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氷の滅慕  作者: SH
三章 死線
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瘴気の魔導師



 魔術士ギルドの本部に到着したアルフラたちは、塔の地下へと案内された。


 一行は暗い螺旋階段を、下へ下へと降りて行く。

 石造りの地下は大気がひんやりとしていた。歩むにつれ、徐々にではあるが、何かまとわり付くような不穏な空気が立ち込めてくる。

 なんとも言えない不安を感じ、無言で歩くアルフラたちの足どりは重い。


 先頭に立ったフレインが、一つの扉の前で立ち止まる。


「なあ……いきなり変な化け物が襲いかかって来たりしないよな?」


 シグナムのうたがわしげな声が響く。

 扉の中からは、そう思わせるに足る、嫌な気配が漂って来ていた。


 アルフラとルゥの表情も硬い。カダフィーから感じたものとはまた違った、しかしそれ以上の澱んだ空気が充満している。軽い吐き気すら感じられた。


「中にいらっしゃるのは大導師様です。特殊な魔導衣を身につけられているので、いささか強い瘴気を発していますが、心配はありませんよ」


 そう告げるフレインの声音にも、やや緊張の色が含まれていた。


「おいおい、本当に大丈夫なのかよ?」


 シグナムへ答える代わりに、フレインは扉へと手を伸ばす。触れた部分から青白い波紋が広がり、音もなく扉は開いた。


「よく来たな」


 暗い室内の奥から声が響いた。その声音からは、何かどろりとした液体をぐつぐつと煮立てたような耳障りさを感じる。まるで魔女が掻き混ぜる大釜が喋り出したようだ、とアルフラは思った。

 辺りに立ち込める嫌な気配とその声は、室内へ入ることを躊躇(ちゅうちょ)させるに充分な不気味さを秘めていた。


「儂は魔術士ギルドの長を務めるホスローという者じゃ。なあに、怖れることはない。この通り、ただの老いぼれじゃからな」


 手招きする声の主は、確かにこじんまりとした老人のようであった。だが、漆黒の導衣から発せられる濃密な瘴気が「ただの老いぼれ」という言葉を否定している。


「儂ぁ、魔力を増すために普段から瘴気を発する魔導衣をまとってはおるが、中身は気のいい爺じゃよ」


 深く下ろしたフードの奥から、不気味にくぐもった声が(ほが)らかに告げた。ホスローのおどけたような物言いからは、アルフラたちを安心させようという意図がうかがえるものの――しかし、ぐつぐつと煮え立つような笑い声はどこか不穏な響きを帯びており、その言葉にはあまり説得力が感じられなかった。





 室内に入りはしたが、アルフラたちは扉の前から先に進むことなくホスローと言葉を交わした。

 これまでの経歴や()い立ちなどについて、幾つかの質問がなされる。さも興味深げな口調で問いかけるホスローを警戒しながらも、アルフラたちは淡々と答えていく。

 やがてホスローは満足げに笑った。


「うむ、うむ。そなた達には大いに期待しておる。その力を持って、このレギウス教国のために尽力してくれ」


「ああ、相応の金さえ貰えれば、なんの文句もないよ」


 アルフラも血さえ貰えれば、それで構わなかった。むしろ魔族との戦いなら、こちらからお願いしたいくらいだ。

 ルゥはホスローを用心深く見つめながらも、お腹へったなぁ、と思っていた。


「では、表で案内の者が待っておる。これから寝起きすることになる宿舎へ向かうとよかろう」


 ホスローが言い終えると同時に扉が開く。一人の魔術師らしき男が、影のように立っていた。


「フレイン。そなたは残れ」


「はっ」


 アルフラたちが魔術師に案内されて部屋を出ると、フレインは深々とこうべを垂れた。


「申し訳ありませんでした。力及ばず魔族の捕獲に失敗したうえ、頭部に傷を負った二人の戦士は、ふたたび剣を握れるかわからぬ程の深手」


「よい、よい。魔族相手の初陣としては充分じゃ。むしろそなたをやって正解じゃったと思うておる」


 ぐつぐつと笑うホスローは上機嫌なようだ。


「お前の連れて来たあの三人。あれは魔族などよりよほど使いでのある娘達じゃ。古代人種の血を色濃く残した女戦士と獣人族の少女。どちらも希少種じゃな。よい研究対象となるだろう」


「……はい」


「じゃが、亜麻色の髪の娘。あれはいかん。――あの者には注意が必要じゃ」


「――と、いいますと?」


「どうやって手にしたかは分からんが、下手な魔族などより強い魔力を持っておる。しかも……この儂ですら震えが来るような、実に不吉な雰囲気をまとっておる」


 ただそこに居るだけで剣呑な瘴気を放ち、周囲の者へ重圧を感じさせるホスローの声音に、わずかな緊張が見えた。


「アルフラさんが、ですか……?」


 信じられないといった面持ちでフレインは口ごもる。


「念のため、見張りを付けた方がよかろう。術師……いや導士クラスの者を」


「ぎょ、御意に」


「――とはいえ、扱いは難しそうじゃが、上手く使えば良い働きをしてくれそうじゃ。あの三人には濃度の高いカンタレラを与えよ」


「わかりました。そのように計らいます」


 カンタレラ。魔族や古代人種の血に、数種類の薬品を安定剤として加えた秘薬。



 百二十年前、魔術士ギルドは凱延との戦いによって壊滅的な被害を被った。

 あまりにも強大な力を持つ魔族たちに対抗するため、長年に渡り続けられた幾多の研究。その成果の一つが、カンタレラであった。





 馬車に揺られたアルフラたちが案内されたのは、王都の北側、郊外の森からほど近い場所にある、三階建ての建物だった。

 前面にかなり広い修練場を有しており、国軍の兵舎の規模をやや小さくしたような施設であった。

 魔術士らしき姿は見当たらなかったが、三十人ほどの者たちが木剣を握り練武に励んでいる。


「ここには、約八十名ほどの戦士が寝泊まりしている。部屋は全て二人部屋だ」


 馬車から降りた案内人がアルフラたちを先導する。


「ついて来い。中で手続を済ませよう」


 宿舎の管理人から、部屋の使い方などの細々とした説明を受ける。

 結局、アルフラたちは三人で二人部屋を使うことになった。


 部屋の振り分けの話になった時、全員一致でそうしてくれと希望したのだ。

 カダフィー、ホスローと続け様に尋常ではない魔人と遭遇した直後である。部屋を分けられることに、すくなからず不安を感じたのだ。

 これまで何度かそうしたように、二つの寝台を密接させ、三人で一緒に寝ることになった。


 すでに日も暮れかけ、辺りは薄暗くなっていた。

 アルフラたちが教えられた食堂へ行ってみようと話をしていたところ、扉を叩く音が聞こえた。

 間のよいことに、三人分の食事が運ばれて来たのだ。


「おい、朝夕は各自食堂で食べるようにと言われたぞ?」


「お前達には特別メニューだそうだ。食器は扉の外に出しておいてくれ」


 給仕の男はぼそぼそと告げ、さっさと部屋から出て行ってしまった。

 シグナムがまじまじと運ばれた料理を見つめる。小振りなパンと具だくさんのなかなか美味しそうなホワイトシチューである。


「特別って……なあこれ、絶対変な薬とか盛られてるだろ」


「美味しーよ?」


 ルゥはすでにシチューを半分ほども平らげていた。

 アルフラとシグナムの呆れたような視線にも気づかず、ぱくぱくとスプンを口へ運んでいく。


「……大丈夫そうだな」


「ですね」



 思わぬ毒味役の働きで、アルフラとシグナムも安心して食事を口に出来た。





 食後、ルゥへのかるいお説教が始まっていた。


「知らない人から出された食い物には、もうすこし気をつけなきゃダメだぞ。さっきのだって、魔術士なんて訳の分からない奴らが持ってきたもんなんだからな」


「でもボク、においでわかるよ。食べれる物と食べれない物は区別つくもん」


「そうなのか? そりゃ便利だな」


「うん。人間の食べ物は火を通してあるから分かりづらいけど」


「……やっぱり気をつけな。もう子供じゃないんだから、何でも口に含もうとしちゃダメだよ」


 むしろシグナムが口に含まれないよう気をつけた方がいい、とアルフラはこっそり考える。もちろん口に出したりはしない。数少ない娯楽が減る可能性が高いからだ。


 そんなやり取りをしていると、ふたたび扉の叩かれる音が響いた。

 返事を待つことなく開かれた扉から、緋色の導衣をまとったフレインが姿をあらわす。さらにその背後には、神官らしき男が二人控えていた。


「食事は終えたようですね。カンタレラをお持ちしました。これは古代人種の血を薄めたものです」


 フレインが三人に細長い瓶を渡す。その中には紫がかった液体が満たされていた。口にするのをためらわせるに足る色合いだ。


「これ……ほんとに大丈夫なのか?」


 シグナムが嫌そうに瓶を見つめる。


「問題ありませんよ」


「なあ。あんたら魔術士ギルドなのに、何で神官が居るんだ?」


「彼らは治癒魔術の専門家です。今回少し強めのものをお持ちしたのでね。万一に備えての保険、というわけです」


 顔をしかめたシグナムが、フレインに瓶を押し返そうとする。


「おいおい、やっぱりあたしらで実験しようとしてるだろ。せめて普通のやつにしてくれよ」


「美味しーよ?」


 すでに半分ほどカンタレラを飲んだルゥが、にっこりしていた。


「ちょっ――ルゥ! さっきあたしが言ったこと、もう忘れたのか!?」


「……なんかうすい」


 すでに飲み干したアルフラが、フレインに対してアグレッシブな要求を突きつける。


「おかわり」


「お前もかっ!」


「でもなんともないよ。これ、ほんとに古代人種の血、入ってるの?」


「ボクはちょっぴり体がぽっぽしてきた」


 ほんのりと頬を上気させたルゥが、美味しかった、などと言いつつ空になった瓶をフレインに返した。

 そんな二人を見たシグナムも、おそるおそるカンタレラに口をつける。


「おっ、たしかに。これ意外といけるね。エール酒みたいにほど好く暖まる」


「み、みなさんいい飲みっぷりですね……」


 空瓶を導衣の懐へとしまうフレインの顔は、やや引き攣り気味だった。


「ねぇ、おかわりは?」


「ボクも欲しい」


「あたしは火酒の方がいいな」


「本当に……なんともないのですか?」


 口々に平気だという答えが返され、狼狽したフレインが考えこむ。


「さすがに私の一存では、これ以上に濃度の高いカンタレラを与えることは出来ません」


「あたし、魔族の血の方がいいな」


「とりあえず大導師様に報告して、お伺いを立ててみます。また明日の朝食後に、カンタレラをお持ちいたしますよ」



 そう告げると、フレインは足早に部屋から去って行った。





 魔族の領域中央部。


 皇城では出立の朝を迎えていた。

 まだ日も昇らぬ早朝。東の空は微かに明らみ、西の空には夜の天蓋がおりていた。

 いつになく真摯な表情をした白蓮が、高城に声をかける。


「アルフラのこと、よろしく頼むわ」


「お任せ下さい」


「もし、あの子に会えたなら……」


 めづらしく言い淀んだ主の言葉を、高城は無言で待った。


「私は……自分の気持ちを言葉にすることが苦手だわ。――でも、伝えて欲しいの」


 蒼い瞳が不安げに揺らめく。


「私が、どれだけその身を案じているのか。アルフラのことをどれだけ想っているのか――伝えて欲しいの」


「必ずやお伝えしましょう」


「アルフラも、きっと淋しい思いをしているのでしょうね。だけど私も、もう一度あの子に逢いたい。一目だけでも……」


 普段の白蓮からは想像もつかないほどの饒舌さだった。

 高城も流れ出した感情を敏感に察する。その表情は暖かく気づかわしげだ。


「あぁ……だめね、それはあの子にとっても未練になるわ」


「それでも。お嬢様はとてもお喜びになるかと思います」


「そう……そうね……」


 青ざめた顔に深い影がさした。


「ねぇ高城。やはり魔族と人とは、共に歩むことなど出来ないのかしら? 幸せには……なれないのかしらね」


「それは……」


 明確な返事が出来ないことが、答えとなっていた。

 どれほどの苦悩が、その心を苛んでいるのだろうか。白蓮の美貌が激しく歪められる。


「一言だけ……」


 やがて、凍りついたような無表情を取り戻したその声は、今にも泣き出しそうに聞こえた。


「幸せに暮らすように、と伝えて」


 その言葉を聞けば、アルフラはむしろ悲しむだろう、と高城は思った。それではまるで、別れの言葉だ。

 高城は言葉を返すことが出来ず、無言で白蓮の顔を見つめる。


「行きなさい。一刻も早くアルフラの無事を確認して来るのよ」


「かしこまりました」


 白蓮に背を向けて歩きだした高城は、ずっしりとした重圧を心に感じた。

 アルフラは常に全身で白蓮への好意を示していた。鳶色の瞳には、溢れ出そうなほどの愛情が満ちていた。そしてそれは、たった一人の相手だけに向けられたものだった。


――奥様がいなければ、幸せを感じることなど出来ないのではないだろうか


――それは奥様とて同じだろうに……


 だが高城はアルフラに、幸せに暮らせと、そう告げなけれならない。


 いつも明るく、素直で、無防備な笑顔を振り撒いていたアルフラ。小動物のように愛らしかったその顔は、一瞬で泣き顔に変わるだろう。



 高城に取っても、それは酷な役回りだった。

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