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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
229/251

人攫い



「おねえちゃん、お腹へった」


 話し合いの場に退屈してきた狼少女が空腹を(うった)えた。


「もう少し話を詰めたい。しばらく我慢してくれ」


 しかしルゥは長椅子に腰掛けたシグナムの膝によじのぼり、お腹へったー、お腹へったーと肩をゆする。

 若干うっとうしそうにしながらも、シグナムは狼少女の頭をぐりぐりと撫でて苦笑を浮かべた。


「……しょうがないな」


 床に置いた背嚢(はいのう)から金子(きんす)袋を取り出し、エーギルに顔を向ける。


「エンラムの治安はどんな感じだ?」


 ルゥと並んで座るジャンヌを視線で()して尋ねる。


「その二人で出歩いても大丈夫そうか?」


「それはやめた方がいいですね。見目良い異国の少女二人が連れだって歩けば非常に目立ちます。絡んでくる(やから)も多いでしょう。半刻と経たずに奴隷商に売り飛ばされてしまいますよ。市中を巡回している衛兵なども(たち)が悪いですしね」


「……そういやあんたらの商会も人身売買をやってるんだったな」


 以前にエルテフォンヌで聞かされた話を思い出してシグナムは皮肉げに笑った。


「売られる先がホルムワンド(ここ)商会なら問題なさそうだ」


「ご冗談を。確かに私共も奴隷の売買はしていますが、あくまで法に従っての(あきな)いです。それ目的の人攫(ひとさら)いは縛り首と相場が決まっていますからね」


 にこやかに微笑んだエーギルが提案する。


「よろしければ道案内も()ねて腕の立つ護衛を一人お付けしましょうか?」


「ああ、そいつは助かる」


 こっそりと金子袋に手を伸ばしたルゥを押さえつけ、シグナムはジャンヌにそれを放る。両手で受け止められた袋から、じゃらりと重い音が響いた。


「そいつでルゥに何か食わせてやれ。金は遣いきって構わない」


「はあ、ですが……」


 あまり気乗りしなさそうに金子袋の絞り口を()いた神官娘が驚いたように眉を跳ねさせた。


「こんなによろしいのですか?」


 金銭感覚に(うと)いジャンヌではあるが、ぎっしりと詰まった銀貨を見て、それがかなりの大金であることは察せられたようだ。フレインなどもすこし驚いた顔でシグナムを見ている。


「金なんてもんは遣える時に遣っちまわないとな。それだけあればさすがにルゥも腹いっぱいになるだろ」


 ぱぁっと表情を輝かせた狼少女がシグナムに抱きつく。


「おねえちゃん大好き!」


 とても現金なその様子に目を細めたジャンヌは、アルフラへと視線を向けて遠慮がちにきりだす。


「あの、よろしければアルフラ様も……」


 なぜか頬を染めつつ恥じらうような神官娘の態度に、ルゥがむすっと頬をふくらませた。しかしアルフラの反応も気になるらしく、ちらちらとその顔色うかがい見ている。


「あたし、鞘の修理がしたい」


 アルフラは肩に立て掛けるようにして抱いていた魔剣をぽんぽんと叩く。


「ん……ああ、外装がだいぶ(いた)んじまってるね」


 武具の扱いに関してはそれなりにこだわりのあるシグナムが応じると、同意するように魔剣がほそい旋律を(かな)でた。

 短躯(たんく)のアルフラには魔剣の刀身が長すぎるため、鞘を地面に落としながら抜刀する癖がついている。プロセルピナはそれを不満に思っているようだ。


「でしたら西区の職人通りに行ってみてはいかがですか」


 エーギルが付き合いのある細工師を紹介すると申し出て、背後に控える三人の護衛を振り返る。


「案内にはこちらの――」


「あたし、この人がいい」


 アルフラはエーギルの(げん)をさえぎり、所在なさげに視線をさ(まよ)わせていた涼附(りょうふ)を指差した。


「えええ!?」


 魔法の一撃で軍船を沈めたと紹介された魔族が、顔色をなくして悲鳴のような声をあげた。

 エーギルはやや気の毒そうな顔をしながらも、アルフラに笑みを向ける。


「では、護衛(けん)案内役として涼附(りょうふ)をお付けしましょう」


 まるで世界が終わったのような顔で涼附は項垂(うなだ)れる。シグナムは、もしかするとこの男とふたたび会うことはないかもしれないな、と思った。



 アルフラがなにかのはずみで、ふと涼附を魔剣の(かて)にしようと思い立つ可能性はそこそこあると考えたのだ。





 すでに陽も高く昇り、エンラム市中を(つらぬ)く大通りには多くの屋台が(のき)(つら)ねていた。()()う人々はみな陽気で、まるで祭りのような喧騒が()えず周囲を(にぎ)わせている。日に焼けたあざ黒い肌をしたエンラム人たちの群れに(まぎ)れたルゥとジャンヌはひどく目立っていた。しかし周りからの視線を気にかけることもなく、狼少女は人波の中をちょこちょこと駆け回る。


「ねえジャンヌ、あれ、あれも食べたい!」


 大きな肉団子にかぶりつきながら、ルゥは魚介の網焼き屋台に走り寄った。そのあとを追いかけるジャンヌが(とが)めるような声で言う。


「迷子にならないようにちゃんと手を繋いでいないと買ってあげませんよ」


「えー」


 不満そうにとがらせた狼少女の口に白い布が押しあてられる。


「ほら、またこんなに汚して。口のまわりがべとべとではないですか」


「んう――」


 口許をごしごしと擦られながらも、狼少女は満面の笑顔だ。嬉しげな声をあげてジャンヌの袖を引く。


「ボク、のどかわいた。飲み物まだ?」


「あら、そういえば……」


 ジャンヌが後ろを振り返ると、ちょうど人混(ひとご)みを掻き分けて護衛の男が駆け寄ってきた。


「お前たち、ちょこまかしすぎだ。頼むから俺を屋台に並ばせてる間は動き回らないでくれ」


 男は手に持った二つの革袋をルゥたちに差し出す。袋の中身はジャンヌが買いに走らせた飲み物だ。


「ありがとう、おじちゃん」


「いや、俺はまだ二十五歳だ。普通にベルクと名前で呼んでくれ」


「うん、わかったー」


 護衛の男、ベルクから革袋を受け取った狼少女は空返事(からへんじ)をしつつ、さっそく飲み口に唇をあてる。そして一気にかたむけると、


「うひっ!? …………っ??」


 びっくりまなこで跳びあがった。


「どうしました?」


「な、なんかすっごくしゅわしゅわする!」


「しゅわしゅわ?」


「うん! でも甘くておいしい!!」


 くぴくぴと革袋の中身を飲んで狼少女はきゅっと目をつむる。


「んん~~~~」


 なぜかぷるぷると震えるルゥを横目に、ジャンヌも革袋に口をつける。とたんに弾けるような強い刺激が咥内にひろがった。


「――ぅ!?」


 その刺激は一瞬で去り、すぐあとにはほのかな酸味と果汁の甘味だけが残る。口当たりはとても清涼で、これまでに体験したことのないのど越しに神官娘は(あお)い瞳をぱちくりとさせた。


「これはなんなんですの?」


 二人の反応を楽しげに見ていたベルクが答える。


葡萄(ぶどう)の果汁を泡立つ水で割った飲み物だ」


「泡立つ水?」


「ああ、エンラムの特産品だ。森に入ればそこいらへんに()いてるぞ」


 港町であるエンラムでは井戸を掘っても塩水しか出ず、河の水も水質が悪いため一度煮沸(しゃふつ)しないと飲み水に(てき)さない。代わりとして常飲(じょういん)されているのがエンラム周辺で豊富に湧き出す炭酸泉の水であった。


「これもっと飲みたい!」


 ルゥが空になった革袋をベルクに押しつける。


「わたしの分もお願いしますわ」


 ジャンヌも葡萄の炭酸水が気に入ったようだ。


「勘弁してくれよ。俺は嬢ちゃんたちを護衛するように言われてるんだ。あんたらから目を離すわけにはいかないんだよ」


 (さげす)むような視線を投じつつ、神官娘は一枚の銀貨をベルクの足元にほうる。


「口答えをせず体を動かしなさい」


 ジャンヌが掲げるアルフレディア聖教において、男性の地位は非常に低い。これはアルフラの思想や好みを軸として成り立つ教義なので、ある意味至極(しごく)当然の帰結といえるだろう。極端な女尊男卑の思想なのだ。

 石畳に落とされた銀貨を拾い、ベルクはため息混じりに告げる。


「とりあえず買いには行くが、あんたらもついて来てくれ。じゃないと護衛の仕事にならない」


「ボク、あれが食べたい」


 ルゥの視線は網の上で香ばしく焼き上げられたお魚にくぎ付けだ。


「わたしたちはここで待っておりますので、あなたは泡立つ水を買ってきなさい」


「いや、だから俺には護衛の仕事が――」


「あなたの仕事はわたしたちの使い(はし)りです。早くお行きなさい」


 有無を言わせぬ語調でジャンヌは命じる。なおも口を開きかけたベルクであったが、客人の機嫌を極力(そこ)ねるなと商会長から言い含められている彼は唇を噛んだ。


「……絶対にここから動かないでくれよ」



 捨て台詞のようにそれだけを言い残し、ベルクは泡立つ水を買い求めに走った。





 焼き魚を頬張りながら、ルゥがくいくいとジャンヌの祭服をひっぱる。


「ねえ、あれなに?」


 狼少女の視線を追うと、そこには広場にたむろう人だかりが出来ていた。


「あら、野外劇場ですわね」


「やがいげきじょう?」


「ええ、物語を演じる見せ物です」


「見たい!」


「では行ってみましょうか」


 ジャンヌはルゥのちいさな手を引き広場へと歩く。ちょうど開演の時間らしく座長を名乗る男が前口上を述べていた。人並み以上に小柄な二人は居並ぶ観客の隙間を縫って最前列に陣取る。

 劇の演目はこの地方では定番の『人魚姫』だった。漁師の網にかかった人魚が悪徳商人に買われる場面から物語は始まる。

 出だしではすこし退屈そうにしていた狼少女も、話が進むにつれ劇の内容に引き込まれていく。

 曲がった性格の悪徳商人が人魚につらく当たる場面では怒りの声をあげ、やがて人魚の美しさに魅入られた悪徳商人が心を入れかえる(くだり)では歓声を飛ばす。ルゥは初めて見る演劇にすっかり夢中なようだ。

 やがて人魚と悪徳商人はたがいに愛し合うようになるのだが、その噂を聞きつけた王様が彼女を献上(けんじょう)するよう商人に命じる。しかし真実の愛を知ってしまった商人は、それまでに築きあげた財産を投げ打ち二人で逃避行の旅に出る。そして紆余曲折の末、彼らは人魚の故郷である美しい島にたどり着く。

 はらはらどきどきと成り行きを見守っていた狼少女は、大団円を迎えて涙目で喜んでいた。その様子に、神官娘はルゥの情操教育になかなか良い出し物であったと目を細める。

 演劇の締めは薄物をまとった女たちが舞い踊り、人魚と商人を祝福する。そして人魚は自分が一族の姫であることを打ち明け、商人と二人、幸せに暮らすだ。

 神官娘は舞台上で(なまめ)かしく踊る女たちを見て眉をひそめていた。露出度の高い衣装で腰をくねらせる踊り子たちは、ジャンヌの感性からするとただの痴女である。なんてはしたない、とつぶやく神官娘の隣では、ルゥが大興奮だ。踊り子をまねておしりをふりふり飛び跳ねるその姿に、周囲からの微笑(ほほえ)ましげな視線が集まっている。

 ひとしきり満足するまで不思議な踊りを披露した狼少女は、動きをとめるなりジャンヌに抱きついた。


「すごかったねっ、おもしろかったね!」


「ええ、野外の公演にしてはなかなか凝っていました」


「のどかわいた!」


「……またですか」


 苦笑するジャンヌの背後から、革袋を握った手がぬっと差し出された。


「俺は屋台の前から動かないでくれって頼んだよな」


 おいてけぼりにされて散々二人を探し回ったベルクである。


「あら、気が利きますわね」


 受け取った革袋をルゥに渡し、ジャンヌは謝意を伝える。


「ご苦労さまです」


 男性に侮蔑(ぶべつ)的ではあるが、基本、ジャンヌは礼儀正しいのだ。


「ほんとに頼むよ。あんたらになんかあったら俺の首がとんじまうんだ」


「それは……たいへんですね」


「いや、正味な話、エンラムじゃホルムワンド商会に睨まれたら生きていけないんだ。だから俺にちゃんと仕事をさせてくれ」


 革袋の中身を飲み干したルゥがベルクの肘をぺちぺちと叩く。


「おかわり!」


 またか、といった顔をしたベルクが情けない声をだす。


「…………もう勘弁してください。この調子じゃ泡立つ水を買いに走るだけで一日が終わっちまうよ」


「律儀に二つ買ってくるのではなく、持てるだけ買い占めてくればよいではないですか。そうすれば何度も足を運ぶ必要はありませんわ」


「あ、たしかに…………じゃなくて! だから俺は――」


「こんどはちゃんとここでお待ちしていますから、早くお行きなさい」


 ベルクは泣きそうな目でジャンヌを見やり、しかしすぐに諦めたらしく大きなため息を落とした。


「四半刻(約七分)以内に戻る。それまで絶対に移動しないでくれ」


「はーい!」


 ルゥがにこにこ笑顔でいい返事をした。そして走り去るベルクを見送るなり近くの屋台に駆け寄る。


「こら、ルゥ!」


「ねえ見て見て! これすっごくきれい!」


 狼少女の目を惹いたのは、サフラン色の米と魚介の切り身を炒めた料理だった。屋台の脇には長椅子が置かれ、ホオノキの葉を皿代わりにした客がターメリックライスを手づかみで食べている。


「これ食べたいっ」


 その要望を叶えるべくジャンヌが屋台の前に立つと、木べらを握った恰幅の良い店主が困ったように眉を寄せた。


「すまないが貝に火が通るまでちょっと待ってくれ」 


「わかりました。では――」


 狼少女はすでに隣の屋台に目移りしたらしく、ジャンヌの手をぐいぐいとひっぱる。そちらでは二つの鉄板が並べられ、片方では家畜の肉と野菜、もう片方では魚介ときのこが焼き上がっていた。その中から好きに選んだものを串に刺してくれるようだ。


「おう、嬢ちゃんたち、どれが欲しいんだ?」


「ぜんぶ!」


「はあ? ……いや、べつに構わねえけど、ちゃんと金はあるのか?」


「それでしたら……」


 神官娘が懐から取り出した金子袋を、ルゥが横からひょいっと取りあげる。


「わはは、かねならいくらでもあるぞっ!」


 狼少女は片手を腰にあてて金子袋をかかげて見せた。さきほど観劇した悪徳商人のまねである。


「こら!」


 こつりとげんこつを落としたジャンヌがすぐさま袋を取り返した。そして銀貨を一枚店主に渡す。


「へぇ、嬢ちゃんたち金持ちなんだな」


 にっと笑った店主が手際よく焼き物を串に刺しはじめた。待ちきれずに伸ばしたルゥの手に、つぎつぎと串が握らされる。


「わああっ」


 ぱくぱくと串焼きを頬ばる狼少女のお腹はすこしぽっこりしはじめている。


「さすがに食べ過ぎではありませんか?」


「ぜんぜんへいき! だってすごくおいしいもん!」


 これには屋台の店主が嬉しそうに笑う。どことなくいやらしい笑顔だ。


「へっへっへ、上のお口は正直だな、嬢ちゃん」


「うん!」


 これまで自分の分までルゥに食べられてばかりだったジャンヌも串焼きに口をつける。


「あら、ほんとうに美味しいですわ」


 頬に手をあててご満悦な様子のジャンヌに狼少女の視線が向かう。


「なにそれ?」


「お茄子ですわ」


「おなす?」


「ええ、ちょっとお高い秋野菜です」


 ちょっとお高いという言葉に興味を示したルゥに串が差し出される。


「ひとくち食べてみますか?」


「うん、ちょーだい」


 ルゥの口許におなすを近づけてやると、あーんとおおきく口が開らかれた。ぱくりと食いつきもにゅもにゅと頬が動く。


「ん……」


 ごくり飲み込んだ狼少女は、すこしびみょうな顔つきだ。


「ふふ、ルゥはまだまだ子供の舌ですね。秋茄子は地母神ダーナの恵みと言われるほど美味しい食材なのですよ」


「ふうん」


 あまりお気に()さなかったらしく、ルゥはすでに別の串焼きをやっつけにかかっていた。


「おい、嬢ちゃんたち。そろそろ食べ頃だけど、どうするね?」


 隣の屋台の店主が二人に問いかけると、ルゥは当然のように食べると答えた。


「しょうがありませんね、ルゥは」


 自分の食事もそこそこに、神官娘は金子袋を片手に隣の屋台へ移動する。その間にも口をやすめることなく働かせていた狼少女は、ふと視線を感じて振り返った。そこにはルゥと同い年くらいの男の子がぽつんと立ち尽くしていた。背丈も同じくらいであろうか。その少年はズタ袋に穴を開けただけの粗末な貫頭衣(かんとうい)をまとい、何日も体を洗っていないらしく、全身からすえた異臭を漂わせていた。顔や手足も垢じみており、髪はざんばらで脂ぎっている。あまりの不潔さにぞっと身を引いたルゥの背後から、串焼き屋の店主が怒声を響かせた。


貧民窟(スラム)の餓鬼が! 商売の邪魔だ、とっとと消えやがれ」


 声とともにくず野菜が投げつけられ、顔に当たった少年がうめき声を洩らしてうずくまる。しかしすぐに立ち上がり、石畳に落ちたくず野菜に飛びつき、がつがつむさぼり喰う。

 呆気にとられ、茫然(ぼうぜん)と見つめる狼少女に少年の目が向けられる。その視線は食い入るように焼き串へと注がれていた。


「うぅ……」


 食べ物に対する執着と、腹をすかせた少年が可哀想という感情がせめぎあい、狼少女はとても困った顔をしていた。しかし手に持った焼き串と少年を見比べ、ルゥはおずおずとそれを差し出す。


「おなか、へってるんだよね」


 内心の葛藤に眉をゆがめながらも、狼少女は少年に笑いかける。


「これ、たべていいよ」


 用心深くルゥに近づいた少年が、ひったくるようにして焼き串を奪い取った。そのまま礼も言わずに食べはじめた少年を見て、すこしむっとした顔をしたルゥであったが、またジャンヌに買ってもらえばいいや、と一人納得する。――瞬間、うしろから腰の小鞄(ポシェット)が勢いよく引っ張られた。反射的に重心を移して(あらが)うも、ぶつりと音を響かせ腰帯が断ち切られる。慌てて振り返ると、短刀を片手に小鞄をかかえた男が走り去る姿が視界に入った。

 すぐに追いかけようと踏み出した足には力が入らず、その場にべちゃりと倒れ伏す。


「ま、まって……」


 折り悪く、時分は新月を迎えた昼下がり。小鞄ごと奪われた月長石がなければ、ルゥは人一倍虚弱なおさな子にすぎない。よろよろと立ち上がった体は脱力しきっており、倒れた拍子に擦りむいた膝からはだらだらと血が(したた)っていた。


「ボクの、月の石……」


 じくじくと痛む傷に涙をこぼしながら前方を見ると、なぜか立ち止まってルゥの様子をうかがっていた男が走りだした。


「なんで……? かえしてよ、ボクの小鞄(ポシェット)……」


 泣き声をあげながら追いかけるルゥの背後からジャンヌの焦りを帯びた声が聞こえた。



「ルゥ!? 待ってください! どこへ――」





 おぼつかない足どりで走る狼少女。ジャンヌの足ならすぐに追いつけるはずの追跡は、不意の闖入者(ちんにゅうしゃ)により(さえぎ)られた。横合いの路地から突如伸ばされた手が、神官娘の祭服を掴んだ。

 体格の良い大柄な少年が、ジャンヌの軽い体を振り回して壁に叩きつける。


――ゴッ! と骨を打つ鈍い音が響き、少年は唇をゆがめる。


「やべ、やりすぎたか?」


 しかしすぐに祭服を掴んだ手を振り払われ、彼は目を見張る。だが、荒事慣れした少年は慌てることなく神官娘の腹に手加減なしの拳を叩き込んだ。


 ひどく硬い手応えがあった。


 少年の拳を肘で受けたジャンヌはその腕を掴む。

 手首を極めざま半身をひねると、関節の外れる音とともに少年の巨体が宙を舞った。

 見事な当て身投げだ。

 背中から石畳に落とされた少年は悶絶して白目を剥いていた。

 本来ならそのままトドメを刺すところであるが、路地の先ではどこから湧いたのか、三人の少年がルゥを穀物袋の中に押し込んでいた。


「お待ちなさい!」


 穀物袋を担いだ少年たちが左手の細い路地に逃げ込む。

 倒れた少年には目もくれずルゥを追いかけるが、角を曲がるとその先は行き止まりだった。



 ルゥを(さら)った者たちの姿は、忽然(こつぜん)と消え失せてしまっていた。

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