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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
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楽な交渉



 瞳いっぱいに涙をため、じっとりとにらみ上げてくる狼少女にコバルト船長はすこし困った顔をしていていた。


「なんだこの娘は? なんで俺が悪者みたいになってるんだ?」


 彼は見るからに海賊(づら)の悪漢といった容貌(ようぼう)ではあるが、存外(ぞんがい)子供には弱い性質(たち)らしい。いくぶんおろおろしているようだ。


「ルゥさん、嵐に遭ったからといって必ず船が沈むわけではないのですよ」


 フレインの言葉に大きくうなずいたコバルト船長が胸を張る。


「俺は不思議と航海に出るたび大嵐とかち合っちまうが、現にこうして二本の足で(おか)に立ってるだろ」


 ルゥはとてもうたがわし気だ。その目はコバルト船長の義足に向けられていた。


「とはいえ船長には二度ほど船を沈められていますがね。……あれは大損害でした」


「何年前の話だよ。エーギル、お前にはそれ以上に(もう)けさせてやってるだろ」


「はは、二隻目はたしか去年でしたね」


 商会長エーギルの冗談めかした笑い声を聞き、ルゥはぞっと身の毛を逆立ててコバルト船長から一歩後ずさる。


「ボク、このおじちゃんのお舟に乗るのやだ!」


 狼少女から指をさされたコバルト船長が不本意そうに顔をしかめた。


「俺はまだ二十八だぞ。おじちゃんなんて呼ばれる歳じゃねえ!」


 彼はいかつい容姿から三十絡みの年配に見えるが、実際はことのほか若かったらしい。フレインなどもすこし驚いた表情をしていた。

 ルゥはまじまじとコバルト船長の顔を見上げてぽそりとつぶやく。


「…………おじちゃ――」


「ルゥ、二十八歳はおじちゃんじゃない。お兄ちゃんだ」


 長椅子から立ち上がったシグナムがルゥの頭に手を乗せる。二十八歳がおじちゃんなら、今年二十六になった彼女の立場まで怪しくなってくる。


「いいな、絶対だぞ」


 あまりみずからの見た目や年齢に頓着(とんちゃく)しないシグナムではあるが、さすがにルゥからおばちゃんと呼ばれるのはきついものがある。しかし狼少女は強情だった。


「おじちゃん」


「……よし、あとで好きなだけ買い食いできるだけの小遣(こづか)いをやる」


「おにいちゃん!」


 手首がねじ切れそうなほど勢いのよい手のひら返しだった。

 コバルト船長はすこし照れたような顔で「お、おう」とうなずいている。その様子を微笑ましげに眺めていたエーギルが、ひとつ咳払いをして場の注目を集めた。


「そろそろ本題に入らせていただいてよろしいですか?」


 一同を見渡して異議のないことを確認して話をつづける。


「船長、こちらの方々は魔族の領域に渡りたいそうです。三日後の航海に同行することは可能ですか?」


「ああ、構わんぞ。この前の帰路で出くわした嵐のせいで水夫が何人か海に流されちまったからな。ちょうど部屋がいくつか余ってる」


 狼少女がぷるぷる震えながらジャンヌに抱きついていた。


「しかし物好きな奴らだな。魔族の領域なんぞにいったい…………ん? 涼附(りょうふ)?」


 コバルト船長が後ろを振り返り、怪訝(けげん)そうに扉へと目をやった。


「あいつどこ行きやがった。さっきまで……」


 同じく先程からじっと扉を見つめていたアルフラが、強制力を(ともな)う言霊を発した。



「入ってきなさい」





 かつて灰塚に粛正(しゅくせい)された将位の魔族毘前(びぜん)。その配下であった涼附は、扉の前で頭を抱えてしゃがみ込んでいた。彼は半刻ほど前までコバルト船長と酒を()み交わしていたのだが、現在の雇い主である商会長からの呼び出しを受けてこの場へやって来た。しかし(つか)いの者に先導されて部屋の前に着いた瞬間、涼附はその場で凍りついた。――遅まきながら、室内に潜む途轍(とてつ)もない何者かの存在に気づいてしまったのだ。

 その何者かは、恐ろしく巧妙にみずからの気配を隠していた。わずか扉一枚を(へだ)てた距離に近づくまで、魔族である涼附が気取(けど)れないほどにその隠形(おんぎょう)は完璧だった。

 連れだってここまでやってきたコバルト船長は、ほろ酔い気分でなにも気づかぬまま入室してしまった。室内には、魔王、もしくはそれに(るい)する何者かが待ち構えているというのに、彼は気軽に地獄の門扉(もんぴ)(くぐ)ってしまったのだ。

 すぐにでも逃げ去りたい思いの涼附(りょうふ)であったが、恐るべき何者かの意識が自分に向けられていることが感じられ、足が一歩も動かせなくなった。そして恐怖のあまりこの場にへたり込み、現在に(いた)る。


「入ってきなさい」


 声が響いた。

 まだ(おさな)くあどけなさの残る、少女の声。

 その声が耳朶(じだ)を震わせた途端(とたん)、おのれの意思とは無関係に体が動いた。

 当然(あらが)おうと(こころ)みるが声の強制力は絶大であった。

 みずからの手足が思い通りに動かぬ混乱と焦燥。それは扉を開いた瞬間、絶望へと塗り替えられる。

 室内では幾人もの人物が涼附へと顔を向けていたが、彼の意識は一点に固定された。可能であれば目を(そむ)けたいと思いつつも視線を剥がせない。

 それは人間に酷似(こくじ)した姿形(すがたかたち)をしていた。

 死の(けが)れが輪郭(りんかく)を得て、小柄な少女の姿を形作(かたちづく)っていた。

 ――生存本能が悲鳴をあげて涼附に逃走を(うな)す。それとはうらはらに、屈服と恭順(きょうじゅん)だけがわずかに生き残れる可能性だと理性は告げていた。


「おい、どうしたんだお前。酷い顔色だぞ」


 コバルト船長が眉をひそめて涼附(りょうふ)の顔をのぞきこむ。


「まあとりあえず座れよ」


 腕を引かれるままエーギルの隣に腰を下ろす。

 穢れの少女は口許にうっすらと笑みを溜めたまま涼附を見ていた。外見だけで言えば、その顔立ちは非常に愛らしく、虫を殺したこともありませんといった無邪気さすら感じられる。――しかし、身に(まと)った濃密な死の気配だけは隠しようがない。


「では、話を続けましょう」


 エーギルは涼附の様子を気にしつつも、取り繕うようにそう言った。


「皆様を魔族の領域南部、計峰(けいほう)までお連れするとして――」


「あ、すこし待ってください」


 フレインが地図を取り出し卓上に広げる。そして海岸線の一点を指差した。


「できればこの辺りで降ろしていただけると助かるのですが」


「おいおい、この辺りでって……乗り合い馬車じゃねえんだぞ」


 コバルト船長がお前は馬鹿かといった目でフレインを見る。


「船ってのはちゃんと整備された港じゃないと接舷(せつげん)出来ないんだよ。とくに外洋に出るような大型船は岸に寄せただけで座礁しちまう」


「そうですか……」


 フレインが指差したのは皇城の真南。黒エルフの森からも程近く、無駄に大きな都市を経由することなく、目的地への最短距離を目指せる入江だった。


「計峰からですとかなり大回りになってしまいますが……仕方ないですね」


 フレインは難しい顔で地図を睨む。


「なんとかして」


 不機嫌そうな声をあげたのはアルフラだった。


「なんとかって言われてもなあ……」


 渋る様子のコバルト船長からその隣に座る魔族へと視線が移される。

 真っ青になって震えあがった涼附が上擦った声を出した。


「お、沖合いに(いかり)を降ろして小型艇を出します」


「なに勝手に決めてるんだよ。船長は俺だぞ」


 いいから言う通りにしろ、という強い意思を込めて涼附はコバルト船長を見やる。


「……いや、まあ出来ないこともないが……その時の天候にもよるし、潮流(ちょうりゅう)の加減によってはかなり厄介だぞ」


「なら問題無いだろう」


 かなり厄介程度の手間でアルフラの機嫌を取れるのならば安いものだ。内心で涼附はそう安堵した。


「フレイン、好きな処に上陸できるならむしろこっちの方が……」


 地図を囲んでなにやら話しだしたシグナムとフレインを横目に、コバルト船長が声を潜めて疑問を口にする。


「なあ、お前やたらとあの嬢ちゃんを気にしてるが……そんなにか? 確かになんかヤバそうな感じはするけどよ」


 涼附にしてみれば、むしろアルフラを前になぜ平然としていられるのかが疑問だった。人という種族の鈍感さに呆れ果てるばかりである。


「あれは人間じゃない。魔王の同類だ」


 さすがに信じられないといった顔で閉口するコバルト船長に代わり、エーギルがささやき声を返す。


「あなたの言葉を疑うわけではありませんが……それはちょっと大袈裟すぎるのでは?」


「大袈裟なものか。お前ら人間はなぜそんなに感覚が鈍いのだ。あの娘は、人の領域では神話の中でしかお目にかかれない(たぐ)いの化け物だぞ」


 切実な響きを帯びた涼附の声に、エーギルの顔色も深刻に(かげ)る。


「賭けてもいいが、あの娘はエンラム程度の小国など半時(はんとき)もあれば滅ぼせる力を持っているはずだ」


 涼附の見立ては至極妥当なものであった。そして彼は魔王に対する臣下の心構えを()く。


「いいか、とにかく機嫌を(そこ)ねるな。なにか命じられたら常に()()と答えろ。もし出来ないようなら死ぬ覚悟をしておけ」


 半信半疑といった表情ながらも、涼附の剣幕さに押されてエーギルとコバルト船長が首肯(しゅこう)する。一様に緊張の面持(おもも)ちで黙り込んだ三人にシグナムの声がかかった。


「そういえばもうひとつ頼みたいことがあったんだが、いいか?」


「あ、はい。なんでしょう」


「実はエンラムに来る道すがら、ちょっと面倒事に捲き込まれてな……ありていに言うと、へリオンの神官を殺しちまったんだ」


「……は? へリオンの神官を、ですか?」


 たちまち表情を曇らせてエーギルは眉間(みけん)に皺を寄せた。


「あー、やっぱりまずいよな。まあそうそうバレないとは思うんだが、できればあたしたちに衛兵の手が回らないよう手を打てないか?」


「……衛兵自体は小金を握らせればなんとでもなりますが……話はそう簡単ではありませんよ」


「そうなのか?」


「ええ、へリオンの神官たちはエンラムからやや離れた山中に拠点を置いているのですが、そこは神殿とは名ばかりの要塞化さた山城です。彼らは一人一人が歴戦の戦士であり、全員が治癒魔法を習得している一騎当千の(つわもの)ばかりなのですよ」


 シグナムは神官戦士たちとアルフラの戦いを思い返してしみじみとうなずく。


「たしかに手練(てだ)れ揃いって感じだったな」


「はい。しかもここのところ天界で大逆を犯した者を追っているとかで、彼らは非常に殺気立っています。へリオンの神殿にはそういった神官戦士たちが百名ほども詰めていますので、当商会としても彼らと敵対するようなことは……」


 言葉尻を濁したエーギルに対し、やや気まずげにシグナムは視線を逸らした。


「いや、その百人を全部殺しちまったんだ」


「……え?」


「あと、子供も二十人くらい」


「…………え?」


 限界まで見開かれた目で凝視され、シグナムは言い訳がましく手を振る。


「あたしが殺ったんじゃないからな。それに奴らが勝手に襲ってきたんだ。――で、全員アルフラちゃんが返り討ちにしちまった」


 エーギルは首の(きし)む音が聞こえそうなほどぎくしゃくとした挙措(きょそ)でアルフラへ顔を向け、そしてゆっくりとシグナムに視線を戻した。


「百人の神官戦士を……皆殺しにしたのですか!? 大虐殺ではないですか!! ……な、なぜそんなことを……!?」


「いや、だからあたしたちは問答無用で襲われたんだよ。仕方なく返り討ちにしたんだ」


 実際に問答無用だったのはアルフラの方であり、仕方なくというより嬉々(きき)として、といった表現が適切なのだが――さすがにシグナムもそれを正直に話すのは気がとがめたようだ。

 エーギルは気を落ち着けるために深く呼吸を繰り返し、コバルト船長と顔を見合わせる。荒くれ者を従える海賊頭も表情をこわばらせていた。そして彼はふと気づく。なぜ神官戦士たちが一行を襲ったのか。その答えは明白である。へリオンの神官たちは神殺しの大逆者を追っていたのだ。それが天界に招かれたレギウス人であるらしいという噂は商人であるエーギルも聞き知っていた。

 なるほど、と彼は思う。アルフラに対する涼附の異常なまでの恐れようが理解できたのだ。

 さきほどアルフラのことを尋ねたときの「世の中には知らない方がいいこともある」というシグナムの言葉にも得心がいった。

 たしかにこれは深く追求しないほうが身のためだと納得のできる事案だ。


「こ、この件につきましてはお任せ下さい。皆様にはなんら不都合のないよう、すべて私共の方で取り(はか)らわせていただきます」



 血の気の失せた蒼白な顔で、エーギルは力強く()け合った。


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