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氷の滅慕  作者: SH
三章 死線
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嵐の前の静けさ(後)



 三人の魔王たちが立ち去った室内で、白蓮はねぎらいの言葉を高城へかける。


「ご苦労だったわね、高城。よい働きをしてくれたわ。私は戦禍の所へ行ってくるから、あなたはゆっくり休みなさい」


「はい。ですが雷鴉様の件、本当に大丈夫なのですか? いくら戦禍帝といえど、人間たちと内通していた雷鴉様を、そう易々とお許しになるとは思えません。――細々(こまごま)とした報告もありますので、私もご一緒しましょう」


 高城の言葉に、白蓮は軽く首を振る。


「それには及ばないわ。なにか報告があるのなら、明日になさい」


「かしこまりました」


 白蓮と戦禍の間で、他の者には聞かせられない話がなされるのだろう。そう察しをつけた高城はこうべを垂れた。


「では、行ってくるわ」



 戦禍の居室へ向かった白蓮は、結局その夜、自室に戻ることはなかった。





 翌朝(よくちょう)、東の空が瑠璃色に染まり始める未明の頃合。ようやく白蓮が居室へと戻って来た。


「お帰りなさいませ」


「あら? こんな時間にまでどうしたの?」


 扉の前で主の帰りを待っていた高城へ、白蓮が怪訝な顔を向けた。


「はい、一刻(約三十分)ほど前に灰塚様がみえられまして、ただいま続きの間でお待ちいただいております」


「灰塚が?」


 扉を開けた高城の横を抜け、白蓮は室内へ入る。するとすぐに灰塚が駆け寄って来た。


「お姉さま、凱延(がいえん)の件なんですけど――」


 挨拶もそこそこに、灰塚はいきなり話を切り出した。その様子に、なにか急を要する事態が起こったのだと感じた白蓮は、かすかに表情を強張らせた。


「凱延には、許しを与えるまで城内謹慎を命じる使者を、昨夜の内に立てておいたの。だけど今朝方、紅武城から使者が来て、凱延がすでに兵をまとめてレギウス教国の国境へ向かっていると報告があったわ」


「なんですって!」


 白蓮の美しい柳眉(りゅうび)(けわ)しくひそめられる。


「今、アルフラという娘と会うためにレギウスへ向かえば、お姉さままで戦いに巻き込まれてしまうわ。――凱延が以前、お姉さまに言い寄ってた話も聞いているし……」


「大丈夫、それは心配ないわ」


「でも、あれは無能な男だけれど、決して無力ではない。まかりなりにも伯爵位の貴族なのよ」


 気遣わしげに見上げてくる灰塚の肩へ、安心させるように白蓮の手が置かれる。


「本当に心配はいらないの。よく知らせてくれたわね。――高城」


「はっ」


「あなたには、もうひと働きして貰うわ。本来なら“あの方”の所へお伺いを立ててからレギウスへ行かなければならないのだけれど、そうも言っていられなくなったわ」


 あの方、という言葉に、灰塚が怪訝な顔をする。


「かしこまりました。では私の方からお伝えするという事でよろしいでしょうか?」


「ええ。事後承諾といった形にはなるけれど、上手く言っておいてちょうだい」


「お姉さま? あの方というのはいったい……?」


 灰塚の問いかけを、高城が引き取る。


「私の雇い主でもあるお方ですよ」


「どうゆうこと? あなたの主は、お姉さまなのでしょ」


「はい。ですが、奥様に(つか)えるよう私に命じたのは、その方なのです」


「おしゃべりはその辺りになさい。私はアルフラの許へ向かうわ。高城、くれぐれも宜しく頼んだわよ」


「かしこまりました」


 扉へと向かった白蓮の後を、灰塚が小走りに追いかける。


「お姉さま、出来ればわたしも一緒に行きたいのだけれど、もうすぐ東部へ行かなければならないの。だから、せめてお見送りだけでもしますわ」



 以前よりさらに白蓮へ(なつ)いている感のある灰塚。まるで恋する乙女のようなその後ろ姿に、高城が苦笑を浮かべた。





 その日の夜。戦禍の私室に呼び出された雷鴉は、円卓の正面に腰掛ける魔皇の様子を注意深く伺っていた。


 常に尊大な余裕を身にまとっていた戦禍は、これまでにないようなピリピリとした雰囲気を醸し出している。不機嫌さを押し隠すことにも気が回らぬほど、いらいらとしているようだ。それは雷鴉が初めて目にする戦禍の怒気であった。


 みずからよりも強大な力を持つ戦禍の勘気にあてられ、流石の雷鴉も冷汗を流す。

 中央の盟主という立場上、たとえ魔皇といえど、やすやすとは自分を処断出来ないはず。雷鴉はそんなふうに高を(くく)っていた。しかし、その考えの甘さを改める。――常時柔らかな戦禍の物腰に、やや侮りの気持ちがあったことを後悔していた。


――くそっ、あの女……なにが問題ないだ。無茶苦茶怒ってるじゃないか


 内心で白蓮へ毒づいた時、それまで無言であった戦禍が口を開いた。


「端的に言いましょう。人間達との戦後処理は、すべてあなたに任せます」


「……え?」


 一瞬、何を言われたのか分からず、雷鴉は思わず素の声で聞き返してしまった。

 なおも苛立たしげな口調で戦禍が告げる。


「戦いの後、人間の王国の統治形態やその運営を、すべて任せると言っているのですよ」


「あ……あぁ」


「ただし、今後あの人にはなるべく関わらないようにしなさい」


「……白蓮のことか?」


 その名を聞いて、戦禍が苦い顔で頷く。


「そうです。まったくあの人ときたら……(まつりごと)にまで口を挟んできて……」


「……」


 どうやら戦禍の怒りの矛先は、自分にではなく白蓮へ向けられているようだと雷鴉は気づいた。

 二人の間でどういったやり取りがなされたのかは分からないが、かなり強引に話をねじ込んだらしい。

 しかも白蓮は、その言葉通り、きっちりとみずからの意向を押し通したようだ。


――いったいどんな魔法を使いやがったんだ……


 呆気に取られた雷鴉の前で、戦禍がゴブレットを手に取り、一気に傾ける。

 あまり酔っているようには見えないが、雷鴉が入室する前から、かなりの量をいっているようだ。

 酒でも飲まなければやってられない、といった気配がひしひしと伝わって来る。


――だからって、俺にまで同じ物を出すなよな……


 雷鴉の前にも、きつい火酒の壷とゴブレットが置かれていた。どうやら勝手に飲め、ということらしい。

 飲めないわけではないが、あまり強い酒を好まない雷鴉は、顔をしかめつつも火酒の壷を手に取り、空いた戦禍のゴブレットに注ぐ。


「なあ、あの白蓮て女、いったいなんなんだ?」


 注がれた火酒をふたたびあおりながらも、戦禍がうんざりとした表情を浮かべた。しかし、雷鴉の問いには答えることなく無言でゴブレットを卓に置く。


「なんて言うか……ありゃとんでもない女だよな。女魔王の中でも極めつけに性格の(こわ)い、灰塚と魅月をあっさり手なずけてやがる。それに、中央の盟主である俺を前にしても、まったく物おじした様子もなかった」


「…………」


 戦禍は無言でへこたれている。

 最近とみに女運が悪いと感じていた雷鴉は、同じ男として同情の念が湧いてきた。

 それまで、戦禍の常に余裕を崩さない、悠然とした強者の風格が鼻につくと思っていた雷鴉であったが、今の戦禍にはそういったものが一切ない。


「あのさ……俺が言うのも変な話だが、ああいう女はやめといた方がいいんじゃないか? たしかに入れ込んじまうのも分かるくらいのいい女だけどさ」


「その話はやめましょう。――真剣に頭が痛くなって来る」


 女関係については同じく頭を痛めている雷鴉としても、それについては同意見だった。


「そう、だな。……女って、本当に頭の痛くなる奴らだよな」


「……ええ」


 戦禍がため息まじりに重々しくうなずく。



 二人の間に奇妙な連帯感が生まれていた。





「王国の統治形態については、別にあの人から言われたから、という訳ではないのですよ」


 気を取り直した戦禍が口を開く。

 雷鴉の前には、戦禍が手ずから注いだ火酒のゴブレットが置かれていた。

 かなり強いそれを、ちびちびと()めながら雷鴉は耳を傾ける。


「戦いが終わった後には人間達の王国へ、幾人かの貴族を執政官として送り込もうと考えていました。もともと、それらの細々とした人事は、中央の盟主であるあなたに一任しようと思っていたのです」


「なるほど。結構先のことまで考えていたんだな。あんたに……て、やっぱり戦禍様とかお呼びした方がよろしいですかね?」


 やや皮肉を含んだ雷鴉の問いかけに、戦禍は真面目な顔で答える。


「いえ、お好きなようにどうぞ。以前にも言いましたが、とくに(かしこ)まった話し方をする必要もないですよ」


「そいつはありがたいな」


 戦禍の尊大さは気にくわないと思っている雷鴉だが、それに起因した臣下の礼を強要しない点は素直に評価していた。


「あんたに無断で魔導師と取引してたのは、さすがにやり過ぎたと思ってるよ。ただ、数年前に初めて召喚を受けた時は、まだあんたは皇位についてなかったんだ。その辺りは考慮してくれ」


「そうですね。さすがに不問に、という訳にはいかない話ですが――東部の魔王、茨木を確実に登城させて下さい。その功績をもって相殺としましょう」


 その言葉に、ゴブレットを傾けていた雷鴉の顔が軽く引き攣る。


「え……俺、茨木の方なのか?」


「女は得意なのでしょう?」


 楽しげな戦禍の声音に、いや、最近は女難続きだから、と雷鴉は心の中でぼやいた。

 空いた雷鴉のゴブレットへ戦禍が火酒を()ぎ足す。


「同じ女でもさ、出来れば……」


「それでは罰にならないでしょう」


 喉を鳴らして笑う戦禍へ恨みがましい目を向けながらも、雷鴉は了承の意を伝えた。


「ところで、あなたは魔導師から魔術体系の奥義を学んだと聞きましたが?」


「ああ、学んだっていうか、五十冊ほどもあるその手の書物を譲り受けたんだ。かなり貴重な物らしいが、小難しいうえ回りくどくてな。まだ半分ほどしか読み進めてない」


 うんざりとした様子の雷鴉へ、興味深げな視線が向けられる。


「あなた程の力があれば、人間達の扱う魔術など何の意味もないのでは?」


「まあ、ちょっと前まではそう思ってたんだけどな……以前、中央と北部が争った時に、俺と灰塚が一度戦ったって話は聞いてるかい?」


「ええ、確か挨拶代わり程度の小競り合いだったらしいですね。互いの障壁に阻まれ、双方無傷だった、と聞き及んでますが」


「あれ、な。実際、本格的にやり合ってたら、たぶんまずい事になってた。それまではさ、俺より強い奴がこの世にいるとは思ってなかったんだが……」


 言ってしまってから、雷鴉は喋り過ぎたと後悔し、手に持っていたゴブレットを卓に戻した。その中身が己の口を軽くしていたと感じたらしい。


「まあ、灰塚が俺より強いなんて……思ってねぇよ。ただ、あんなのとまともにやり合えば、こっちも命懸けになる。確実に勝つためには、もっと力が必要だと思ったのさ」


 その頃からである。雷鴉がそれまで軽んじていた、知略や謀略といったものに必要性を感じたのは。


「それで人間達の魔術が使えるのではないかと考えたのですね? 彼らはみずからの微少な魔力でいかに効率良く魔法を行使出来るか、といったことに心血を注いでいるらしいですからね」


「……まあ、そんなとこだ」


 強大な力を持つ魔族は、そういった術を必要せず魔法を行使出来るため、人間の扱う魔術を軽視する傾向にある。雷鴉は自身が軽く見られることを危惧して、そういったものに興味を示していることをあまり公言したくなかったのだ。


 だが、戦禍は感心したように頷いた。


「その魔導書の一部を私にも見せていただけませんか?」


「……あんたが? それこそ無用の長物だろ。神族がどれほどの力を持ってるかは分からないが、現状あんたより強い奴なんてこの世にいない」


「一部、でよいのですよ。ざっと検分して、必要な物を数冊貸してもらえれば充分です」


 軽く身を乗りだすようにする戦禍に、呆れたような顔で雷鴉が答える。


「いや、まあ構わないけどさ。あんた程の魔力があれば、人間の魔術なんてなんの役にもたたないと思うぜ?」


「それはあなたにとっても同じでしょう? その上で何か使える物がないか探しているのではないですか?」


「ああ、そりゃそうなんだけどさ……」


 いつの間にか空になっていた戦禍のゴブレットに火酒を注ごうとした雷鴉は、壷の中身まで空になっていることに気づく。

 それを見た戦禍がひとつ手を打った


「おや、空けてしまったようですね。新しいのを持って来させましょう」


 嬉しそうに告げた戦禍に、雷鴉はげんなりとする。


「まだ、飲むのかよ」


「もう酔ってしまったのですか?」


「いや、そんなことはないけどさ…………ん?」


 言いかけた雷鴉が、かすかな吸引力のようなものを感じて顔を上向ける。魔力を感知する知覚に触れてくる微細な気配があった。


「ああ……召喚がかかってるな」


「召喚? さきほど話していた魔導師の?」


「だな。話の途中だったが、ちょっとだけ退出させてくれ」


「あなたさえよければ私が行きましょうか? すこし人間の魔導師と話がしてみたい」


 興味津々、といった感じで、戦禍が召喚の糸にみずからの魔力を絡めようとする。


「お、おいっ! 待ってくれ、さすがにまずい。俺への召喚で魔皇本人が呼び出されたら、魔導師の爺さんがたまげて心臓とめちまうよっ」


「そう……ですか? しょうがないですね」


 こいつ、実は結構酔ってるんじゃないのか? といったうろんな目つきで雷鴉が戦禍を見る。


「すこし外させて貰うぞ。召喚での話が終わったらまた戻る」


「別にこの場で召喚を受けても構わないでしょ。私はあなたと違って、寝首を掻こうなんて思ってませんよ?」


 皮肉げに笑う戦禍へ、雷鴉も同質の笑みを返す。


「そんな心配はしてねえよ。ただ、召喚に応じてる間、ある程度の力を持った相手には完全に無力になっちまうからな。普段からの心掛けの問題だ」


「わかりました。必要な話はあらかた終わったので、また明日の夜にでも話の続きをしましょう」


「かしこまりました。魔皇陛下」


 冗談めかして一礼した雷鴉は、くるりと(きびす)を返す。


 部屋を後にした雷鴉は、これまですました感じの(いや)な奴だと思っていた戦禍が、二人で飲んでみれば意外と話の分かる相手だったということに、いくぶん驚愕の念を覚えていた。


 戦禍に対する見方もやや変わる。

 魅月や灰塚、そして白蓮といった癖の強すぎる女達と腹芸を繰り広げるよりは、酒の相手として悪くないと思った。

 いつかは魔皇の玉座を奪うにしても、戦禍から言われたように寝首を掻くやり方ではなく、力で捩伏せて(おの)が臣下にするのもいいだろう、と考える。



 やや行き過ぎた感のある酒量が、彼の思考をシンプルにしていた。

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