腹ぺこ人狼娘のララバイ
アルフラたち一行がサルファを目指し、街道を歩くこと六日目。
途中、オークの進軍が伝わり一時的に打ち捨てられたいくつかの村々を素通りし、かなりの強行軍でアルフラたちは西へと進んでいた。
ゼラードたちも同じく、かなり無理な行程を経ているらしく追いつくことは出来なかった。おそらく砦襲撃時に得た情報を、一刻も早く伝えるために先を急いでいるのだろうとシグナムは予想していた。
その夜は南部へと続く街道と交わる、三叉路に打ち捨てられた粗末な小屋で一夜を過ごすことになった。
そこは野営地にも使われている場所らしく、すでにサルファから派遣された偵察隊が、いくつもの天幕を張っていた。彼らが使っていた小屋の内の一つを提供して貰ったのだ。
その偵察隊の隊長から戦況の最新情報が聞けた。
現在、サルファの手前に一万の国軍が陣を張っており、王都から派遣された五千の騎士団が三、四日で到着するらしい。
先行している騎士団の後続に一万の兵も進軍中で、南の街道からも八千の援軍が向かっているとのことだった。
「全部あわせりゃ三万越すな、オークごときにそれだけ動員されるのも初めてじゃないか?」
団員の一人が隊長に問うた。
「なんでも今回は、魔族の方もきな臭いことになってるらしい。王都では隣国からの使者が頻繁に行き来してるみたいだしな」
その後、偵察隊の炊き出しをご相伴にあがり、他の団員たちはいくつかの天幕に分散して夜を明かすことになった。
「ここからなら、急げば明日の夕方にはサルファに着く」
暖炉の前で、揺れる炎に照らし出されたシグナムが、黒い瞳をルゥへと向ける。
「ゼラードたちと合流した後は、おそらくオーク共ともう一戦交えることになる。ルゥはどうする?」
「ボクもシグナムおねえちゃんと一緒に戦うー」
アルフラも、なんとかルゥにおねえちゃんと呼ばせようと試みてはいたが、今のところ一度も成功していない。
「人狼の姿で戦うのはちょっとまずい。ルゥは剣とか使えるのか?」
「え、だめなの?」
「戦場のど真ん中に人狼が現れたら大混乱だ。オークだけじゃなく人間からも攻撃されちまうよ」
「えー」
「その格好で戦うなら、アルフラから貰った短刀だけじゃ心細いだろ。偵察隊の奴らから、予備の剣を貰えると思う」
「もらえるの? やったぁ!」
にこにこと嬉しそうにするルゥ。武器などに限らず、人間が使う道具全般に興味津々なようだ。
「鎧はさすがに体が小さすぎて無理かな……まあ、そっちはサルファまでいけばなんとかなるだろう」
「んー、鎧はいらないかも。でもくれるのならもらっとくっ」
やはり嬉しそうだ。機嫌を取るようにシグナムへ擦り寄る。
「慣れないうちは少し動きにくいかもしれないけど、鎧はちゃんとつけておいた方がいい」
「へいきだよ、ボクは白狼の戦士なんだからね」
「うん、まあ万が一てこともあるからさ」
シグナムは雪狼たちに助けられた時のことを思い出し、ひとつ頷いた。十倍近いオークとオーガの混成部隊を、わずかな時間で殲滅した凄まじい戦闘力。滅多なことはないだろうと。
「そういや、あの時オーク共の動きを止めた咆哮は、人の姿をしてても出来るのか?」
「うんっ! できるよっ。でもこの格好だとあんまり魔力がのらないから、すこし効果がうすいかも」
「魔力?」
それまで暖かな暖炉の炎が心地よくて、うとうとしてたアルフラが気になる単語にぴくりとする。話の流れはほとんど聞いていなかったが、おうむ返しに反応してしまったのだ。
「うん。獣人族の戦士は、すっごく優秀なシャーマンなんだって長老さまがいってたの」
「魔法が使えるのっ!?」
「魔法はつかえないよ。でも魔力と感情を咆哮にのせて、いろんな精霊を呼べるの。ボクはまだあんまり上手くないけど、怒りとか恐怖とか勇気とか、精神に影響のある精霊が呼べるようになるんだって」
ルゥが得意げに薄い胸を反らす。
「それって魔力があれば、魔法を使えない人でもできる!?」
白蓮の魔力が宿っているはずなのに、アルフラは一度も魔法を使うことが出来なかった。その瞳が期待に輝く。
「アルフラこの前やってたよ? いっぱい精霊が来てたから、ボクよりぜんぜんすごいんだとおもう」
「え?」
「えぇ!?」
アルフラとシグナム、二人の驚愕の声が重なった。
「うそっ、いつ? あたしそんなことした??」
「ほら、なんだっけ……このありさまよ?」
ルゥがアルフラの小梅ちゃんをつつく。
「……」
「……」
「え?」
微妙な顔をする二人をルゥが不思議そうに見ている。
「ボクのパパが泣いちゃうくらいだから、ほんとにすごいよ」
「それって本当に精霊が来てたの?」
「うん、すごくいっぱい」
「……ちなみに、どんな精霊?」
「嘆きの精霊だよ」
「クッ……」
シグナムの喉が妙な具合に鳴った。
アルフラの顔はほんのり赤い。怒りのためか恥ずかしさなのかその両方か。
「それって……なんか役に立つの?」
「う~ん……とりあえずみんな悲しくなるね」
「そう、なんの役にも立たないのね」
仏頂面のアルフラが、いぢけたようにそっぽをむく。ロ・ボゥが素で、哀れみの涙を流していた可能性も否定出来ない。
「でもパパを泣かせちゃうくらいだからやっぱりすごいよっ。獣人族は魔力が強いから、あんまり精霊に影響されないんだよ」
さすがに可哀相になったらしくフォローが入る。
「それに魔力があるからって誰にでもできるもんじゃないんだよ」
「もぅいいわ、この話はやめましょ」
どこか痛むらしいアルフラが、薄い胸に手を当てて呼吸を整える。
「まあ、人間の格好でもアレが出来るなら、危なくなった時は吠えて森にでも逃げこめば、ルゥは安全だな」
言いながらシグナムは、アルフラの背中をさすってやる。両手を床に付いてうなだれるその背には、深い悲哀が感じられた。
「でも、ボクが吠えるとおねえちゃんまで動けなくなっちゃうんじゃない? アルフラはへいきだとおもうけど」
「あたしも平気だったな、最初はびっくりしたけど普通に動けた」
「おねえちゃんも魔力があるの?」
「さぁ? 魔力とかよくわかんないけど、ああいうもんは気合いだろ、気合い」
シグナムが、分厚い胸をぽよんと叩く。
「心がものすごく強い人も、精神の精霊に耐性があるって聞いたけど、それなのかな」
「どうだろうね、まぁ今後の方針も決まったし、とりあえずそろそろ寝ようか。……あー、火酒が欲しいな」
砦が落とされて以来、禁酒生活がつづいているシグナムはお酒が恋しいようだった。
「なっ――!?」
一歩、二歩と後ずさったルゥの背が、壁に突き当たった。
膝が砕け、ガクリと腰を落としそうになるのを、アルフラがすかさず横から支える。
「だから……言ったでしょ」
耳元に口をよせ、ルゥにだけ聞こえる声でアルフラが囁いた。
「あ、あぁ……ぅぁぁ――」
勝ち誇ったようなアルフラの声に、ルゥの肩は小刻みに震え、膝がガクガクと笑う。
「もう……認めなさい。そうすれば楽になれるわ」
「そんな……そんなぁ…………」
世界の全てを拒絶するかのように、ルゥはアルフラの胸へすがりつく。
その頬を優しく包みこんだアルフラの手が、ルゥの顔をくいっ、とひねった。
「さぁ、現実を見なさい」
残酷な声が告げた。
「うぁぁあぁぁ――ん」
突然の絶叫に、シグナムはびくりと肩を震わせた。その胸もぶるんと揺れる。
「うわぁぁん、揺れてるよ――!!」
「指さすなっ」
シグナムがぺちりとルゥの手をはたく。
「巨乳がぶったぁ――」
ぺたりと床に座りこみ、泣きじゃくるルゥの肩をアルフラが優しく抱きよせる。
二人の貧乳娘の友情は、強大な敵の出現により、さらに確固なものとなった。
その夜、アルフラは何やら苦しげな呻き声を聞き、目を覚ました。
「ん……あぁ……」
アルフラが軟らかな専用枕から身を起こすと、ルゥまでちゃっかりとシグナムの上に顔を乗せて寝ていることに気づいた。
二台あった寝台をくっつけて、一番身体の大きいシグナムを真ん中に寝ていたのが仇となったらしい。
二人から枕にされていたシグナムは、さすがに息苦しそうだ。
「……」
それにしても、とアルフラは思う。ルゥがシグナムと一緒に寝るのは今日が初めてだ。にもかかわらず、いきなりベストポジションを確保するなんて……
――ほんとうに末恐ろしい子!
しかし、その道の先達であるアルフラから言わせれば、まだまだだ。
――ふふん、そのポジショニングでは、息が出来なくってよっ!!
心の中で高笑など飛ばしつつ、ずびしっとルゥを指差す。
うつぶせになっているルゥは、シグナムの胸に埋もれて、とても寝苦しそうだ。もごもごと口元を動かしている。
「えぃ」
差した指でルゥの頭をつついてみる。なかなか動かない。
――やるわね……
さらにぐぃぐぃと押す。シグナム連峰に遭難中のルゥを、一刻も早く救助するために。
すると……押されたルゥごとシグナムが伸びた。
「ひぃぃ――――!?」
もれてしまった悲鳴を、両手で押さえて飲み込む。
シグナム山脈がみょ~んと伸び、その山頂部はルゥの口に吸い付いている。……いや、むしろルゥが吸い付いていた。
「んぁっ――ぁん―――――」
妙に艶っぽい呻きがシグナムの口からもれる。
――な、な、な…………
ルゥはごそごそと頭の位置を直し、ふたたび遭難した。その手は仔犬の授乳時のように、シグナムの上でむにむにと前後に動いている。
――………………
目を見開き、カタカタと小刻みに震えるアルフラの前で、夢の桃源郷が花開いていた。
むにむに、ちゅーちゅー
「ん……あぁ……んっ――――」
ちゅーちゅー、むにむに
「ぅぁぁ……ぁん」
――………………
アルフラは頭まで毛布へ潜りこみ、二人に背を向けて丸くなった。
なにも見なかったことにしたらしい。
その夜、朝方まで聞こえてきたシグナムの悩ましい吐息と、何か良い夢でも見ているらしいルゥの寝言で、アルフラは寝不足になってしまった。
「おはよーっ!」
元気いっぱいのルゥが、アルフラとシグナムに挨拶する。
目の下にくまを作ったアルフラと、妙に疲れた様子のシグナムが、うん、あぁ、と気のない返事で応えた。
「おねえちゃんどうしたの? 寝れなかったの?」
「いや、ぐっすりだったんだけど、なんか最近疲れがとれにくくて……とくに今日は酷いな」
シグナムがぐりぐりと両肩を回して伸びをする。
「ルゥは元気そうねぇ、なにかいい夢でも見れた?」
渇いた声で問うアルフラ。
「んー、よく覚えてないけど、ママが出て来たような気がするっ」
生まれたての赤子のように肌をツヤテカとさせ、ルゥは顔をほころばせる。
「そうかぁ、ルゥはまだまだお母さんのお乳が恋しい年頃か。あたしゃむしろ寝る前より疲れた気がするよ」
なかなか洒落にならない冗談を飛ばすシグナム。夢の中では、自分がお母さん役をやらされていたことには気づいてないようだ。
「えーっ、ボクもぅ大人だよ! アルフラとちがっておっぱいなんか恋しくないもん」
かるい殺意を覚えたアルフラだった。
女の友情は、取り扱いが難しいのだ。
アルフラは今後、ルゥの隣でだけは寝るまいと心に決めた。
風雲急を告げる使者が現れたのは、シグナムがルゥ用の長剣を偵察隊の者から譲り受け、サルファへ向けて出発しようとしていた時だった。
街道の東から馬を走らせて来た兵士が騎乗したまま叫ぶ。
「東へ向かった偵察隊は全滅だ! ここから一日ほど行った所で、街道脇の森にオーク共が伏せてやがった」
「なんだと!? どういう事だ?」
偵察隊の隊長が焦った声で問う。
「やつら、本隊の手前に先遣隊を伏せてやがった! いきなり奇襲をかけられて、街道の前後をふさがれたんだ! 斥候の戻りが遅いから、俺たちは一個小隊で派遣されたんだが……他の奴らはみんな殺られちまった」
歯を噛み締め、馬上の男は悔しそうに呻く。彼自身も肩に矢傷を受け、脇腹の辺りにも血を滲ませていた。
アルフラたちも東へ向かう斥候とは何度かすれ違ったが、戻ってくる者とは一度も出逢っていない。かすかな違和感を覚えてはいたのだ。
「俺は急いで本陣へ戻る! オーク本隊もここから二日とない所まで来てやがった。早ければ明日の夜にはサルファが戦場になる」
早過ぎる、と誰かの呻き声が聞こえた。
騎兵は傷の手当をする間も惜しいらしく、すぐさまサルファへ向けて馬を走らせて行った。
「おい、隊の半分は本陣へ戻れ。もう半数は俺と一緒に街道を南下する。一刻も早く、北上中の援軍に報告せねばならない。オーク共の進軍が異常に速いことを」
口早に指示を飛ばす隊長にシグナムが声をかける。
「南方の部隊はどの辺りを進軍中なのか把握してるのか?」
「先日の伝令の話通りなら、ここから南へ約二日ってとこだな」
「微妙に間に合わないんじゃないか?」
隊長はすこし考えた後、かるく首を振った。
「……わからん、タイミングが良ければ横合からオークの本隊を分断出来るかもしれん。間に合わなくともサルファの防衛隊と連動して、挟撃は可能だ」
「今回の奴らは頭がいい。二つの砦を一夜で落とし、ここに来るまで点在する村に見向きもしないでサルファを目指している」
「俺も話は聞いている。やっかいな事だ。オーク共が南の部隊とサルファの本陣を、各個撃破にかかる可能性もあるな」
偵察隊の副長がてきぱきと指示を出し、隊を二つに分ける。出立の準備が整ったようだ。
「だからこそ急がねばならん。お前たちも早めにサルファへ入った方がいい」
「ああ、そうさせて貰う。世話になったな」
シグナムが腕を掲げて、隊長が応えるように拳を合わせた。
「武運を」
「あんた達にもな」
シグナムが口の端で笑みを作り、アルフラへ振り返る。
「今日中にサルファの本陣へ入り、ゼラード達と合流するぞ!」




