、来おったか!」


 ぐつぐつと煮立ったようなホスローの声音には、畏れと共に喜びの感情が入り交じっていた。


「カダフィー! 王宮へ出向く。ついてまいれ」


「えっ? 私も行っていいのかい? さすがに衛兵共が怯えると思うけど」


 妖気をまとった女魔導師が意外そうな声で聞き返した。


「この儂みずからが赴くのだ。たいして変わらん」


 カダフィー以上におどろおどろしい気配を撒き散らすホスローが忍び笑い、周囲の者達へ指示を出す。


「王都に存在するすべての術師を集めよ。各支部にも通達を出し、戦士達は武装を済ませた上で待機させるのだ。フレイン、イブラヒム、お前達も儂について来い」


「はっ」


「御意に」



 儀式の間を出て行く瘴気の魔導師を追い、フレインも足早に大扉をくぐり抜ける。その後に続き、命じられた役割を果たそうと十数人の導士たちも動きだした。





 この日、王宮では隣国ロマリアの大使が招かれ、大規模な夜会が開かれていた。その目的は、オークの掠奪軍により大量の食料を奪われたレギウス教国へ、肥沃な農耕地帯を有する南方のロマリア王国から贈られた物資に対する謝意と、魔族に対抗する今後の協調関係を確認するためである。


 上座には老齢のレギウス教王ユリウス六世が座り、その右隣に主賓であるロマリア大使、左隣には大司祭が座っていた。宗教国家であるレギウス教国では、神殿が強い権力を持っている。すべての神官の頂点に立つ大司祭は、王太子を凌ぐ第一位の席次を有していた。

 この晩餐会では王太子が欠席しているため、王都カルザスを自領とし国務を担うカルザス公爵がロマリア大使の隣に座し、かつて魔術士ギルドが凱延を退けた功績から高い席次を持つ宮廷魔導師と続き、並み居る諸候、将軍たちが一同に会していた。


 晩餐は(とどこお)りなく進み、宮廷楽団の奏でる見事な楽曲が人々の耳を楽しませた。

 さらなる食糧の支援や国家としての協調を巡る事案に対し、ロマリア大使は色良い返事を返す。これにはユリウス六世の皺深い顔も終始にこやかであった。

 そしてこの和やかな場の雰囲気を一変させたのは、やはり火急の使者の来訪だった。


「陛下! サルファより早馬が参っております」


 衛兵の焦りを帯びた不躾(ぶしつけ)な声が響き、何事かと(いぶか)しげなざわめきが起こった。

 主賓であるロマリア大使に向かい、非礼を詫びるかのように黙礼したユリウス六世が衛兵に声をかける。


「……通すがよい」


 扉が開かれ、もんどりうつように駆け込んで来た使者がひざまずく。そして一気にまくし立てた。


「大変です! 魔族の領域に隣接する三つの砦が落ち、百名前後の魔族が街道を西進中との(しら)せが届きました!」


「なんだと!?」


 立ち上がったユリウス六世の声に続き、将軍の一人が使者へ問う。


「守備兵はどうした!? 砦の再建も兼ねて各所には一個大隊、千人からの兵が配されていたはずだぞ?」


「各砦から五百前後の守備兵がサルファに落ちのびて来ました。魔族の侵攻を受け、再建中の砦は凄まじい暴風により倒壊。多くの兵が行方知れずとなり、一夜と持たず、守備兵達は潰走を余儀なくされたそうです」


「馬鹿な! いくら相手が魔族とはいえ、三千からの兵が僅か百名ほどの敵にそうやすやすと……」


 言葉を失った将軍を尻目に、落ち着きを取り戻したユリウス六世が自問するかのようにつぶやいた。


「しかし、百とは微妙な数だな。魔族の力を考えれば少ないとは言えぬが多くもない。本格的な侵攻でないとして、何が目的なのであろうか?」


 やや引き攣った面持ちの宮廷魔導師アルザイールが使者に尋ねる。


「そなたは砦が暴風によって倒壊したと言ったな? サルファへ落ちて来た兵達の中に、魔族の指揮官を見た者はいなかったのか?」


「それが……指揮官らしき魔族を見た者がいたのですが……」


 たどたどしく口を開いた使者であったが、声を震わせて言葉尻を濁らせる。短い沈黙の後、すぐに将軍がいらいらとした調子で詰問した。


「なんだ? まだ報告していないことがあるのなら早く述べよ」


「はっ! その者は酷い傷を負い、うわごとのように言っていました。ですので事の真偽は定かではありませんが、指揮官とおぼしき魔族は長身痩躯の尊大な男で、自分は魔王灰塚翼下の凱延伯爵だと名乗っていたそうです」


「――凱延だと!?」


 今度こそ場に、絶句による長い沈黙が降りた。


 凱延伯爵。おそらくレギウス教国では、災厄の主についで有名な魔族だ。

 かつてガルナを一夜にして瓦礫の山へと変えたことは、百二十年を経た現在でも語り継がれ、多くの文献も残っている。

 そして三十年前の遠征時に、主力である四千の騎士を壊滅させたのも凱延だった。当時、第一王子であったユリウス六世や一介の騎士であった国教騎士団団長にも、忘れることの出来ない苦い記憶であった。


「なんということだ……ついにあの凱延が――!」


 もはや伝説とも言える魔人の襲来に、並み居る武官たちも総じて顔色が青い。


「全軍に――周辺に散在する総ての兵を招集し、王都の防備を固めるのだ。アルザイール殿、大導師ホスロー様の助力を是非にお頼みしたい」


「はい。ギルドの方にも報告は届いているかと思いますが、私からも直接大導師様にお伺いを立ててみましょう」


 アルザイールの言葉に、重苦しかった場の空気に希望めいた気配が流れた。


「おお! かつて凱延を撃退したと言われているホスロー様であれば……」


「とにかく各所へ使者を出すのだ。同時に凱延に対しても和平の使者を送れ! そしてホスロー様を招聘(しょうへい)し、急ぎ軍議を始めねばならん」


 ユリウス六世の言葉に晩餐会は慌ただしく打ち切られ、次々と指示を出す将軍や諸候の叫びが響き渡る。



 レギウス教国に、嵐が到来した。

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