女主人の密談 ※挿し絵あり
「どう思う?」
主語もなく、唐突に投げかけられた主の問いに、高城は落ち着いた声音で答える。
「あまり前例のないことかと」
数日前に主が拾って来た、人間の娘の話だと彼は理解した。
とくに仰せつかった訳ではないが、彼はその娘に対し“主の客人”といった扱いで接している。
白蓮にとってその娘が、興味深い観察対象でしか無いということもまた、高城は理解していた。今ある現状は、他愛もない気まぐれの結果ともいえる。
二間つづきの白蓮の私室。
アルフラに与えられている地下の一室とは違い、武骨な石壁造りの部屋であった。しかし調度品等々、室内を彩る内装の豪華さは、王侯貴族の居室にも劣らない。
城の最上階、四階部に当たるバルコニーからは、寒気が流れ込み、見渡せば広大な雪原が一望出来る。
暖炉に火は焚かれておらず、室内は雪が降りつづく屋外と変わらぬ室温であった。しかし、二人の魔族は気にした風もない。
玉座に腰掛けた白蓮のかたわらで、いつでもその意に沿えるよう、高城は側近くに控えていた。
「魔力の奪い合いや、血液を媒介とした力のやり取りは、魔族であれば日常茶飯事ではあります。ですが……人間にとなると、あまり前例がないことかと」
「……で、あろうな」
「あくまで聞いた話でしかありませんが」
そう前置きして、高城は語る。
「高位魔族の血を人間に与えると、その半数ほどは体中の毛細血管が破れ、死に至ると聞き及んでおります」
一呼吸置く高城に、白蓮が目顔でうながす。
「致命傷を負ったアルフラ様がそうならず、わずか七日程でその傷が完治するなど、通常では考えられないことです」
アルフラが負った傷は、外傷だけでもかなり酷く、自然治癒に任せるなら数ヶ月、内臓の損傷を考えれば即死していてもおかしくはない。
確実に致命傷であった。
「普通ではない、なんらかの要因があると?」
「私ごときには解りかねます。――が、他の人間でも同じ効果が見込める可能性もありますし、アルフラ様だけを例に取ってみたところで、答えの出る疑問ではないかと存じます」
「確かにな。……人間の中には、長寿の霊薬や魔力を増す秘薬を作るために魔族を狩り、その血や臓腑を手に入れようとする者もいる、と聞いたことがあるが?」
「それはあながち間違えではないかと。血を媒介として魔力を摂取することにより、我等魔族のように治癒力や代謝を活性化させられるのは事実のようですな。それでもアルフラ様の回復力は、やはり異常です」
しかし、と言葉を繋ぎ、高城は話をつづける。
「人間が力ある魔族を狩るなど、ほぼ不可能でしょう。高位魔族の血を飲んだ人間がいないのでは、比較のしようがありません」
高城は、しばし黙考する。
「やはり……何故そのような結果が出たのかは、推論することすら困難かと思います」
「ふむ……」
「一獲千金を狙い、人が魔族の領域に踏み込んだ所で、生き延びること自体難しいでしょうな」
「……」
「例えば、オーク共はその凄まじい繁殖力から数が増えすぎて、十数年周期で大飢饉が発生します。あるていど数が増えると、オーク共は魔族の領域を出て、隣接する人間の王国へ略奪戦争をしかけます」
「今年がその年で、あの子の村は焼かれた」
「はい。今回は数が少なく、オーク共の部隊はおよそ一万二千から一万五千といったところでしょうか。ですがそのぶん動きも速く、多くの村が戦火に呑まれました。しかし、王都から進撃した騎士団との交戦となり、すでにオーク達は潰走状態のようでございます」
「……要するに?」
「失礼、話がそれてしまいました。今から三十年ほど前、人間達はオークの間引き作戦を行いました」
「聞いたことがある。定期的にオークからの進攻を受けるのならば、その数が飽和状態となる前に数を減らそうと考え、魔族の領域に攻め込んだのであろう?」
「はい。騎士団を主力とした一万ほどの部隊が、オークの集落を目指したと聞きおよんでおります。ですが、凱延殿の迎撃にあい甚大な被害を出し、あっさりと敗走したとか」
「凱延……伯爵位を持つ貴族であったか?」
「左様です。たとえ国軍であっても、魔族の領域に踏み入るのは容易ではありません。たいした成果を挙げることなく撤退して以来、国境に隣接するいくつかの砦に部隊を配し、魔族の領域に侵入しようとする人間も取り締まっていようですな」
「魔族の怒りを買いたくないということか。……あぁ、思い出した。凱延――オーク共に、腹が減ったのなら人間達から奪えとけしかけたあの男か」
なにか嫌なことでも思い出したのか、眉根を寄せた白蓮に高城が問いかける。
「奥様は凱延殿と面識が?」
「私のことを、舐め回すような厭らしい目で見た老いぼれよ」
白蓮が吐き捨てるように答えた。
爵位の魔族を悪し様に罵る主に高城は苦笑する。
「ですので、人間が魔族の血を手に入れるなど、限りなく不可能に近いと言えましょう。高位魔族の血が人間に及ぼす効果など、前例がありませんので確かめようもないことかと」
「なるほど……そこに話が戻るわけか……」
しばしの間、考えを巡らせた白蓮が口を開く。
「あの子にしばらく血を与え続けてみる。なにか変化があれば、些細なことでもいいから私に言いなさい」
「かしこまりました。ですが奥様の血は、貴族並の魔力を有しているのではないかと思います。人間にとっては劇薬に等し――」
そこで高城は、思わず言葉を途切れさせる。
にいっ、と口角を吊り上げて、白蓮は笑っていた。
めったに目にすることのない主の笑みに、高城は押し黙る。
「なにか問題が?」
「いえ、失礼いたしました」
老執事は、ただ深々と頭を下げた。
柔らかなパンと小皿のスープという軽い朝食を摂ったのち、アルフラはぼうっと扉を見つめていた。
――たいくつ……
結局、フェルマーが朝食を運びに部屋を出るのと同時に、白蓮は無言で退室していった。それから数時間、銀髪の麗人からはなんの音沙汰もない。
――なにしに来たんだろ
もっともな疑問である。
白蓮はとくに話をするでもなく、アルフラの体をじろじろと眺め回して、すぐに部屋から去ってしまったのだ。
「う~~……」
ふたたび白蓮が来ないかという期待と、部屋の外に出てみたいという好奇心が、アルフラの目を扉へと釘付けにしていた。
――窓がないから外も見えないし……
たいくつしたアルフラは寝台から降りて、扉を気にしつつ鏡台を覗き込む。
どこか変なところはないか、横を向いてみたり笑ってみたり、頬をつまんで引っ張ったりしてみる。
硝子で出来た鏡は物珍しかったが、じきに飽きてしまい、豪華な調度品などをいじくり回しはじめた。
だが、やはり扉が気になって仕方ない。
部屋を出ていいとは言われなかったので、なんとなく扉の外に出てはいけないのだ、とアルフラは思っていた。しかし、あまりの退屈さから思い切って発想を転換してみる。
――へやの外に出ちゃいけないって言われてないし……出てもいいかな?
自問しながら扉の前に立ち、小首をかしげてすこし考えてみる。
――怒られる? だいじょうぶ?
伸ばしかけた手が届くより先に、扉は内側へと押し開かれる。
「ひぃ……」
喉が引きつり、妙な声が出してしまった。行き場のなくなった手は無意識のうちに、くるくると宙を舞う。
「あ、あの。ごめんなさい」
自分より、だいぶ高い位置にある白蓮の顔を見上げて、震える声でつぶやくアルフラ。なにか珍しい物でも見るかのような目で、白蓮は舞い踊る手を見る。
その場の微妙な空気と、固まってしまったアルフラを押しのけて、室内へと入った白蓮が尋ねる。
「部屋の外へ出ようとしていたの?」
その声音は普段と変わらぬ調子であったが、アルフラは思わず身をすくませた。
「ご、ごめんなさいっ。ちょっとだけ外が気になって……」
「別に構わないわ。退屈してたのなら好きになさい」
「えっ? 外に出てもいいんですか?」
「構わないと言ったわ」
「あ……ごめんなさい」
また同じことを言わせてしまい、白蓮がそれ嫌っているのを思い出したアルフラは、しゅんと下を向く。
「血をすこし貰うわ」
「え……?」
白蓮はアルフラの腕を掴み、その手の甲に息を吹きかけた。昨日と同じく、きらきらとした雪の結晶が舞う。痛みを感じるほどの冷たさに、アルフラは首をすくめた。
「あら」
不思議そうにつぶやいた白蓮は、霜が降りたように白くなったアルフラの手を撫でる。
すぐに霜は消えたが、そこにはかすり傷すらついてはいなかった。
再度、白蓮が息を吹きかける。
今度は先程と違い、氷晶らしき物がその口からこぼれ出た。刺すような痛みがアルフラの手に走る。
「いたっ」
傷はそれほど深いものではない。しかし、スッパリと割れた皮膚の周りは、凍傷を起こしたように青みをおびていた。
白蓮は満足気な顔で、じんわりとにじんで来た血に口をよせる。
「あぁっ!」
押し付けられた唇の冷たさと、傷口を舐め上げる舌の感触に総毛立つ。アルフラは頬を染め、うるんだ瞳で白蓮の口許を見つめていた。
すぐに白蓮は顔を上げて、いつもと変わぬ無表情でつぶく。
「……よく分からないわね」
ふたたび傷口に顔を近づけた白蓮が、こんどは軽い驚きの声を漏らす。
その視線を追ったアルフラも、傷口の血が止まっていることに驚いた。紫に変色していた部位はもとの肌色をとり戻し、傷自体が小さくなっている。
無言のアルフラと白蓮、どのくらいのあいだ二人で見ていただろうか。やがて内側から肉が盛り上がって来て、傷口はほとんど目立たなくなった。
「……なんですかこれ? どうして?」
「そういえば、今日お前に話してあげると約束してたわね」
「はい……」
忘れていたわ、と囁いて、白蓮はアルフラに寝台へ腰掛けるよう命じた。
白蓮自身は椅子に座るでもなく、アルフラを見下しながら確認するように尋ねる。
「魔族の血に、強い魔力が宿っているのは知っているわね?」
「……いえ、知りません。ごめんなさい」
「そう、まあいいわ。魔力はね、血に宿るの」
「はい」
「魔力とは純粋な力よ。使い方によっては、生命力や治癒力を高めたり、魔術を行うことも出来る」
「すごい! だからさっきの傷、すぐに治ったんですね」
「そうよ。お前が眠っている間、私の血を唇に垂らしたりしていたの。十日ほども毎日ね」
アルフラにも、生死の境をさ迷うような深い傷を負っていた自覚がある。――にもかかわらず、目覚めた時には綺麗にその傷がなくなっていたことに、あっさりと納得した。
普通であれば、あれほどの傷が十日足らずで完治してしまうのは、いくらなんでもおかしいと感じただろう。しかしアルフラはまだ幼く、そんなことよりも、はるかに大切なことがあった。
――白蓮さんが、あたしを助けてくれたんだ
アルフラの鳶色の瞳が、うっとりとまたたく。
酷薄で冷めた印象の白蓮が、十日ものあいだ怪我をした自分の容態を気にかけ、看病をしてくれたのかと思うと――嬉しいような、恥ずかしいような――いてもたってもいられない気持ちとなり、足元がふわふわと浮き立ってしまう。
「お前の血には、私の魔力が宿っているはずよ」
理解出来たわけではないが、白蓮の魔力が自分の中に宿っていると知り、アルフラはさらに舞い上がる。
「でも……さっきお前の血を貰ったけど、よく分からなかったわ」
「――え!?」
一転してがっかりする。
「けれど、それなりの魔力が私からお前に移っているはずよ。あの傷の回復力は素晴らしいわ」
褒められていると感じたアルフラは、しっぽを振らんばかりの笑顔で白蓮を見つめる。
「口を閉じなさい、だらしのない」
油断は禁物、と学習した。
「傷を治したり、魔力に対する抵抗力が高まるのは、意識しなくてもある程度は出来ることよ」
「はぁ……」
「つぎは、魔力の能動的な使い方を練習してみなさい」
「え……れんしゅうって」
白蓮は無言で腕を突き出すと、掌から小さな吹雪を出して見せた。
「わわっ! ま、魔法!?」
「人によって得手不得手があるわ。私は雪や氷ね。主に温度を下げるのが得意」
「白蓮さん、すごいっ!」
「お前も何か出来るはずよ、やってみなさい」
「え゛?」
――なにかって……ナニ??
魔法的な何かを期待されていることだけはわかった。その期待に応えたい一心で、両の手を前へと出してみる。
「っ~~~!」
「……」
――なにか出てー! なんでもいいからっ!
「ぅ~~~!!」
「……」
「……なにか、コツのようなものってありますか」
「そうね……なんていうのかしら、こう……」
ふたたび白蓮の掌が掲げられ、先程とは比べ物にならない突風が溢れ出す。
氷雪が部屋の中央で渦を巻き、アルフラの髪がばさりとなびいた。
「すご…………」
やがて平穏を取り戻した室内には、うっすらと床をおおう雪が残されていた。
「こんな感じかしら」
アルフラは自分の掌と白蓮の顔を、交互に見比べてしまう。
「あぁ、そうそう。今のは水と風の精を同時に呼び出してるわ。あまり意識はしてないけれど」
――意識はしてない……それってコツなのかな? 水と風の精って、なに?
疑問は増えていくばかりである。
それから、半時(約一時間)ほども頑張ってみたアルフラであったが、なんの成果も出すことは出来なかった。
そして結局、効果的な助言がなんら思い浮かばなかった白蓮は、早々に飽きてしまったようだ。
“なにか”を出来るようになったらご褒美に血をあげる、とアルフラに言い残して、銀髪の麗人はそのまま部屋から去ってしまった。
「魔力への耐性が、少し上がっているみたいだったわ」
「血の与え過ぎではありませんか?」
白蓮の私室。相変わらず言葉足らずな主との会話を、高城はなんなく成立させる。
様々な分野で有能な男ではあるが、特筆すべきはそのコミュニケーション能力なのかもしれない。
「今日はまだ与えてないわ。逆に少し血を貰ったのだけど、最初は傷を付けることが出来なかった」
「左様ですか」
「二度目は少しやり過ぎて、傷口が凍傷を起こしたように変色してしまったの。――だけど、見る間に治ってしまったし……」
「獣人族なみ……とまではゆかないまでも、トロル程度の再生力がありそうですね」
「凍傷を起こすと魔力での回復が遅くなるわ。おそらく血液の循環が阻害されることによって、魔力の流れも滞るのだと思う」
「普通の人間としては、やはり異常ですな」
玉座に深々と腰を下ろした白蓮は、頬杖をついたまま唐突に話を変えた。
「あの子に魔法の使い方を教えてあげなさい」
「かしこまりました」
「さっき少しだけやらせてみたのだけど、私には向いてないわ」
「善処いたしますが、あまり過度な期待はなされぬようお願いします」
「わかってるわ」
「アルフラ様は利発な御子ですが、何事にも向き不向きがございますからね」
白蓮は意外そうに柳眉を軽く跳ねさせる。
「利発? あの子が?」
「はい」
「あのおどおどとして、いつもだらしなく口を開き、犬のように情けない目で私を見つめるだけの、あの子が?」
ひとつ頷き、恭順の意を示しながらも、高城はアルフラを弁護した。
「確かにおっしゃられる通りです。――が、一度死にかけた状態で、突然見も知らぬ場所へ連れて来らたのです。あのようなおさな子でしたら、おどおどとするのも無理はありません。犬のような目と申しましても、それは親愛の情の現れではないでしょうか。仔犬も存外、可愛らしいものでございますよ?」
好意的に語る高城であったが、アルフラの口許については言及することを避けた。
「ハッ……親愛、ね」
いかにもくだらないといった表情でつぶやいた白蓮であったが――どのような心変わりなのか、腰掛けた玉座から立ち上がる。
「まぁいいわ。あの子に今日の分を与えに行きましょう」
その日、白蓮から“なにか”出せたらご褒美に血をあげると言われていたアルフラであったが、しかし結局、なにも出来なかったにもかかわらず、なぜかご褒美を貰えるという幸運が訪れた。
イラスト イケサハラ様




