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氷の滅慕  作者: SH
三章 死線
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殺意の報酬



 アルフラたちが王都へ帰還し、三日の時が過ぎていた。


「今回もご苦労じゃったな。傷の具合はどうかの?」


 大導師ホスローの居室を訪れたフレインへ、労いの言葉がかけられる。室内は相変わらずホスローの放つ濃い瘴気に満ちていた。

 導士のまとうローブは強い抗魔の力を帯び、瘴気を遮断する効果がある。だが、何の備えもない生身の人間がこの部屋に立ち入れば、瘴気の影響で体調を崩すくらいのことはするだろう。


「だいぶよくなりました。高位の神官に治癒して頂きましたので、傷口はほぼ塞がっています。やや痛みが残っている程度ですね」


「しかし、奴らの斥候の中に鬼族の者が混じっておったとはな……お前に任せた戦力では、全滅してもおかしくはなかった。完全に儂の不手際じゃ。すまんかったの」


「いえ、もったいないお言葉です。私自身は大した働きもしていません。まだまだ修業が足りないことを痛感いたしました」


「いやいや、そなたは充分にやってくれた」


 大仰に頷いたホスローが嬉しそうに笑う。


「それにしても、時が経つのは早いものじゃな。つい先日まで、まだまだひよっこと思うておったお前が、今ではギルドでも有数の導士じゃ。師としてこれほど嬉しいことはない」


「すべては大導師様のおかげです」


 フレインにとって、ホスローは育ての親に近いものがある。幼くして孤児となったフレインを今の立場まで育て上げてくれたのは、ギルドとその長であるホスローであった。

 不気味で底知れぬ人物ではあるが、時たま暖かい言葉がかけられる。それは単純に、師という立場からのものだとは思っても、ホスローに対する感謝の念は大きい。


「うむ。サルファ近郊の魔族の方は、ほとんど動きがないそうじゃ。そなたは傷が完全に癒えるまで、しばらく静養しておるとよいじゃろう」


「はっ。一つよろしいでしょうか?」


「なんじゃ? ゆうてみい」


 ホスローが機嫌良く応じる。


「生還した戦士の一人が、さらに濃度の高いカンタレラを要求しています」


「……またあのアルフラという娘か?」


「はい」


 むぅ、と黙り込んだホスローが、思案するように首を巡らせる。これまでもアルフラからは、フレインを通し二度ほど、カンタレラの濃度や量に対する要求があったのだ。


「よかろう。その娘の好きにさせてやるとよい」


「御意に」


「そなたは随分とあの娘に肩入れしておるようじゃが、くれぐれも情を移すことのないようにな」


「……はい」


「儂はな、フレイン。ゆくゆくはあの娘も、カンタレラの材料にすることを視野に入れておる」


「それは――!?」


 フレインの脳裏に浮かんだのは、ギルドの最深部に幽閉されている一人の魔族と、古代人種の末裔達。力ある血を抽出するためだけに生かされ続ける、おぞましい運命。


 フレインの顔に浮かんだ表情を見てとったホスローが、優しげに告げる。



「もう一度言うておくぞ。くれぐれもあの娘に情を移すことのないようにな」





 フレインが退出すると、ホスローはカダフィーとサダムを呼ぶように命じた。

 ほどなくして大導師の居室を訪れた二人へ、ホスローが問う。


「なにか変わりはあるかの?」


「こちらは特にございません」


 緋色のフードを目深におろしたサダムは、軽く頭を下げた後に、ですが、と言葉をつなぐ。


「あの娘はなかなか勘が鋭いようですな。監視されている事までは気づいておらぬようですが、ときおり視線を感じたかのようなそぶりを見せています」


 その口調は淡々として、感情の読み取れないものであった。


「ふむ……なにかと厄介な小娘じゃの」


「厄介といえば、今朝方届いた魔族の遺体なんだけどねぇ……どれも血を失い過ぎてて、ほとんどカンタレラに使えないわ」


 カダフィーがすこしうんざりとした様子で口を挟んだ。


「頭を潰されたのと、首を裂かれたのはまだいいんだけどね。残りのニ体が……」


「損傷が激しいのか?」


 顔をしかめたカダフィーが嘆息する。


「身体は綺麗なもんさ。刺創が幾つかあるくらいでね。ただ――肺、肝臓、腎臓と血が多く集まる箇所に穴が空けられて、血をごっそり抜き採られていたわ」


 まったく、とカダフィーはいまいましげに呟く。


「吸血鬼もびっくりな手際の良さだよ」


「……驚くべきは、それだけの血を原液で摂取してなお、なんら異常の見られぬところじゃな」


「そうだね。私ですらのままで飲むのは、ちょっと辛いほどの魔力を宿した血だったわ」


 ぺろりと唇を舐めたカダフィーの口元から、人の物ではありえない長さの牙が見えた。

 やや身を引いたサダムの、たじろぐ気配を感じたカダフィーが苦笑する。


「私より、あんたが見張ってる小娘の方がよっぽど化け物だよ。せいぜい気をつけた方がいい」


「…………」


 なんとも言えない顔をしたサダムが黙りこむ。その内心では、カダフィーから発せられる妖気に冷汗を流していた。

 場にわだかまった沈黙を破り、ホスローが口を開く。


「なかなかに扱いづらい娘じゃの……処遇は凱延(がいえん)めとの決着を付けてからと思うておったが、どうしたものかのう」


「思い通りに動かせない手駒は、敵よりも危険だ。と昔の兵法者が言っていたね。でも、魔法に頼らず魔族と戦える者が、貴重な戦力であるのも確かだよ。結界無しで二人の魔族を屠ったという、あの小娘の戦闘力を考えればなおさらね」


「判断に迷うところではあるのう」


 考え深げにホスローが呟く。


「魔王への贈り物とするか、こちらで有効利用するかでも迷うておったのじゃが……フレインめの反応を見る限り、雷鴉(らいあ)様に渡した方が無難そうじゃな」


「フレイン?」


 なぜそこでフレインの名が、といった感じでカダフィーが問いかけた。


「あれは妙にアルフラという娘を気にかけておる。あやつに限ってそれはないとは思うが、娘を地下で飼うとすれば叛意(ほんい)を招きかねん」


 へえ、とカダフィーが面白そうに笑う。


「あのフレイン坊やがねえ。筋金入りの本の虫かと思ってたけど、ようやく色気づいて来たのかしら」


「笑い事でもないのだがのう。ゆくゆくはあれに導師の位を授け、対外的に働いて貰う心積もりなのじゃからな」


「ならなおさら魔族と事を構えている間は、身内でのごたごたは避けないとね。魔王への供物にする分には、生死は問わないんだろう? いっそのこと後腐れなく……」


「うむ。その方が良いかもしれぬな。雷鴉様のご所望は純血の古代人種じゃから、望みの品とは少々違うのじゃがの。血が薄いとはいえ、あの娘ほどの力があれば、機嫌を取るくらいの事は出来るじゃろう。しかし、結論を出すにはいささか早計ではあるのう」


 それまで高位の導師二人の会話を、口を挟むことなく聞いていたサダムへ、ホスローの目が向けられる。


「サダム。娘への監視を今まで以上に密とせよ。もしもギルドにとって、かの娘の存在が不利益と感じたならば、その時の処断はお前に任せよう」


「はっ」


「隠形の術にも優れるそなたになら、娘の寝首を掻くこともたやすかろう。場合によっては、そういった仕事に秀でた術師を使うても構わん」


「かしこまりてございます」



 サダムはうっそりと頭を下げる。そして、陰惨な笑みを口元に張り付けたまま、闇へ滲むように姿を消した。





 九名の手勢を引き連れた高城は、サルファ北部に位置する森の中で、獣人族の群れを探していた。


 雪狼は決まった住家を持たず、群れ単位で移動を続ける。そのため、数人づつに人員を分けて捜索を行おう、といった考えも当初はあった。だが、凱延配下の者たちは、仲間が消息を絶った原因について、獣人族の関与を疑い、すくなからずの敵意を持っていた。そういった経緯もあり、人手を()くよりは、まとまって行動した方が厄介事も起こらないだろうと高城は判断したのだ。

 嗅覚が非常に鋭い雪狼の縄張りに入れば、そう時を置かずあちら側から接触して来るのではないか、といった思いもあった。

 そしてその予想は、ほどなくして現実となる。


「おう、やはり高城殿ではないか。お久しぶりですな」


 積もった雪に保護色となった巨大な雪狼が、木立ちの隙間から姿を見せる。

 その声は親しげだったが、高城の背後に立つ魔族たちを用心深く見据えていた。


「おお、ロ・ボゥ殿ですな? まことにお久しぶりです」


 周囲からも幾つかの気配を感じるが、高城たちの前に姿を現したのは、ロ・ボゥのみであった。


「まずはあなた方の縄張りに無断で踏み入ったことを謝罪します。しかし、どうしてもお尋ねたいことがあり、こうしてまかり越した次第」


 優雅に腰を折った高城へ対し、ロ・ボゥがかるく首を振る。


「いやいや。他ならぬ高城殿の訪問ならば、いつでも歓待しますぞ。して、尋ねたきこととは?」


「かたじけない。今から三ヶ月ほど前のことです。古城から東に広がる森林へ向かった私の同胞(はらから)をご存知ではありませんか?」


「おお、古城に住んでおった人間の娘御のことですな? 確かアルフラとか申す」


 あっさりと頷いたロ・ボゥの言葉に、高城が笑みを浮かべた。


「そうです。アルフラお嬢様と魔族の女が、どの辺りから南下したのかお分かりになりますでしょうか?」


「魔族……? アルフラ殿と同行していたのは人間の戦士達でしたが?」


 その言葉に高城の笑みが凍りつく。

 アルフラと別れた際に感じた言い知れぬ不安が、ふたたび込み上げてきていた。あの時の――なにか取り返しのつかない事になるのではないか――といった焦燥感が形を持ってのしかかる。


「戦士……とは、どういうことですか?」


「我がアルフラ殿と出会ったのは、ここより東の森でした。今から二ヶ月ほど前でしたかな。オーク共に追われ、十数名ほどの兵士達と一緒に、西へと逃げ落ちる途上だと言っておりました」


「……っ…………」


 これまでの生涯で久しくなかったことだが、高城は思わず絶句してしまった。

 アルフラが古城を離れてからロ・ボゥと遭遇するまでの約一ヶ月。その間に何が起これば、アルフラが兵隊たちと共にオークから逃れる、といった事態になるのか…………。


――フェルマー、お前はいったい……


 しかし、フェルマーがアルフラを置き去りにして、一人西へ向かうなどといったことが出来る性格ではないのは高城もよく知っている。


――なにかあったのだ。なにかよくない事が……


 浮かんでくる不吉な想像を、無理矢理に抑えこもうとする高城へ、ロ・ボゥの不審げな声がかけられた。


「高城殿? 顔色が悪いですぞ?」


「あ……ああ、すみません」


「そう心配することもなかろう。アルフラ殿には、かなり腕のたちそうな戦士が常に寄りそうていた。それに我が不肖の娘も一緒だ」


「娘? ロ・ボゥ殿の娘御も、アルフラお嬢様に同行されているのですか?」


 さすがに話の展開について行けなくなった高城が首を捻る。


「いかにも。つい先日、人間達がガルナと呼ぶ都市の近くから娘の……ルゥの遠吠えが響いておったので、その近辺に居るのではないかな」


 それまで高城の背後で、じっと話のなり行きを聞いていた凱延配下の魔族が殺気立つ。

 それを目で制した高城がロ・ボゥに尋ねた。


「その咆哮が聞こえた前後に、ガルナへ向かった数名の魔族が消息を絶っているのです。なにか心辺りはございませんか?」


「ふ……む。その頃我らはここよりもだいぶ北の方におったのでな。そこまでは分かりませんな」


 ロ・ボゥはそっけなく言い、魔族たちの態度に軽く鼻を鳴らした。


「族長」


 周囲に身を潜めていた雪狼が、木々の間からのっそりと歩み寄って来た。


「なんだ?」


「数日前、西の方から移動して来た群れの中に、王都と呼ばれる都市で姫様の匂いを感じた、と言っている者がおりました」


「姫様とはロ・ボゥ殿の娘御のことですな? その者は今どちらに?」


 いきこんで高城が身を乗り出す。


「彼らは一昨日、山の方へ向かいました。その者も姫様とお会いした訳ではなく、匂いを微かに感じたといった程度のようでした」


「むう……」


 一つ唸った高城が考えこむ。

 アルフラと行動を共にするロ・ボゥの娘。そしてその咆哮が聞こえた前後に行方の分からなくなった魔族の斥候。さらには、常時とは異なる動きを見せていたらしい魔術師たち。


――王都に直接赴いた方が早い、か……


「わかりました。ロ・ボゥ殿、感謝いたします。ろくに挨拶もままなりませんでしたが、先を急ぐ必要がございますので、ここで失礼させていただきます」


「うむ。なにか困ったことがありましたら、いつなりとお越しください。出来うる限りの協力をお約束しましょう」


「はい。いずれまた」


 ロ・ボゥと別れた高城は、灰塚の配下五名の内二人に、ガルナ周辺での情報収集を命じた。残りの七名を引き連れ、一路王都を目指す。

 本来ならば遥か西方へと向かっていたはずのアルフラに、いったい何が起こったのか。

 激しい焦燥感に襲われながらも、高城はひた駆ける。



 わずか三ヶ月の間に、おそるべき変転の運命を遂げたアルフラと、その身を深く案じる高城との邂逅の時が近づいていた。

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