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氷の滅慕  作者: SH
二章 欲望
32/251

真夜中の晩餐



 森の中を高速で移動する気配を追い、アルフラは暗い街道をひた走る。その横に、追いついて来たルゥが並ぶ。


「うしろから、へんな奴らがおっかけてきてるよ!」


 ちらりと後方へ目をやると、ローブらしきものをまとった五つの人影が追いすがってくるのが見えた。


――兵隊じゃない……?


 疑問に思ったアルフラへ、五人の内の最後尾を駆けていた者が叫けぶ。


「止まりなさい、あなた達が追ってるのは、おそらく魔族です! 子供にどうこう出来る相手ではない」


 若い男の声だ。しかしアルフラに言わせれば、魔族だから追っているのであって、いまさらな話である。


「ボクは子供じゃない! 白狼の戦士なんだからねっ――アルフラは子供だけど」


 無言のアルフラに代わって、ルゥが答えた。しかし一言多い。

 だが、やっと魔族を見つけてご機嫌なアルフラには気にならなかった。魔族から力を奪うことこそが、彼女の目的なのだから。


「ならばなおさら止まって下さい。我々は魔術士ギルドから派遣された者です」


 なおも足を止めないアルフラたちに対し、男の声音がやや高圧的になる。


「魔族への対応は、我ら魔術士ギルドに一任されてます。これは軍上層部からの同意も得ている。あなた方は手を引きなさい!」


――こいつら、あたしの魔族を横取りする気だ


 アルフラの瞳に物騒な光が灯った。もし、逃げる魔族が待ってくれるのなら、邪魔者の排除を真剣に考えたかもしれない。


「アルフラ! 気配がわかれたよ。ひとつは森の奥に――」


「わかってるっ」


 森の中へ駆け入ろうとしたアルフラの後方で、激しい破裂音と共に雪煙りが上がる。


――なっ!?


 ほぼ同時に、森の中からひとつの人影が飛び出して来た。ちょうどアルフラと魔術士ギルドの者たちの間だ。


「魔法だ! やっぱり魔族だよっ」


 ルゥが叫びながら人影から距離をとる。


「まったく、しつこいネズミ共だねぇ」


 淡い月明かりに照らしだされたのは、長い黒髪の小柄な女だった。その外見からは人間と見分けがつかない。しかし明らかに人とは異なる、何か異質な空気が感じられた。


 アルフラは、おそらく足止めのために姿を現した女魔族と、森の奥へと逃げる気配、どちらを取るかで一瞬悩んだ。


「捕縛せよ! なるべく生きたままだ」


 先程、アルフラに停止を命じた男が叫び、四人の外套をまとった者たちが抜剣し襲い掛かる。


 出遅れたアルフラは、迷うことなく森へ駆け込んだ。

 まずは逃げる方を倒してから、女魔族の相手をしようと考えたのだ。魔術士ギルドを名乗りながら剣で戦おうとする男たちを見て、おそらく彼らでは女魔族を倒せないだろうと思った。


「アルフラっ、だいじょぶ? たぶんけっこう強い魔族だよ」


 ほとんど魔力を感知することが出来ないアルフラには、逃げる魔族がどのくらいの力を持っているのか分からなかった。

 感じた気配からは、たぶん白蓮や高城ほどの力はないのではないか、と予想している。


「なんとかなるわよ。ルゥは怖いの?」


「こ、こわくなんかないよ! ボクは白狼の戦士なんだからねっ!! それに逃げてるほうは怪我してるみたいだし。すこし血の臭いがする」


 血、という単語を聞いてアルフラは気づいた。魔族を倒したとして、その後にやることはとてもルゥには見せられない……


「ルゥ、戻って魔術士ギルドの人たちを加勢しに行って」


「……へ?」


「危なくなったら逃げて来て。ルゥの足なら魔族からでも逃げきれるでしょ?」


「ちょっとっ、なんでさ!? アルフラを一人にはできないよ」


「いいから行って!」


 アルフラは腰に下げていた細剣を抜いた。ルゥを威圧しようとしたわけではない。逃げる気配との距離が詰まってきたのだ。

 木々の隙間から、ちらちらと魔族らしき者の影が見えていた。アルフラの心を喜悦が満たす。

 やっと魔族を殺せる。やっと力が手にはいる、と。


――白蓮……


 愛する人に、一歩近づくのだ。


「だめだよ、ボクもいっしょに戦うよっ」


「ルゥ! いいから行って!!」


 アルフラは、ルゥがおそろしく邪魔だと感じた。

 ルゥもなぜかは分からないが、アルフラが自分を(うと)んじていることを察した。

 (かたく)なについてくるなと言うアルフラから、冷たく嫌な空気が流れてくる。

 山や森の中で暮らしてきたルゥにとっては覚えのある気配だ。自分の獲物を横取りされることを嫌う、腹をすかせた肉食獣が醸し出す性質(たち)の悪い殺気。


 これまでにあまり感じたことのない(うす)ら寒さがルゥの足を止めた。


「ボ、ボク、ちょっとだけあいつらの様子を見てくるね。でも、すぐ戻って来るから。アルフラも危なくなったら逃げてよっ!」


「だいじょうぶ、心配いらないわ!」



 不吉な冷気と共に走り去るアルフラの背を、ルゥはすこしのあいだ心配げに見つめて(きびす)を返した。





「お前……一人で追って来てどうするつもりだ?」


 オーク遠征軍の動向を監視し、その動きを報告するよう凱延から命じられていた魔族、哮凌こうりょうは、追っ手の数がかなり少なくなっていることに気づき、逃走から排除へと方針転換することに決めた。

 するとどうだ。姿を現したのはたった一人。しかも子供だ。


「まさか俺をどうにか出来るとでも思っているのか?」


 哮凌は呆れたように問いかけた。しかし、細剣を構えた少女は無言でこちらの様子をうかがっている。

 少女の目線が、じっとみずからの右足へ向けられていることに気づいた。

 オーガの族長を倒した女戦士が投擲(とうてき)した槍で負った傷だ。その怪我の程度が気になるらしい。


「ふっ、かすり傷だ。この程度の怪我じゃ、お前の有利にはならんぞ?」


「よかった」


「……あ?」


 心底ほっとしたように答えた少女に、哮凌は(いぶか)しげな顔をした。


「もぅ血は止まってるね……それはこれから全部あたしの物になるんだから、あんまり無駄に垂れ流さないでよね」


 嬉しそうにする少女の瞳が、妖しく揺らめいた。情欲に濡れたかのような視線が、右足の傷口を舐めまわす。

 年端もゆかぬ少女の、そのアンバランスな目つきに、哮凌はぞっとするものを感じた。

 周囲の大気が質量を持ったかのような、嫌な重圧を覚える。同時に妙な寒気(さむけ)を感じた。


――あたりの気温が……下がっている?


 沸き上がる悪寒だけではなく、肌に感じる外気が低下していることに気づく。

 そして、少女から放たれるこの威圧感……


「――お前、魔族か?」


「……」


 じり、じり、と間合いを詰めてくる少女。その物欲しげな目つきには、どこか生理的嫌悪を(もよお)す厭らしさが感じられた。

 哮凌は悟る。


 目の前の少女は見た目通りの存在ではない。全力で戦わなければ、何か恐ろしいことが起こる、と。





 表情を強張らせ、一歩後退(あとずさ)った哮凌へ向かってアルフラが飛びだした。

 しかし、その動きを阻むかのように掌をつき出した哮凌を見て、咄嗟に横へ転がる。

 なびいた髪を、何かが高速で掠めたのを感じた。

 さらに射出される不可視の物体が、地に突き立ち激しい雪埃を舞い上げた。


 アルフラは転がりながらも、立木の陰へと逃げ込んだ。しかし、息をつく間もなく射出は続く。


 姿勢を低くしたアルフラの頭上で、凄まじい刺突音が響き、木片が降りそそいだ。人の胴回りほどもある針葉樹に、拳大の穴があいていた。


 まともに喰らえば、どこに受けても致命傷となるだろう。しかし、アルフラの顔に浮かんだのは恐怖ではなく歓喜。


――強い魔族だ!


 立木が盾にならないことを悟ったアルフラは木陰から駆けだした。舞い上がった雪を煙幕代わりにし、上体を左右に振りながら距離を詰める。


 右の肩口を凄まじい衝撃が掠め、身体がおよぐ。地に手をついて態勢を立て直そうとした瞬間、胸のど真ん中に直撃を受けてしまった。


「ッ――」


 胸の内側から、ミシリと骨の軋む嫌な音が響いた。

 数メートルも吹き飛ばされ、背中から木の幹に叩きつけられる。呼吸がつまり、アルフラは痛みと苦しさに胸を掻きむしる。


 幹に打ち付けられた衝撃で、枝に積もっていた雪が落ち、ふたたび辺りは雪煙に包まれてしまった。


 胸と背に受けた激しい衝撃で、アルフラは息ができずに身悶える。パニックを起こしそうになりながらも、体を締め付ける鎧の繋ぎ紐を短刀で断ち切る。



 地に這いつくばり、涙と涎を垂れ流しながら呼吸を整えようとするアルフラに、雪煙を引き裂き飛来した魔力の塊が襲い掛かった。





 確かな手応えを感じた哮凌が、視界を覆う雪煙を睨み据えた。胸に風穴を開けたはずだ。おそらく即死、ないしは致命傷だろう。


 さらに少女が落下したとおぼしき辺りに、高圧の魔力塊を数発撃ち込む。


 哮凌は止めを刺したことを確認するために近寄る、などといった不用意な真似はせず、息を潜めて視界が戻るのを待つ。

 それだけの慎重さが必要とされる相手だ。戦いを好む魔族の本能がそう告げている。


 収まってきた雪煙の奥で、何かが動くのが見えた。

 反射的に魔力塊を放つ。撃ち抜いたそれは、不吉な――恐ろしく軽い手応えを残した。


――しまったっ!


 哮凌の瞳に映ったのは、後方へ跳ね飛ばされる革鎧。


 身を引こうとした視界の端で確認する。少女が彼の右方向へ周り込もうとしていた。

 高速で移動する少女が、走りながら左腕を振りかぶる。その手には小振りの短刀。


 周囲に張り巡らせた魔力の障壁を強化し、投擲された短刀を弾く。しかし、ほんのわずかな一瞬、少女から意識を逸らされたことが致命的だった。


 細剣の届く間合いに入られていた。


 青白い燐光を発する刃が振り下ろされた。

 魔力障壁をたやすく斬り裂き、突き出した哮凌の掌を縦に断ち割る。

 反す刀で逆袈裟に切り上げられた哮凌が、のけ反り崩れ落ちるより先に、細剣の切っ先が胸を貫き、彼を背後の立木に縫い留めた。


 少女の濡れた瞳が、細剣を伝う血をねっとりと舐め上げた。獲物を爪にかけた猫のように笑い、哮凌へ顔を寄せる。その口許からちろりと覗いた舌先が、意思ある生き物ように蠢めいていた。

 それが口の中から這い出て来るのを見た瞬間――哮凌はおのれの辿(たどる)る末路を悟る。そしておぞましい恐怖と絶望の中、彼はすべての思考を停止させた。





 ルゥは暗い森の奥へと引き返していた。一度は街道の近くまで戻ったのだが、魔族と一人で戦うアルフラが心配になって探しに来たのだ。


 その場所からは血臭が強く漂って来ており、辿り着くのはたやすかった。すでに戦いの音は聞こえない。血の臭いから、アルフラが勝利したことは分かっていた。

 しかし、何故かルゥは気配を殺し、足音をたてないように気をつけ、物陰からこっそりと覗き見る。


 アルフラは食事の真っ最中だった。


 息を潜め、自分の存在を気取られぬようにしながら、ルゥはその光景に身を強張らせる。

 食事中の肉食獣に近寄るのは愚かな行いだ。こちらにその気がなくとも、高い確率で争いになる。


 ずっ、ずずず――じゅる、じゅるる――――


 すすり上げる音が聞こえる。

 魔族らしき男に屈み込んだアルフラから、発せられる音だ。

 倒れた恋人にすがりつく少女のようにも見えた。


 そして、アルフラは情熱的にすする。


 時折、吐き気を堪えるかのように口許を押さえ、ひくひくと身体を痙攣させていた。しかし、えずきながらもすべてを飲み下す。


 真夜中の冷え込む森の中だというのに、ルゥの頬を汗が伝う。顎先から(した)たり落ちたのは、冷たい汗だ。

 強い恐怖を感じるが、どうしてもその光景から目が離せなかった。自分の知らない所で、なにか恐ろしいことが起こる方が怖かったのかもしれない。


 たまに雪を口の中に詰め込み、チェイサー(強い酒を飲む際、喉を潤すための水やアルコール度数の低い飲み物)代わりにしながら、アルフラは暴飲を続ける。



 ルゥは辺りに立ち込めた強い血臭よりもさらに濃い、狂気の気配を感じた。





「ルゥ?」


 アルフラの声に、ルゥはびくりと身を震わせた。慌てて隠れていた物陰から飛び出す。


「いつから……そこに?」


「えっ!?」


 問いかけるアルフラの顔は、吐き気のためか蒼白だった。

 普段とあまりに変わらぬその声音が、むしろ恐怖を煽りたてる。


「ううん、違うよ! いま来たの。アルフラが心配で、いま探しに来たとこだよ。ほんとだよ!」


 自分はなにも見ていないのだと必死に首を振る。しかし声が裏返ってしまう。

 なんとか平静さを見せようとするルゥだったが、その腰は引けていた。


「……そう」


 視線が合わさり、ルゥは肌が粟立つのを感じた。逃げ出したい気持ちを抑えるのに必死だ。その場に踏み止まれたのは、今のアルフラに決して背中を見せてはいけないという、野生の本能からだった。


「あっちの女魔族はどうなったの? まだ生きてるよね?」


 食後の捕食者は、まだ満ち足りていないようだ。

 アルフラは地面に手を伸ばし、掴みとった雪で口許をごしごしと()き取っていく。舌先を伸ばしても舐め取ることの出来ない所に付着した汚れが気になるらしい。


「わかんない、さっきまでは物凄い音が聞こえて来てたけど……」


「じゃあ、ここで待ちましょ。たぶん仲間と合流しようとするはずだから、待伏せするにはちょうどいいわ」


 口許を(ぬぐ)い終えたアルフラは、真っ赤に染まった雪塊を投げ捨ててルゥに歩み寄る。


「な、なに? アルフラ……?」


 小刻みに震えながら後ずさったルゥへ、血脂にぬめった手が伸ばされる。


「お、おねがい……や、やめ――」


 湧き上がるおぞけに身を(すく)めたルゥの首を、アルフラは優しく抱き寄せる。

 まるで人でも喰ってきたかのように紅い唇を、ルゥの顔へと近づけた。


「ここで見たことは、あたしとルゥだけの秘密よ? いいわね?」


 感情のこもらぬガラス玉のような瞳に見据えられ、ルゥは声を出すこともできずにがくがくと頷く。むせ返るような強い血の香りで、頭がくらくらしていた。


「そう、いい子ね。約束よ」



 アルフラは惜しいことをした。もしこの時、お姉ちゃん呼びを強要していれば、ルゥは一生そう呼ぶことを誓っていただろう。

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