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氷の滅慕  作者: SH
三章 死線
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アルフラの宝物



 その日の朝、シグナムたちの食事を運んできたのは、いつもの陰欝(いんうつ)な感じがするローブの男ではなくフレインだった。


「おはようございます。今日は仕事の話がありましてね。食べながらで構わないので聞いてください」


 怪訝そうな目を向ける三人に、朝食の乗ったトレイが渡される。

 マッシュポテトに鳥の肉を焼いたもの、穀物や野菜などを煮込んだスープだった。


 ルゥが我先にと手を伸ばす。

 最後にシグナムが受けとった時、すでにルゥは鳥の肉にかぶりついていた。

 みんなで一緒に食べるといった概念がルゥにはあまりないらしい。早い者勝ちなのだ。


「……」


 シグナムの顔に、またか、といった表情が浮かぶ。そして諦めたように首が振られた。いつものことなのだ。

 食事のマナーに関しては、シグナムもかなり軽視している方だ。しかし、まったくそういった知識がないのもまずいだろうと思い、一通り教えはしたのだが、あまり理解出来ていないようだった。


 くどく言うほどのことでもないと思い、怒りはしないが、やはりちゃんと躾をするべきだろうかと考える。

 犬ですら「待て」が出来るのだから、いちどきつめに言えば大丈夫なはずだ。


 そんな視線にも気づくことなく、ルゥは次々と食事を口に詰めこんでいく。元々、雪狼として野生で育ったルゥには、物を咀嚼するという習慣がない。基本、噛みちぎったあとは丸呑みである。そのため、おそろしく食べるのが早かった。


 兵士にとって食事や排泄などといった生理的欲求を迅速に済ませることは美徳である。いつ戦いが始まるかわからない戦場において、生死を分ける可能性すらあるのだ。


「まあ、傭兵として早食いはいいことなんだけどね……野菜とかはちゃんと噛んで食べなよ」


「はぁい、ご馳走でしたー」


 あまりの速さにアルフラの軽くむせる音が聞こえた。

 まだスープを半分ほどしか食べていなかったシグナムも、これにはさすがに驚く。

 食べながら話を、と言ったフレインが話し始める前に、ルゥの食事は終わってしまった。


 料理を食器によそうのと同じくらいの早さで、朝食は食器からルゥの胃袋へ移送されていた。

 魔法使いもびっくりだ。


「で、では、仕事の話をしましょう――」


「おかわり」


「…………」


 ルゥの期待に満ちた瞳が向けられる。フレインには応えることが出来なそうだった。


「ええと……」


「いつもの人は、ちゃんと持って来てくれてたよ」


「ルゥ、まずはフレインの話を聞こう。仕事優先だ」


「はあい」


 ルゥが素直に、しかしちょっぴり残念そうにうなずいた。

 シグナムに目顔で(うなが)され、フレインが口を開く。


「端的に言いますと、四日後にサルファへ向かっていただきます。目的は言うまでもなく魔族の掃討です」


「相手の数はどのくらい? 強い奴なの?」


 アルフラが食事を中断し、フレインへにじり寄る。腹が膨れるだけの味気ない食事の最中に、豪華ディナーのお誘いを受けたようなものだった。


「い、いまのところ、斥候らしき者が二、三組確認されているそうです。どれも二人一組で、おそらく先日サルファで戦った魔族と同程度の力はあるのではないかと……」


 覗きこむようにアルフラから見つめられ、フレインは言葉を尻すぼみに途切れさせた。なぜか頬をうっすらと桜色に染めたりなどしている。

 その様子を見ていたシグナムの、無いに等しい女の勘が働いた。


「ふ~ん、なるほどねぇ。あんたアルフラちゃんに……」


 シグナムのからかうような視線を受け、フレインの顔色が変わる。


「なな、なにを言ってるんですか」


 顔を真っ赤にしてどもるフレインを見て、アルフラもシグナムの言っている意味を理解した。


「え――!? まさかあんた……」


 至近まで顔をよせていたアルフラが、戦士の身軽さでフレインから距離を取る。腰を落とし、その手は短刀の柄に置かれていた。驚愕の表情を浮かべ、その中には嫌悪感らしきものが見え隠れしている。


「ま、待って下さい! 私は――」


「アルフラちゃん、落ち着きなって。たぶんそういうのじゃないから」


 アルフラの過剰な反応に、シグナムとフレインが慌てる。

 兵士たちに乱暴をされかけたことのあるアルフラが、すこし違った方向へ話を理解してしまったようだ。男はみんな狼、に近い感情があるらしい。


「フレインはアルフラちゃんに好意を持ってんだよ。別にいかがわしい意味で、てわけじゃあないんだろう?」


「もちろんです! 私は純粋にアルフラさんのことが――」


 言いかけたフレインが、しまったといった感じに口を押さえる。どさくさ紛れにアルフラを口説きかけてしまったことに、ようやく気づいたようだ。

 しかも、気持ちを伝える以前に玉砕してしまった感がある。


 にやにやと笑うシグナム。

 慌てふためくフレイン。

 短刀から手を離すアルフラ。


 その後ろで、アルフラの朝食を平らげたルゥが、シグナムの分にまで手を伸ばしたことには誰も気づかない。こちらでも、ひとつの悲劇が生まれようとしていた。


 フレインを値踏みするように見つめるアルフラの顔から、警戒心と嫌悪感は消えない。

 おや、これは脈無しかな、と考えるシグナムに、フレインの恨みがましい目が向けられた。


「いや、悪かったって。とりあえず仕事の話に戻そう」


「そ、そうですね。細かいことは大導師様よりお預かりした、こちら指令書をお読みください」


 アルフラのきつい視線にたじろぎながらも、フレインが羊皮紙を取り出した。


「魔力のこもった剣などが支給されます。ですが、防具に関しては三人ともサイズが極端なので、用意が間に合わないようです。仕度金をお持ちしましたので、必要な物があれば買い出しに行かれるとよいでしょう」


「あたしは自分の剣があるからいらないわ」


「ボク欲しい!」


 シグナムの朝食を瞬殺したルゥが興味津々に叫ぶ。


「魔族討伐の際にギルドから貸与される剣は、古代人種の技術を応用した、非常に高度な付与魔術が施されています」


 フレインが諭すような感じでアルフラに語りかけた。


「並の刀剣では強力な魔力障壁を撃ち破れません。まあ、シグナムさんほどの力があれば全く無傷ということも……」


 言いかけたフレインが、ふと気づく。ならばアルフラはどうやってあの魔族を倒したのか? 魔術の心得はないと聞いている……。


「あなたの剣を見せて貰えますか?」


 その言葉にアルフラは逡巡(しゅんじゅん)する。白蓮から貰った大切な細剣だ。なるべく他人に()れさせたくはない。


「ああ、失礼。これならどうでしょう」


 その思いを悟ったかのように、フレインは導衣から取り出した長手袋をはめる。手の甲に複雑な刺繍の施された、おそらくは魔法の品なのだろう。


「……ん」


 渋々ながらも細剣を渡す。

 フレインは丁寧な仕草で細剣を鞘から抜き、半ばまでさらした刀身を注意深く検分した。


 素人目に見ても、それが業物と呼ばれる逸品だということが分かる。

 精巧な細工が施された柄は、持ち手が滑りにくいようになだらかな曲線がえがかれ、全体の重心も非常に安定している。白銀に輝く刀身は、みずから光を放つかのごとき煌めきをたたえ、一目見ただけでもその恐るべき切れ味を確信させた。


 殺すための道具を極限まで追求した結果、殺傷力を秘めたその刃の美しさは、美術品の域にまで昇華されている。

 しかし、外気に触れた刀身から流れ出る冷気に、フレインは違和感を覚えた。


 魂を抜かれそうなほどに美しいその刃からは、見た目とはうらはらに、たいした魔力を感じ取ることが出来なかった。


 怪訝そうに首をかしげながら、刀身に触れた瞬間――。


「ッ!?」


 驚愕に息を飲み、反射的に手を引いたフレインが細剣を取り落としそうになる。


「ちょっとっ!」


 慌てたアルフラが、引ったくるように奪い取った。


「乱暴にあつかわないでよっ。大切な剣なんだからね!」


「す、すみません! あまりに強い魔力を感じたもので……しかし、これほどの品をどこで手に入れたのですか?」


「ふんっ。当然よ! 白蓮から貰った剣なんだから、この世に二振りとないわ」


 得意げなアルフラが、ふふんと鼻を鳴らした。細剣に秘められた魔力に驚いたと言うフレインへ、なかなか見る目があるわね、といった目を向ける。


「その白蓮という方はいったい――」


「呼び捨てにしないで」


「え……」


 一瞬でアルフラの雰囲気が変わる。

 少女のものとは思えぬ低い声に、何か致命的な響きを感じた。

 一歩後ずさったフレインは、どっと汗をかく。冷く嫌な汗だ。

 なぜそこまで怒らせてしまったのか、なぜこんなに自分が怯えているのか分からない。


 フレインには実戦経験がすくない。今まで命の危険を感じるような場面に遭遇したことが、ほとんどなかった。――だから気づけない。アルフラの瞳に浮かぶ光が、殺意に近いものだということに。


「白蓮、て呼んでいいのはあたしだけなの。あたしだけが特別なの。――呼び捨てにしないで」


「す、すみませんでした!」


 気圧されたフレインの声音がうわ滑る。


「謝罪します。白蓮様という方から、細剣をいただいたのですね?」


「……そうよ」


 軽い恐慌に襲われながらもフレインの頭が忙しくまわる。

 白蓮という人物は鬼門だ。慎重に話を進めないと、機嫌を損ねるどころでは済まない。


「とても素晴らしいお方なのでしょうね。そこまで強い魔力を帯びた剣を所持なされているとは……魔導士である私ですら初めて見るような品ですよ」


「そんなの当然よ。白蓮はすごいんだから」


 アルフラの険しい表情が嘘のように緩む。

 フレインもほっとする。しかし、なんという少女だろう。昨夜見た、月の精のように可憐な乙女。先程の、凍えた瞳で睨みつけた氷のような少女。そして今は、無邪気な童女のように自慢げな表情を浮かべている。


 あまりにも印象が違い過ぎた。


 アルフラは、古城で暮らした四年間のことをフレインには話していない。シグナムにすら詳しくは語っていないのだ。

 それはアルフラにとって、もっとも大切で、もっとも幸せで――もっとも悲しい記憶。

 おいそれとは人に話せない、だいじなだいじなアルフラの宝物だ。


 やや感情の起伏が激しい感のするアルフラを、じいっと見つめていたシグナムが気を取り直したように手を叩いた。


「とりあえず、飯を食おうぜ。いい加減スープが冷め……て、おいっ!」


「ごちそうさまー」


 ルゥはにこにこだ。


「あーっ! あたしの分まで――!?」


 アルフラの悲鳴には、さすがのルゥも笑顔を強張らせた。ささっとシグナムの背に隠れてしまう。

 今のアルフラは取り扱いに細心の注意が必要だ。それはルゥも分かっているらしい。


「すぐにっ、すぐに新しいものをお持ちします!」


 アルフラの機嫌を取るようにフレインが叫ぶ。


「だったら市場まで出ようか? 包帯やら新しい外套やら、揃えたい物が結構ある。ついでになんか美味いもんでも食おう」


「あっ、あたしも市場には行ってみたかったの」


 アルフラの声が明るく弾む。買い物、という行為をあまりしたことがなかったのだ。


「応急処置に使う医薬品は必要ないと思いますよ。前回の教訓から、こんどの任務では神殿の方からも人員を借りることになりましたので」


「神殿?」


「はい、治癒魔術に()けた神官二名が随伴してくれるそうです」


「へぇ、そりゃ至れり尽くせりだね」


 シグナムが軽く口笛を鳴らした。そして皮肉げに唇をゆがめる。


「でも用意だけはしとくよ。肝心の神官共が先に死んじまうこともありえるからね。どうせお代の方はギルドが持ってくれるんだろ?」


「わ、わかりました。では、私も同行いたしましょう。先程のお詫びと言ってはなんですが……」


 フレインがちらりとアルフラの顔色をうかがう。

 視線に気づいたアルフラの目は、非常に冷たかった。


「食事代の方は、私の懐から出しましょう。まだ時間も早いですし、新鮮な川魚を食べさせてくれる店へ案内します」


 もともと皆無に近かった好感度を、なんとか取り戻そうと必死なようだ。意外とむらの強いアルフラの性格を理解しても、フレインの恋心は変わらないらしい。


「いいね、奢りかぁ」


「ボクは魚より肉がいいなっ。あと甘い果物も食べたい。それから――」


「お前はまだ食うつもりかっ!!」


「きゃいんっ」



 はしゃいだ様子のルゥの頭を、シグナムがこちんと叩いた。

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