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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
244/251

冬の進撃



 黒エルフの版図(はんと)たる大森林よりわずかに南、街道をやや外れた下生(したば)(しげ)る平原にて、じつに一万八千もの軍勢が潰走(かいそう)余儀(よぎ)なくされていた。


「森まで走れッ!!」


 隊伍(たいご)を乱して駈ける魔族たちに、指揮官である架進(かしん)侯爵の(げき)が飛ぶ。


「森に入れば木立が冷気の流れを(さまた)げてくれるはずだ!」


 しかし、その声はごくごく狭い範囲にしか届かない。一万八千の潰走は地を揺るがし、重なる足音は架進(かしん)の声をかき消していた。

 いままさに危急存亡(ききゅうそんぼう)(きわ)。背後から(せま)るはすべてを()てつかせる大寒波であった。


架進(かしん)殿、あなたも早くこの場から離脱してください!」


 架進(かしん)の副官である熾南(おきな)が叫ぶ。


殿(しんがり)は私が(つと)めます。このままでは――」


「一軍を預かる将として、兵を見捨てて逃げだすことなど出来ん! 熾南(おきな)様こそその身を(いと)い、先に行かれるがよかろう」


 副官という立場に甘んじこそすれ、熾南(おきな)は公爵位に(にん)じられた大貴族であった。外見こそいまだ(おさな)さの残る少女と言えるが、有する力は架進(かしん)のそれを遥かに(しの)いでいる。対して架進(かしん)侯爵は(よわい)四百を超える歴戦の魔族であった。今回の出征(しゅっせい)にあたり、年若い熾南(おきな)架進(かしん)侯爵の副官として軍団指揮の経験を積むようにと、その立場に(はい)されたのである。本来ならば力を重視する魔族にはあり得ない配属であったが、長年に渡り積み上げられた架進(かしん)侯爵の実績により、熾南(おきな)も彼の風下に立つことを納得している。


「ならば――」


 何事かを言いかけた熾南(おきな)がはっと言葉を途切れさす。

 一心不乱に駈ける軍勢の後方、数百もの魔族が白い冷気に呑み込まれたのだ。


「このままでは森に辿(たど)り着く前に全滅してしまう。……いや、そもそも森に入ったからといって助かる確証はない」


 大気を白く染め上げながら迫る寒波を前に、架進(かしん)は決然たる声音(こわね)で告げる。


「逃げの一手ではどうにもならん。全滅の()き目を回避するには、あれをどうにかするしかない」


 そして親子ほども歳の離れた女公爵に向き直る。


「すまないが……ここを死地と定める覚悟でお付き合いください」


 さいわいにも架進(かしん)熾南(おきな)は炎の魔法を得手とする魔族であった。大貴族が二人で掛かれば並みの冷気ならばいとも容易(たやす)くかき消すことができるであろう。――しかし、氷雪吹き(すさ)ぶ嵐を(ともな)い押し寄せる大寒波を前に、二人はぞっと身を震わせる。


「いったい何者がこれを……」


 だれに尋ねるともなくつぶやかれた架進(かしん)の言葉に熾南(おきな)が応える。


「やはり……どこぞの魔王が(かか)わっているのでは?」


 魔王とは天災のごとき猛威振り撒く超越者だ。そういった者でなければこれほどの天変地異を起こすことなど不可能だろう。そう熾南(おきな)は考えていた。


「冷気を操る魔王と言えば、まず思いつくのは北部の盟主だが……()御仁(ごじん)は現在皇城に()められているはず」


 緊迫した状況下でみずからを落ち着かせるかのように、架進(かしん)はことさらゆったりとした語調で告げる。


「……来るぞ。ありったけの炎を――」


 目前(もくぜん)にまで迫った大寒波。――ぎしぎしと不吉な音が二人の耳に届く。空気中の水分が凝結する音であった。さらには二酸化炭素が凍りつき、視界を白一色に埋め尽くす。――世界を(むしば)む白だ。


「――架進(かしん)殿!」


 じっと正面を注視していた熾南(おきな)が一点を指差した。


「あれは……」


 ちいさな人影であった。


「……子供か?」


 致命の冷気から逃れるようにこちらへと駆けて来る少女。架進(かしん)熾南(おきな)も一瞬それが、大寒波から命からがら逃げのびた子供なのだと思った。しかし――


「――ッ!?」


 少女が軍勢の後方集団に飛び込むと同時、(おびただ)しい量の血煙りが舞った。


「あの少女だ! 架進(かしん)殿、あの少女が冷気の元凶だ!」


 わずか(まばた)きふたつほどのあいだに斬り伏せられた魔族は数十人。その遺骸の(ことごと)くが冷気に呑み込まれる。

 すでに少女は顔の判別がつく距離にまで迫っていた。血まみれの長刀を片手に、さも楽しげな笑みを浮かべている。


「……化け物め」


 おもわずといった様子でつぶやいた架進(かしん)が蒼白く発光する長槍を投擲(とうてき)する。人体など骨も残さず蒸発させる灼熱の槍は、しかし魔剣のひと振りで両断されてしまう。間髪を置かず熾南(おきな)が極大の火球を(はな)つ。それは少女の足許に直撃し、凄まじい爆炎を(しょう)じさせた。

 もしも魔王口無の死因が目の前の少女であると知っていれば、架進(かしん)熾南(おきな)も立ち向かうことなど考えもしなかっただろう。だがなにも知らない二人は、燃え上がる炎のなかへ間断(かんだん)なく攻撃を加えつづける。

 炎熱により冷気は打ち払われ、蒸発した霧氷が水蒸気となり天高く舞い上がる。溶解した地面が液状となって飛び散り、周囲は赤々と輝いていた。


「やったか……?」


 息を上がらせた架進(かしん)が呼吸を整えつつ、少女が居たとおぼしき場所を凝視する。


 緊張を(ただよ)わせて様子を(うかが)う二人の頭上で、ぎしぎしと大気の(きし)む不穏な音が響いた。


熾南(おきな)様……これは、無理だ……」


 架進(かしん)は白く濁った空を(あお)いで表情を引き攣らせる。



「お逃げくださ――」





 膨大な質量の冷気が――天から雪崩れ落ちた。


架進(かしん)殿!!」


 一足(いっそく)飛びに後方へ退避した熾南(おきな)の眼前で、それは架進(かしん)をひと呑みにした。

 霧氷に(けぶ)る冷気の中に、熾南(おきな)はちいさな人影を(みと)めた。その影が長刀を握った手をひと振りする。――とたんに白い霧氷が鮮血に染まり、数瞬の()を置いて、凍りついた架進(かしん)の生首が転がり出てきた。


「――クッ!」


 鋭く呼気を吐いて身構えた女公爵の右腕には、直視すれば網膜(もうまく)が焼けつくほどの光度を発する白炎が(まと)わりついていた。

 かすかに見える人影は回避行動を取るかのように左手へと高速で移動する。


「逃がすかッ!!」


 熾南(おきな)の腕から白熱の業火が伸びる。その先端が竜の(あぎと)のごとく開かれ人影に食らいついた。

 ――(とら)えた! そう感じた瞬間、熾南(おきな)のすぐ背後から、愛らしい笑い声が響く。


「うふふ……つかまえたあ」


 反射的に振り返ろうとした動きをえたかいなはばむ。――するりと熾南(おきな)の腰に巻きついた少女の両腕。いや、それは少女の形をした得体の知れないナニかだった。


「ねえ、あなたがこの中で一番えらい魔族?」


 おそらく軍勢の指揮官であるかを問われているのだろう。――が、答えは(いな)だ。指揮官である架進(かしん)はつい今しがた、目の前で殺されている。とうの少女の手によって。――どうやらこの少女は単純に、より力の強い熾南(おきな)こそが一軍の指揮官であると勘違いをしているらしい。


「あたしはね、めんどくさいからだって言ったんだけど、フレインが森の道案内にひつようだから、魔族の……ええと、指揮官? をつかまえてこいってうるさいの」


 フレインが知識の神ラムザから入手した地図は非常に精密(せいみつ)な品である。しかしあいにくと黒エルフの森に関してはほぼほぼ道が記されていなかった。これまでの道中(どうちゅう)で森の地図を入手しようと(こころ)みはしたものの、そもそも魔族には測量や製図といった概念がなく、地図を作るという慣習(かんしゅう)自体がなかったのだ。これはすでに故人となった魔族の斥候を捕らえて得られた情報であった。


「なんの知識もなく広大な森林地帯に入り込めば、道に迷うのは必然です」


 アルフラとしても彼の言い分はもっともだと思ったので、黒エルフの森へと向かう魔族の軍勢を見つけたとき、


「一軍を率いて大森林を通過しようとしているのならば、当然その指揮を()る者は進軍経路を把握しているはず。できれば指揮官だけは殺さずに捕らえてきてくだい」


 というフレインの言葉にいやいやながらも納得したのである。

 黒エルフの森さえ越えれば白蓮の待つ皇城はすぐそこだ。この状況で道に迷いでもしたら、癇癪(かんしゃく)をおこしたアルフラは彼を撫で斬りにしてしまうだろう。フレインにとっては実に切実な願いであった。


「だから、あなたに道案内をしてほしいの」


 熾南(おきな)の腰に絡んだ腕が、きゅっと締めつけられる。


「ね、いいでしょ?」


「いや……わ、わたしは……」


 否定の言葉を発しようとするが、からだが(すく)みあがって上手(うま)く舌が回らない。それは圧倒的な恐怖によるものであった。まるで甘える子供のように抱きついてくる背後の少女からは、魔王すら凌駕(りょうが)する脅威が感じられた。


「……返事は?」


 いくぶん()れてきた様子の少女は、その言葉に若干の苛立ちを乗せる。――とはいえ熾南(おきな)に黒エルフの森についての知識などない。そういった行軍や軍団指揮に関する経験を積むため、架進(かしん)の副官に任じられたのだから。しかしここで出来ないと答えることも(はばか)られた。その返答は、架進(かしん)と同じ末路を辿たどる未来しか見えてこない。


「ちゃんと皇城まで案内してくれたら、見逃してあげてもいいよ?」


 子供がおねだりをするように、少女は熾南(おきな)の腰にぐりぐりとあごを押しつけてくる。その猫なで声が、むしろ不気味でおそろしい。


「わ、わかった……案内、するわ」


「よかったあ! じゃあ、やくそくね」


 はしゃいだ声と同時に熾南(おきな)の左手が掴まれる。少女はそのまま人差し指を握りしめ、そこにおのれの指をちかづける。


「――ま、待て! なんだそれは!?」


 熾南(おきな)が注視したのは少女の爪。ぴんと立てられた人差し指の爪が真っ白に凍りついていた。その爪先には膨大な魔力が集約し、途轍(とてつ)もなく禍々(まがまが)しい気配を漂わせている。


「やめろ! なにをするつもりだ!!」


 必死の抵抗は押さえ込まれ、人差し指の爪に少女のそれが重ねられる。


「――んッ!!」


 焼けつくような冷たさを感じた直後、まるで爪の内側に氷の根が張られるかのような激痛に襲われる。しかしすぐに痛覚は麻痺し、指先からすべての感覚が失われた。


「これは……?」


「やくそくをやぶるとね、大変なことになるんだよ」


 腰に回された腕がほどかれ、熾南(おきな)は少女の拘束(こうそく)から解放される。


「とちゅうで逃げようとしたら、たぶんすっごくかわいそうなことになると思うの。どうなるのかはあたしにもよく分からないけど」


「――まさか、制約(ギアス)の魔法……?」


 法の最高神レギウスが扱うとされるその術の存在は熾南(おきな)も知っていた。神王の制約(ギアス)は命に関わる事柄に対してはその効力を失うのだが、この少女の制約(ギアス)に限ってはそういった人道的な配慮などなされてないのだろう。


「……魔王ではなく、邪神の(たぐ)いだったのか」



 熾南(おきな)(おび)えもあらわな視線を見返し、少女はうれしそうに笑っていた。





 舞い散る霧氷により(いちじる)しく視界の悪い街道を、一台の馬車が足早(あしばや)に進んでいく。

 御者台には甲冑を着込んだシグナムが腰掛け、その隣には火水晶の宝珠を手にしたフレインが同乗していた。

 周囲は極低温の冷気渦巻うずまく死の世界である。おおよそ人が生命活動を維持することなど不可能な環境といえた。一行が馬車による移動を可能としているのは、シグナムの装着した魔鎧(まがい)黒氣粧(くろけしょう)の力によるものであった。魔鎧の展開する障壁をフレインが宝珠の魔力で拡張しているのだ。


「……おい、なんかヤバそうなのがいるぞ」


 シグナムが小声でささやき馬の手綱(たづな)を引く。フレインもほぼ同時に道端でうずくまる人影に気がついた。


「おそらく爵位の魔族ですね」


 この周辺には大寒波により凍死した魔族の遺骸(いがい)が無数に散乱している。極寒の冷気に(さら)されてなお生き残っている時点で、高位の魔族であることは間違いない。アルフラ自身は落ち延びた兵を狩るために先行しているのだろう。遺骸から遊離(ゆうり)した無数の魂魄(こんぱく)が前方へと流れて行く。


「……まいったな。アルフラちゃんがこんな大物を取りこぼすとは思わなかった」


 その声に反応し、地面にぺたりと座り込んだ人物が顔を上げた。(つや)めかしい黒髪がさらりと肩から流れ落ち、視線がシグナムへと向けられる。歳の頃は人で言えば十代後半。ほっそりとした顔立ちは非常に美しい。だがその見た目に反し、彼女からはすさまじい圧迫感を覚える。生存本能が戦いを避けるよう警告を発しているのだ。――しかし女はみずからの左手を抱きしめたまま動かず、すぐに視線を伏せて顔をうつむかせる。


「……どうします?」


 フレインの問いかけにシグナムが顔をしかめた。


「いや、さすがに素通(すどお)りはできないだろ」


「ですが私たちではおそらく勝てませんよ」


 フレインが後ろを振り返って馬車の小窓をのぞき見る。中ではルゥをまるめて胸元に抱いた神官娘が安らかな寝息をたてていた。


「あの女魔族から戦意が感じられないせいかジャンヌさんはまだ寝ていますね」


「……なあ、あの女。魔族の指揮官じゃないか? お前、アルフラちゃんに()()りにしろって言ってたろ」


 シグナムとフレインはまじまじと女魔族を観察する。


「なにか様子もおかしいですし、アルフラさんに手傷を負わされて動けないのかもしれませんね」


 がちゃりと甲冑の重い金属音を響かせてシグナムが御者台から飛び降りる。大剣を鞘ごとひっ掴み、ゆっくりと女魔族に歩み寄る。


「あまり近づきすぎると危険ですよ」


「わかってる」


 やや距離を置いてシグナムは足を止める。


「なあ、あんた……アルフラちゃんにやられたのか?」


「アルフラ……?」


 顔を伏せたままつぶやき、女魔族はぎゅっと左の(てのひら)を握り締める。


亜麻色(あまいろ)の髪の……子供のことか?」


「ああ、やっぱりか。……それで? なんであんたはまだ生きてるんだ?」


 シグナムはアルフラのことなので、生け捕りにすることなどあっさり忘れ、魔族の軍勢をみな殺しにするだろうと予想していたのだ。


「皇城まで案内をするよう(めい)じられた」


 言って女魔族は無造作(むぞうさ)に立ち上がる。


「――動けるのか!?」


 シグナムは身構(みがま)えざま、一挙動(いっきょどう)で大剣を抜き(はな)つ。


「待て、戦うつもりはない。そんなことをすれば、どんな酷い目に()わされるか……」


 自嘲(じちょう)するかのような笑みを見せて、女魔族は左の人差し指を立てて見せる。


「ご(らん)の有り様だ。あの娘には逆らえん」


「……なんだ、そりゃあ?」


 白く凍りついた女魔族の爪を、シグナムが(いぶか)しげにのぞきこむ。


「知らんのか? 制約(ギアス)の魔法だ」


「制約の魔法!?」


 御者台からフレインの声が響いた。

 女魔族は気にもとめず、忌々(いまいま)しげ凍りついた爪を見つめる。


「お前らを殺すことなど造作(ぞうさ)もないが、それをするとがどうなるのか(わか)らん」


「……どうなるんだ?」


 眉をひそめて尋ねたシグナムに、女魔族はその美しい顔をゆがめる。


「それが解らないから恐ろしいんだ。あの娘自身もなにが起きるかは知らないと言っていた。……ただ、すごく可哀想なことになると……」


 小刻みに震え、女魔族は弱々しげに(おもて)を伏せた。その黒目がちな瞳を長い(まつげ)(かげ)らせる。

 シグナムとフレインは(たが)いに真顔で目を見交(みか)わした。


「あのアルフラちゃんが可哀想だと思うようなことになっちまうのか……」



 それだけでこの女魔族のことが可哀想に思えてきたシグナムであった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 腰に手を回して囁きかけてくるアルフラちゃんの可愛さに昇天待ったなし(二重の意味で) [気になる点] 可哀想なことになっちゃうのか…… [一言] 明けましておめでとうございます() 今年もこ…
[一言] 更新お疲れ様です。今回の話も凄く良かったです。魔族視点から見たアルフラが最早死そのものですね。対峙するのが可哀想すぎます。 制約を破ったらどうなるのかも気になります。 次話も楽しみです。コロ…
[良い点] だんだん(邪)神性を高めたアルフラさん [気になる点] ここで殺されたほうがましかもな、哀れな女魔族さん… あと何話もつかな
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