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氷の滅慕  作者: SH
三章 死線
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楽園の追憶



 市場は活気に溢れていた。大通りには露店や屋台が建ち並び、絶え間無く多くの人々が行き()っている。


「ルゥ、アルフラちゃん! きょろきょろしてたらはぐれちまうよ」


 先を歩いていたシグナムがよく通る声で叫んだ。しかし、周囲は物売りや客たちの声で騒然とし、雑踏の中ではあまり声も響かない。


 アルフラは露店の前で行儀よく膝を揃えてしゃがみ込み、綺麗な貝殻を連ねた首飾りを見ていた。その手をルゥが掴む。


「ほら、アルフラ。早くしないと置いてかれちゃうよっ」


「あっ――うん」


 お姉さん風を吹かせたルゥが、アルフラをぐいぐい引っ張って行く。目的地では美味し物が食べられるかも、ということを思い出したのだ。

 それまで自分も、串焼きの屋台にくぎ付けとなっていたのは棚に上げていた。


 ルゥは白狼の民の中では、すでに成人を認められた一人前の戦士だ。背丈はあまりかわらないが、彼女からすればアルフラは、まだまだ面倒を見てやらねばならない子供だった。


 野生で育ったルゥにとって、群れでの序列は非常に重要である。

 まずリーダーはシグナム。そしてルゥ。最後にアルフラだ。

 しかし、アルフラはたまに恐い。魔族と戦った後や、先程のフレインに対して見せたあの態度。一時的にその序列はシグナムを飛び越し一位となる。


 見かけは子供なのだが、その認識を改めなければならないかも、とルゥは思った。

 ピンチである。このままでは群れの中で、最下位になってしまう。誇りある白狼の戦士である自分がだ。

 それはルゥにとって、かなりの死活問題だった。


「…………」


 先を歩くフレインの後頭部を、じいっと見つめる。視線を感じたらしいフレインが振り返った。


「どうしました?」


 ルゥはフレインの顔をまじまじと観察した。優しげだが、どこか頼りない感じがする。そして閃いた。自分とシグナムとアルフラ。三人では、群れと呼ぶにはやや少ないのではないか? と。


「フレインも魔族退治についてくる?」


「ええ、もちろんです。大導師様からもそのように命じられてますしね」


 ルゥはにっこりと微笑んだ。


「そっか。フレインの面倒はボクが見てあげるねっ♪」


「……は?」


 思わず立ち止まってしまったフレインの脇を、てくてくとルゥが追い抜いて行く。


 なぜかアルフラの寒々しい眼差しがフレインへと向けられていた。


「え……えぇぇ!?」


 すたすたとアルフラもフレインを追い抜いて行く。


「はやく来ないと置いてっちゃうよお!」


 ぴょんぴょんとルゥが手招きする。フレインの顔色は真っ青だ。

 そこへさらに、気の毒なフレインにアルフラの追い撃ちが飛ぶ。


「よかったわね。しかっり面倒見てもらいなさい」


 そのやり取りを見ていたシグナムが、はっと息を飲んだ。


「もしかして三角関係かっ!?」


 シグナムの女の勘が誤作動を起こしていた。



 緊急措置として、フレインは群れの新たな一員として迎えられた。もちろん序列は最下位である。





 フレインが馴染みとしている料理屋、西の善き食卓亭での食事は、かなり気まずいものだった。


 ルゥの隣に座ったフレインは、相変わらず顔色が悪い。その正面に並んで腰掛けたアルフラとシグナムが、ひそひそとフレインの批評を行っていた。


「アルフラちゃんはこういうの、あんまり好みじゃないのか?」


 声をひそめながらも、ぶしつけな視線がフレインに集まる。


「べつに好みとかの……」


「たしかになよっとはしてるけどさ。ごつい感じの男よりかは、フレインみたいな女顔で線の細い優男の方が、アルフラちゃんにはいいと思ったんだけどねぇ」


 いくら小声で話しているとはいえ、同じ卓の正面である。フレインには丸聞こえだ。その肩身の狭さはとどまるところを知らない。


 二人の会話はルゥにも聞こえていたが、いまは骨つき肉の相手で忙しいようだ。しかし、いっこうに食の進まないフレインに気づき、その背をぽんぽんと叩く。


「おい、新入り。遠慮しないでどんどん食べなよ。美味しーよ」


「は……はぁ」


 支払いはフレインである。むろん遠慮などしていない。だが、どうにもアルフラとシグナムの会話が気になってしまう。

 横目でちらりとアルフラに視線をやったフレインが慌てて顔を伏せる。ばっちり目が合ってしまったのだ


「…………」


 あまりにあからさまなフレインの態度に、アルフラは辟易(へきえき)としていた。異性から向けられる好意と言われても、あまり実感がわかない。興味も無かった。


「優秀な魔導士らしいし、見かけによらず頼りがいもありそうじゃないか。なかなか一途そうだしさ」


 困った様子のアルフラを、シグナムが嬉しそうに冷やかす。


「なにが不満なんだい?」


「それは……」


 そういう問題でもない。しいて言えば、相手が白蓮ではないという一点において全てが不満だった。

 ただ単に異性に対して興味が無いだけではなく、白蓮以外ではなにもかもが駄目なのだ。――とはいえ、フレインに対しては軽い嫌悪感がある。

 自分でも不思議だった。特に苦手なタイプ、というわけでもない。


「えーと……」


 いたたまれなくなったフレインが意を決して口を開いた。


「冷めない内に食べませんか? ここは王都でも老舗の名店なんです。ぜひ温かい内に食べてみて下さい」


 無言でフレインを見つめていたアルフラが、はっと息をのむ。その顔が不意に険しいものへと変わった。


「な、なんですか?」


 フレインにも見覚えのある表情だ。アルフラがたまにシグナムの胸へ向ける、親のかたきでも見るかのような、実に物騒な目つきであった。


「似てるんだ……」


「え?」


 ようやくアルフラは、自分でも腑に落ちない嫌悪感の原因に気づいた。

 あの男に似ているのだ。実際には二度しか会ったことはない。それも、ごくごく短い時間だ。でもそいつはアルフラがこの世で一番嫌いな奴。最も憎い相手。決して生かしてはおけないと心に決めた、ただ一人の男。


 容姿や性格などはまったく違う。だがフレインの慇懃な言葉使い、その優しげな物腰がよく似ていた。


「あいつに……戦禍に似てる」


「なっ――!?」


 それまでびくびくとアルフラの様子を伺っていたフレインが、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がった。そのあまりの剣幕さに、アルフラがすこし身を引く。


「なぜその名を!? どこで知ったのですかっ!!」


「え……?」


 国の上層部ですらたいした情報を持たない、恐るべき魔皇の名を口にしたアルフラが当惑の表情を浮かべる。


「ちょっと落ち着きなよ。注目の的だぜ」


 シグナムがあきれたように周りを見回す。


「あ……すみません」


 己に向けられている幾対もの視線に気づいたフレインが顔をしかめた。しかし、ふたたび腰を下ろすことなく数枚の銀貨を卓上に置く。


「ここで出来るような話ではありません。いったん宿舎へ戻りましょう」


 有無を言わせずフレインは歩き出す。人目を避けるよう、目深にフードを引き下ろしながら。

 アルフラとシグナムも怪訝な顔つきで立ち上がった。まだ半分ほどしか食べていない料理を、残念そうに見つめながら。



 食後のデザートについて思案していたルゥは、新入りのでかい態度におかんむりだった。





 宿舎の部屋に戻ったアルフラは、きょろきょろと周りを見回した。


「どうしました?」


「うん……なんか最近、視線を感じることがあるんだけど……いまも誰かに見られてるような気がする」


「視線……? あたしは特に感じないけどな」


 (いぶか)しそうな顔をしたシグナムが、鎧戸から外をうかがう。気配に関しては、ずば抜けた感覚を持つルゥも首を捻った。


 思い当たったのはフレインだけだった。

 しかし、大導師にアルフラの監視を命じられたのは、ギルドの中でも遠見の術に秀でた導士だ。まさかそれを悟られるようなへまを犯すとも思えなかった。


「気のせいなのかなぁ……」


 アルフラにも確信がある訳ではないようだ。

 フレインが苦い顔で逡巡する。


「わかりました。結界を張ります」


 水晶球を取り出し、呪文の詠唱を開始する。

 監視者の仕事を阻害すれば、(めい)を出した大導師への背信と取られかねない。しかし話の内容いかんでは、アルフラの立場に危険が及ぶ可能性も高い。


 結界を張るのは、あくまでアルフラの身を案じての個人的な理由である。機密保持の名目で情報を吟味し、当たり障りのない内容を直接大導師へ報告しようと考えていた。


「これで大丈夫でしょう。ここで話される内容は、決して外部へはもれません」


「…………」


「話してください。最近帝位についたといわれる魔族の皇帝のことを。戦禍という名の人物など二人といないはずです」


「魔族の皇帝!?」


 シグナムとルゥの叫びが綺麗に重なった。あまりの驚愕に、あんぐりと口が開いている。


「レギウス教国の中枢でも、かの魔皇についてはほとんど知られていません。先程のアルフラさんの口ぶりでは、よく見知った人物のように聞こえました」


「そんな、よく知ってるわけじゃ……」


「別に大したことでなくてもよいのです。魔族を倒すため、どんなささいな事柄でも構いません。私達は喉から手が出るほど、魔族の情報が欲しいのですよ」


 言葉を(にご)していたアルフラも、フレインの真剣な眼差しと、魔族を倒すという言葉を受け、ぽつりぽつりと話しだす。


「二回しか会ったことないわ。本当によくは知らないの」


 問われるままに戦禍の容姿や、どういった性格に思えたかを答えていく。


「それで喋り方や物腰が私に似ていた……と?」


「うん。でもあいつは礼儀正しく見えたけど、すごく偉そうだった。威張る必要もないくらいの自信と力を持ってるような、嫌な態度」


「まあ、実際そうなんだろうな。魔族の皇帝といやぁ、天上の神様ですら、正面から事を構えるのを避けてるって話だからね」


 アルフラちゃんにはすごい知り合いがいたんだねえ、とシグナムが(ひと)()ちた。


「しかし、フレインと似てるって……」


 ククッと喉を鳴らして笑ったシグナムが、じろじろとフレインを眺める。


「あたしの白蓮を、連れていったの。皇城ってとこへ」


 その一言で、あたりは冷たく静まり返った。

 用心深くアルフラの反応を見ながら、シグナムが口を開く。


「白蓮、て人は、確か古城の奥方とか呼ばれてる人だよな? アルフラちゃんを寵愛してたっていう」


 フレインがびくりと身をすくめた。白蓮の名を呼び捨てにしたシグナムへ、咎めるような視線を向ける。

 しかし、アルフラはうっとりとつぶやいた。


「そう……死ぬはずだったあたしを助けてくれたの」


 夢見るように視線が上向く。アルフラには心の原風景が見えていた。


「白蓮てすっごい美人なんでしょ? パパが言ってた。ボクも会ってみたいなぁ」


「ふふ、すごくびっくりするわよ。きっと美を司る女神様より綺麗だと思うの」


 フレインは軽く混乱していた。ルゥまでもが呼び捨てたにも関わらず、アルフラの機嫌は良さげだ。もしかして今なら自分もいけるのではないか、と考える。だが、さすがにその勇気はなかった。


 上機嫌なアルフラがルゥの頭を撫でる。普段なら子供扱いされて怒るところだが、狼少女は正確に現状を把握していた。身体中のうぶ毛が逆立っている。いまは恐いアルフラだ。なされるがまま撫でまわされた。


「では現在、白蓮様は皇城の方においでになられてるのですか?」


「うん……それまではね、幸せだったの。高城は優しくて、フェルマーのお菓子は美味しくって、白蓮はあたしを……」


 我知らず――じり、とシグナムとフレインが後ずさった。アルフラの、淡い微笑みを浮かべるその下に、どろどろと渦巻くものが見え隠れしていた。


「あいつが来てから、おかしくなったの。すごく、すごく幸せだったのに……ずっと続くと思ってたのに……」


 冷たいアルフラの手に撫でられ、ルゥの歯の根がかちかちと鳴らされる。肩に腕をまわされ棒立ちとなったルゥは、今にも泣き出しそうだ。

 流れ出るアルフラのどす黒い感情で、室内は外より強い寒気におおわれていた。


「だからね。あいつを殺して白蓮を取り戻すの」


 尋常ではない殺意と憎悪。激しい怒りにまみれたアルフラの瞳に、正常さを感じさせる光は見当たらない。

 理性を凌駕した愛情は、もはや目もあてられない惨状を作りだしていた。


「ま、魔皇を――殺すと、いうのですか?」


 身を蝕むような妄執にあてられ、震える声でフレインが問うた。


「そうよ。そうすれば白蓮はあたしのもの……」


 幸せそうにアルフラは微笑む。


「む、無茶です。爵位の魔族が相手ですら、戦いとなれば一国の総力を挙げねばならないのですよ? 長い歴史の中で魔王を倒した人間など存在しません。しかも更に強大な力を持つ帝位の――」


「だからね、血が必要なの。もっと、もっと。いっぱい力が欲しいの。この世の魔族を呑み干してでも……そうすれば、いつかは戦禍に届くわ」


――正気では、ない……


 フレインはぞっと身を震わせた。真冬だというのに汗ばむ掌をきつく握りしめる。


 楽園の追憶に浸った少女が誇らしげに宣言した。



「白蓮は、あたしのものよ」

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