注1)やめたげてっ、シグナムさんのHPはもう0よ ※挿し絵あり
夕暮れ刻、やや木々の開けた場所を今夜の野営地に定めた一行は、各々みずからの仕事に取りかかっていた。
ウルスラに割り当てられたのは天幕の設営である。主にシグナムの指示に従い指定された箇所に杭を打ち込むお仕事だ。黒エルフの王女は初めて行うこの作業に苦戦していた。
「ちょっと角度が浅いな、やり直しだ」
天幕を組み立て中のシグナムからの駄目出しである。
ウルスラは杭の側面を小槌で叩き、抜きやすいようにして一息にそれを引っこ抜く。やり慣れない作業ではあるがこの初めての経験はそれなりに楽しいらしく、ウルスラは自分の仕事に没頭していた。そしてふと気づく。
「……あれ? そういえばさっきからルゥさんを見かけませんね」
きょろきょろと辺りを見回してみるが、やはり狼少女の姿は見あたらない。この野営地につくまではなにかとウルスラにまとわりついてきていたのだが……
「ルゥならあっちの獣道に入っていったぞ」
「獣道……。大丈夫なんですか? 迷ったりしたら大変ですよ。この辺りには大型の魔獣もいるはずですし」
「腹がへったら戻ってくるだろ」
「え、そんな感じでいいんですか……?」
黒エルフにとってこそこの森は庭と呼べる安全地帯であるが、人間の子供にもそうなのだろか、とウルスラは疑問に思う。
「ほら、もう戻ってきた」
すぐ脇の藪からごそごそと音がして、なにかおおきな物を背負ったルゥが現れた。
「わわっ」
「おっ、今夜は鹿鍋だな」
そう、鹿である。狼少女は立派な角を生やした牡鹿を担いでいたのだ。
「ど、どうしたんですかそれ!?」
「えへへ、すごいでしょう」
ウルスラの驚きように気をよくした狼少女が牡鹿を担いだまま薄い胸をそらす。
「えええ!? なぜ裸なんですか!?」
「あ、お前また服をだめにしやがったな。フレインから怒られるぞ」
ルゥは気にすることなく得意満面だ。褒められ待ちの姿勢である。
実際、大きな獲物を持ち帰った狼少女には賛辞が送られて然るべきではあるのだが……ウルスラはルゥの担いだ牡鹿を見て、はっと息をのむ。だらりと垂れ下がるその首筋に、巨大な噛み痕を見つけたのだ。牡鹿に他の外傷は見当たらず、おそらく頸骨を噛み潰されたことが死因であろう。歯形はこのあたりに生息する熊のものより優にふたまわりは大きく、牡鹿を一撃で仕留めていることからも、それを行ったのが非常に獰猛で巨大な捕食者であることが察せられた。
「ひとの食べ物を取ってはだめじゃないですか!」
「ええっ!?」
どうやらウルスラは他の魔獣が仕留めた獲物をルゥが横取りしてきたのだと勘違いしたらしい。そもそも狼少女には食事中、ジャンヌやウルスラの皿を虎視眈々とつけ狙う前科があったのだ。
「ちがうよっ、これはボクがとってきたんだよ。ボクがね……ボクがとったの!」
最初は得意気にみずから獲物を誇示していたルゥであったが、なかなか信じてくれないウルスラに対し、次第とむきになっきたようだ。その声を聞きつけたフレインが狼少女の有り様に気づき、こちらへと駆けてくる。
「また服を着たまま人狼化したのですか」
あきれたように言いながらも、フレインはさりげなく自分の導衣をルゥに着せかける。
「あら、今日は鹿鍋ですの?」
アルフラの天幕を設営し終えたジャンヌだ。ぶかぶかの導衣に着られたルゥを見てくすりと笑む。
「あら、かわいらしい」
「正直、鹿を狩ってきてくれたのは助かりますが、もうルゥさんの貫頭衣は代えがありませんよ」
「でしたらすこし大きいかもしれませんけど、わたしのものをルゥに差し上げますわ。普段は着ることもありませんし」
ジャンヌの貫頭衣をもらえると聞いてうれしそうにするルゥのとなりでは、彼女が人狼であることをシグナムがウルスラに説明していた。
夕食後、ジャンヌたちの天幕では鎖でぐるぐる巻きにされたルゥが寝息をたてていた。ここ最近、夜な夜な狼少女に襲われていたジャンヌであったが、今回は見事返り討ちにして縛り上げたのである。
「ん……うぅ……」
鉄鎖で拘束されたまま就寝中のルゥがむずがるような声をだして寝返りをうつ。
ほどなく目を覚ました狼少女がもじもじと身じろぎをしはじめた。
「ジャンヌ。ねぇ、ジャンヌ……」
「どうしました?」
アルフレディア神へ祈りを捧げていた神官娘がちらりと視線だけをルゥに向ける。
「おしっこ」
「……しょうがありませんわね」
ジャンヌが鎖を解いてやると、狼少女は洩っちゃう、洩っちゃうとつぶやきながら外へと駆け出していった。その背を見送ることなく祈りを再開した神官娘であったが、
「ぅひい!?」
狼少女のなにかに驚いたような声が聞こえてきた。
「……ルゥ?」
外に向かって呼びかけてみるが返事はない。すこし気になった神官娘は天幕を出てふたたび声をかける。
「ルゥ、どうしました?」
すると眠い目をこすりこすり、狼少女が木立の中から姿を現した。その足取りはふらふらとしており、まだいくぶん寝ぼけているようだ。
「おしっこしてたら、なんかにゅるってされた」
ルゥはそのままはわはわとあくびをしながら天幕に入ってしまった。
「……にゅる?」
取り残されたジャンヌは不審気に首をかしげる。そしてぶるりと身を震わせた。
すでに夜も更けこみ気温はかなり下がっている。自分も用をたしてそろそろ就寝しようかと考えたジャンヌは、手近な樹木の脇に移動してしゃがみこむ。神官服の裾をたくしあげ、腰布の股関部分に指を引っかけてすこしずらす。
外気にさらされたそこからしょろしょろと尿が放出されはじめた瞬間、ジャンヌの腰になにかがにゅるりと巻きついた。そのままひょいっと頭上に吊り上げられる。
「…………またあなたですか」
赤目ちゃんである。
「とりあえず一旦降ろしてください。お小水を終えたらすこしだけ遊んでさしあげますから」
つぶらな瞳をまたたかせ、赤目ちゃんは言われた通りにジャンヌを地面に降ろす。なにげに従順だ。
神官娘がふたたびしゃがみこむと、赤目ちゃんも触手を枝に巻きつけて樹上から降りてきた。
「……器用ですわね。でも人でなくとも見られながらでは落ち着かないのであっちを向いていてくださいます?」
触手をひらひらとさせた赤目ちゃんは素直に後ろ向きとなった。
「している最中にこちらを向いたらひどいですわよ」
かるく脅しつけてから用をたしたジャンヌは、ふとさきほどのルゥの言葉を思い出した。
「……あなた、ルゥに悪戯をしませんでした?」
向き直った赤目ちゃんはしきりと触手を動かしてなにかを伝えようとしている。
「もしかして、わたしとルゥを間違えましたの?」
それを肯定するかのように赤い目が何度もまばたきを繰り返す。
「わたしににゅるっとしたら触手を数本捥ぎますわよ?」
ぷるりと全触手を震わせた赤目ちゃんと、しばしのあいだ交遊を深めたジャンヌであった。
翌日の行程も順調に進み、皇城への距離は着実に縮まっていた。
頃合いは太陽が中天を越えた昼の二点鐘(午後一時)。
「ウルスラさん、この近くに水場はありますか?」
皇城到達前に飲み水の補充を、と考えたフレインがそう話をきりだした。最悪、アルフラに雪を降らせてもらえば水はいくらでも入手可能だ。――が、できれば雪道を歩くのはなるべく避けたい。また、アルフラの気分によっては周囲一帯の生物が死滅するほどの寒波に見舞われるため、それは本当に最悪の手段なのだ。
「水ですか……あ、近くにユニちゃんの泉がありますよ」
「……ユニちゃん?」
「はい、ユニコーンです」
「え、この森にはユニコーンがいるのですか?」
数多くの伝承が残る稀少生物だ。
「かならず泉にいるとは限りませんけど、日の出ている間は泉の近くにいることが多いみたいです。あ、でもフレインさんは男性なので遠目に見ることしかできませんね」
歩くこと半刻(約十五分)ほどで件の泉が見えてきた。
「わっ、いますよ。ユニちゃんです!」
はしゃいだ声をだしてウルスラが泉に駆けていく。そして狼少女もまた歓声をあげてあとにつづいた。
最後尾を歩いてたシグナムが追いつきフレインと肩を並べた。そして泉の畔に横ばいとなったユニコーンを見やり、感嘆の声をあげた。
「立派な体格の白馬だな。よく走りそうだ。……ん? 額に角がはえてるぞ」
「ユニコーンは一角獣とも呼ばれる魔獣ですからね」
「え、魔獣なのか? でもずいぶんとおとなしいな」
ユニコーンは泉の前で寝そべったまま、ウルスラとルゥにぺたべた撫で回されていた。
「本来は気性の荒い生き物らしいですよ。唯一、清らかな乙女に対してだけは無条件でなつくのだと聞いてます。――水汲みはジャンヌさんにでもお願いしましょうか。私は男なので近づくことができませんから」
そのジャンヌもウルスラたちに加わり、ユニコーンの長い首筋を優しげな手つきで撫でていた。ルゥに至っては背中によじ登ろうとしている。それを見て元来馬好きのシグナムも我慢ができなくなったようだ。
「おっ、もしかして乗れるのか? あたしもちょっと行ってくる」
「えっ!? 待ってください。ユニコーンに触れるのは乙女だけなのですよ!」
「失礼なやつだな。こう見えてもあたしだって一応は女だぞ。まあ乙女って歳じゃないのは確かだけどさ」
「いえ、そうではなく……乙女というのはいわゆる処――!?」
処女、と言いかけたフレインはあまりの驚愕に口をつぐんでしまう。
「ん? なんか言ったか?」
シグナムに撫でられたユニコーンが、気持ちよさげに目を細めていたのだ。
「……」
おもわず真顔になるフレイン。その視線の先では、やはり同じような顔で無言になってしまったウルスラとジャンヌが、ユニコーンと戯れるシグナムに目をまるくしていた。
フレインの隣ではアルフラまでもが真顔である。
「……ん、どうした?」
周囲のみょうな視線にシグナムも気づいたようだ。
みな一様に何事かを察して無言であった。
ユニコーンの背にまたがったルゥだけが無邪気に上機嫌だ。
しかし空気の読めない小娘が約一名。
「シグナムさまは処女だったのですね」
びっくり眼のウルスラである。
「――は? なに馬鹿なこと言ってやがる。そんな訳ないだろ」
かるく笑い飛ばしたシグナムであったが……ジャンヌがそれを許さなかった。
「そうですわよね。以前、傭兵団にいらしたころは、ずいぶん殿方からおモテになられたという話をシグナムさまからうかがいました」
「まあな、昔はあたしも男をブイブイいわせたもんさ」
そう豪語するシグナムの胸に、ユニちゃんがぐいぐいと鼻面をこすりつけていた。
優秀な処女発見器である。
「……シグナムさまはたしか、今年で二十六歳でしたわよね。――ちなみに、これまでの男性経験はいかほどなのでしょうか?」
「え……そりゃまあ、いちいち覚えてられないくらいだな」
「あの……シグナムさん」
これ以上、見ていられなくなったフレインが意を決して声をあげた。
「ユニコーンが好む清らかな乙女というのは……男性経験のない女性のことなんです」
やや躊躇しながらも言いきったその顔は、とても苦しげだ。
「……は?」
シグナムもまた真顔である。しかしすぐに顔を耳まで赤らめ、だらだらと汗を流しはじめた。
「い、いやいや……それは、おかしいだろ」
いまやすべての視線がシグナムとその胸元に頬擦りするユニちゃんへと集まっていた。
「こら、やめろ。あっちいけ」
ユニちゃんを押しやろうとするシグナムに神官娘がやや棘のある声で言う。
「これまでのいかにも経験豊富そうな言動は、いったいなんだったのでしょうか」
かつて上から目線でさんざん男女の機微について語られたことを思い出し、神官娘はいささか憤慨しているようだ。
シグナムは真っ赤になって瞳をきょときょとと泳がせていた。
「たしか『色恋の悩みならこのシグナム姉さんに任せろ』などと言われた覚えがあるのですが……ほんとうにお任せしても大丈夫なのでしょうか」
※注1
「シグナムさま?」
「う、うるせえ! このユニコーンが間違ってるのかもしれないだろ!!」
「……居直りましたわ」
ジャンヌがあきれたようにため息を落とす。
「あの、ユニちゃんはぜったい間違えたりしません」
ウルスラがおずおずといった様子でユニちゃんを擁護する。
「以前、私のお母さんはユニちゃんとすごく仲良しだったらしいのですが、私を産んだあとに会いに行ったら角で四回くらい突っつかれたそうです」
シグナムは悲愴なほどに言葉もない。
「お母さん、死んじゃうかと思ったって言ってました」
もはや否定のしようがなかった。
「……し、しょうがないだろ」
うつむき肩を震わせるシグナムがぽつりとつぶやく。
「そういうことをしたら赤ちゃんが出来ちゃうだろ。そしたら傭兵稼業は続けられないし……」
機会がなかったのではなく、あえて避けていたのだ。男勝りのシグナムは性欲も人一倍強かったのだが、そもそも男性に頼るという概念を持たなかったため、子育てと傭兵業のどちらかしか選択肢が無いと考えていたのである。
「シグナムさま……」
がっくりと肩を落としたシグナムに、神官娘も言葉をかけあぐねているようだ。
「ジャンヌ、おねえちゃんをいじめちゃだめだよ」
話の流れをあまり理解していない狼少女には、ジャンヌがシグナムをいじめているように見えたらしい。
「ほら、おねえちゃん泣いちゃってる」
「泣いてねえよ!」
しかし事実、やや涙目だ。
羞恥のあまり顔を赤らめ瞳を潤ませたシグナムは、誰もが初めて見るものだった。その様子は恥じらう少女のように可愛らしく、周囲からの視線は暖かなものへと変わっていた。
心なしアルフラの眼差しも優しげだ。
フレインからは幼子を見守る母親のような慈愛が感じられる。
「やめろ! そんな目であたしを見るな!」
いたまれない視線に背を向けたシグナムの手を、ルゥがちょんちょんとつつく。
「おねえちゃん、処女ってなに?」
※注1
その後、処女たちによる水汲みが黙々と行われた。
充分な量を集め終え、そろそろ出発をしようかという時、突如として鋼の擦れる不穏な音が響き渡る。
アルフラが魔剣をずらりと引き抜いたのだ。
瞬時に緊張感を漂わせ、身を固くした一同には目もくれず、アルフラは森の奥へと走り去る。
「――魔族か!?」
アルフラが殺気立つということは、おそらくそうなのだろう。
「え、あの……」
急なことにおろおろとしていたウルスラが問いかける。
「追いかけなくていいんですか?」
その場から動くことなくアルフラを見送ったシグナムたちを不審に思っているようだ。
「下手に追うと巻き添えを食うからね。剣を抜いたアルフラちゃんには近づかないほうがいい」
ウルスラ以外の全員が、アルフラから本気で殺されかけた経験がある。それはとても含蓄に溢れた忠告だった。
「すこし様子を見てからゆっくり進もう」
その言葉が終わらぬうちに、アルフラの走り去った方角に天を衝く嚇熱の火柱が立ち上がった。――距離がある。かなり遠方だ。やや遅れて聞こえた爆音と同時、大気の波に打たれて体が泳ぐ。
「アルフラさん以外の何者かが、戦ってるようですね」
その戦いに誘われてアルフラは駆け出したのだろう。
「アルフラちゃんの興味を惹いちまうほどヤバい奴が最低二人か……」
このまま進んだらたぶん死ぬな、とシグナムがつぶやいた。
イラスト 柴玉様




