非業
扉を開いた少年が上体を折り、前屈みとなった。その背中から唐突に、鋭い刃の切っ先が生え出る。
「え……」
見ていた少年たちは意味がわからず、呆然とした声を出した。
背から刃を生やした少年はくぐもった声で呻き、ばたばたと体を暴れさせる。しかしそれも束の間、少年のつま先が浮き上がり、地面から離れる。やがてその動きは緩慢なものとなり、小刻みな痙攣だけが時折手足をひくつかせていた。
少年を串刺しにしたアルフラが倉庫に踏み入ると、少年たちはぎょっと目を見張って一歩後ずさった。
倉庫内の有り様を目にしたアルフラから、強烈な冷気が漂い始める。少年たちの半数は下半身を露出しており、全裸に剥かれたルゥを取り囲んでいた。彼らに向けられた嫌悪感が飽和し、殺意へと変化したのだ。
アルフラは腕を一振りして宙吊りにした少年を投げ捨てる。その手にあるのは魔剣ではなく、シグナムの腰から抜き取った長剣であった。
「――ルゥ、無事で……」
アルフラの後から駆け入ったジャンヌが声を張り上げ……次いで絶句した。瞬間その顔から表情が抜け落ち、刹那で憤怒の形相へと変わる。
「ジャンヌ……? ジャンヌ――――!!」
身を起こしたルゥがふらつきながらも立ち上がり、よたよたとした足取りで歩きだした。
怒りに我を忘れかけた神官娘は、泣きながら走ってくる狼少女に駆け寄りしっかりと抱きしめる。ルゥの純白の肌を汚す白濁の汚穢が祭服にこびりつくが、それを気にする余裕もなく問いかける。
「怪我はありませんか? 痛むところは?」
すがりついて来るちいさな体を優しく抱き返し、ジャンヌは快癒の呪文を唱え始めた。
「ジャンヌ! ジャンヌはへいき? あいつらがジャンヌはアニキって人に殺されたって」
癒しの光をルゥの体に流し込み、神官娘は軽く首をかしげる。
「アニキという方は存じませんけど、わたしは大丈夫ですよ? それより痛みはなくなりましたか? もう一度、快癒の魔法を……」
ジャンヌはぺたぺたとルゥの体を撫でながら、目につく怪我はないかと検分する。鼻から以外はとくに出血の跡もないようだ。
「な、なんだ、いまの……」
倉庫内の少年たちが二人を遠巻きに囲んでひそひそと囁きあう。
「……魔法? うそだろ……」
「いや、そんなことよりレコが」
アルフラに腹を貫かれた少年、レコにはまだ息があった。致命傷ではあるが魔剣でなかったことが幸いしたのだ。
「あ、あいつ、レコを刺しやがった」
「レコが死んじまうよ……」
急激な状況の変化についていけず、少年たちは混乱していた。しかしすぐに仮初の光明が彼らを照らす。
「おい! 話が違うじゃないか!!」
倉庫の外から届いた聞き覚えのある声に、少年たちは目を輝かせた。
「――兄貴!」
「ジェロム兄貴だ!!」
この期に及んでもまだ、彼らは頼れる兄貴であるジェロムが、レコを刺した悪党たちを退治してくれると思っているのだ。
「兄貴、助けてくれ!!」
その声に応えるかのように、彼らの兄貴が姿を見せた。――シグナムに首根っこを掴まれた状態で。
「あ……兄貴?」
シグナムは殺気も露に少年たちを睨み付け、片手でジェロムを放り投げた。床に転がされたジェロムがシグナムに食って掛かる。
「ルゥって娘が無事なら仲間も見逃してくれるって言ったじゃないか!」
ひくりと頬を引き攣らせたシグナムが右手でジェロムの髪を掴んだ。
「ガキ、なあガキ。お前にはあれが……無事なように見えるのか?」
ジャンヌに抱きついて泣きじゃくる狼少女へ顔を向けさせられ、ジェロムは口を閉ざした。なにをどう答えても、さらなる怒りを招くだけだと理解したのだ。
周囲からの視線を感じたルゥが神官娘の胸から顔をあげた。涙目で少年たちを見て、ジャンヌに彼らの行いを告げ口する
「お股にへんなの入れられそうになった」
「……そうですか。ですがもう大丈夫ですよ。すこしの間、目をとじていてください。すぐに終りますから」
子供を甘やかすような優しい口調で告げて、ルゥの頭を抱き寄せる。そして汚物を見る目で少年たちを睥睨し、ジャンヌはおもむろに、その呪文を唱えだした。
「ああ、我は願う」
腰帯に差された死神の王笏を手に取り、その先端が少年たちへ向けられる。王笏はすでに妖しい燐光を帯びていた。
「万象を内包せし根源の女神アルフレディアよ。御身が忠実なる使徒たらんことを、我は誓約せし者なり」
名を呼ばれてすこし嫌そうな顔をしたアルフラが扉のあたりまで下がった。詠唱のあとにはすさまじい腐敗臭がやってくることを知っているのだ。
「どうか応えたまえ」
王笏から滲みだした黒い霧。それは見る間に濃度を増し、どろどろとした質感を備え始めた。
「お、おい」
少年たちは後退りながら互いに目を見交わす。彼ら全員がこのままではなにか恐ろしいことが起こると予感しながらも、怖じ気に身が竦んでしまっていた。しかし危機感に急かされた一人が拳を握り締めて突進する。詠唱中のジャンヌが無防備そうに見えたのも彼が足を踏み出せた一因であろう。しかしそれは思い違いも甚だしい。
ジャンヌは手にした王笏をあっさりと手離し、向かってくる少年に腕を一振りした。じゃらりと伸びた鉄鎖が側頭部を薙ぎ払う。その場で半回転した少年が頭から地面に叩きつけられた。
「……え?」
一人の少年が間の抜けた声を出した。彼の額になにかがべちゃりと貼り付いたのだ。それをおそるおそる引き剥がしてみる。
「……な……う、わあぁぁぁぁ!?」
毛髪のこびりついた頭皮。
鎖の一撃が犠牲者の頭部からこそぎ取ったものだった。
倒れた少年はびくんびくんと死にかけの魚のように体を跳ねさせながら、床に手を付き起き上がろうとしていた。しかしそれは叶わず、手足で地面を掻くような仕草を何度も繰り返す。頭部に受けた打撃により脳震盪を起こした、というわけではない。おそらく砕かれた頭蓋骨の隙間から、中身がとろりと零れ出ているのが原因であろう。彼が無駄に地面を掻いている間にも、ジャンヌの詠唱は続いていた。
「理統べし神意を持ちて、穢れし魂に裁きと報いを。慈悲深き御身が祝福に其は能わず。只徒に朽果てること我奉らん」
祈りの声とともに、漆黒の霧は意思あるもののごとく蠢きながら膨れ上がった。
切羽詰まった少年たちがジェロムに助けを求める。
「あ、兄貴、たすけて!!」
「あいつらをやっつけてくれよ!」
ジェロムは狼少女を片腕に抱いたジャンヌを見やり、ぶるりと体を震わせた。そして倉庫の入り口を振り返える。
正面には禁呪を操る邪神の司祭。
唯一の扉の前には法と武を喰らった偽神が立ち塞がっていた。
およそ人間の用いる尺度で計った強さを頼りに、立ち向かえるような相手ではない。どちらからも確実な死の到来が予見できる。
「兄貴! は、はやく……」
恐怖に泣き叫ぶ少年たちから、すっとジェロムは目を逸らした。その視界にシグナムの足が入る。
「あ……なあ、あんた子供が死ぬのはもう見たくないって言ってたよな! だったらあいつらを助けてくれよ」
「なに眠たいこと言ってやがる。お前らは一度しくじれば絞首台に吊るされるようなシノギをやってんだぞ。いまさら人の善意をあてにするんじゃねえよ」
にべもなく切り捨てたシグナムは皮肉げに口許をゆがめた。
「おとなしく見てろ。じきお前の番も回ってくる」
神官娘へ目を向けると、すでに結びの文言が詠じられようとしていた。
「果てよ、穢れし汚泥のなかへ。豊穣たる地母神は己が身を削り恵みを齎さん」
地面に落とされた死神の王笏から爆発的に腐敗の霧が溢れだした。
「腐界――《被虐の女神》――!!」
少年たちの足許が急激にうねり、どろどろと溶け崩れた。
「ひっ!?」
「――うあぁぁ!」
地面が腐臭を放つ泥土と化し、少年たちの足が沈んでいく。
「な、なんだこれ!?」
「たすけ、たすけて――!!」
藻掻くほどに深みへ嵌まる底無し沼のように、とろけた地面が重く絡みついてくる。ゆっくりと沈み行く少年たちへ、腐敗の霧がそよそよと這い寄る。混乱の極致にある彼らは当初、それに気づいていなかった。
「ひっ、な、なに!? かゆい! かゆい!!」
霧に巻かれた少年が湿った悲鳴をあげた。
周りの者たちは霧の中で悶える少年を見て、恐怖に目を剥いた。すでにその顔からは眼球が溶け零れ、唇や舌といった粘膜部も液状化しかけている。
「か、かゆ……かゆ、ひ……」
眼窩に指を突っ込んだ少年がぼりぼりと中味を掻き毟る。黄ばんだ漿液が飛び散り、視神経であったらしき黒ずんだ糸がだらりと垂れ下がった。
「あ……あ、あ? あ゛ーあ゛ー??」
しきりに痒みを訴えていた少年は、じきに舌が溶け崩れて人間の言葉を喋ることができなくなった。
「う、あああぁぁああぁあぁぁぁぁぁ―――――――――――!!」
「たすけて!! たすけてえぇぇ――――――――!!」
場は一転、阿鼻叫喚の坩堝である。
「……なんか、一段と酷くなってないか、あいつの魔法」
倉庫の中をのぞき込んだシグナムが誰にともなくつぶやいた。
「ええ、とても興味深いですね。大導師クロウリィの腐敗魔術に独自の改良を加えたのでしょうか」
「いや、それはどうでもいいが……うわっ、おいジャンヌ! こっちにまで沼みたいなのが広がって来てるぞ!」
しかし少年たちの絶叫に紛れてその声は届いていないようだ。
扉のすぐ目の前まで泥土化が迫っていたが、アルフラはあわてることなく足許を踏んづける。地面は瞬時に凍りつき、泥土の浸食もそこで止まっていた。
おお、と眉を跳ねさせたシグナムの背後から、けたたましい蹄の音が聞こえてきた。貧民窟の狭い路地を十騎ほどの馬が疾駆して来た。馬上の数名は見知った顔だ。商会長エーギルとコバルト船長、護衛のベルク、魔族の男、涼附。その姿を目にしてジェロムが驚愕に叫んだ。
「エーギルさん!?」
「――あ?」
ジェロムがその名を呼んだことにより、シグナムが不審の眼差しをエーギルに向ける。
馬を降りたエーギルはそのままシグナムの前で跪いた。
「この度は私共の身内があなた方にご迷惑をお掛けしたこと、深くお詫びいたします」
他の者たちもエーギルに倣い、膝を落として頭を下げる。
「……このガキはお前の身内だったのか?」
シグナムの声には致命的ともいえる怒りが含まれていた。
「いえ、貧民窟の孤児たちとは一切面識が有りません。身内というのは彼らを使っていた奴隷商人のステファンです」
「でもこいつはお前の名前を呼んだよな?」
「このエンラムで私の顔を見知っている者は非常に多いです。彼もその一人なのでしょう」
シグナムはジェロムへと視線を移して、そうなのか、と目で問う。
「あ、ああ、そうだよ。そりゃエーギルさんの顔くらい俺だって知ってる。何度か遠目に見たことがあるからな」
ジェロムは街の有力者であるエーギルの土下座に胆を抜かれたのか、やや吃りながらもそう答えた。
「なるほど……で、お前らはなにしに来たんだ?」
エーギルは倉庫の中から聞こえる、この世のものとは思えない断末魔の声に冷や汗を流しつつ、みずからの事情を説明した。
じっと耳を傾けていたシグナムが奴隷商人ステファンへ顔を向ける。
「ようするに貧民窟のガキどもはお前の子飼いってことか」
「そ、そう思われても仕方ありません。しかし私があなた方の連れを拐かすよう命じたわけでないことは、ご理解してください」
「ス、ステファンさん……」
心細げな声で、ジェロムは訥々と訴える。
「な、なあ、このままじゃ、俺の仲間がみんな殺されちまうんだ。俺、いままであんたにだいぶ儲けさせてやっただろ。だ、だからさ……」
「――ジェロム。お前は自分の仕出かしたことが分かってるのか? こままだと仲間が殺される? お前は馬鹿かッ!! それどころか下手をすれば私まで――」
「ああ、分かった。もういい」
うんざりしたようにシグナムは手を振り、ステファンの前に立つ。すぐさま地面に頭を擦りつけた奴隷商人に低い声が告げた。
「お前が謝る必要はない。顔を上げてくれ」
「は、はい! ありがとうございます!! 先程も申しました通り私は……」
安堵の表情で礼を述べたステファンは、シグナムが慣れた仕草で短刀を抜いたのを見て言葉を途切れさせた。そしてすぐに彼女の意図を覚り声を上擦らせる。
「なな、なぜ!? 私は本当に――」
「関係ないなんて話が通るわけないだろ。あんたには死んで詫びてもらう」
ステファンは肩を踏みつけられ、地面に押し倒される。その胸に短刀が降り下ろされた。
「そもそもガキどもの命だけじゃ、あたしが納得できないんだよ」
刃は正確に心臓を突き破り、奴隷商人は声もなく絶命した。
「……ああ、あっちも終わったみたいだな」
扉の前にルゥを抱きかかえたジャンヌが立っていた。神官娘の外套にくるまれた狼少女を見て、エーギルたちの間に緊張が走る。ぐったりと目を閉じたその顔は憔悴の色が濃く、少年たちからよほど酷い扱いを受けたことが一目で見てとれたのだ。しかしそれ以上に気になるのが、倉庫内から漂ってくる凄まじい腐敗臭であった。以前、鯨が浜に打ち上げられ、途轍もない悪臭が街にまで流れて来た時のことが思い出された。それに勝る臭気が倉庫から感じられるのだ。
いったい中ではなにが起きているのか。戦々恐々とするエーギルの前で、シグナムがジェロムの肩を掴んだ。
「お前の番だ」
言いざま扉の方へジェロムを突き飛ばす。
「ま、待ってくれ、いやだ!! なんで俺が――!?」
よろよろと後ずさったジェロムは、足を滑らせてその場に踞った。アルフラが凍らせた地面の上に。
「な、なあ、俺はいつも通り仕事をしただけなんだ! なんで殺されなきゃいけないんだよ!?」
口の端が切れるほどに必死で叫ぶジェロムへジャンヌの手が伸ばされる。
「俺たちはそうしないと食ってけないんだ! それなのに……たまたまあんた逹の仲間に手を出したからって、こんな目にあうのは理不尽だろ!!」
そう、彼の言葉通り、たしかに理不尽だ。
ジェロムはこれまでと同じやり方で、同じ仕事をこなしただけだ。普段なら奴隷商に商品を渡して金を得ることができただろう。今回は運悪くアルフラたちに手を出してしまったというだけの理由で、仲間もろとも皆殺しにされるのは、いかにも理不尽である。
――だがジェロムは、自分が奴隷商人に売り払った人々に同じ理不尽を強いて生きてきたことを理解しなければならない。しかるに彼の身に降りかかる非業はシグナムの言葉に違わず。ただ単に彼の番が回ってきただけなのだから。
「た、たのむ……たすけて、くれよ……」
腐敗の霧へジェロムを投げ込もうとした神官娘がその手を離した。もちろん彼の命乞いに心を動かされたわけではない。アルフラがするするとジェロムへ歩み寄ってきたからだ。
「え……な、なに……なん、ですか……?」
目の前に立った少女がいきなり彼の足を踏みつけた。
「痛ッ――!? な、なんだこれ……う、あぁぁ!!」
アルフラに踏まれた足が氷に覆われていた。凍結は足首から膝へと駆け上がり、太ももまでを凍りつかせる。さらには足と地面が癒着していた。
「シグナムさん。その短刀、貸して」
「え、ああ……」
底意地の悪い笑みを口許に張りつけたアルフラが、奴隷商人の血に汚れた短刀を受け取る。それはそのままジェロムに投げ渡された。
「な、なんだよ、おい……俺にどうしろって……?」
信仰する女神の行いをじっと見ていたジャンヌが、得心入ったというふうに手を叩いた。
「神はみずから助く者のみをお救いになります」
「は……? なにを……」
ジェロムは短刀を片手に訳が分からないという顔をしていた。しかし背後からゆっくりと近づいてくる腐敗の霧に気づき、凍った足を地面から引き剥がそうとする。
「ま、待ってくれ。足……あ、足が動かねえ。どうすりゃいいんだよ!」
見かねたフレインが気の毒そうに告げる。
「腐敗の霧で死にたくなければ、短刀を使って足を切断しろ、ということだと思います」
「え……いや、出来る訳ないだろ!! お、おま、お前! 頭がおかしいんじゃないか!?」
「そう言われましても……。あなたはずいぶんとアルフラさんを怒らせてしまったようですね」
最近ではあまり感情を見せることのないアルフラとしては珍しいことだ。おそらく彼女は、ジェロムが苦しみながら死に逝くことをご所望なのだろう。
困ったように笑ったフレインが、とても現実的な助言をする。
「太股を切断すると、大腿動脈からの出血で、すぐに失血死してしまいます。まずは止血の手段を講じてから事に及んだ方が良いですよ」
エーギルたちは地面に膝を着いたまま、倉庫の扉が閉ざされるのを茫然と見ていた。かすかに見えた倉庫の内部は、正しくこの世の地獄と表現すべきであろう。溶け崩れた人体が泥濘に呑まれゆく光景は、この先一生忘れることができそうにない。アルフラたち一行がロマリアの都を滅ぼしたことは重々承知していたが、それを加味しても、彼女たちは自分が想像していたよりも遥かにおぞましい存在であることをエーギルは確信した。
「シグナムさん……あちらの方から悲鳴が聞こえませんでしたか」
フレインの言葉にエーギルは顔を上げる。彼にもそれが聞こえたのだ。おそらくは倉庫の裏手。みなが口をつぐんだことにより、怒号や悲鳴といった叫び声がはっきりと聞こえ始めた。
「……なんの騒ぎだ?」
「もしかすると腐敗の霧が洩れ出したのではないでしょうか。石や煉瓦といった建材は腐敗することはありませんが、木製の鎧戸は腐り落ちるので……」
耳を澄ませてみると、その喧噪はかなり広い範囲から届いて来ることが察せられる。
「……ジャンヌ、あの霧って消せるのか?」
「はい、ですが時間が経てばすぐに効果もなくなるはずですわ」
「すぐってどのくらいだよ?」
「五、六時(十から十二時間)ほどでしょうか」
「早く消せ! 風向きによっては市街地が壊滅するぞ!?」
べつに構わないのでは? という顔をした神官娘の祭服をルゥがひっぱる。
「ボク、あのにおいきらい」
「……しかたありませんね」
ジャンヌは渋々といった様子で腰の王笏に片手を添た。そして祈りの言葉を口にする。
「我が神への願いは成就せり。よって女神の被虐は霧散すべし」
王笏の先端部、髑髏の飾りが赤い光を発した。
「これで大丈夫ですわ」
大きくため息をついたシグナムが、いまだ跪いたままのエーギルたちに視線をやる。
「おい、いつまでそうしてんだ。いい加減立てよ」
その言葉にエーギルは胆を冷やす。同じようなことを言われたステファンが心臓をひと突きにされたのは、つい先程のことだ。
「いや、なにもあんたまで殺そうとは思ってない」
エーギルを殺せば魔族領への渡航に支障をきたすことは明白だ。それを理解しているのかアルフラも彼には無関心である。
「まあその代わり、あたしたちが快適な船旅を過ごせるよう、色々と便宜を図って貰うぞ」
「そ、それはもう、私をみな様の小間使いだと思ってなんなりとお申し付けください」
声を裏返らせて請け合ったエーギルに、早速注文が出される。
「じゃあ今晩はあんたの奢りだな。エンラムで一番旨いものを出す食亭でルゥにご馳走してくれ」
「わかりました。私の商会が経営する店を、みな様のために一晩貸し切りましょう」
狼少女のために為されたシグナムの提案であったが、ルゥの反応は薄い。気を遣ったフレインがあまり似合わない陽気な口調で語りかける。
「よかったですね。今夜は好きなものをいくらでも頼んでよいそうですよ。もちろん食べ放題です」
「……ほんと?」
「ええ、甘いお菓子なども選り取り見取りですよ」
ジャンヌに抱きついたまま、ぐすぐすと鼻を鳴らしていた狼少女は、心持ち気分が上向いてきたようだ。神官娘の腰に回された腕にぎゅっと力が入る。
「ではその前に、宿に戻って体を清めなければなりませんね」
狼少女の顔に頬を寄せたジャンヌがそうささやきかけた。
「……やってくれる?」
「しょうがありませんわね、ルゥは。わたしが体のすみずみまで綺麗にしてあげますわ」
甘えるようにジャンヌの胸に鼻先をこすりつけ、ルゥが笑顔を見せる。
「じゃあボクも、ジャンヌをぴかぴかにしてあげるね」




