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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
227/251

港町



 夕刻、日没前にエンラムへと到着した一行は、港にも程近い高台に位置する旅籠(はたご)をその日の宿(やど)とした。旅籠には厩舎(きゅうしゃ)併設(へいせつ)されており、敷地内には庭園まで備えられた中々の高級宿である。

 二階の六人部屋で夜を明かした翌日、ゆっくりと休養をとった一行は、室内に朝食を運んでもらい腹を満たした。食後は早々に旅籠を出て、ホルムワンド商会の本店へと向かう。昨夜のうちに旅籠の下男(げなん)に商会の場所を聞いており、港に面した通りに本店があることは分かっていた。

 高台から大通りにつづく下り坂は非常に見晴らしがよく、ルゥなどは物珍しげにきょろきょろと落ち着きがない。


「わわっ、みてみて! すっごくおおきなお舟!」


 狼少女が指差した先では、真っ白な帆を掲げた大型船がエンラム(こう)へと入ってきていた。


「ボクたちもあれに乗るの?」


「たぶん別のやつだとは思うが……だいたい似たような船じゃなかな」


 シグナムの言葉に、ルゥはきらきらと瞳を輝かせる。


「ねえねえ、もしかしてお舟に乗ってる間はお魚食べほうだい?」


「ああ、むしろ飽きるほど食えるぞ。まわりには海しかないからな」


 ほぉぉ、とため息をついた狼少女は食べきれないほどの魚料理を想像したらしく、よだれをたらさんばかりの勢いで大口を開いていた。


「でも海ってのはでかいからな。逆にルゥをぱっくりいっちまうような魚もいると思うぞ」


「――え? ボク食べられちゃうの!?」


 ルゥはおおきな瞳をまんまるに見開いて硬直してしまう。


「まあ嵐なんかで船が沈みでもしたら、みんなで仲良く魚のエサだな」


「えぇぇぇぇ……」


 などとシグナムがルゥをからかっている間、アルフラはまったく別なことに興味を示していた。

 港へ繋がる大通りはとても道幅が広く、人込(ひとご)みをかき分けるように馬車がひっきりなしに往来している。その人の多さに興味を()かれたのだ。

 エンラムは数万の人口をかかえる大都市である。アルフラにとって人の魂魄(こんぱく)は栄養価の低い粗食のようなものなのだが、それでも万を超える数ともなれば話は別である。ロマリアの上都で味をしめてしまったのだ。その視線が遠くの人波からジャンヌが持つ死神(ししん)王笏(おうじゃく)へと移される。


「ねえ……」


 物欲しげなアルフラの顔から、正確に求められているものを理解した狂信者は死神の王笏を手に取る。そして感極まったかのように目許を(うる)ませた。


「我が神のなんと慈悲深きことか……。正しき信仰を知らぬ者たちにも、その愛は分け(へだ)てなく注がれるのですね」


 ジャンヌは感涙(かんるい)(むせ)びながら、眼下に見えるエンラム市街へ王笏の先端を向ける。そしておもむろにおそるべき広域殲滅魔法を唱えだした。


「ああ、我は願う。万象を内包せし根源の女神アルフレディアよ。御身(おんみ)が忠実なる使徒――」


「おい馬鹿やめろ!!」


 ひどく焦った様子のシグナムが後ろから抱きかかえるようにしてジャンヌの口を(ふさ)いだ。もごもごと何事か言おうとする神官娘から死神の王笏をひったくる。瞬間――


「うおっ!?」


 シグナムが飛び退()きざまにジャンヌへと王笏を投げ返した。握った王笏から禍々(まがまが)しい瘴気が腕を伝って駆けあがってきたのだ。

 ばたばたと黒い(けが)れを(はた)き落とそうとするシグナムに神官娘の怒声が浴びせられる。


「いきなり何をなさるのですか!?」


「そりゃこっちの台詞だッ!! お前はエンラムの住人を皆殺しにするつもりか!!」


「人聞きの悪いことを言わないでください! これはアルフラさまの慈悲なのです。楽園へと(いた)る導きの邪魔をなさるなんて……エンラムの人たちが可哀想だとは思わないのですか!?」


「思わねえよ!!」


 ジャンヌにエンラム市民へ対する悪意はなく、あくまで救済のため――心からの善意により殺戮を行おうしているのだ。


「おい、アルフラちゃん! このキチガイに……」


 狂信者相手に話は通じないと悟ったシグナムはアルフラへと向き直る。――が、そこで言葉が途切れてしまった。ほそめられたアルフラの目から、怒りと敵意を感じとったのだ。それに呼応(こおう)して神官娘の両腕からじゃらりと鎖が垂らされる。


「待ってください!」


 慌てて間に入ったフレインが早口に(まく)し立てた。


「エンラム市街には船乗りもいるのですよ。彼らを殺してしまっては船で魔族の領域に渡航するという目的が果たせなくなってしまいます」


 あっ……という顔をするアルフラに青年魔導士は声を落ち着かせて告げる。


「このエンラム以外で魔族領へ向かう交易船を探すのは困難です。最低でも一ヶ月は行程が遅れると見ていいでしょう」


「……うん。じゃあいいや」


 あっさりとうなずいてアルフラは歩きだす。微少な力を得るために、白蓮との再会が一ヶ月も遅れるのは我慢ならない。たかだか数万の命では割に合わないと感じたのだ。そもそもがふとした気まぐれであって、どうしてもエンラム市民の命が欲しかったわけでもなかった。

 アルフラの後ろ姿を唖然とした顔で見送ったシグナムであったが、はっと我に返りそのあとを追いかける。


――冗談じゃねえ! いまあやうくエンラムが滅びかけたぞ



 心のなかで毒づくシグナムであった。





 出店(でみせ)露店(ろてん)(なら)ぶ広い通りをぬけると、目的とするホルムワンド商会の本店はすぐに見つかった。なかなかの(にぎ)わいを見せる店内に入り、下働きの丁稚(でっち)とおぼしき少年に用件を告げる。エルテフォンヌ伯爵の書状は覿面(てきめん)の効果を発揮し、アルフラたちはすぐに上階の応接室へと通された。革張りの長椅子に腰かけて待つこと小半時(こはんとき)(約30分)、扉の叩かれる音のあとに三人の男性が入室する。まず目についたのは長身痩躯(そうく)の青年。年の頃は二十代後半、ゆったりとしたローブを羽織っており、背後に帯剣(たいけん)した二人の男を従えている。


「お待たせしました。私は当商会の店主、エーギル・ホルムワンドと申します」


 ローブの青年が一礼し、立ち上がろうとしたフレインを身ぶりで押しとどめる。


「どうぞそのままお掛けになっていて下さい」


「あ、はい。では腰かけたまま失礼します。私はフレイン。レギウス魔術士ギルドの導士です。そしてこちらが――」


 フレインが自己紹介をし、シグナムから順に仲間たちの名を告げていく。それにいちいちうなずいて、ホルムワンドの商会長、エーギルはみずからも椅子に腰を降ろした。

 シグナムの視線がエーギルから、そのうしろで直立不動の姿勢をとる男二人に注がれる。それに気づいた商会長が柔和(にゅうわ)な声で言った。


「彼らはただの護衛なのでお気になさらないで下さい。もし、あまり人には聞かせられないような商談をお持ちになられたのなら退室させますが……いかがなさいますか?」


 冗談めかした口調のエーギルに、シグナムはかすかな苦笑を浮かせる。


「いや、べつに構わないよ」


 護衛二人はやや緊張した面持(おもも)ちで、アルフラの顔を凝視していた。シグナムはあらためてエーギルへと目を向ける。そして口許の苦笑を純粋な笑みに変えた。


「あたしはさ、ホルムワンド商会はエンラム有数の豪商だと聞いてたから、なんとなく豚みたいに太った中年男を予想してたんだけど……あんたはあんまり商人ぽくないな」


 聞きようによってはかなり失礼なその物言いに、エーギルは(ほが)らかな笑顔で(おう)じた。


「よく言われます。初対面の方からは学者かなにかと間違われますね」


「ああ、そういやすこしフレインと雰囲気が似てるな」


「魔導士殿と似ていると言われるのは光栄ですね。実はいささかそういった方面にも興味があります。……ところで――」


 穏やかな笑みを絶やさないまま、エーギルはちらりとアルフラに目線をやる。


「そちらのお嬢さん……アルフラさん、でしたか、彼女はどういったお方なのですか?」


 とうのアルフラはというと、名を呼ばれたにも関わらず目を閉じたまま身動(みじろ)ぎのひとつもない。


「いえ、もちろん詮索をするつもりはありません。ですが、そのお嬢さんからは……なにかただ事ではない雰囲気が感じられます。……それになぜだかとても不安になってくると言いますか……」


「ああ、あまり気にしないでくれ。世の中には知らないほうがいい事ってあるだろ」


 おそらくエーギルは商人という職業柄、人を見る目は確かなのだろう。もしくは本能的に、アルフラが人の命を(おびや)かす存在であることを感じとっているのかもしれない。彼の背後に立つ護衛たちもまた、やや青ざめた顔でしきりとアルフラを気にしていた。


「とりあえず本題に入らせてもらっていいか?」


「そうですね、私もそれほど時間を取れませんので率直にお聞きします。エルテフォンヌ伯爵からの書状には、あなた方の目的は魔族領へ渡ることなのだと(したた)められておりました。それに相違(そうい)ありませんか?」


「ああ、間違いない」


「それでしたらちょうどいい。三日後に魔族の領域南部、計峰(けいほう)の街へと出航する船があります」


「三日後? 早いな」


「ええ、小麦を大量に積んだ大型帆船(はんせん)です。収穫期であるこの時期にエンラムを訪れたのは運がよかったですね」


 ただ、とつぶやいてエーギルはやや思案する。


「出航間近の船に五人も乗員を増やせるかは……やはり船長に確認してみないとなんとも言えません」


「そうか……だったらすぐに聞いてみちゃもらえないか?」


「わかりました。(おか)にいるときの彼はだいたい朝から行きつけの酒場で飲んだくれていますので……」


 エーギルが振り返って護衛の一人に目配(めくば)せをした。すると男は一礼して退室する。その背を見送りシグナムへと視線が戻された。


半刻(はんこく)(約十五分)ほどお待ち下さい」


「ああ、それじゃあついでにこれを買い取ってもらいたいんだが……」


 革鎧の(ふところ)に手を差し込んだシグナムが折り畳まれた羊皮紙を取り出した。


「拝見させていただきます」


 エーギルは羊皮紙を手に、その文面へと視線を走らせる。


預入金(あずけいれきん)の証文ですね。レナード商会に金貨三百六十枚……これはまたかなりの大金だ」


「――シグナムさん? そのお金は……」


 それはかつてシグナムが副団長を勤め、オーク来襲時に壊滅してしまった傭兵団の運営費であった金だ。フレインは彼女から、機会があればその金を元に傭兵団を再建したいのだという話を聞いていた。


「……よろしいのですか?」


 シグナムは目顔でうなずきエーギルへ視線を向ける。


「すぐに全額払ってくれって訳じゃない。その中からあたしたちの船代なんかを差っ引いた分でいいんだ」


「そうですか……本来これほどの額ですとそれなりに裏を取ってからでないと取引は出来ないのですが、ほかならぬエルテフォンヌ伯爵の紹介ということもありますし、(つつし)んでお受けしましょう。ただし、レナード商会はかなりの大店(おおだな)ですがこのエンラムに支店はございません。諸々(もろもろ)の手数料として金貨五枚ほどいただきますが構いませんか」


「ああ、問題ないよ。――それとひとつ確認しときたいんだが……あんたらの商会は海賊もやってるんだろ? 三日後に出るって船もそうなのか」


「それは……まあそういったこともたまにはありますが、いまは隣国フィルキアとの関係も良好ですし、エンラム王からもしばらくそちらの商売は控えるよう(おお)(つか)っていますね」


 エーギルの穏やかそうな目許はそのままに、唇だけがかすかに酷薄な笑みを作った。彼はフレインと違い、どうやら見た目通りの優男(やさおとこ)というわけでもないらしい。


「それと、ひとつ訂正をしておきますが、私共はあくまで私掠船免状を受けた商家であり、決して海賊などではありません。ですので以前はどうあれ、無闇に他国の商船を襲ったりはしないのですよ」


「……なるほど。でもあんたらにその気はなくても、逆に襲撃を受けるってこともあるんじゃないか? ずいぶん派手に稼いでたんだろ。恨みもそうとう買ってそうだ」


「ご安心下さい。万が一、本物の海賊に襲われるようなことがあっても心配はいりません。あなた方はエルテフォンヌ伯爵のお客様ですからね。船員たちには体を張ってお守りするよう言い付けておきます」


 それに、とエーギルは言葉を(つな)ぐ。


「これから紹介する船には、高位の魔族が乗り込んでいるのですよ」


「……は? なんで魔族があんたらの船に……?」


「その魔族は涼附(りょうふ)という男なのですが、今から半年ほど前に国元(くにもと)で政変があったそうで……なんでも(つか)えていた将位の魔族が他国の王に殺されたとか。それが原因で国を()われて出奔(しゅっぽん)したそうです」


「……」


「まあその後いろいろとあったそうですが、魔族の領域からこのエンラムに渡り、いまでは優秀な航海士としてうちの船に乗り込んでいます。その力も将位の魔族に仕えていただけあって、魔法の一撃で軍船を沈めたという信じられない話を船長からは聞いています」


 シグナムたち一行の目が、自然とアルフラのほうへと向けられる。とうのアルフラは先ほどと変わらず静かに目を閉じていた。何の興味もありませんよ、といった顔をしているが、その実じっと聞き耳をたてているであろうことをシグナムは確信する。

 エーギルは客人たちの様子を見てすこし勘違いをしてしまったらしく、取り(つくろ)うようにこう言った。


「魔族といえばなにかと恐ろしげな存在のように語られてはいますが、その涼附(りょうふ)というのはなかなか気のいい男です。彼自身も自分は魔族としては変わり者なのだと申しておりました。――ですから皆様を害するようなことは決してないとお約束出来ます」


「……あー、いや。そんな心配はまったくしてないんだけど……」


「そうですか……? もしかすると間もなく船長と一緒に涼附もこちらへ来るかもしれません。彼らは無類の酒好きで、よく連れだって飲み歩いているそうなので」


 シグナムがじっとアルフラを見つめていると、鳶色(とびいろ)の瞳がぱちりと開かれた。


「あたし、なんにもしないよ? だってその魔族、船を動かすのに必要なやつなんでしょ」


 めずらしく空気の読めた発言をしたアルフラであったが、これは目的地に着いてからばっさり()っちまうつもりだな、とシグナムは理解した。

 そうしている(あいだ)にも時は移り、やがて室外から戸の叩かれる音が響いた。

 部屋に残っていた護衛の男が扉を開ける。

 姿を現したのは軍服にも似た青い外套(コート)を着こんだ壮年の男だった。体つきは細身であるが屈強そのもので、右の目には黒革の眼帯、左の脚も生身のものではなく、ズボンの裾からは義足杖がのぞいている。彼が頭に被った三角帽(トライコーン)を揺らせて一同を見渡すと、腰に吊るしたサーベルがかちゃりと金属音を響かせた。

 このいかにもな()で立ちの男を見て、どう見ても海賊じゃねえか、とシグナムがつぶやく。


「人が気持ちよく飲んでるところを呼びつけやがったのはこいつらか?」


 男の不機嫌極まりないといった物言いに、エーギルが苦笑混じりに告げる。


「この方たちは私の大切なお客様です。船長、自己紹介を」


 ふん、とひとつ鼻を鳴らして彼は言い放つ。


「俺の名はジャン・コバルト。嵐を呼ぶ船長、キャプテン・コバルトだ!」


「~~~~~~~~っ!?」


 こぼれ落ちそうなほど涙目になったルゥがコバルト船長の腰をぽかりとなぐりつけた。



「だめだからね! 勝手に嵐呼んじゃだめなんだからね!」

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