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氷の滅慕  作者: SH
三章 死線
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悪意の盟友



 夜も更け、室内はカンテラの薄明かりが濃い影を落としていた。


 寝台の上にぐったりと横たわった灰塚が、白蓮の肩に顔をよせる。

 しかし、物思いに耽る白蓮からは何の反応も返ってこない。


 最近の白蓮は、事あるごとにアルフラの安否が気になってしかたがなかった。

 人の領域に隣接する貴族達の不穏な動きを、戦禍や灰塚からたびたび聞かされていたのだ。

 すでに高城が皇城を発ってから一週間ほどが過ぎていた。彼の足なら紅武城へ到着している頃だろう。

 待つだけの時間は長く感じる。高城に任せておけば、必ずアルフラの行方を確認してくれるはずだ。――そうは思っているのだが、やはり気が()いてしまう。


「お姉さま?」


「すこし……考え事をしたいの」


 それでもぐったりとした心地好い脱力感と、事後の余韻に浸った灰塚は、なおも頬を擦りつける。


「……うるさいわね。早くパンツ履いて帰りなさい」


「そんなぁ……」


 普段からは想像もつかないほどの甘い声を出す灰塚。しばしの間、濡れた瞳で白蓮の横顔を見つめる。しかし、なんの反応も返って来ないと悟り、言われた通りパンツを履き、すごすごと身支度を整えだした。


 ちらちらと白蓮の顔を伺いながら、帰りますよー、本当に帰っちゃいますよー、と心の中で呟いてみる。


「…………」


 やはり無反応だ。

 それどころか、軽くうっとうしげな目で睨まれてしまう。


 いいかげん諦めて扉に手を置いたとき、背後から白蓮の声がかけられた。


「そうそう。この前あなたが持ってきた葡萄酒。なかなか美味しかったわ。――南部の産地で醸造された物だと言ってたかしら?」


「え、ええ」


 さきほどとは違った優しげな声で尋ねられ、灰塚はどぎまぎしてしまう。


「あの葡萄酒がまだ残ってるなら、また持って来て欲しいのだけど――明日も、来るのでしょ?」


 それまでしょんぼりとしていた灰塚の顔が、ぱあっと明るくなる。

 鞭のあとには飴も忘れない白蓮だった。しかし、その飴はすこし甘すぎたようだ。


「わかったわ。南部の王に言って樽ごと持って来てあげるっ!」


「いえ、さすがに樽ごとは――」


 無理、と白蓮が言いかけたところへ、感謝しなさいよねっ、と灰塚の嬉しそうな言葉が被さる。そのまま扉は閉じられてしまった。


「むり……」



 灰塚が退室した寝室に、一人虚しく白蓮の声が響いた。





「……で? なんであなたが南部の葡萄酒なんて持ってるのよ?」


 灰塚の居室では、半ダースもの葡萄酒樽を送って来た雷鴉が、得意げな笑みを浮かべていた。


「俺もな、南部の王にツテがあるのさ」


 ぴんっ、と小指を立てた雷鴉に対し、灰塚が心底嫌そうな顔をする。


「あんたが最近、南部の王達から酒を恐喝して回ってるらしいと聞いたもんでな」


「…………」


「いや、久しぶりに会えて嬉しいよ。毎日のように追い返されてたからな」


 雷鴉が皮肉げに唇を歪める。彼はここ連日、土産の菓子だけは受け取られ、門前払いをされつづけていた。お菓子では埒があかないと悟り、攻め方を変えてみたのだ。


「ただで、てわけじゃないんでしょ。何が欲しいのよ? ……わたしとか言わないでよね」


「っ…………」


 図星だったようだ。


「あなた……ばかでしょ?」


「可愛い顔してきつい女だなあんたも」


「ガキに可愛いとか言われても嬉しくないわよっ」


「いや、まあ冗談は置いといてさ。ひとつ頼みがあるんだ。なに、そう大した事じゃない」


「話によるわね」


 灰塚は用心深く値踏みする。


「あんたのお姉さまに会わせて欲しいんだよ。何回か訪ねてるんだが体調がいい日がないんだ、あのお姫様は」


「あなた、いろんなとこで門前払いされてるのね」


「ぐっ――」


 雷鴉は思わず、生まれて初めて鳴らすような音を喉から出してしまった。


「ほんときつい女だなあ」


 じわじわと、だが確実に、灰塚へ対する苦手意識が(はぐく)まれつつあった。


「その葡萄酒だって白蓮て女への貢ぎ物なんだろ? なんとか口をきいちゃ貰えないか?」


「まぁ、あなたが葡萄酒を都合してくれて、謁見を望んでるって事くらいは伝えてあげてもいいけど……でも、お姉さまを口説こうなんて思っても無駄よ」


「そんなつもりはねぇよ」


 俺はね、と心の中で付け加える。


「ただ、その葡萄酒を手配してくれた南部の王も同席させて欲しいんだ」


「南部の? そういえばあなた……最近南部の魔王との間に子供が出来たらしいわね? えーと、あの女なんて名前だったかしら……」


魅月(みづき)だ」


「そうそう。あれはなかなか強い魔王よね。あんたみたいなガキのどこがよかったのかしら」


「た――」


「ためしてみるか、とか言わないでよね」


「あ、ああ。そんなくだらないこと……言うわけないだろ」


 雷鴉はすでにぼろぼろだった。心が折れる前に退室を告げる。


「ま、そういうことなんで、よろしく頼む」


「あまり期待しないようにね。あくまで伝えるだけなんだから」


「わかってるって。でもあんたが言ってくれれば間違いないだろ? 戦禍帝ですら羨むくらい仲睦まじいって評判だもんな」


 白蓮に対して好意を持っているらしい灰塚を、軽く持ち上げてみた。


「あ、あら。そうなの? ふふ、そうね、わたしとお姉さまの仲ですものねっ」


 一転、頬をばら色に染め、灰塚は桃色の魔力を撒き散らす。



 言い出した雷鴉も、あまりの効果にやや引き気味だった。




 その夜、雷鴉の居室では南部の魔王、魅月との悪だくみが企てられていた。


「明日の夜には白蓮との会見が可能だそうだ。俺なんて三回も追い返されたってのに、灰塚に頼んだらあっさり事が運びやがった」


 長椅子に腰掛けた魅月の膝を、枕代わりに寝転んだ雷鴉がぼやく。


「そう、あの方は本当にやり手だものねぇ」


 しなやかな魅月の指が、くせの強い雷鴉の髪を優しく撫でる。どことなく蛇の白い腹を思わせる、妖しいしなやかさだ。


「灰塚もお前のこと、ずいぶんと買ってるみたいだったな。面識があったのか?」


「えぇ、ちょっとだけね」


 ふうん、と呟いた雷鴉は、あまり興味もないのかそれ以上話を掘り下げようとはしなかった。


「灰塚を始め、北部の奴らは戦禍帝に心酔してる――が、東部の魔王達は一戦交えるのも辞さないようだ」


「それにはあなたも一枚噛んでるのでしょ?」


「さあな。これで南部の王達も反旗を(ひるがえ)したら、面白いことになると思わないか?」


「そうねぇ。人間なんかと戦うよりは、よっぽど面白いんじゃないかしら。あたしを使って南部の王達も動かそう、って思ってるのでしょう」


 悪い人ねっ、と魅月が雷鴉の耳元で囁く。


「お前だって俺達の子を使って中央の玉座を狙ってるんだろ? おたがい様さ」


 くすくすと笑う毒蛇のような女魔王。雷鴉は魅月のそういったところが気に入っていた。手を組むに価する狡猾さと行動力。

 普段は間延びした口調から、声だけ聞けばおっとりとした印象を受ける。しかし、性根の方はだいぶ違う。その性格から蛇姫などとも揶揄されている彼女は、一歩間違えば自分すら食い殺されかねない毒を持っている。そんな彼女だからこそ盟友として相応しい。そう雷鴉は考えていた。


「東部と南部が揃って敵にまわれば、中央もどうなるかわからねえ」


「ならなくても、中央の盟主であるあなたが、どうにかしちゃうんでしょう?」


 クッ、と雷鴉が楽しげに喉を鳴らした。


「そのためにも明日はよろしくな。戦禍はあの女に頭が上がらないらしい。押さえておいて損はないはずだ」


「それにしても、戦禍帝ほどの方がねぇ。たかが女一人に……どんなに強い者でも、弱みってあるものなのね」


 艶やかな光沢をたたえた唇が、可笑しそうにほころんだ。


「でもぉ、その戦禍帝から言われてるのよね。白蓮の居室には絶対に近づくなって」


「そりゃあれだろ。どうも男には興味ないらしいからな。それで戦禍も苦労してるらしい。まあ、だからこそお前の出番なんだがな」


「いいけど、貴族ですらない相手だと手加減が大変なのよ?」


「そうなのか?」


「そりゃそうよ。あたしたち夢魔の房術は、どちらかといえば精神攻撃に近いの。魔力の弱い相手にやり過ぎちゃうと、腰を振るだけの廃人になっちゃうわ」


 夢魔の女王が歳に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべる。当代の王たちの中でもかなり若い部類に入る雷鴉より、魅月はさらに年下だった。


「でも。白蓮て女、もの凄い美人らしいわよね。ちょっと楽しみだわぁ」


 赤い舌がぬめりと口の()を這う。


「おい、あんまりやり過ぎるなよ。さすがに廃人はまずい。あとあと使い道が限られちまう」


「わかってるわよぉ。腰を振らせるだけにしとくわ」


 くすくすと淫蕩(いんとう)な表情で笑む魅月へ、こいつ本当に大丈夫か? といった視線が向けられる。


「大丈夫だって言ってるでしょ。あたしの手練手管で、ちょこ~と愉しませてあげるだけよぉ」


「あぶない女だなぁ……ん?」


 不意に雷鴉の視線が宙の一点を見据えた。


「なぁに?」


「召喚がかかってる」


「あぁ、例の魔導師ね」


「しばらく誰も部屋に通さないでくれ」


「わかってるわ、いってらっしゃ~い」


 雷鴉は指向性をもった魔力の糸に神経を集中する。魔王ほどの力を持つ者ですら感知することが難しい、おそろしく(おぼろ)げで細い糸にみずからの魔力を絡めた。繊細なそれが途切れてしまわぬよう慎重に手繰りよせ、逆行するイメージを固めていく。



 やがて引き延ばされた知覚は、王都カルザスへと到達した。





 魔術士ギルドの塔、最上階。

 儀式の間には二十人近い高位の導士達が(つど)っていた。入り口付近では、大導師ホスローが一心不乱に召喚呪の詠唱を行っている。その両脇には二人の導師と、さらに巨大な魔法陣の外周を囲む十六人の導士達が、それぞれ音程の違う呪文を詠唱していた。


 やがてばらばらだった旋律は統合され、それぞれが違った効力を持つ三つの魔術が織り成された。


 どれほどの時間が経ったのか。幾重にも封魔の刻印と、立体型多重結界の張られた中心部に、漆黒の影が揺らめき立つ。

 炎のように意味をなさないその形は、緩やかに人の上半身に近いものへと変じていった。


「な……によ……う、だ?」


 半身のみで、高い儀式の間の天井にまで届く巨大な影が問うた。地を這うような不気味な低音。ホスローの声を聞き慣れた者達ですら、思わず身震いをしてしまうような重圧を感じる。

 それは遥か魔族の領域から知覚だけを飛ばした、文字通り影のような存在である。しかし、この場に集結した高位の導師達ですら、身の安全を計ることが容易ではない程の魔力を有していた。


「おおお、魔王雷鴉様。こたびの不躾な召喚、まずは非礼を詫びさせて下さい」


 平伏したホスローが大仰に語りかけた。


「よい――時が、惜しい。用件……を」


「はっ。では雷鴉様から仰せ遣っておりました、純血の古代人種捕獲の件なのですが、いましばらくお時間を頂きたくお願いします」


「ふ……む」


「国境を越えてくる魔族の活動が活発化しておりますため、西方大陸へ派遣した一団を呼び戻す事となりました」


「なる……ほど」


 その間にも、揺らめく影の輪郭は明瞭さを増し、その禍々しい声も、徐々に人のそれへと近づいてくる。


「出来ますればその件で、お力添えを願えませぬか?」


「力……とな」


「左様。魔王灰塚殿の配下である貴族が我が国へと攻め入るのも、時間の問題かと思うております。その者達へ対抗するためのお力を是非に」


「魔導師よ。貴様は我と対等な契約を望んでいるのではなかったのか?」


「はっ、いかにも」


「そなたには、すでにいくつかの贈り物をしたはずだ。力ある貴族を生きたまま渡しもした。そうだな?」


「はい、確かに」


「その対価はすでに頂いている。だが貴様の最終的な望みは、来たるべき大戦の後、人の手による王国の自治権であろう?」


「……その通りでございます」


「ならば我が盟友に相応しきことを示すのだ。みずからの力で木っ端貴族ごとき(くだ)してみせよ。さすれば盟約に従い、この王国だけは人の手に委ねられるよう戦禍帝へと計らってやろう」


「……かしこまりました。努々(ゆめゆめ)その約定(やくじょう)、お忘れなきよう」


「クッ――楽しみにしておるぞ」


 巨大な影は急速に輪郭を失い、再び元の闇へと還っていった。

 同時にその場に居た全員の口から深いため息がこぼれ落ちる。


「なかなかどうして。ほぼ予想通りといったところじゃの」


 しわがれてはいるが、妙に湿った響きのするホスローの声には喜色が含まれていた。


「まあ、どこまで信じていいかわからないけど、今すぐ切られるってことはないみたいだね」


 カダフィーの声音にも、安堵に似た響きが感じられた。

 もともと貴族へ対する備えなら十全に整えてある。そうそう遅れを取るとは考えていなかった。本当に恐いのは、将位の魔族と、それに近い力を持つ大貴族と呼ばれる者達だ。

 魔王に関してはもはや論外である。戦うこと自体が愚かな選択だ。


「みなの者もご苦労じゃったな。今宵はゆっくりと身体を休めるがよい」


 かろうじて立っているのは二人の人外だけだった。他の者は例外なく皆へたりこんでいる。


「フレイン。そなたは明日、サルファへと発つのだからな。早めに休むのじゃぞ」


「はい。ではお先に失礼させていただきます」


「うむ。今回は神殿のぼんくら共も、なかなかの人材を回してくれたことじゃしな。よい働きを期待しておる」


「お任せ下さい」


 一礼して退出するフレインを、頷きながら見送るホスローがぐつぐつと笑う。


「サダム」


「はっ」


「あの小娘から目を離すな。どれほどの力を持つのか見極めよ」


「かしこまりました」


「場合によっては小娘を雷鴉様への貢ぎ物とするのもよいじゃろうて」



 ぐつぐつ。ぐつぐつぐつ。

 おぞましい瘴気を零しながら、ホスローは笑いつづける。





「あーっ、疲れた!」


 召喚の糸を切り離した雷鴉が、こきこきと首を鳴らす。


「こういう細かい作業は苦手なんだよなあ」


 召喚呪により紡がれた魔力の糸を辿り、遠く離れた人の領域へ知覚を飛ばす。かなり高度な術を細かい作業と言い切る雷鴉は、なかなか豪気な男だった。


「あの七面倒くさい言葉使いがどうにも慣れな――て、なんで俺裸なんだよっ!!」


「相変わらずいい味してたわぁ」


 魅月がつやつやとした唇をぺろりと舐めた。


「てめっ、俺の身体(カラダ)ただで楽しみやがって。なんか脱力感はんぱないと思ったらお前のせいかよっ!」


「うふふ。あたし、明日は大事な仕事があるんでしょ? あなたの身体で英気を養わせてもらったわ。たっぷりとねぇ」


「たっぷり持ってくなよ! すげぇだるいぞっ。気持ちいいじゃねぇか馬鹿野郎!!」


 いそいそと雷鴉はパンツを履く。


「お前なあ。明日はほんとに手加減しろよ。こんなハードなことしたら、普通の奴なら廃人どころか死んじまうぞっ」



「うふふふふ。今から楽しみだわぁ」

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