献身の怪物(後)
「だいたいお前のほうこそどうなんだよ」
それまで静かに聞き入っていたフレインに矛先が向けられた。
「あんたがアルフラちゃんに惚れてるの知ってるけどさ、まったく脈がないのは最初から分かってたことだろ。それなのに魔族の領域について行ってもしょうがないと思うけどな。――わざわざ死にに行くようなもんだぞ」
まったく脈がない、との指摘がそれなりに堪えたらしく、フレインはかすかに頬を引き攣らせていた。
「私はいいのですよ。今ではとくに何かを成したいという想いもありませんし、最後までアルフラさんとご一緒すると決めていましたから」
「……奇特なヤツだな。アルフラちゃんはお前が近くに居るだけで嫌な顔をするのに、なんでそこまで入れ込めるんだ」
シグナムは不思議でならないといった顔で、まじまじとフレインを見つめる。
「そうですね。――私は幼い時分に両親を亡くし、孤児となったところをギルドに拾われたのですが……そのせいか幼少期の頃からずっと、生きて行くためには誰かの役に立たなければならない、という強迫観念めいた思いがありました。実際、ギルドに引き取られた孤児のうち、魔術の才に欠けると判断された子供がいつの間にかいなくなっているということが、よくあったのですよ」
一旦、言葉を切ったフレインに、シグナムは酒壺を押しやり火酒を勧める。そうして、なるほど、と間の手を入れた。
「その役に立ちたい相手がアルフラちゃんになったってことか」
「それは……どうでしょう。私はアルフラさんだけではなく、シグナムさんやルゥさん、ジャンヌさんのお役に立ちたいと思っています。――以前はギルドの長であるホスロー様に、すこしでも恩返しができればと考え、ひたすら勉学に打ち込んでいたのですが、私は大恩ある師をアルフラさんのために裏切ってしまいました」
とくに表情を変えることもなく、フレインは落ち着いた様子で話をつづける。
「同僚であるアイシャやサダム、カミル、カダフィーまでも殺されていますし、すくなからずアルフラさんを恨む気持もあります」
「まあ……それはそうだろうな」
単純な好意だけでアルフラに付き従っているのであれば、フレインも今のようなどこか後ろ暗い変貌を遂げてはいないだろうとシグナムは思う。――やはりなにかしら歪んでいるのだ。
「ですが諸々の遺恨が些事に思えるほど、アルフラさんは魅力的です」
臆面もなく言い切ったフレインに、シグナムはすこし驚いたように眉をあげた。
「……アルフラちゃんも以前はそれなりに可愛げがあったし、たしかに見た目は可愛いらしいよ。でも仮にあたしが男だったとしても、アルフラちゃんみたいな娘は……ちょっとなあ……」
これには意外そうな顔をしたフレインに疑問が投げられる。
「いや、ほんとにアルフラちゃんのどこがそんなにいいんだ?」
「むしろ男女を問わず、アルフラさんには人間的な魅力があると思いますよ」
そこでフレインはしばし黙考し、英雄譚を吟う詩人のように語りだす。
「アルフラさんの在り方は、常人とはかけ離れ過ぎています。――あれほど幼く、人並み以上に小柄な少女が魔王に打ち勝つなど、本来ならば決してあり得ないことなのですから」
しだいに口調は熱を帯び、その視線はシグナムを通りすぎてどこか遠くに据えられていた。
「――以前にアルフラさんは、利き腕と右目を失う大怪我をしましたよね。凡人であればその状況から立ち直ることは出来なかったでしょう。ですがアルフラさんは不具となったみずからを嘆くでもなく、立ち止まることもなく、前に進み続けました。その手段は多くの犠牲を強いるものでしたが、力を得るという目的からすれば、最善手を指しつづけた結果が今の現状なのだと私は思います」
「……最善手、ね。それにしては人が死にすぎてるだろ」
「ええ、ですがアルフラさんは魔族の皇帝を倒すという、神々ですら為しえたことのない偉業を成そうとしているのですよ? 人には不可能な希望を叶えるためには、人には取りえない手段を講じるしかないとは思いませんか? 決して諦めず、犠牲を厭わず、人の心を捨ててまで愛する人を求める。――愚直なまでの一途さに……ひたむきなその姿に、心惹かれない者がいるのでしょうか? 私はアルフラさんのすべてを肯定します」
この報われる見込みのない慕情に囚われた青年魔導士を、シグナムは心底気の毒そうな目で見やる。それと同時に、どこか恍惚とした声の響きに、そこはかとない生理的嫌悪を覚えた。
「まあ……言いたいことは分かるよ。でもお前、あんまり要領も良くないし、一番死ぬ確率が高そうだよな」
「たしかに自分でもそう思います。ですが、それでも私はアルフラさんの力になりたいのです」
「魔族との戦闘じゃ一度も役に立ったことがないのにか?」
「戦いではなく、なにか別なところでお力添えをしますよ。アルフラさんには精神的な弱さがあるので、私でも支えになることは出来るのではないでしょうか」
「精神的に弱い? さっきと言ってることが違わないか? たしかアルフラちゃんのどんな逆境にも負けないとこが好きだ、みたいなこと言ってただろ」
「いえ、弱いですよ。たった一人の女性がいなくなっただけで、全てが駄目になってしまうほど……アルフラさんの心は弱いです」
シグナムは微笑みながらに語るフレインの理知的な顔を見て、ああ、これは駄目だ、と内心で嘆息する。
「……お前、なんかジャンヌより質が悪いな」
恋は盲目と言うが、フレインにはアルフラのことがよく見えているようだ。みずからの妄想を交えて作り上げた、アルフレディア神という偶像を盲信するジャンヌとはまったく違う。
彼は現実のアルフラを理解した上で、そのすべてを好意的に受け止めているのだから。
室内に降りたなんとも言えない沈黙を、すぴすぴと穏やかな寝息が邪魔をしていた。
「……おい、ルゥ。お前はこの話の流れでよく寝れるな」
ありえないだろ、とぼやいたシグナムが狼少女のふにふにとした頬をつねりあげる。しかしわりと熟睡しているらしく、ルゥはなかなか起きようとしない。よく伸びる頬を強めに引っ張ると、
「ぅ……んあー、んあー」
嫌そうにうめきながらシグナムの手をぺちぺちと叩きだした。
「ルゥさん、起きてください」
「……んぅ?」
フレインにやんわりと肩を揺すられ、狼少女はようやく居眠りから覚める。
「……おはなし、おわった?」
「いえ、まだですよ。これは大事な話なので真剣に聴いてください」
「でも、ボクにはかんけいないお話だよね?」
ねむい目をこすりこすり、狼少女は退屈そうに足をぷらぷらさせる。
「むしろとても大切な話です。私やシグナムさんの半分も生きていないルゥさんには、この先様々な可能性が開かれています。ですが魔族の領域に渡れば、それが閉ざされてしまうかもしれません。自分の人生を決めるのは、まだ早すぎますよ」
「うん?」
「ルゥさんは今からでも親許へ帰られた方がいい。ホルムワンド商会に頼めば、レギウスへ向かう商隊に同行することもできます。そのほうが父君であるロ・ボウ様も喜ばれるでしょう」
じっとフレインの顔を見ていたルゥは、大きく口を開けてあくびをした。
「ぁふ……魔族の領域についてゆくと、死んじゃうかもしれないってことだよね?」
真っ直ぐにフレインと視線を合わせ、ルゥはふわりと笑みを浮かべる。
「じゃあ、やっぱりボクにはかんけいないよ。――それより、今日はこっちの部屋でジャンヌといっしょに寝ていい?」
「……ルゥさん。あなたは魔族の領域がどれほど危険な――」
「わかってる」
本当に話を理解しているのだろうか、と訝しむフレインに、狼少女はしっかりとした口調で答えた。
「ずっとまえに一族のみんながいっぱい魔族に殺されちゃったのは知ってるからね。アルフラについてゆくともっともっと強い魔族と戦うことになって、ボクも死んじゃうかもしれないんでしょ?」
「え、ええ……」
普段よりも幾分大人びた口調で話す狼少女は、これまでに見たことのない理性的な目をしていた。
アルフラたちと出会うまで、野生の狼と変わらぬ生活をしていたルゥは、食べるために獲物を殺し、時にみずからも同様の危険にさらされる可能性があることを実感していた。その死生観は文明化された人間たちよりも遥かに現実的なのだ。
ある種の真理をこの場の誰よりも理解した狼少女の眼差しに、フレインはややたじろいでしまう。
「ボクもいっしょにいくよ。アルフラはいちばんの友達だからね」
「……なあ、ルゥ」
シグナムは苦虫を噛み潰したような顔で告げる。
「お前が友達だと思ってても、アルフラちゃんはもう――」
「それでもアルフラが死んじゃうかもしれないような所にいくなら、見捨てたりできないよ」
ルゥは屈託のない笑みを浮かべて迷いなく言い切る。
「ボクは白狼の戦士だからね」
これには返す言葉もなく、シグナムは口を引き結んだ。
おさないながらもルゥの精神には、傭兵であるシグナムには持ちえない、確固たる戦士の矜持が根付いていたのだ。
「わかりました。お二人のご意志が確認できたので……」
すっと背筋を伸ばし、フレインは居住まいを正す。
「本題に入りましょう」
「……え?」
シグナムとルゥ、二人の声が綺麗に揃った。
「今までの話は前座だったのか?」
すでにおのれの覚悟を語り終え、これまであまり聞く機会のなかった仲間たちの胸中も知ることができた。だからもう、シグナムは話が終わったのだと思っていたのだ。むしろそれ以上に重要な件など考えつかない。
「そうお時間は取らせません」
その言葉通り、二言三言で話は済んだ。しかし――
「フレイン……お前は……」
すっかり酔いが醒めたという顔で、シグナムはこめかみを伝う冷たい汗を手で拭った。ルゥもまた、強張った表情でフレインを凝視している。まるで得体の知れない怪物でも見るかのような目で。
「どうなさいますか? あくまでこれは保険のようなものだとお考えください」
揺れる蝋燭の炎がフレインの顔に深い影を落とし、不気味な陰影を施していた。
胸元で腕を組んだシグナムは、口をつぐんだまま答えあぐねる。
「ボクは、それでいいよ」
「ルゥ……」
驚いた顔で狼少女を見て、シグナムは大仰に肩を竦めた。
「わかった。あたしも構わない」
フレインはひとつうなずき、黒い装丁の本を卓に置く。それは彼がギルドの書庫から持ち出した魔導書であった。
「お二人のご了承が得られて幸いです」
本の上にフレインの左手が乗せられる。
「では、契約を結びましょう」
エンラムに到着して四日目の朝、アルフラが待ちわびた出航の朝であった。
昨晩は隣室でルゥと二人一緒だったジャンヌは、なぜか内股気味で足元がおぼつかない様子だ。
荷物の大半はエーギルの使用人たちによりすでに船倉へ運び込まれ、一行は遣いの者に先導されて港に向かう。
大型船が幾隻も停泊している区画へ案内され、そこではエーギル本人が出迎えのためにアルフラたちを待っていた。まだ早朝であるにも関わらず、周囲では荷運びの水夫たちが忙しなく行き来している。
「あちらが皆様に乗船していただく《女王エルメラの復讐》号です」
それは港に停泊した船の中でも群を抜く巨大な帆船であった。船頭部に四枚の三角帆を備えた三本帆柱の全装帆船。上甲板では五十名ほどの船乗りたちが整列して一行の乗船を待っている。
「ふぅわああー、すっごーい!!」
ルゥ、大興奮である。
「エンラム近海で運用されている船の中では最大の積載量を誇る、当商会自慢の帆船です」
「たしかに凄いな。あたしが知ってる船とはまったく別物だ。これならちょっとやそっとの嵐じゃびくともしないな」
「ええ、航海のたびに嵐と遭遇してしまうコバルト船長にはもってこいの船ですよ。文字通り大船に乗った気分で船旅をお楽しみください」
「早く乗りたい!」
「あっ、ルゥ! お待ちなさい!」
桟橋の上を走り出した狼少女をジャンヌが慌てて抱き止める。それを見ていたシグナムが、しょうがない奴だな、という顔をしていた。それらを尻目に、エーギルへ別れの挨拶をしようとしていたフレインは、早足で近づいてくる一人の女性に気がついた。その女は薄汚れた外套で身をくるみ、行き交う水夫たちの中で非常に目立っていた。顔を深く俯かせ、垂れかかった金色の髪で表情は見えない。右手が不自然に外套で隠されているあたりに、なにか不穏なものが感じられる。
女は徐々に歩調を早め、突如、一行の最後尾に立っていたアルフラに向かって駆け出した。
すでにその存在を気取っていたアルフラが向き直るのと、女の右手が短刀を抜き放ったのは同時だった。
薄い刃の鋭利な煌めきを目にしたフレインは、咄嗟に二人の間へ割って入る。
「――――――――ッ」
短刀の鋭い切っ先が脇腹を抉り、根元まで埋る。
女は短刀を引き抜こうとして、しかし溢れ出た血が指を滑らせ、柄を手離なしてしまう。
「フレイン!?」
シグナムが仰向けに倒れたフレインに駆け寄る。傷口からの出血で導衣が赤く染まっていた。刺さった短刀の柄をフレインが掴んだのを見て制止の声をあげる。
「抜くな!! おい、ジャンヌ! 治癒魔法だ!」
シグナムの叫びに身を竦くませた女が、ゆらりと一歩後退さった。
「な、なぜ……なぜこんな娘を庇うのですか!?」
女は般若もかくやといった形相でアルフラを睨めつけていた。見開かれた目は真っ赤に血走っており、頬骨が浮き出るほどに窶れた様相ではあったが、その顔は見知った人物のものだった。
「エレナ……さま……?」
苦しげな呼吸を繰り返す息の絶え間に、フレインがその名を呼んだ。
かつて死の床にあったアルフラの恨みを買い、恋慕を抱いていた近衛隊長ヨシュアを殺されたロマリア王族である。以前のおっとりとした優しげな面影は完全に失われているが、その顔は見まちがえようもない。彼女の素性に気づいたアルフラがくつくつと楽しげな笑い声を洩らした。
「あなたがここに来たってことは、あいつの首はちゃんと届いたんだ」
アルフラが切り落としたヨシュアの首は、魔剣で串刺しにされて見るも無惨な状態となっていた。それを目の当たりにしたエレナは憤怒と復讐心に駆られ、アルフラの足跡を辿ってこのエンラムまで追いかけてきたのだ。愛した男の仇を討つために。
「またあなたに会えて、すごくうれしいわ」
笑みを浮かべたアルフラの眼差しは酷く冷たい。しかしその瞳には憎悪と殺意が煮えたぎっていた。
「でも、こんな玩具で……あたしを殺せると思ったの?」
アルフラは快癒の呪文を唱えるジャンヌを押し退け、フレインの傍らにしゃがみこむ。そして腹に刺さった短刀を無造作に引き抜いた。
「ハッ――――――!? オォォ……ォォ……」
躯に大きな痙攣を走らせ、フレインの瞳がぐるりと裏返る。短刀を抜かれた傷口からは大量の血が溢れ出していた。
エレナは外套から懐剣を取り出すが、それを構えるより早く、アルフラが彼女の胸に短刀を沈めた。そのまま薄刃を縦に斬り下ろす。
「ひぃ――」
赤い体液が吹き出し、裂けた傷口からは腹圧により、エレナの中身がどっと零れ出た。
ばしゃり、と桟橋の床板を濡れた音が打つ。
たっぷりと水気を含んだ、とても嫌な音だ。
人体にはこれほどグロテスクなモノが詰まっていたのかと目を覆いたくなるような惨状だった。
まえのめりに崩折れたエレナは断続的に、ひぃ、ひぃ、と細い呼吸音を発していた。
その体がひくひくと小刻みに痙攣する。
不作法にも大量の臓物を腹からこぼす王族の姫君へ、アルフラは軽蔑の眼差しを送り――鼻で笑った。
「みっともない女」
そしてふと気づく。
ロマリアの王族は優秀な巫女の家系であり、常人よりもよほど高い魔力を有しているという事実に。
魔剣を抜いたアルフラは、ひぃひぃと喘ぎながら踞るエレナの背を刃で貫く。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
一際かん高い悲鳴を上げたエレナの髪を掴み、アルフラは魔剣を抜いて彼女を海へ投げ落とした。
赤い波飛沫が上がり、血塗れの体はそのままぷかぷかと海を漂う。そして海面が朱に染まると、多くの小魚が撒き餌に群がり寄ってきた。
「魚の餌がお似合いね。ふふ、うふふふふ……」
嗜虐に満ちた嘲笑は波風に浚われて、突然の凶行に凍りつく水夫たちの耳に、さらなる恐怖を届けた。
事の一部始終を目撃した多くの者は、この醜悪極まりない悪意の持ち主が同じ人間の姿をしていることに、言い知れぬ不気味さを感じていた。
フレインが意識を取り戻したのは、出航後の船室であった。
「――よかった。目を覚まされたのですね」
すぐ傍からジャンヌの声が聞こえ、フレインは身を起こそうとした。しかし眩暈が酷く、体に力が入らない。視界もぼやけ、辺りがとても暗く感じる。気を抜けば意識が遠退いていきそうだ。
「まだ動かない方がいいですよ。傷は塞がりましたけれど、失った血までは戻せませんから」
どうやら重度の貧血らしく、虚脱感と強い寒気がする。低体温症になりかけているのかもしれない。
「アルフラ、さんは……ご無事です、か……?」
「ええ、当然です。短刀ごときでアルフラさまを弑することなど、出来るはずがないではありませんか」
「そう、ですね……」
かつて天界において、魔槍で心臓を貫かれた傷ですら、アルフラは瞬時に再生して見せた。人間の武器で命を奪うことは不可能だろう。それを理解していてなお、フレインはアルフラを庇おうと、凶刃に身を投げ出してしまったのだ。生存本能の大切な部分に、狂いが生じているのではないだろうか。
「――フレインさま。わたしはこれまであなたのことを誤解していたようです」
「はぁ……?」
「おのが身を挺してまで御神体を守ろうとする殉教の精神……わたしはフレインさまの行いに、強い感銘を受けました」
「それは、どうも……」
もしかするとジャンヌに名前を呼ばれたのは初めてではないだろうか。そう思い当たり、フレインはかすかに笑顔を見せた。そしてアルフラに怪我がなくてほんとうに良かったと安堵し、彼はふたたび意識を失った。
情愛に狂った少女へ向けられたフレインの想いは、やはりどこか歪である。その感情に銘を刻むとすれば、それはおそらく献身という名の狂気であろう。




