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氷の滅慕  作者: SH
三章 死線
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嵐の前の静けさ(前)



 レギウス教国の王都から帰還した高城は、薄暗い皇城の通路を足速に歩いていた。


「あっ、高城さま!」


 白蓮の居室の前でぼんやりと(たたず)んでいたウルスラが、歩いて来る高城に気づいて声を上げた。


「お帰りなさいませ。白蓮さまにただいま取り次いで参りますね」


「いえ、急ぎの報告がありますので、そのまま通らせて貰います」


 同じ使用人としては目上にあたる高城に対しても、生真面目に応対をしようとするウルスラを高城が制した。

 そのまま続きの間を抜け、高城は白蓮の私室の扉を叩く。

 入室を許可するいらえの代わりに、白蓮本人の手により扉が内側から開かれた。


「待っていたわ、入りなさい」


「はっ」


 高城は軽く会釈をし、歩を進める。

 どうやら高城の帰還をすでに気取っていた白蓮が、待ちきれずにみずから迎えに出たらしい。


「報告を」


 居間の席に着いた白蓮が短く命じた。食い入るような強い眼差しで高城を見つめる。


「はい。まずはお嬢様の所在ですが、そちらは無事、確認出来ました」


「――そう……」


 よかった、と口の中で呟いた白蓮は、目に見えて緊張を緩ませた。硬く強張っていた表情にも、安堵の笑みが浮かぶ。


「奥様……どうか心してお聞き下さい。ここから先は、あまり良い報告は出来ません」


「……いいわ。話しなさい」


 白蓮の口許が引き結ばれ、普段の無表情が戻る。


「お嬢様は現在、レギウス教国王都の魔術士ギルドに所属しております」


「王都? 魔術士ギルド? なぜ……なぜそんな所に――――フェルマーはどうしたの? アルフラと共に西へと向かったのではなかったの?」


 口早に尋ねながらも、白蓮はなんとか冷静さを保とうとしていた。しかし、彼女の氷の仮面も、高城の次の一言であっさりと溶け崩れる。


「フェルマーは死にました。おそらく……お嬢様の手にかけられ」


「な――!?」


 重厚な造りの椅子を蹴立てて立ち上がった白蓮は絶句する。

 続きの間で待っているように言われていたウルスラが、室内に響いた椅子の倒れた音に驚いて、扉を開き駆け込んで来た。


「白蓮さまっ!? どうなさったの……」


 そのウルスラも、室内に立ち込める緊張感と冷気に口を閉ざす。


「な……なにを言ってるの、アルフラがフェルマーを殺したですって?」


 茫然自失といった様子で立ち尽くしていた白蓮が、なんとか喉から声を絞り出した。ウルスラの存在にも気づかぬかのように、もっとも信頼を寄せる己の執事へと疑念の目を向ける。


「お嬢様さまは、フェルマーをすべてを自分の物にした、とおっしゃられておりました」


「それは……いったい……?」


 高城の表情にも悲痛なものが混じり、その声も硬くなる。


「お嬢様を最初に発見したのは、凱延(がいえん)殿からお借りした二人の間者でした。ですが私がその場へ駆け付けたときには、すでに二人共が……お嬢様に殺されておりました」


 白蓮が身をゆらめかせ、卓上に手を付く。高城は気遣わしげな目を向けながらも言葉を(つむ)ぐ。


「その間者たちの血を――お嬢様は飲まれていました。おそらくフェルマーもまた……」


 一歩、二歩とよろめくように後退(あとずさ)った白蓮をウルスラが支える。黒エルフの王女は、てきぱきと倒れた椅子を元の位置に戻し、白蓮を座らせた。


 ただでさえ色素の薄い白蓮の顔は、完全に血の気を失い、いまや蒼白となっていた。

 なぜ、と口許を手で押さえた白蓮が呟く。


「いったい、なぜそんなことに……」


「お嬢様のことは、奥様が一番よくご存知でしょう。――アルフラ様は奥様を必ず迎えに行くと申されておりました。戦禍様を倒して奥様を取り戻すのだ、と」


 力なく(こうべ)を垂れた白蓮が、呼吸を忘れていたかのように、大きく息を吐いた。

 うちひしがれた様子の白蓮は、罪悪感の篭った声で呻く。


「……優しかったあの子を、とても素直で愛らしかったアルフラを――――そんな風にしてしまったのは、私、なの?」


 誰にともなく悲しく問いかけるその声が、自分に向けられたものではないことを高城は察していた。


「私は、あの子が可愛かっただけだわ。その真っ直ぐな性根のまま、強く育って欲しいと思ってたの……私は“また”間違えてしまった」


 白蓮は卓に肘をつき、両手で頭を抱える。流れ落ちる銀髪の隙間からのぞく表情は、その美しさも相まって、見る者の胸を打つような悲壮感に満ちていた。

 深く落ちた沈黙の中、高城は白蓮が落ち着きを取り戻すのを待つ。

 変わり果てたアルフラの(さま)もそうだが、以前の白蓮を知る高城としては、彼女のその変貌ぶりも、かなりの衝撃だった。


――常に冷徹で、一切の感情を見せることのなかった奥様が、ここまで……


 人間味を持った白蓮。

 そして逆に、力を信奉する魔族の権化のような精神を持ったアルフラ。

 このままではいけない。そう高城は思った。


「お嬢様は以前よりもだいぶ、力を増しているように感じられました。倒した魔族から魔力を奪い、戦禍様に挑むつもりなのだと思います」


 白蓮が苦悩にゆがんだ白い顔を上げる。


「凱延殿は、そう遠からずレギウス教国を攻めるでしょう。城内は殺気立ち、戦支度を整えている雰囲気がございました。――今のお嬢様なら、例え貴族が相手だとしても、無謀な戦いに身を投じられるでしょう。一度……お嬢様とお会いして、思い止まらせて下さい」


「わかったわ、すぐにでも――」


 ふたたび立ち上がった白蓮の性急さに驚きながらも、高城が言葉を遮る。


「お待ち下さい。お嬢様に関しては、他にも気掛かりなことがごさいます」


「……なに? 他にもなにかあるの?」


「はい。お嬢様は魔導士からの監視を受けております。その魔導士は、場合によってはお嬢様を亡き者にするように、と言い含められていたようです。その者には軽く釘を刺しておきましたので、すぐにどうこうといった事にはならないでしょう。ですが、そちらにも手を打っておいた方がよろしいかと存じます」


「魔導士? ならばいっそ、そのギルドごと――」


「いえ。魔術士ギルドは凱延殿がレギウス教国を攻めたとき、ある意味お嬢様の盾となってくれるでしょう。むしろ所属する組織を失えば、お嬢様は単身でも魔族と戦おうと考えるのではないでしょうか」


「くっ……では、どうすれば……」


 気ばかり焦る白蓮をなだめるかのように、高城は意識して抑揚のない口調で話す。


「その魔術士ギルドなのですが、どうやら魔王雷鴉様と密約を結んでいるらしいです」


「――! あの男と?」


 驚愕の声を上げた白蓮の、あの男、という言葉に高城が反応する。


「奥様は、雷鴉様と面識がおありで?」


「……ええ。あなたがアルフラを探しに向かって数日ほど経ったくらいかしら。あちらから会見を申しこまれたの」


「その雷鴉様なのですが……」


 高城は、魔導士サダムから聞きだしたアルフラの命をギルドが狙う理由、そして雷鴉とギルドの契約内容について語った。


 なにやら考え込んだ白蓮が、誰に語るでもなく呟く。


「たしかに……どこか飄々(ひょうひょう)とした男だったわね。腹の中では何を考えているのか解らないような……」


「雷鴉様と言えば、若いとはいえなかなかの切れ者、といった評判を聞いております。先代譲りの策謀に秀でたお方であるとも」


「なら、魔術士ギルドにはあの男から手を回して貰えば……。そうね、凱延の方は灰塚から……」


 考えをまとめるかのように、白蓮が首を傾ける。

 凱延はともかく、中央の盟主を相手にあの男呼ばわりはまずいのではないか、と思った高城だが、賢明な彼は言葉を差し挟むことなく、じっと白蓮が口を開くのを待つ。


「高城。ちょと雷鴉の所へ行って、呼んで来てくれないかしら」


「奥様、いくらなんでも中央の盟主を呼びつけるのは、いささか不躾(ぶしつけ)ではないかと思います。――こちらから謁見のお伺いを立てるべきでしょう」


 さすがにすこし困った顔をした高城が、白蓮の不作法をやんわりと咎める。


「そんな暇はないわ。……そうね、なら魅月(みづき)の所に行って、あの男を呼んで貰いなさい」


「魅月……様、と申されますと、あの南部の魔王である魅月様ですか?」


 白蓮と魅月が懇意の仲になっていることを知らない高城は、忙しく頭を働かせる。


「そうよ。あの娘は親切だから、すぐ連れて来てくれるはずだわ」


「か、かしこまりました」


――親切!?


 なんとか了承の意を口にした高城だが、親切の意味を深々と考えこんでしまう。

 高城が知っている魅月の風評は、その言葉からはとても掛け離れたものだった。巷では蛇心(じゃしん)の魔王などと呼ばれているうえ、親切な魔王という存在自体が想像しづらい。


「高城、急ぎなさい。いろいろと話をつけたら、すぐにアルフラのもとへ向かうわ」


「はっ、かしこまりました」


 深く一礼をして高城は部屋を後にする。


「ウルスラ、あなたは灰塚を呼んで来てちょうだい」


「はいっ、ただいま!」



 魅月を苦手に思っているウルスラは、灰塚の係に回されたことに安堵しながら扉から駆けだした。





「なんであなたまでお姉さまの部屋に来るのよ」


 灰塚が棘のある声で詰問した。

 それまでは、白蓮から呼び出されるという珍しい出来事にうきうきと心を弾ませていたのだが、不粋な訪問客がそれを台なしにしてしまったのだ。

 灰塚の視線の先では、魅月に(ともな)われた雷鴉が顔をしかめていた。あからさまに不機嫌な様子の灰塚に対し、めんどくさげに答える。


「なんでって言われてもなあ……呼ばれたんだからしょうがないだろ」


 高城に椅子を勧められた雷鴉が、卓を挟んで白蓮の正面に座る。

 白蓮の右隣には灰塚が陣取り、空いている左隣に魅月が腰掛けた。


 室内に三人もの魔王が揃ったため、やや緊張の面持ちのウルスラへ、雷鴉が気さくに声をかける。


「そう硬くなるなって。まったく知らない間柄、てわけでもないだろ?」


「はぁ……」


 軽くうなずいたウルスラを見て、灰塚が雷鴉へきつい視線を送る。


「あなた、まさかウルスラみたいな子供にまで――」


「まてまてっ、なんでそうなる。黒エルフと中央の王は代々懇意なんだよ。面識くらいは普通にあるって話だ」


「あら、そうなの?」


 雷鴉のことをまったく信用していない灰塚は、ウルスラへと視線を移した。

 灰塚から子供と評されたことにやや引っ掛かりを覚えながらも、ウルスラはよどみなく答える。


「はい、雷鴉さまとは以前に何度かお会いしたことがあります。それに、いま中央の三王は皇城に詰めていらっしゃるので、その留守の間、私の母である黒エルフの女王が中央の統治を代行してます」


「ふぅん」


 さらに何事かの皮肉を口にしようとした灰塚より先に、雷鴉が口を開く。


「それで、俺はなんでここに呼ばれたんだ?」


 その内心を見透かそうとするかのように、白蓮はじっと雷鴉を見つめる。


「もちろん、あんたのハーレムに加えてくれるって話なら大歓迎だ」


 おどけた調子で笑って見せた雷鴉へ、白蓮は小さく首を振る。


「時間が惜しいわ。腹の探り合いはやめましょう。真剣な話がしたいの」


 普段とは違い、あまり余裕の感じられない白蓮の声音に、灰塚と魅月が顔を見合わせた。

 物おじしない、真っ直ぐな視線を向けられた雷鴉は、目を細めて観察する。両脇に二人の魔王を(はべ)(したが)わせる、貴族ですらない女魔族を。


「いいだろう。まずは俺を呼び付けた理由を聞こうか」


 その雰囲気を鋭利なものに変えた雷鴉へ、白蓮は単刀直入に切り出した。


「あなた、人間の魔導師と繋がっているわね?」


「――なんですって!?」


 驚愕の声を上げたのは、灰塚だった。


「あんたそんな奴らにまで――」


「いや、待ってくれ。別にそいつらを使って何かやらかそうなんて思っちゃいない。この前の戦禍帝との話で、俺の事情も変わってきてるんだ」


 不穏な魔力を漏れこぼす灰塚に対し、雷鴉が取り繕うように言った。


「じゃあ、なにがどう変わったのか――」


「灰塚。しばらく黙って聞いていてちょうだい」


 やや苛立たしげな調子で、白蓮が灰塚の言葉をさえぎった。

 白蓮から名で呼ばれる、という滅多にない出来事に、灰塚も思わず押し黙る。


「あなたが契約を交わした魔導師のことでお願いがあるの」


 白蓮がふたたび雷鴉に向き直り、話をつづける。


「実は、その魔導師がアルフラという人間の娘を、あなたへの貢ぎ物にしようとしているらしいの。アルフラに手を出さないよう、あなたの方から命じて貰えないかしら?」


「人間の娘? もしかして古代人種の血を引いてるのか?」


「おそらくね。ただ、体格はウルスラと似たようなものだから、古代人種の末裔だとしても、限りなく血は薄いはずよ」


 なるほどね、と呟いた雷鴉が、品定めをするかのような目で白蓮を見る。


「なら俺にはアルフラって娘は必要ない。その娘があんたにとってなんなのかってのも気になるが、この際それは置いとこう。――で? その頼みを聞き入れたとして、あんたは俺に何をしてくれるんだ?」


 雷鴉が白蓮に向けた視線を、かなり正確に誤解した灰塚と魅月が、殺気の篭った目付きで雷鴉を睨みつける。


「かんべんしてくれよ。そういう意味で言ったんじゃない。それに俺は嫌がる女をどうこうする趣味はないからな」


 うんざりした様子で首を振る雷鴉へ、白蓮が問いかける。


「あなたはその魔導師に、人間の王国の自治権を約束してるわね? そのことを戦禍には、まだ話してないのでしょう?」


「ああ、まあね。人間の魔導師と密約があります、なんてさすがに戦禍帝にゃ言えないさ」


「なら、私の方から話を通してあげるという事でどうかしら? あなたが人間達と内通していた件を不問にし、さらに王国の自治権を認めさせてあげるわ」


 半信半疑、といった表情で雷鴉が問い返す。


「出来るのか? 俺は戦禍帝の頭を飛び越えて、人間共と契約を結んでたんだぞ。いくらなんでも良くは思わないだろう。はいそうですか、て話にはならないと思うぜ?」


「問題ないわ。ただ、もう一つお願いがあるの」


「聞くだけ聞こう」


「いま、灰塚から借りている間者が、レギウス教国の王都でいろいろと動きまわってるの。その間者達の活動を邪魔しないよう魔導師に言って貰えないかしら」


「……そんな事でいいのか? いや、俺の方にはなんの損もない話だが、あんた本当に戦禍帝に話を通すことが――」


「問題ないと言ったわ」


 その声音は無感情に、淡々と事実だけを告げているかのようだった。

 雷鴉は片方の口角を吊り上げて口許を歪める。


「いいだろう。ただし、だ。まずはあんたの話が本当か確認してからだな。そうすれば間違いなく、俺も魔導師にあんたの願いを命じてやるよ」


 なにか含みを感じさせる雷鴉の笑みに、眉をひそめつつ白蓮も頷いた。


「わかったわ。戦禍には今日中にでも話をしておくから、明日にはあなたに呼びだしがかかるはずよ」


「よし、契約成立だな」


 雷鴉がにやり、と口許の歪みを拡げる。


「灰塚、あなたにもお願いがあるの」


「は、はい?」


 身を乗り出した白蓮から近距離で見つめられた灰塚は、どぎまぎとしながら返事をした。


「凱延に(つか)いを出して、レギウス教国へ攻め入らないよう命じてちょうだい」


「そ、それはこの前も言ったとおり……」


 白蓮が灰塚の手を取り、両手の平で包み込むよう握る。


「あ……あの、お姉さま?」


「こんなことを頼めるのは、あなたしかいないわ。さっき話したように、アルフラはまだレギウス教国にいるの。――お願いよ、灰塚」


 いつの間にか瞳を潤ませた白蓮に見つめられ、灰塚の頬が赤く色づく。


「わ、わたしに任せておいて! 凱延には、ぴしっと言っといてあげるわ。感謝しなさいよねっ!」


 白蓮の色仕掛けに一瞬で理性を飛ばした灰塚は、力強く請け合った。


「ありがとう灰塚。恩に着るわ」


 白蓮は満足げに灰塚を抱きしめた。

 そのやり取りを見ていた雷鴉が、呆気にとられた顔で二人を凝視する。



 高城は、雷鴉と灰塚にみずからの要求を飲ませた白蓮の手際のよさに、内心で拍手を送っていた。

 これで後は、白蓮がアルフラを説得してくれれば、全ては丸く収まると。

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