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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
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狂想の偽神 アルフレディア・ハイレディン



 アベルが魔剣の刃を受けたと同時、烈風(れっぷう)吹き(すさ)ぶ凄まじい寒気が場を駆け抜けた。

 周囲の霧が瞬時に霧氷(むひょう)と化し、竜鱗の鎧に霜が降りる。

 歓喜を叫ぶ魔剣の旋律に呼応するかのごとく、身に宿した竜神の魂魄こんぱくが活性化をしていた。体温が急激に上昇し、湧き上がる高揚感を抑えきれず身震いが走る。そして間近で襲撃者と視線を交えた瞬間、アベルはハッと息を呑む。

 おさなげな顔貌(がんぼう)にほっそりとした肢体(したい)。その少女はゆうにアベルの頭ふたつ分ほども背が低かった。しかし受けた剣撃はおそろしく重く、腕に痺れが残るほどの衝撃を(ともな)っていた。

 だが、容姿の意外さに気を取られたのも一瞬、すぐにそれどころではなくなる。

 少女が合わせた刃を滑らせ、アベルの首を狩りにきたのだ。

 体をらせて間髪(かんぱつ)(のが)れるも、喉元を狙った刺突が襲い来る。避ける余裕はなく、アベルはこれを皇竜の宝剣で打ち払う。少女の上体がかすかに泳いだのを見逃さず、魔剣の持ち手を狙って刃を振り下ろす。しかし相手は自重というものを感じさせない挙動で背後に飛び退きこれをかわした。だがアベルはその動きを予測していた。小手先への一撃はあくまで牽制けんせい。少女の手を止め後ろに下がらせることが目的だったのだ。魔剣を構えるいとまを与えず、アベルは追撃の刺突を少女の肩口へと放った。それに合わせて下方かほうから振り上げられた魔剣が皇竜の宝剣を受ける。少女が一歩、足を引き、半身はんみになりつつ宝剣の切っ先をらす。その動作は魔剣を振りかぶる動きと一体化しており、間を置くことなくアベルの側頭部に鋭い斬撃が迫る。態勢を崩しながらもこれを受けられたのは、踏み込みが浅かったためである。もし勝負を決めようと渾身こんしんの刺突を放っていたのなら、いまの一撃ですべてが終わっていたかもしれない。――さらに二合三合と斬り結び、両者はやや間合いを外して正面から向き合った。このわずかな剣戟(けんげき)応酬(おうしゅう)で、二人は(たが)いの技力(ぎりょく)をほぼ正確に見抜いていた。そして相手に対し、二人まったく同様の印象を(いだ)く。


――手強い……


 表情をこわばらせるアベルとは対照的に、少女は口許をほころばせて笑っていた。

 相手が強ければ強いほど、奪える力に期待が持てる。そんな思いがなんとはなしにアベルにも伝わっていた。

 剣技においてはほぼ互角。体力的には明らかにアベルがまさっているはずなのだが、膂力りょりょくにおいても拮抗きっこうしている。――ただし、魔力に関しては圧倒的だ。少女から感じられるそれは、さきほど相対あいたいした魔王鳳仙をも凌駕りょうがしている。おそらく遠距離からの魔法の撃ち合いとなれば勝ち目はない。

 さいわい、剣をもちいての近接戦は相手も望むところのようだ。

 とはいえ容易に勝機は見いだせない。

 さきほど受けた魔剣の重さ、少女の身のこなし、そして受け流しの技量。

 うかつに攻めれば即座に命を落としかねない。

 警戒しなければならない要素は多々あれど、やはり特筆すべきはその殺意の高さだろう。

 少女の剣は頭部、頸部けいぶ、心臓と、そのすべてが必ず致命傷を取りに来る。

 牽制を多用し、虚実きょじつ織り交ぜた戦いかたをするアベルとは真逆の剣だ。

 執拗しつように急所を狙って来るため攻め手の予想はつきやすい。しかし来るとわかっていても避けられない。かろうじて剣で受けるのが精一杯せいいっぱい。少女の剣技はそういった域に達していた。――竜神の力を得たアベルでさえこの有り様なのである。たとえ達人と呼ばれる者であったとしても、この少女と立ち会えば二合と刃を交えることなく首を落とされるだろう。アベルとてそう幾度も受けきれる自信はない。

 だが、まったく勝ち筋は見えぬものの、決着を急ぐ必要がある。

 少女のまとう寒気の影響で、鎧だけではなくアベルの肌にまで霜が降りはじめていた。



 このままでは冷気にかれて凍死するか、動きがにぶり魔剣の餌食となるか……過程は違えど結末は同じである。





 ふっ、と大きく息を吐き、アベルはかじかむ指にちからを込た。そして宝剣を上段に構える。


「無限永劫火!」


 刀身に呼び起こされた永劫の火が、腕に降りた霜を蒸発させる。それでも、あたりを取り巻く冷気を完全に消し去ることはできない。

 対する少女は下段の斜構はすがまえ。右手のみでつかを握り、左の腕はだらりとらされている。

 すでに精緻せいちな受け流しの技量は見た。

 ならば頭上からそれをも許さぬ圧力をもって勝敗を決する。

 かつてアルフラと木剣で立ち会ったシグナムと同じあやまちを、アベルはおかそうとしていた。

 手にした宝剣は高まる戦意を受け、永劫の火を増幅させる。

 燃え盛る炎は周囲との温度差により気流の向きを変えた。

 少女の前髪がなびき、わずらわしげに眉がひそめられたのを機に、アベルが動いた。

 火焔の尾を引き皇竜の宝剣が振り下ろされる。その刀身を削り取ろうとするかのような角度で魔剣が斬り上げられる。

 鋼のこすれ合う異音が響き、宝剣の軌道がらされた。――刹那の瞬間、アベルは後足に残した重心を前方に移す。右の肩を押し込むようにして半身をひねり、太刀筋たちすじを変える。少女はこれにも対応しようとしたが、アベルは強引に魔剣を横へとはじいた。返す刃は渾身の一撃。魔剣を握った右手はおおきく伸び切り、少女の薄い体が無防備にさらされていた。

 魔剣での受けは間に合わない。

 圧倒的不利と思われた死闘に勝利の手をかけたその時、しかしアベルの背筋にぞわりと凄まじい悪寒が走った。生存本能が悲鳴を上げ、全身の毛穴から汗が噴き出す。少女が刀身ではなく、魔剣ので刃を受けようとしていたのだ。

 まさか、と思う……


――まさか剣のつかでも受け流せる……?


 そして少女はその神業を、手首の返しのみでやってのけた。

 振り抜かれた宝剣に手ごたえはなく、今度は逆にアベルが無防備な背中をさらす形となる。死を告げる魔剣の旋律が高らかと鳴り響く。――反射的に、アベルの背から霊体の光翼が現出げんしゅつし、致命ちめいの一撃を打ち払おうと大きく広げられた。人体を血煙に変えるほどの衝撃波をともなうその羽ばたきは空を切り、


「――ッ!」


 少女は一刀のもとに竜神の片翼を斬り落とす。

 紙一重であった。

 光輝の一翼いちよくを犠牲に命をつないだアベルは振り向きざまに後方へ飛び退すさる。喉元近くを魔剣の切っ先がかすめ過ぎた。

 周囲は氷雪ひょうせつ舞い散る極寒の空間だというのに汗が止まらない。おそろしく死が近い。

 少女は攻守一分いちぶの隙もなく、勝機というものがかけらも見えてこない。だが、ここでの敗北は許されない。そうなれば集落の入り口で身を潜めているフィオナの命にも関わってくる。彼女に危害が及ばぬよう配慮した魔王鳳仙とは違い、いま眼前にるのは殺意の塊のような少女なのだ。


――フィオナ……


 心の中で幼馴染の名を呼び、アベルは正眼に構えて腰を落とす。

 少女が一足飛びに間合いを詰めてきた。

 踏み込みの足が地に着く瞬間を狙いアベルは刺突を繰り出す。

 守勢にまわると見せかけて、起こりを誘発したうえでのせん

 きょを突かれた少女はそれでも咄嗟とっさに魔剣でこれ弾き、その場でくるりと身体からだひるがえす。



 弾いた勢いを遠心力に変え、風を切る音よりも早くアベルの喉首のどくびに斬撃が殺到した。





 金属同士の打ち合わさる、甲高い打撃音が響き渡る。

 あやうく首から上をくす寸前で魔剣を受け止めたアベルであったが、斬撃の勢いに負けて上体をかしがせる。


 ちッ、とアルフラが鋭く舌打ちした。


 そのまま魔剣の刃を押し込もうとしたのだが、体の軽さがわざわいし、逆に自分が後ろへ押し出されてしまったのだ。これを好機とアベルは上から押さえ込むように圧力をかける。

 ここにきて、魔族との戦いでは一度も不利とはなり得なかったアルフラの短所が問題となっていた。


 体格である。


 遠距離からの魔法攻撃を主体とする魔族相手であれば、小柄な体はそのまま的の小ささとなる。だが、武具による近接戦において、それは明確な欠点であった。たとえ膂力に差がなくとも、上から押し込まれればこれをはねのけるのは至難である。

 アルフラは魔剣のみねに左手をえて頭上からの重圧を押し返そうとする。しかしそれはかなわず、上背うわぜの優位を存分にかしたアベルの側に軍配ぐんばいが上がった。

 ごつりと音を立て、魔剣の峰がアルフラの額を打つ。

 片刃剣の利点である。

 たとえ鍔迫つばぜり合いでり負けても、みずからの剣で傷つくことはない。


「く……ぅ……」


 細く短くアルフラがうめく。

 本来、アルフラはこの状況を好転せしめる手段を複数ゆうしている。――だが、あくまでも身体的な力での打破にこだわっていた。

 さきほど魔剣で押し込もうとして逆におのれの力で押し返されたことが、とてもくやしかったのである。むきになっているのだ。

 かちりと歯をみ鳴らしてアベルをにらみつける。そのとき不意に、あせりをおびた女性の声が響いてきた。


「だめ、アベル! その子、魔族じゃない。人間よ!」


 フィオナの言葉を受け、アベルは驚いたように目を見開く。

 この魔王よりもよほど魔王らしい少女が人間なのかと。


「カモロアの街で会ったことがあるの! その子がたぶん……」


 そこまで聞いて、ようやくアベルは竜神スフェル・トルグスの予言した『運命の少女』とアルフラの存在を関連付けた。

 皇竜の宝剣を引き、アベルはおおきく後方へと退しりぞく。その剣先はこれ以上たたかう意思がないことを示すため、地面に向けられていた。

 アルフラはごく自然な流れで、魔剣を横に薙いだ。

 相手が剣を引いたからといって、それに付き合ういわれはない。

 深い踏み込みからの斬撃。アベルは避けられる間合いにないことを瞬時に理解する。宝剣をおろしてしまっているため受けも間に合わない。

アルフラは勝利を確信して笑みの形に唇をゆがめた。アベルは絶望的な心持ちで凝視ぎょうしする。



 白銀の軌跡きせきに、死が見えた。





 魔剣の刃が竜鱗りゅうりんり、アベルの腹を浅く斬り裂く。浅くとはいえ鋭利な切っ先は腹膜ふくまくにまで届いていた。

 真一文字まいちもんじの傷口からこぼれ出たのは、てらてらとつやめく肉色のくだ。腹圧により臓腑ぞうふあふれ、アベルは膝から崩折くずおれる。


「アベル――――――!?」


 絹を裂いたかのような悲鳴は、フィオナのものであった。

 仰向けに倒れたアベルへ駆け寄り、癒しの力を備えた銀竜の篭手こてに右手をえる。


「我は願う!!」


 快癒かいゆの詠唱を始めたフィオナであったが、すぐにその声は途切れた。

 あふれた内臓のせいで傷口がじないことに気づいたのだ。


「ああぁぁぁ、いやあぁぁ……アベルぅ…………」


 フィオナはぽろぽろと涙をしたたらせながら、震える手で事におよび始めた。

 美しく清楚せいそな指でくちゅくちゅと卑猥ひわいな音を立て、愛する少年の大切な臓物ぞうもつを腹の中へ押し戻す。しかし腹膜腔ふくまくこうかられ出た黄ばんだ漿液しょうえきが腸にからみ、ぶよぶよとした不気味な感触のそれは酷くぬめっていた。なかなか上手くできない。

 急がなければ手遅れになってしまう。そういった焦りから、フィオナの手つきは次第に乱雑なものになっていた。臓物を押し戻そうとする圧力で腹膜の傷が余計に広がる。――結果、押し込むほどに端からにゅるにゅるとはみ出てしまう。そのたびごとに、アベルはびくびくとからだを波打たせていた。


「ねぇ、もう無理だとおもうよ」


 背後から聞こえたアルフラの至極しごくもっともな意見に、フィオナは狂ったようなかなぎり声でこたえた。


「無理じゃない!! 絶対に助ける!」


 手はやすめることなく怨嗟えんさの言葉が投げられる。


「なんで……アベルは竜の勇者なのに………。剣を引いていたのに、なんでこんな……ひどい…………」


 もしも正気な者がこの場にいたのなら、眼前の光景を、地獄のようだと形容しただろう。

 愛する少年の腹へ、血脂にぬめる臓腑を押し込もうとする半狂乱の少女。その背に、嗤笑ししょうを浮かべて魔剣の切っ先を向ける人外の悪鬼。


「ッ…………?」


 フィオナは胸から生え出た魔剣の刃を、茫然ぼうぜんと見つめた。さらに剣が押し込まれ、その刃がアベルの胸へ迫る。

 アルフラが自分ごとアベルを串刺しにするつもりなのだと気づき、フィオナは刀身をわし掴みにする。刃の食い込んだ掌から大量に血が滴るが、不思議と痛みは感じなかった。

 フィオナは愛する少年を守るため、必死で刀身をみずからの腹の中へ押し戻そうとする。だが、魔剣は血まみれの手を深く斬り裂きながら押し込まれていく。


 ごろごろと、喉から不快な響きがもれた。


 傷ついた肺から上がった血が、呼気と混じって音をたてているのだ。粘度の高い体液が気管を塞ぎ、呼吸を妨げる。

 必死に空気を吸おうとするが、傷ついた肺腑はいふは仕事をなさない。

 みずからの血に溺れる苦しさに耐えられず、剣を握っていた両手で首を掻く。

 口を大きく開き、舌を突き出し酸素を求めるが、呼吸が出来ない。

 苦悶に目をき、酸欠により血走った眼球が徐々に裏返っていく。

 喉を掻く指はせわしなく動き、穴を空けて血を掻き出そうとするかのように喉肉をえぐる。

 やがて体が小刻みに震えだし、魔剣の刃がさらに胸の傷を拡げた。

 ――不意に、腹の中身をこねられるようなおぞましい感覚と共に、刀身がひねられる。

 アルフラが魔剣を胃のあたりまで斬り下ろし、手首を返したのだ。

 冷たい刃がゆっくりと内臓を巻き込んでいく。その致命的な動きに体が反射し、フィオナは両手で剣を押さえつけようとした。――しかし、アルフラは強引に魔剣をじり込み、フィオナの中身を掻き回す。


「んぶッ!?」


 腹の底から熱い塊がりあがる。

 固形物の混じった熱い体液が喉を灼く。それは――とめどなく逆流して来る。


「えげええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」


 大量の血塊を吐き散らしながらも、フィオナは刀身を掴み直そうとした。――だがその手には、掴むための指が存在していなかった。それらはアベルの胸の上に散らばっていた。

 フィオナはうつろに開かれた目にいっぱいの涙をため、謝罪の言葉を口にする。


「……ご、めんな……さい、アベル…………すぐ、に………きれいに………」


 アベルの臓物を自身の吐瀉物としゃぶつで汚してしまったことをあやまっているのだ。

 小刻みに痙攣けいれんする指のない手が伸ばされる。

 おもうように手が動かないのか、それはアベルの腸と汚物を掻き混ぜる行為にほかならなかった。


「竜の勇者さま、もう死んじゃってるよ」


 そう指摘されてようやく気づく。フィオナの愛した少年は血の泡を吹き、白目をいて事切れていることに。

 すでにアベルの命は失われていた。

 瞬間、生にしがみつくことに意義を見失ったフィアナは、意識と命を手放した。

 魔剣を通してその魂魄こんぱくが流れ込んでくる。



 彼女はアベルを救いたい一心で、魔剣にあらがっていたのだ。

 





 二人は、寄りうように倒れていた。

 たがいの唇がふれあい、こぼれた血を混じわらせ、アベルとフィオナは添いげたのだ。

 この二人をつなぐ深い愛情といつくしむ心が、アルフラにもはっきりと読み取れた。


「……いいなぁ」


 二人はとても幸せそうに見えた。

 それがとてもねたまましかった。

 アルフラは魔剣を頭上に振りかざす。


「いいな!」


 あらん限りの力で叩きつける。


「いいな! いいな!」


 魔剣を叩きつけ、白い骨片と赤い肉片を飛び散らせる。


「いいな、いいな、うらやましいなあ!!」


 何度も、何度も、執拗に。アルフラは魔剣を振り下ろす。



 二人の幸せの形が――その原形を無くすまで。





 魔剣プロセルピナが喜びの旋律を鳴り響かせた。





――やっとひとつに、なれたね

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― 新着の感想 ―
邪悪な存在ムーヴが板についてますね...。 どう考えても悲惨な結末しか思い浮かばなくて惚れ惚れします。
いつまでも待ちます〜。
いつか更新してくださることを待っております!!!!
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