受難(後)
ノクターンのほうにR18版「受難(後)」を掲載しています
商館の自室で帳簿に目を通していたエーギルは、馴染みのある独特な足音に顔を上げた。足音の主は扉を軽く叩き、返事も待たずに急いた様子で入室する。
「へリオン神官の件、裏が取れたぞ」
腰のサーベルを剣帯ごと外したコバルト船長がそれを長椅子に放り、みずからもどかりと腰を落とす。
「いろいろと話を仕入れてきたんだが、あいつら思った以上にヤバいぞ」
「……詳しく聞かせてください」
エーギルは帳簿を卓上に置き、やや強張った表情をコバルト船長に向けた。
「今朝がたエンラムに到着した隊商から聞いたんだが、東の街道を半日ほど行った辺にへリオン神官たちの斬殺死体が散乱していたそうだ。数はざっと見ただけでも百以上、その内の二十人ほどが子供だったらしい」
「……なるほど。あの方たちが言っていた通りですね」
あいづちを打ったエーギルに、コバルト船長が険しい顔で話を続ける。
「へリオン神官たちはきっちり武装をしていて、現場にも激しく争った形跡があったそうなんだが、戦った相手の遺骸はひとつもなかったらしい。その上、神官たちのほとんどは一撃で致命傷を受けていて、全員がほぼ即死だったようだ。――これがどういうことだか分かるか?」
「……百名からの精強無比な神官戦士たちが、僅か数名を相手に……一方的に虐殺された、と?」
「ああ、しかもあいつらの中で帯剣してたのは、あの小娘とでかい女傭兵だけだ。たしかに二人ともただ者じゃねえって雰囲気を醸しちゃいたが、どう考えても人間技じゃない」
ふっと息を吐いたエーギルが、深く椅子に腰掛け直す。
「……あの方たちと友好的な関係を結べて本当に良かった。しみじみとそう思いますよ」
「たしかにな。だが、やはりお前は人を見る目がある。俺はずいぶんとあいつらに対してお前が下手に出てたのをすこし不思議に思ってたんだ」
「ああ、あれはエルテフォンヌ伯爵からの紹介状があったからです」
「紹介状?」
「ええ、あの方たちの中に祭服を着た娘がいたのを覚えていますか」
「そりゃ覚えちゃいるけど、その娘が?」
「彼女の名はジャンヌ・アルストロメリア。レギウス南部の大貴族、アルストロメリア侯爵のご息女です。伯爵からの書状には、くれぐれも便宜を図ってくれるように、と認められていました」
コバルト船長は納得したようにうなずき、整えられた顎髭を撫でる。
「アルストロメリアはエルテフォンヌと並ぶ大穀倉地帯だからな。ありゃようするに下心丸出しの対応だったわけか」
「まあ……そうとも言いますね。私は常々、海運だけでなく陸での新たな交易路も開拓したいと考えていました。アルストロメリア侯爵のご令嬢には、なるべく恩を売っておくべきでしょう」
ただ、と苦い声でつぶやき、エーギルは思案顔となる。
「ロマリアの情勢が落ち着かないことには、なんの意味もありませんがね。こればかりはどうしようもない」
「ああ、それだったら素晴らしくいい知らせがあるぞ」
「……ロマリアになんらかの動きが?」
「ああ、それがな――」
コバルト船長が言いかけたところで、扉が叩かれて守衛の声が聞こえた。
「涼附さんとベルクが戻りました。早急に報告したいことがあるそうです」
「分かりました。入りなさい」
「……失礼します」
扉が開かれて二人が入室する。
「どうしました? ずいぶんと顔色が悪いようですが……」
「申し訳ありません!!」
深々と頭を下げたベルクを見て、エーギルが微かに眉根を寄せる。その様子から、彼がなにか重大な失態を冒したことを理解したのだ。
「手短に、要点をかいつまんで状況を説明しなさい」
「はい……」
ベルクはここで保身に走り自己弁護を交えれば、よけいにエーギルからの印象を悪くすると考え、極力客観的にルゥが攫われた経緯を報告した。あらかたの話を終えたのち、彼は再度、頭を下げる。
「このボンクラがッ!!」
怒声を上げたコバルト船長が、その杖状の義足でベルクを蹴り飛ばした。
「お前は――」
「待て、コバルト。今はこいつの責任を追及している暇などない」
魔族の男、涼附が肩に手を掛けてコバルト船長を制止する。
「そうですね。対応が遅れれば、あまり想像したくない事態に陥りそうだ」
深刻な表情で言ったエーギルは、床にうずくまったベルクを見下ろした。
「それで……あの方たちが捕縛した少年に見覚えがあった、と?」
「は、はい。あれは西区にあるステファンの店に出入りしている貧民窟のガキでした。そいつを見たのは一度きりですけど、ステファンがジェロムという名で呼んでいたのを覚えています」
「……まずいですね」
エンラムの貧民窟に隣接する西区、エーギルが複数所有する商館のひとつを任せているのが、奴隷商人のステファンであった。
「そういやステファンの奴、貧民窟の孤児を使って商品を仕入れてるとか言ってたな」
コバルト船長のつぶやきに、この場の誰よりも顔色を悪くした涼附が、苦悩も露に頭をかかえる。
「早くなんとかしないと俺たちにまでとばっちりが来るぞ」
「……ステファンの店まで人を走らせてください。なにを置いても直ちにここへ来るようにと」
「分かった」
コバルト船長が扉を開け、部屋の外に立つ守衛にエーギルの言葉を伝える。
「万が一のことも考えて、最悪の事態に備えておいた方がよいかもしれませんね」
身内がアルフラ一行の一人を拉致したとはいえ、無傷でそれを返し、誠心誠意の謝罪をすれば、おそらくは実行犯の身柄を引き渡すことで問題は解決するだろう。だが万が一、攫われたルゥという少女に大怪我でもさせてしまえば厄介なことになる。
貧民窟の孤児たちは奴隷商へ売るために少女を攫ったはずなので、それを傷物にすることはないはずだ。しかしなにぶん、手加減や良識といったものに欠ける不良少年たちのことだ。なにかの手違いで怪我をさせることもあるだろし、最悪、死なせてしまうこともあるかもしれない。その場合、アルフラたちの報復は熾烈なものとなるはずだ。向かう矛先が奴隷商人ステファンだけではなく、エーギル本人にまで及ぶことも十分に考えられる。
「……人を集めておいたほうがよいかもしれませんね」
ホルムワンド商会は戦い慣れした私掠船の乗員を多数かかえている。半時もあれば軽く百名を超える荒くれ者を招集可能だ。――とはいえ相手はへリオン神官を皆殺しにした神殺しの少女たちである。どう考えても貴重な手勢を失う未来しか見えない。
「あまり気は進みませんが……もしもの時は王宮に身を隠すという手も……」
エンラム王の城館には二つの兵舎が併設されており、常時二千人の兵士が寝泊まりしている。ほとぼりが醒めるまで城館に匿ってもらえば、いかな神殺しといえどもそう易々とは手出しができないはずだ、とエーギルは考えた。――彼はアルフラが神王レギウスを弑したことを知りつつも、その戦力を大きく読み違えていた。
常識が邪魔をしているのだ。力において、国家対個人という図式など成り立たないという、極々当然の常識が。
「エンラム王に謁見の申し入れを」
扉の前に控えた守衛に声をかけると、涼附が首を振って否定の言葉を口にした。
「そんなものを頼っても意味はないぞ」
魔族である彼は心得ている。たとえ幾万の軍勢を集めようとも、アルフラと敵対すれば身の破滅であることを。超越的な魔王の力がそのまま国力である魔族にとって、軍の有用性は人のそれと大きく異なるのだ。
「俺は言ったはずだぞ。あの娘は神話の中でしかお目にかかれない化け物だと。最悪の事態に備えて守りを固めるくらいなら、船にでも乗って逃げ出すほうが遥かにましだ」
「……そうですね。それも選択肢のひとつに加えましょう。しかしまずは、ステファンの話を聞いてからです。彼が孤児たちの拠点を知っていれば、私たちが先にルゥという少女を救出できる。そうなればあの方たちにも幾分顔がたちます」
「たしかにな。そのうえで平身低頭謝り倒せば……」
おのれを納得させるかのように一人うなずく涼附の隣で、コバルト船長が死んだ魚のような目になっていた。
「どうしました、船長? そういえばロマリア関連でよい知らせがあると言っていましたが……?」
「あ、ああ。すまん……その話なんだが、たったいま最悪の知らせになっちまった」
「……どういうことですか」
「ロマリアの都を占拠していた魔王が倒されたらしいんだ」
「――なんだと!?」
涼附が口から泡を吹かんばかりの勢いで立ち上がり、叫ぶ。
「馬鹿な!! ――有り得ん!!」
彼はこの時、あまりの驚愕に失念していた。魔族にとって絶対的な力の象徴である魔王の訃報を聞き、それを成し得る少女の存在を失念していたのだ。
唖然と立ち尽くす涼附とはうらはらに、エーギルが冷静な声で尋ねる。
「それが最悪の知らせ、ですか? むしろここ最近では一番の朗報に思えるのですが」
ロマリアを戦乱に陥れた魔王が討たれたのであれば、今後は比較的安全に交易が行える。治安の回復にはいくらかの時間を要するかもしれないが、ほどなく安定に向かうはずだ。
「たしかに魔王が倒されたのは朗報なんだが……同時にロマリアの都が滅んだらしい」
「え……」
エーギルの顔から表情が消えた。ロマリアの王都は大陸最大の都市として広く知られている。都市国家であるエンラムの人口がおよそ五万。対してロマリアの都は六十万もの住民を擁する大都市であった。
「……どういう、ことですか?」
「たぶん魔王との戦いが原因だ。その煽りをモロに食らったんだと思う」
「いえ、そんな『たぶん』とか『思う』などといった不確かな予想ではなく――」
「生き残った都の住人が一人も居なかったんだよ。直に見聞きした奴自体が居ないんだ」
茫然自失といった態で目を見開き、エーギルは大きく息を呑んだ。
「ひとりも……? 六十万もの住人が、根絶やしにされたと言うのですか!?」
「ああ、さっき神官たちの死体を見つけた隊商の話をしただろ。そいつらはロマリア方面から戻ってきた奴らだったんだ」
コバルト船長はロマリアの都が滅ぼされた夜、その隊商がたまたま街壁の外で野宿をしていたため難を逃れたのだと説明した。
「都からはだいぶ離れた街道沿いで夜営してたらしいんだがな、地鳴りやら爆音やらが凄まじかったらしい。翌朝には辺りに雪が積もってるような状態で、都まで行ってみたはいいが、四方の門がぎちぎちに凍りついて中には入れなかったと話してた」
じきに都周辺のロマリア兵が集まり、どうにか街門の氷を溶かそうと試みたが、その氷は松明の炎で炙っても溶けず、大槌で殴り付けても砕けることはなかった。昼には櫓を組んで街壁を越えたものの、都は雪に埋もれて生者の一人も見当たらないという有り様であった。
「隊商の連中も兵士に交じって捜索にあたったが……どれだけ雪を掘り返しても斬り殺された魔族と、凍死した住人の遺体しか見つからなかったそうだ。――日が暮れる頃には、生存者の存在は絶望的だって結論に達したらしい」
しんと静まり返った室内に、涼附の震える声が響く。
「――あの娘だ。魔王を倒せる者など他にいるはずがない」
「そ、そんな……」
否定の言葉を口にしようとしたエーギルの表情には、信じられない、というより信じたくないという強い思いがあらわれていた。
「俺が話を聞いた隊商なんだがな……当日の朝、ロマリアの都から去って行く二台の馬車を見てるんだ」
低く掠れた声でコバルト船長は言った。
「その馬車の御者台に座ってたのは、やけに背の高い北方人の女傭兵と、導衣をまとった若い男だったらしい」
あたかも血の気の引く音が聞こえるかのような勢いで、エーギルの顔から色が失せる。蒼白な唇を震わせて彼は涼附に訊いた。
「たとえ神殺しといえど、かつて神々を駆逐した魔族の王を倒すことが可能なのですか? 実はその魔王が思いのほか弱かっただけということは……」
「弱い魔王など居るはずなかろう! その強さゆえの魔王なのだぞ。しかもロマリアを占拠していたのは南部の盟主、口無様だ。魔王の中でも上から数えた方が確実に早い」
「なあ、いまは魔王が倒されたのはどうでもいいだろ。いや、たしかにそれもヤバイが、問題なのは都の住人が皆殺しにされた方だ」
コバルト船長の言い分に、エーギルはハッと息を呑む。おそらく魔王を倒したと見て間違いない件の少女は、目的のためならば数十万の命が失われることも容認できる精神性の持ち主なのだ。そして現状、エーギルの身内がアルフラの仲間を拐かしてしまっている。
「住人たちの死骸ごと雪に埋もれたロマリアの首都は、まるで女神ディースが治める死の都、ゾフィーリアもかくやという惨状だったらしいぞ」
あぁ……とエーギルは細く息を吐いた。
今日では大災厄と呼ばれる神々と魔族の大戦以降、この地上を治めていたレギウス神族は天界へと去り、人の世は神治の時代と比べれば穏やかな繁栄を享受してきた。伝説に語られる大規模な戦役は過去に遠く、大陸中央では魔族による侵攻により平穏の幻想は崩れ始めていたものの、すくなくとも沿岸国家の周辺では翳りのない日常が続いていたのだ。――しかし、たったいま聞いたロマリアの現状は、まるで大災厄期を思わせる惨憺たるものであった。
「あぁ……」
ふたたび吐息をついて、エーギルは人の不安を呼び起こす、外見だけは非常に愛らしい少女の姿を脳裡に思い浮かべる。胸にこみ上げる畏怖心が言葉となり、その口から零れ落ちた。
「神話の時代はまだ、終わってはいなかったのですね」
おもむろに立ち上がったエーギルは、外套をまとうこともなく扉へ向かう。
「ステファンの店へ向かいます。全員ついてきてください」
「あ? いや、さっき使いを出したばかりだろ」
驚いたように言ったコバルト船長に、エーギルは口早に返す。
「悠長に構えていられる状況ではなくなりました」
あわてて剣帯を掴んだコバルト船長が席を立った。それに続いて涼附とベルク、守衛二人がエーギルのあとを追う。
「なんとしてでもルゥという少女を無傷でお返ししなければなりません」
それが出来なければ、当初予想していたよりも遥かに多くの死者が出る。
「馬の用意を! 業務は停止して構いません。できるだけ足の速い馬を集めなさい!!」
貧民窟の外れに位置する古い倉庫。
むき出しの地面に転がされた白い少女に、数人の少年たちが群がっていた。
普段は快活で笑顔の絶えないその少女も、度重なる暴行の末、いまでは苦痛の声を洩らすことでしか意思を表現できていない。
美しい雪白の肌には鬱血した痣が青黒い汚れのごとく各所にこびりついていた。
倉庫の中には十八人の少年が屯っており、内半数は壁際に座って少女の嬲られる様をにやにやと楽しんでいる。
「くそッ!! こいつまた噛みつきやがった!!」
立ち上がった少年が、苦しげに噎せる少女の横腹を蹴りつけた。
「――――――――っ!!」
ごろりとうつ伏せに転がった少女が腹を抑えて身悶える。臓腑から込み上げる凄まじい苦痛に悲鳴すら出ない。
少年が思いきり体重を乗せて背中を踏みつけると、少女は細い呼気を洩らして顔を地面に打ち付けた。
まるで潰れたカエルのようにひくひくと痙攣する少女を見て、周囲の少年たちがゲラゲラと悪意に満ちた笑い声を上げる。
「顔を殴ると兄貴に怒られるからな。とりあえず腹にもう二三発いっとくか」
少年がぐりぐりと背中を踏みにじると、少女はびくりと体を震わせ、苦しげにえずき出した。
「んぶっ……う……ぇぇぇぇ……」
「うわっ、吐きやがった」
「ははは、何回目だよ」
「こいつどんだけメシ食ったんだ」
貧民窟育ちの孤児たちにとって、腹一杯食事のできる金持ちは薄暗い嫉妬の対象でしかない。少年たちの抱える劣等感と羨望、それらの感情が彼らの粗暴な行いをより助長していた。
げえげえと嘔吐する少女の背中がふたたび蹴りつけられる。
「あとでお前に掃除させるからな」
「もちろん口でだぞ!」
「あっ、それいいな。おまえ天才かよ」
下卑た笑い声が響く中で、一人の少年がぽつりとつぶやいた。
「それにしても……兄貴の帰りが遅すぎないか?」
「俺が最後に見たときは、神官みたいな格好の女の子を壁に叩きつけてたぞ」
「ああ、そういえばなんか凄い音してたな」
「兄貴ってほんと危ねぇよな。手加減てもんを知らないんだもん」
「なあ、もしかしてステファンさんの店に行ってるんじゃないか?」
扉の前に座り込んでいた少年がそう言うと、他の者もそれはありそうだと同意する。
「あ、このガキさっさと金に替えちまうつもりなのかな」
「じゃあすこし綺麗にしとかなきゃまずいか?」
「えー、俺もうちょっとこの子で遊びたいなあ」
「だよな。それにどうせ変態貴族にでも売られるんだ。俺らがちゃんと躾とかないとダメだろ」
「そりゃ違えねぇ」
「じゃ、じゃあ、つぎは俺だ!」
名乗りを上げたのは、屋台で少女から串焼きを貰った子供だった。
年の頃は十歳前後くらいだろうか。全身垢まみれの不潔な少年である。
「なあ、このガキが何回も吐いたのって、もしかしなくてもお前のせいじゃね?」
「間違いないだろ。お前がちゃんとこのガキに掃除させろよ。じゃないと全部お前に食わせるからな」
「――っておい!! なにやってんだよ!?」
垢じみた少年がしゃがみこみ、少女の膝をかかえていた。
「初物じゃないと売値が下がるって兄貴から言われてるだろ! お前、あとで死ぬほど殴られるぞ」
「こ、こいつは俺が最初に目をつけたんだ。だからすこしくらい好きにしたっていいはずだ!」
少年が黄色い歯を剥き、吠えるように叫んだ。
「こいつ最近覚えたてだからヤりたくて仕方ないんだよ」
少年の一人が少女の肩を踏みつけて嗤う。
「手伝ってやるよ。お前はここんとこ調子に乗ってるからな。兄貴からたっぷりぶん殴られるといい」
それは名案だ、と数人が少女の四肢を押さえつける。
ぞっと身の毛のよだつ悪寒に震え、少女が激しく抵抗しはじめた。
じたばたと暴れる少女の足が、少年の顔を打つ。
「い、痛ぇなこのクソガキ!!」
立ち上がりざま白く細い腿を踏みつける。それでも少女は涙を流しながら、肩を押さえつける手に噛みつこうとした。
「うをっ!? あぶねえ」
「こいつ、さんざん痛い目にあったのに懲りねえな」
面倒くさそうに言った少年が手加減なく肩を蹴りつける。そこへさらに三人が加わり、少女の腕や腹を足蹴にし始めた。
「うぅ、わああぁああぁぁ――――――――――!!」
癇癪を起こした子供のようにわめきながら少女が拳を振り回す。しかし無数の足に蹴られ、踏みつけられ、やがてその抵抗も弱々しいものへとなっていった。
少年たちが最も反応のよい柔らかな腹を執拗に蹴っていると、少女は反撃する力もなくなったらしく、体を丸めて細く啜り泣くだけになった。
「や、やっとおとなしくなりやがった」
最後に垢じみた少年が脇腹を容赦なく蹴り上げると、少女は真っ白な体をひくひくと痙攣させ、ついには泣き声も消え入った。
「おい、やりすぎるなよ」
「わ、わかってる。こいつがあんまり物覚えわるいから、ちょっと懲らしめただけ」
どっと笑い声が倉庫内に響き渡る。
自分よりも弱い者をいたぶって日頃の鬱屈した感情を発散する貧民窟の少年たち。孤児である彼らは本来、搾取される側の人間だ。しかし与えてくれる親が居ないため、少年たちが生き抜くためには他者から奪わなければならない。弱い者同士が身を寄せ合い、さらに弱い者を食い物にしていく過程で、暴力を育んだ者だけが生き残ることができる。これは貧民窟という環境に依る部分が大きく、その非道な行いを彼ら自身の咎と断ずることは不当なのかもしれない。――しかし、それを考慮しても尚、やはり少年たちはろくな死に方をしないだろう。
事実、もうすぐそこまで“それ”はやって来ている。
ひゅーひゅーとか細い息を洩らす少女を垢じみた少年が組伏せた。
「……や、やだ……」
涙でぐちゃぐちゃになった顔が左右に振られた。
「もう、やだ……ボクもうかえる」
扉の方へ頭を向けた少女が地面を這いずるように腕を動かす。しかし覆い被さった少年がすぐにその体を抑え込む。
「はなしてぇ……もうやだ、かえりたいよう……」
ぐすぐすと鼻を鳴らし、大粒の涙が目尻から流れ落ちる。
「ジャンヌ……たすけて……ジャンヌ――」
「はは、かわいいな。ジャンヌージャンヌー、だってよ」
「たぶんそれって神官服の娘のことだろ。もう兄貴に殺されてんじゃないか?」
「ああ、えらい勢いで壁に叩きつけられてたからな」
ほとんど虫の息であった少女がきゅっと目をつむって大声でさけんだ。
「ジャンヌはすごくつよいんだから! たぶんあにきって人よりつよいよ!」
これには少年たちの息の合った失笑が返された。
「まったく……物を知らないガキだな」
「うちの兄貴はな、刃物を持った大人二人を叩きのめしたことがあるんだぞ」
「もしかすると兄貴はこのエンラムで一番強いんじゃないか?」
「ああ、たぶん兄貴に勝てる奴なんていねえよ」
ひくっ、と喉を鳴らした少女が、自信なさげに視線を伏せたとき、倉庫内に扉の叩かれる音がこだました。
コン、コココン
その叩き方は仲間内で取り決めた符合である。
「あ、兄貴だ」
壁際に座っていた少年が立ち上がり、扉へと駆け寄る。
その来訪者が彼らの死神であるとも知らず、少年は扉を開いてしまう。




