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氷の滅慕  作者: SH
一章 楽園
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アルフラとちっぱい



 毛布を抱きしめてうとうとしていたアルフラは、室内へ人が入ってきた気配で目を覚ました。食事のあとぼんやりと考え事をしているうちに、眠ってしまったらしい。

 寝台のかたわらでは、四十代くらいのメイドらしき女性が、湯をはった桶に厚手の布を(ひた)していた。


「おや、おはよう」


「あ、おはようございます」


 アルフラは身を起こして、ぺこりと頭を下げる。


「体を拭いてあげるから、服をお脱ぎよ」


「え……? あたし、自分で出来ます」


 しかし、絞った布を受け取ろうと伸ばした手が、やんわりと(さえぎ)られる。


「だめだめ、そりゃ体くらい自分で拭けるだろうさ。でも、あたしゃ奥様から、あんたの体を拭いてやるように、と言い付けられてるんだよ」


「はあ……」


「奥様の言われた通りに仕事をこなさないと、あたしが怒られちまうのさ」


 きりりとした眉を吊りあげたメイドは、人差し指をちっちっと左右に振る。面長でやや神経質そうな印象を受けるが、人好きのする笑顔を浮かべた女性だ。

 寝台に腰掛けたアルフラのワンピースが脱がせられる。パンツをはいていないので、一枚脱いでしまうとすっぽんぽんだ。


 アルフラに背を向けさせたメイドが、温かな布で背中をごしごしと擦る。


「んじゃ前は自分でお拭きよ。背中は拭いたんだから、奥様の言い付けはちゃんと守ったさね」


 ぱちりと片目をつむり、アルフラに布を渡す。


「あ、はい。ありがとうございました」


「ははっ、まだ小さいのに礼儀の出来た子だね」


 にこにこと頷くメイドから、よく喋り、気のよさげな印象を受けた――その批評は多分に、必要最小限しか話さず、言葉足らずな白蓮と、やはり必要なことしか話さず、一切の無駄口をきかない高城との対比によるものであった――アルフラは、昨晩から気になっていたことを聞いてみる。


「あのぉ……白蓮(びゃくれん)さんて、東部の方なんですか?」


 アルフラの知るかぎり、白蓮、高城という独特な響きの名は、大陸東部、魔族の領域と呼ばれる地域に住まう者たちのものだ。そして東部には魔族の眷属や、その支配下にある種族しか存在しない。また、魔族の領域に住む人族は、極端に少ないと聞いていた。


 まだ幼いアルフラは実際に見たことはなかったが、東部に住む少数の人間は、オリーヴ色の肌をした者が多いとも聞かされていた。


 しかし、アルフラが体を拭いている姿をにこにこと眺めていたメイドは、一瞬で顔色を変えた。そして激しい口調で問い詰める。


「ちょっと、あんた! 人間のくせに何様のつもりだい!? 奥様を名で呼ぶだなんて!」


 あまりの剣幕に、アルフラは思わず身体を硬直させた。わけも分からずごめんなさい、ごめんなさい、と小声でつぶやいて顔をうつむかせる。


「だいたい奥様の名を、何故あんたなんかが知っている? 何かい、奥様がそう呼んでいいとでもおっしゃったのかい? ええ?」


 目を吊り上げ、一気にまくし立てるメイドに怯えながらも、アルフラは必死にうなずく。


「は、はい。あの……好きに呼んでいいって」


「え……?」


「白蓮さまって呼んだんだけど怒られて……さまを付けるなって」


 メイドは呆気にとられた様子でぽかんとしていた。


「白蓮さんて呼んだら、それでいいって」


「え……えぇー?」


 なにかとんでもない失態を犯し、叱られているのだと思っていたアルフラは、びっくり顔のメイドを見ってほっとする。どうやらなにか誤解があったようだ。


「奥様が……? そうかい、奥様がねえ……」


 こくこくとアルフラはうなずく。


「あんた達人間はどうだが知らないけどさ。あたしら魔族にとっちゃ、名前てのは結構大切なもんでね。市井(しせい)の者が高貴な方を名で呼ぶのは、大変な無礼にあたるんだよ」


 ちゃんと理解しているかを確認するように、メイドはアルフラの顔を覗き込む。


「怒鳴っちまってごめんよ。別にあんたが人間だからって訳じゃあないんだ。魔族の子供だろうと、貴族様の名をうっかり呼ぼうもんなら折檻さね」


「はあ……」


「しっかしあんた、いったい何者なんだい?」


 何者、と聞かれてアルフラは返答に困ってしまう。


「あの……アルフラです」


 若干、質問の内容とはニュアンスの違う答えに、メイドはう~んと考え込む。


「まぁいいさ。よっぽど奥様から気に入られでもしたんだろうね」


 アルフラを安心させるように、メイドはにかっと笑った。


「気に入られた……?」


 白蓮の美しい顔立ちを思い出して、アルフラの口許がにへらとゆるむ。


「アルフラちゃん? だね。あたしゃフェルマー。よろしくね」


「え? フェルマー……さんも、魔族なんですよね?」


「ああ、あたしは西部の出身さ。東方魔族は、名前の響きが独特だからねぇ」


「はぁ……」


「東方魔族と違って、あたし達は数が少ないから珍しいだろうけどさ」


 正確には、人間の領域で魔族を見かけること自体が稀なことである。びっくりまなこで感心するアルフラに、気をよくしたフェルマーは喋りつづける。


「大昔にね。古代人種っていう連中が、西の方にある大陸から大勢攻めて来たんだよ」


 こくりとうなずいてアルフラは話に聴き入る。


「でね。そいつらが強いわ、数が多いわ、あたしら魔族と同じで戦いが大好きだわっていう、とんでもないやつらだったのさ」


 驚きがそのまま表情に出るアルフラは、なかなか良質な聞き手だ。その反応に気をよくしたフェルマーは上機嫌だった。大きな身振り手振りをまじえてつづきを語る。


「その戦いで西方に住んでた魔族は、だいぶ数が減っちまったってわけさ。知ってたかい?」


 アルフラもおおまかには古代人種の侵攻について聞いたことがあった。しかしその戦いで西方の魔族が数を減らした、という話は初耳である。

 そもそもそれは数千年も昔の出来事であり、神話や伝説の(たぐ)いだと思っていたのだ。人と魔族とでは、伝わっている話や認識に微妙な違いがあるらしい。


「ところで、アルフラちゃんはいくつなんだい?」


「十一です」


「へええ、歳のわりにはしっかりしてるねえ。あたしゃ今年で三百六十歳さね」


 いたずらっぽく笑うフェルマーに、アルフラはさらに目を丸くする。


「えー!? そんな……だって、四十さいくらいにしか――?」


「あたし達は寿命が長いからね。力のある魔族はもっと長生きさ。魔王様の中には、千年も生きる方がいるらしいしね」


 絶句するアルフラを見て、フェルマーは満足気に笑う。

 実際に、魔族が長寿なのは有名な話だ。しかし、人づての伝聞と(じか)に見聞きするのとでは大違いである。辺境の小さな寒村で生まれ育ったアルフラにとって、それはとても衝撃的だった。


「それにしてもアルフラちゃんは、ちょっと痩せ過ぎだね。朝食は少し多めに持ってこようか?」


「あ……」


 フェルマーの視線に、身体を拭く手が止まっていたことにアルフラは気づく。厚手の布はすでに冷たくなっていた。


「せっかく可愛らしい顔してんだから、ちゃんと食べなきゃね」


「え……かわいい? あたし……?」


「おやおや、あんた自分の顔も知らないのかい。あぁ、もしかして鏡を見たことないのかい?」


「あ……はい」


 鏡は一般的に普及している物ではなく、一部の裕福な者だけが持つ貴重品であった。しかもそのほとんどが、銅を磨きこんだあまり鮮明に写る品ではなかった。


 アルフラもたまに水浴びをする際の、川に映し出された自分の姿しか見たことがない。それは流れで歪み、細部のはっきりしないぼやけたものであった。


「そうかいそうかい。ちょっとこっちにおいで」


 フェルマーはアルフラの手を引いて立ち上がる。そして、大きな寝台の枕側に据え付けられた化粧台の前へと連れていく。


「きっと驚くよう」


 うれしそうにフェルマーは笑う。その手が、化粧台の上に立てかけられている何かから、サテン地の布を一気に取り去った。


――ぁ……


 そこにあったのは、今まで見たことがないほど鮮明に映し出されたアルフラ自身の姿であった。

 肩までのびた亜麻色の髪。ほっそりとした輪郭に華奢(きゃしゃ)な顎。鼻筋は通っているが、こちらを見返す鳶色(とびいろ)の瞳は、ぎょろぎょろとしてすこし大き過ぎると思った。

 ぽかんと開ききった口に気づいて慌てて閉じる。よだれが垂れていないか思わず確認してしまった。

 視線はさらに降り、男の子のように平らかな胸元に見入る。アルフラのほそい肩が、かくりと落ちた。

 その悲しげな視線に気づいたフェルマーは、アルフラのやわらかな髪質の頭を撫でながら笑う。


「あんたはまだ子供なんだから、気にするこたぁ無いよ。たっくさん食べれば、すぐに膨らんでくるからね」


「確かに痩せ過ぎではあるな」


 いつの間にか鏡の隅に、白蓮の姿が映り込んでいた。

 あまり隠す必要性が感じられない胸元を、アルフラはあわてて両手で隠す。そして真っ赤な顔で振り返った。

 下もすっぽんぽんなことまでは気が回らなかったようだ。


「気にすることはない。胸なんて飾りよ。そんな物が大きかろうと、役に立つことなんて何もないわ」


 身体の線がはっきりと浮き出る薄手のドレスをまとった白蓮が、胸を反らして傲然(ごうぜん)とアルフラを見下ろす。


 アルフラの目は、思わず白蓮の胸元に注がれる。――が、そう言う白蓮の胸は、お世辞にも大きいとは言いかねるサイズだった。

 頭のてっぺんからつま先まで、完璧とも言える美しさを誇る白蓮ではあったが、女性らしさといった観点からすれば、その薄さが唯一の欠点と言えたかもしれない。


 一歩身を引き、かるく頭を下げていたフェルマーに、白蓮が声をかける。


「朝食を持ってきなさい。量は多めでね」



 アルフラは無意識の内に、女性を二通りに大別すると、白蓮は自分の側だ、と分類していた。

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